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「小閑記」
恵みによって、心を強くするがよい。
=へブル13:9=
キリスト者が希望を持ち、静かに主の救いを待つことができるとは、何と素晴らしいことでしょう。み言葉は語ります。「人が若い時に、くびきを負うことはよいことである」。その「くびき」は、主がおはめになったと信じるなら、何と良いことでしょう。
その奥義に心を向け、静かに黙して祈り、感謝できるとしたら・・・、悲しみと不安で顔を下に向けている今こそ、実は「神の下さった恵みのくびき」なのです。「くびき」を、私たちの自由を奪う奴隷のような重荷とお思いなら、それは間違いです。「くびき」は正しい道に、希望に、救いに導く大切なものです。
どうでしょうか、私たちが自由に何かをする時、喜びと感謝に満ちるでしょうか。私たちにとって自由は、神から離れ、罪の生活と放蕩へと誘う甘い蜜になるのではないでしょうか。
それを制御させるものが「くびき」と思い直してみませんか。あの聖書に記されている「放蕩息子」の教えは、「くびき」のない姿であり、彼の悔い改めは、「くびき」に生きようと決心してから始まりました。
彼は放蕩から、生まれ故郷を学び、働くことを学び、父親の愛を知る機会となりました。神を信じることを学びました。これは「放蕩息子」の個人的な経験ではありません。私自身なのです。
私たちの心には「人を妬みや羨む心」がいろいろの出来事の中に出て来ます。それは、人との比較や国と国との比較から生まれるものと言われています。貧富の差と言う富のバベルの塔、国土と国土の格差。不思議なことに、都会では高さを競い合い、ビルディングと言うバベルの塔を競って作っています。
羨む心は、隣の芝生から生まれています。心に飾る美しいバラの花を握りしめているなら、野の花を愛でるでしょう。与えられている仕事や、悲しい災害での時や、人の喜びに関われる心の花を咲かせましょう。
心を強くするために、人は努力します。それは素晴らしいことです。決して無駄なことではありませんが、「天に宝を積み」、地には平和と愛の花園を作ることができる日々へと導かれているなら、人は神様に感謝することでしょう。
「くびきを負う人生」のあることを知ろうではありませんか。
主の導きにとりまつり ふたたび来ます平和の時まで、
み名によりて、あだと戦わん。
主来まさば、なやみはとに消ゆるなり、
そのおもいのいかに楽しき。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」