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第104課 結びの言葉:個人的挨拶
=16:1~27=
D ローマにいるキリスト信者へのパウロの同労者たちの挨拶・・・1・・・
=16:21~23=
数人のパウロの友人たちや同労者たちがここで挙げられている。それらの人々の中には、キリスト信者になったコリント市の要職の会計係エラストがいる。22節に出てくるルツテオはパウロのこの手紙を筆記した人である。これら人々は多分コリントでパウロに加わってキリスト教伝道の働きに参加したのであろう。
E 結びの讃詠 =16:24~27=
25~17節は、ギリシャ語の原文では長文である。しかし、教えていることは明白である。キリスト信者を確立することは神の力であり、この力はイエス・キリストの福音を通して働くのである。この福音は「長き世々にわたって隠されていたが、今やあらわにされた」奥義として語られている(16:25~26)。
このように福音は「人間の哲学の体系でも、また人間の調査の結果でもなく、神の御目的の啓示なのである。パウロは度々、贖いの計画は永遠より形成されたものであって、人の目も発見することは出来ず、人の心も考えつくことができないものであることを述べています」(ホッジ)。
福音は永遠より神の御心の中にあったが、遂に終りの時、旧約においては部分的に、新約においては全面的に人間に啓示された。永遠より神の御心の中にあったこの福音は、遂に「今やあらわにされ、もろもろの国人に告げ知らされた」のである(16:26)。
ここで私たちはパウロの福音と旧約の預言者たちとの間に本質的な調和と一致があることに注目しなくてはならない。この福音は何か新奇なものなのではなく、旧約の中にあるものと全く一致するものなのである。それは同一の真理が完全な啓示の段階に到達したのに他ならないのである。
パウロの時代と私たちのこの時代においては、旧約の預言者たちの時代とは異なり、福音は「信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた」のである(16:26)。
「すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより栄光が永遠より永遠にあるように、アーメン」(16:27)。
人間の救いの全体が全く神とその恵みに着せられているこの手紙において、結びの文章が栄光をキリストにより神に帰していることは、まことに相応しいことである。そして 神はここで「唯一の知恵深い神」と述べれているが、それは、神はその無限で完全な知恵がそのすべての御業と特に御子に関する福音の中に現わされている御存在であるからである。
ローマ書講解 =完=
J・G・ヴォス著
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」