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十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=御国=
第二の祈り②・神の国に入る
ヨハネ3:1~13
前回は「御国」すなわち、神の国が神の支配であることを理解しました。残りを3回に分けて、神の支配のことを聖書から、少し具体的に学ぶことにします。今回は、神の支配に入る、御国に入ることを求める祈りとして、次には、私たち自身がすでに神の国に入っている者として、神の支配に服することを求める祈りとして、最後は、約束されている終末の日が来て、イエス・キリストの再臨の後に、神の国は完成し、私たちは完全な救いを与えられますから、その日が来ることを祈ります。
御国は確実に、そして着実に拡大していくことを約束されていますので、このことを期待をもって求める祈りとして学びます。
旧約時代に神の国は、イスラエルの民と言う選民に殆ど限定されていましたが、主イエスの到来とともに、神の国は全世界に開かれました。そのために主の約束によって聖霊が降られ、主イエスを信じる人は、国籍に関係なく、神の国に招かれています。
このヨハネによる福音書3章に記されているニコデモのことは、私たちがよく知っている聖書箇所の一つです。彼が夜、主イエスを訪れた時、主は彼に何が必要であるかを、こうおっしゃいました。
「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3)。
ニコデモには今のままでは、神の国を見ることができない、と主はおっしゃいました。見ることができないだけでなく、ましてや、神の国に入ることは決してできない、とおっしゃったことになります。神の国、神が支配しておられることを本当に見ることさえ、「新しく生まれること」が必要条件であると言われました。さらに主は、言い方を変えて、5節でこう言われました。
「水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」。
「水」とは何を指して言われたのか、洗礼者ヨハネが授けていた水の洗礼に関係があるというのが最も自然で、ヨハネが水でどんな洗礼を授けていたかを思い出したでしょう。自分の罪を認め、それを悲しみ、悔い改めて、洗礼を受けるためにヨハネのところに来ていましたから、悔い改めの洗礼のことでした。もう一つの「霊」とは、主御自身がお与えになる聖霊のことですから、聖霊に助けられて、主イエスを信じることを指しています。
従って、ニコデモであれ、だれであれ、罪を悔い改めて、主イエスを信じることで新しく生まれます。こうして神の国に入れられます。
ですからこの第2の祈りによって、救われる人が起こされ、そのために私たちに証しさせ、伝道させてくださいという祈りです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」