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「小閑記」
あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めているのに、魚の代わりにへびをあたえるだろうか。卵を求めるのに、さそりをあたえるだろうか。このように、あなたがたは悪いものであっても、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めてくる者に聖霊をくださらないことがあろうか。
=ルカ11:11~13=
全世界に飢えに苦しむ人の多いことがニュースになり、私たちの身の回りにも多くの家庭や家族、子供たちのいることを知らされます。しかし、賞味期限とか、流行から外れた衣服は、廃棄物として大量に処分されています。このみ言葉は、単なるみ言葉ではありません。平和を求める人々に、大量の破壊兵器が悲劇と憎しみを人々の心に残してきたことは歴史が示してきました。
飢えた子供に、パンや魚の代わりに石やへびを与える親は、人間よりも悪魔に近い者でないかと思えるのは極端でしょうか。しかし、快楽にのめり込み、放置された子供の悲劇は、後を絶ちません。本当に悲しいことです。
イエス様もそのようよう親を考えることはできませんでした。だからこそ、何時でもイエス様は、私たちは悪い者ながら、子供たちに良い贈り物をするということを、私たちにお教えになろうとしています。主イエス様は、罪深い私たちを用いて、悪い者から、良い食べ物を与える者へと導いてくださると言われるのです。私たちの善意や親切な思いをお用い下さるために、お力を下さいました。
「天の父はなおさら、求めてくる者に聖霊をくださらないことがあろうか。」
イエス様の下さる最高のものは、「聖霊」であると言われました。人は魚やパンを与えます。それも必要ですが、それとは比較にならない「聖霊」を下さるというのです。
「聖霊」で飢えや空腹は満たされないと人は言うでしょう。しかしそうでしょうか。人々に愛の心、分かち合う行動、共に流す涙と笑顔、これは神様が下さている「聖霊の賜物」そのものです。武器でもない、地雷でもない、核兵器の脅しでもない、小さな小さな一人ひとりの善意と言う宝がそうせずにはおれなくさせる働きです。
この美しくも小さな愛が、神様がくださる最大の贈物であることを知るなら、私たちは、貪欲なまでに願い求めようではありませんか。
「聖霊」は真理へと導き、光と悔い改めの願望を生み出します。日々の生活を振り返り、自分自身のためだけから、神様を信じる人々のために、そうしてすべての人々のために、信仰者として改めて日々「献身」の思いを強められたいと願い求めるなら、父なる神と子なる神と聖霊なる神様はお与えくださると信じます。
静けき光よ、来たりて満ちよ、わが胸の奥深く。人々の心にやどれや。
われらはみ光のほかに、よあけをしらず。きよき光を送り、われらの魂を照らし、さきわいたまえ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」