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聖霊とその働き
エドウィン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
はじめに
クリスチャンにとって、聖霊という主題以上に重要なものはほとんど無い、と言ってもよいであろう。クリスチャンの霊的生活が始められ、そして継続されていくという、この両面とも、神の永遠の御霊の働きかけがなければあり得ないからである。聖霊と私たちの霊的生活との関係は、創造主とこの世界との関係にも比べることができる。
創造主である神がおられなければ、この世界は決して誕生することはなかった。また神の継続的な保持の働きがなければ、クリスチャンとして新しく生まれることはなかったであろうし、御霊の絶えざるきよめる力の影響を受けることがなければ、クリスチャンの霊的生活はもとの霊的死の状態に逆戻りすることになるであろう。それだけではない。本書の目次を一瞥すれば分かるように、聖霊は、再生や聖化以外にも、信仰生活の多くの重要な面で、欠かすことのできないお方である。
しかし、教会の歴史を見るとき、聖霊に関する教理はしばしば軽視されてきた。例えば、キリストの神性、三位一体、恵み、贖い、そして礼典といったような主題については、長期にわたって 論争がなされた。しかし、聖霊についてなされた論争は、それに比べてはるかに少ないのである。組織神学者たちは、御霊についての教理を三位一体の一部で扱い、個人の霊的との生活との関連でごく短く取り上げているが、それ以外の面では無視してしまうことがよくある。キリストへの関心は聖霊への関心より高い。クリスマスへの関心はペンテコステへのそれよりも高い。使徒信条ではキリストに関する項目が6つあるのに聖霊については一項目である。この事実は教会の関心の度合いをよく物語っている。聖霊のことを「知られざる神」と呼んだ人がいるくらいである。
聖書研究を大いに促進させたのは、宗教改革時の教会である。ローマ・カトリック教会の教えに反対して、宗教改革者たちは、聖書の正しい解釈に必要なのは教会ではなく、人間の心を照らす聖霊であることを強調した。また、ミサにおいてキリストの犠牲を人に適用するのは、聖職者でなければならないとするローマ教会の教えに対して、ルターとカルヴァンは、キリストの犠牲を私たちの生活に適用するのに、聖霊の働きの必要なことを主張した。しかし、聖霊の教理を強調することが特に必要になったのは、主権的恵みという聖書の教理が、カルヴァンによって再発見されたからである。というのは、カルヴァンは、人間の全的堕落と無条件的選びを強調したからである。つまり、神がその選びを主権的に実行なさるなら、選民の生活のうちに聖霊が力強く働かなければならないということになるからである。
聖霊研究では、これまで最も徹底してなされたものが二つある。その一つはイングランドの神学者ジョン・オーエンが17世紀に書いたものと、もう一つは19世紀のオランダの政治家であり神学者であるアブラハム・カイパーによるものである。この両者とも改革派の遺産を受け継いでいる。しかし、これらが共に分量が多く、非常に詳しく書かれた書物であるため、時間をかけてそれらを読む人はきわめて少ない。
近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかし、その学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。これに加えて、なかには聖霊の聖書的教理から逸脱するものも現れてきている。
したがって、この主題の重要なこと、それにもかかわらず比較的軽視されていること、学びがあまり歓迎されていないこと、クリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から、本書は書かれている。
エドウィン・H・パーマー
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」