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聖霊とその働き
エドウィン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
目 次
はじめに
第1章 聖霊と三位一体
第2章 聖霊と創造
第3章 聖霊と一般恩寵
第4章 聖霊と啓示
第5章 聖霊と照明
第6章 聖霊とイエス・キリスト
第7章 聖霊と再生
第8章 聖霊と聖化
第9章 聖霊と異言
第10章 聖霊と導き
第11章 聖霊と神の子
第12章 聖霊と祈り
第13章 聖霊と教会
第14章 聖霊とその象徴
第15章 聖霊と赦されざる罪
第16章 聖霊と人間の責任
訳者あとがき
第1章 聖霊と三位一体
本書において、聖霊の種々の働きのことをおもに考察したいと思っている。それにはまず、聖霊とはどういうお方か、ということを考える必要があるので、この第1章では、聖霊と三位一体のことをとりあげることにする。
それでは、この御霊について、4つの事柄を述べることから始めよう。
Ⅰ 聖霊は人格を持つ ・・1・・
クリスチャンであるなら、聖霊を人格のあるかたとして信じている。これがクリスチャンであることの一つの証拠である。教会の初期から今日の近代主義にいたるまで、人々はなんらかの形で、聖霊の人格を否定してきた。キリスト教の説教者や神学者と言われている多くの人々が、御霊を「彼」と言わず、「それ」という言及の仕方をする。彼らの考えによると、聖霊は非人格な影響とか力とかエネルギーであって、三位一体の第三位格ではない。そうした見解であれば、私たちの救いの大きな祝福の幾つかが奪われることになる。それだけではなく、そうした見解は非聖書的である。
聖書は御霊が人格を持っていることを、いろいろと明らかにしている。
まず第一に、彼には知性と感情のあることを示している。こうしたものは人格のある者の固有の性質であって、人格のいない物体にはこうした性質はないが、神の御霊には明らかにある。パウロが次のように書くとき、御霊が知性を持っていることを前提にしていることが分かる。「御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめる。というのは、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも神の御霊以外には、知るものはない」(Ⅰコリント2:10,11)。
ここでパウロは聖霊が所有する知識のことを語るが、影響や力はこうした知識を持つことがなく、人格のあるものだけが持つものである。聖書はまた、意志という人格的性質を持つものとして御霊を描いている。パウロ、シラスおよびテモテがビテニアに行こうとした時、「イエスの御霊がこれを許さなかった」(使徒16:7)と書いている。コリント人への第一の手紙12章1節では、聖霊が多くの賜物をキリスト者に与えてくださったと、語る中で「聖霊は思いのままに」そうされると述べている。感情については、御霊を悲しませることが、エペソ人への手紙4章30節で言われ、それゆえに、「神の聖霊を悲しませてはいけない」という命令が私たちに与えてられる。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」