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「今月のことば」
イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
=マルコ1:25~26=
聖書の中には日常生活とはかけ離れた出来事や気づかないことが、奇跡のような出来事や教訓が記されていることに驚きます。平穏無事を願い、心穏やかでありたいと願っている私たちには時として驚きます。
この「今月のことば」の聖句は、私たちが信じ、理解する以上に、悪の霊は多くの人々に力をふるっていることが分かります。また大それた悪は犯さなくても、小さな悪は見過ごしがちです。誰もがしていることとか、これ位は許されるだろという曖昧さの中で、ことさらどうこう言うことではない、と自分を許して生きているのです。
しかし、人間が考える最も悪いこと、悪質なことは、私たちは生まれつき悪い者ではありますが、悪の働きが自分の生活の上になければ、大部分は罪や悪はそれ程ではないだろう、という身勝手な安堵の中に平安を見出していることです。
神の言葉は、悪が人間を支配する力を失う時が来ると預言しています。それは悪の力が縛られる時であります。
悪の霊は、敵意、嫉妬、野卑、憎悪、醜い貪欲などが人を支配する時に、人間の魂を統治しているのです。家庭が争いで満ちている時、夫と妻との間、親と子の間の幸福が壊される時、親類同志が憎み合う時、隣りの人同志が争う時、悪の力が働いていることに気付くなら、何と幸いなことでしょう。しかし、現実はそうではないのです。
私たちは、人との諍いなど望みません。神様との和解、安らぎを願っています。しかし、一歩も進まず、落胆と諦めに陥っています。それは自分の意志や努力不足以上に、悪の霊が私たちを縛っているからです。
人は、誰もが、家内安全、健康を願います。しかし、そうであるのに、なぜキリストにある平安を頂くための歩みをしないのでしょうか。出会いの機会がない、キリストを信じなくても、私には昔からの家の宗教があり、今更、キリスト教を信じなくても、という思いがおありでしょう。
しかし、それはどの様な状態なのでしょうか。イエス様は言われました。「・・・これをしかって、『黙れ、この人から出て行け』と言われた。すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った」といわれれる前の状態です。
今は、悪の力から解放させる力をお持ちの方を探し求め、出会い、歩むことを決心する時なのです。主イエス・キリストはその決断を祝福してくださいます。
目覚めよ、眠れる者、死の眠りより起きよ。
キリストは汝を照らすなリ。
真昼の光、満ちみちて、清き恵みに招きたもうなリ。
<お詫びとお知らせ>
「つのぶえジャーナル」10月号は、更新はできましたが、家庭用印刷機の過度の使用のため、印刷機が壊れて買い替えのため、お手元にお届けするのが遅れてしまいますが、お待ちくださる多くの方にはご迷惑をおかけいたしますが、必ずお送りいたしますのでお待ちください。 編集子
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
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「緑のまきば」
「聖霊とその働き」