[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
聖霊とその働き
エドウィン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
第1章 聖霊と三位一体
Ⅰ 聖霊は人格を持つ ・・2・・
御霊が人格を所有していることを明らかにするのに、第二の点として聖書は、彼を他の人格と並置する。例えば、私たちは父と子が人格を持っているのを知っているので、イエスが「父と子と聖霊のみ名によって」(マタイ28:19)弟子たちに洗礼を授けるように語るとき、聖霊も人格のある方であると言ってわけである。初代教会に指示を与えるよう権威を与えられたヤコブは、初代教会に対してこう書いている。
「次の必要事項のほかは、どんな負担もあなたがたに負わせたいことが、聖霊と私たちにとって、ふさわしいように思われる」(使徒行伝15:25)。
彼は聖霊が、自分や使徒たちと同じ思いと見解を持っている人格のある方だと、非常にはっきりと考えていることになる。
また、イエスが「御霊の力を帯びて」(ルカ4:14)、荒野から戻ったということは、御霊が非人格的な力にすぎないものであれば、意味のない余分な説明になる。御霊の代わりに力という言葉に変えて読んでみたら、そのことがわかる。
御霊が人格のある方であることを、おおいに感謝しなければならない!彼には人格があるから、私たちに罪を自覚させ、神の導き、私たちの内に住み、罪と戦う力を与え、聖書を霊感し、聖書を理解できるように私たちの心を照らし、私たちを導いて神のみこころを知らせ、祈り導き、牧師と長老と執事を教会の役員として召すことができるのである。
聖霊が人格のある方であるからこそ、私たちは彼に好ましくない態度をとることになる。彼に反抗し、悲しませ、軽んじ、冒涜する。こうしたことは彼には不快なことであり、私たち自身には間違いなく害となる。御霊の人格を決して否定することをせず、彼を信じ、人格を持つゆえに、私たちに及ぶその祝福を経験するようにしよう。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」