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世田谷通信(230)
猫草
東京、文京区に茗荷谷という場所がある。その名の通り、かつてミョウガ畑が広がっていたそうだ。周辺地形は起伏に富み、谷ではきっと湧水で適度に湿っていたのだろう。茗荷坂の一角ではいまも僅かにミョウガを育てている場所がある。
さて、地下鉄茗荷谷駅前の駐輪場奥に丸い柱が見える。「同潤会大塚女子アパートメントハウス」入口ポーチの円柱と中庭の草植鉢だという。建物自体は解体されて残っていないが、建築遺構というわけだ。
同潤会アパートと言えば、青山や代官山のレトロなアパート群としてかつて注目され、老朽化により解体されたという大まかな記憶がある程度だ。「大塚女子アパートメントハウス」は初耳だったので、いくつか本を読んでみた。
まず開設当初の入居条件が「単身、女子、月給50円以上、保証人二人」というハードルの高さ。昭和5年当時にその条件をクリアできる職業婦人はそれほど多くなかっただろう。鉄筋コンクリート5階建て、居室は洋室と和室合わせて150室、鍵付きの個室。男子禁制、家族と言えど男性は内部に入れず面会は応接室を使ったそうだ。地下に80席の食堂が早朝から深夜まで営業し、部屋まで温かい食事を運んでくれるサービスも利用できた。そのため部屋には台所はなく簡易ガスコンロのみ、風呂は地下大浴場、トイレは共同、洗濯は屋上で行う。防音仕様の音楽室には当時非常に高価だったピアノと蓄音機完備、日光浴室にはピンポン台とラジオ、屋上テラスではガーデニングも楽しめた。現在でもこれだけの規模と設備の女性専用マンションなどそうそうお目にかかれない。当時の職業婦人憧れの物件、周囲の注目も高く、雑誌の取材も多かったようだ。目の前が都電の停車場で、交通至便。仕事で遅くなっても暗い夜道を歩かなくて済むという安心感。そして、今では当たり前だが鍵のかかる個室は、独身女性にとって代えがたい居場所だったろう。たとえその部屋が四畳半でも、家賃が相場の倍でも、大人気だったのは頷ける。
とはいえ時代は戦争に突入し、戦況悪化と時代の趨勢の中で当初エリート女性向け高級物件だった大塚女子アパートは、戦後、都営住宅となり低所得単身女性向けへと大きく方向転換する。老朽化の末、2003年、他の同潤会アパート同様に解体となる。今は駅前に丸柱と草植鉢を残すだけだが。街にその場所の記憶は残る。
<いきいき里山・山里ものがたり>
岡山県にお住まいの「ジャーナル友さん」がメールを下さいました。
・・・。もう初冬ですね。駅前や繁華街には色とりどりに飾られたショーウインドーの灯かりで華やかです。この時期になりますと各地で市役所の方に苦情が来ている問題がムクドリの被害のようです。夕暮れと共におびただしい数のムクドリが電線や街路樹に群がるための鳴き声や糞の苦情だそうです。ムクドリはひと昔前は「益鳥」として私たちの食生活を支えてきました。農薬を使わない田や畑は虫の害に悩まされ、昔から虫退治(虫追い)の行事やお祭りは各地にあるほどでしたが、その虫を食べてくれたのがムクドリで、歓迎された鳥でしたが、都市化が進み農薬が使われるようになったので、森に住むムクドリは住み家が奪われて、食べ物を求めて街中に来るようになったそうです。ムクドリの住み家の森は狭まり、都会化し、安心して寝入る暗い場所を失い、虫もいなくなると共に、町中に有る食べ物を求めて集まりました。ムクドリは暗い森や安心して寝入ることのできる公園の森も明るい街灯りと車の灯かりで、眠る場所を失ったのが、あの哀れなムクドリなのです。益鳥を「厄介鳥・迷惑鳥」にしたのは私たちなのですね。・・・。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」