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「今月のことば」
良い地に落ちたのは、御言葉を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。
=ルカ8:15=
人には、それぞれの時間があります。人は時間の長短や貧富で評価しますが、それは私たち人間の身勝手な基準、評価です。しかし、その基準から離れて、時間や内容を沈考させる言葉として、「今月のことば」の聖句として選んでみました。
「良い地に落ちたのは、御言葉を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」。という人生、日々を振り返ってみたいと思います。
慣用語に「氏より育ち」というのがありますが、ここで言う御言葉の意味は少し違います。それは、私たちの心の地、日々の時間、すなわち生活そのものが、落ちた地なのです。私たちの心の地、日々の生活は、良い実を結ぶものなど一つもありません。また、その地に「種まきが種を蒔きに出て行った。蒔いているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。・・・岩の上に落ちたのは、喜んで受けいれるが、根がないので信じていても、試練の時が来ると、信仰を捨てる、・・・。生活の心づかいや富や快楽」(ルカ8:5、13、14)心惑わされる地に、神のみ言葉と言いう種が蒔かれたのです。
そのような心の地に、春のうららかな日に始まり、輝く秋に至るまでに成長し、実となって熟するという幸いな「心の地」とされる幸いを神様は、お恵みとして下さるというのです。
では、正しい良い心の地を持つ人々とは、どういう人々でしょう。どのように生き、どのような人々でしょうか。それは、その人生、日々の生活の大きな目的を、神様との幸いな交わりの中に持つ人々です。正しい心で、み言葉に立つ生活をと願う心の生活を求め続ける人ではないでしょうか。その指針であるみ言葉を心の糧とし喜びとして、聖霊の導きに生きることを願う人でもあります。
神様は、私たちをロボットのように扱いません。神様がお与えくださった意志によって、力量によって、天賦の才能によって、また自由な道によって提供されているすべてのことに、神様のご栄光を求める「心の地」で感謝をもって生きる人々が、すなわちキリスト者一人ひとりなのです。
信仰生活を苦難とか、日々の戦いの連続であるかのように思い込み、喜びを忘れてしまいがちですが、それは違います。
信仰生活は、幸いという実を結び、美しい花が開き、うるわしい実、すなわち、愛、喜び、平和、忍耐、親切、情け、忠実、優しさ、自制などを実らせるものなのです。「よい地」とは、「感謝の地、生活」であることを、この11月のみ言葉に心を向け、クリスマスの心備えをしたいものです。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」