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聖霊とその働き
エドウィン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
第1章 聖霊と三位一体
Ⅱ 聖霊は神としての人格を持つ
聖霊は人格を持っていても、造られた者としての人格であって、彼自身は神ではないと考えている人々がいる。そういう人々は、御霊が非人格的な「それ」ではないが、父に劣るものと考えている。しかし、聖書は聖霊に人格的性質のあることだけでなく、父としての性質のあることも語る。そうした神としての属性は、聖霊が神であることを示している。
聖書によると、神の御霊は全能である。彼は創造においてその役割を果たし(創世記1:2)、摂理において(詩編104:30)、超自然的なイエスの受胎において(ルカ1:34)、再生と個々のキリスト者に霊的賜物を付与する点で、その役割を果たしている。
彼はまた全知、すなわち、すべてを知っている。イザヤの問いはそのことを告げている。だれが彼を導き、正義の道を教え、知識を教え、悟りの道を示したか」(4-:13)。「御霊はすべてのものを決め、神の深みまで極める」(Ⅰコリント2:10)と書いた時、パウロは、私たちに同じことを信じさせようとした。
さらに、聖霊は偏在、つまりどこにでもおるという特質を持っておられる。詩編の記者は、「わたしたどこへ行って、あなたの御霊を離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたの御前を逃れましょうか」(詩編139:7)と雄弁に尋ねている。そして天に昇っても、シ・オールに下っても、海に中に逃れても、夜の闇のなかに隠れても、御霊の前から逃れることができない、と語っている。御霊はどこにでもおられる。新約聖書によると、御霊は信者のうちに住みキリスト者の数がどんなに多くなっても、各人のうちにおられなくなるようなことはない。
へブル人への手紙9章14節は「永遠の御霊によって、ご自身を傷のない者として神にささげられた」キリストのことを記して、聖霊に永遠という神の性質のあることを述べている。
御霊が神であることを証明するもう一つの例として、旧約と新約に時々、「御霊は言われた」というのと、「主は言われた」という言葉が交換できる内容で使われていることがあげられている。
最後に、聖霊の名が父と子の名と一緒によって結び合わされて使われている箇所がある。例えば、キリストの大命令(マタイ28:19)や使徒の祝祷(Ⅱコリント13:14)は御霊を他の二位格と同等レベルに置いている。このことは御霊が神であるとみなされている証拠である。このように密接に結び合わされた表現は、被造物の名を神の名と共にするようなことでもあれば、非常に不条理なことである。
聖霊が神であるという事実は、私たちにとって重要なことである。なぜなら、もし神でなければ、創造という美しい働き、聖書の霊感という権威の働き、人間の思いを照らす働きもできなかったことになるからである。また、堕落した私たちを再び生まれさせ、私たちの内に住み、きよめることもできなかったはずである。私たちは彼が有限な存在者でなく、神であることを当然感謝しなければならない。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」