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十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=御心=
第三の祈り②・御心に従う
詩篇119:25~48
神の隠された意志が変わるように祈っても変わりません。主がゲッセマネの祈りにおいて、最後に「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心が行われますように」(マタイ26:39など)と祈られましたように、主は父の御心が変わらないことを知っておられました。イスラエルのバアル礼拝に対し、神が下される裁きとして、雨が降らないことを預言者エリヤが願い、三年半にわたって雨が降りませんでした。そして、雨が降るように祈った時、雨が降りました。しかし、それは預言者である彼にあらかじめ知らされていた神の啓示に基づくものでしたから(列王記上17:1)、エリヤが神の意思を変えたわけではありません。
入学試験に合格することを祈ることは、その学校について調べ、過去の試験問題を学習し、合格のため努力をすることも祈りです。神の隠された意志を知ることを求める祈りではありません。
前回学びましたように、この第三の「御心が天になるごとく地にもなさせたまえ」の祈りは、父が明らかにされた御心が、私たちによって行われるように求める祈りであることを教えられました。それは具体的には私たちが思いと、行いにおいて父の御心に喜んで従うことです。主イエスが御父の御心に従い、サタンの求めをきっぱりと拒絶したことがその手本です。私たちの罪から来る弱さがありますから、その戦いは生涯続きます。そのため、父の助けを受けることがなければ、父の御心を行うことができないということを、へりくだって認めるように神に助けを求め続けることです。
そのために、この第三の祈りをするとき、私たちには三つの思いが込められていると、アーサー・ピンクは語ります。その願いの第一は、先ず父の御心が聖書によって明らかにされ、それを知ることができるように、つまり、聖書を読むことに熱心であり、喜びであるように、という求めです。「あなたの命令に従う道を見分けさせ・・・あなたの掟に従う道を示してください・・・」(詩篇119:32,36)。
第二は、その教えられた御心に、私たちの思いが向かうことを求める必要があります。「あなたによって心は広くされ、わたしは戒めに従う道を走ります。・・・あなたの定めに心を傾けるようにしてください」(詩篇119:32,36)。聖書の言葉を知っているというだけに留まっていては、御心を行うことができないからです。
こうして、御心を知り、御心を行なう願いの上に、第三は、父の御心を行うために霊的な力を父から与えられて実行することです。そこで初めて御心を行うことができます。「あなたの戒めに従う道にお導きください。・・・あなたの律法を守る者でありますように、常に、そしてとこしえに」(詩篇119:35,44)。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」