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十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=御心=
第三の祈り③・御心に従う姿勢
使徒21:10~14
「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」の祈りは、神の御心が明らかにされ、その御心に心を向け、そして御心に実行させていただく求めが含まれていることを学びました。今回は、御心に従う姿勢について考えます。
まず読んでいただきましたように、パウロは第三回伝道旅行の帰途にカイザリアに着きました。エルサレムに向かおうとして、伝道者フィリポの家に幾日か滞在した時のことです。その時、ユダヤからアガボという預言者が下ってきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言いました。
「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人はこの帯の持ち主をこう縛って異邦人の手に渡す』」(使徒言行録21:11)。
これを聞いた弟子たちは、その土地の信者たちと一緒になって、パウロにエルサレムに上ることは危険であると言って、上らないようにと、しきりに頼みました。アガボの預言が神の御心であると考えたからです。しかし、それに対して、パウロが次のように答えたため、人々はそれ以上語らず黙ってしまいました。
「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」。パウロが私たちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ」(13)。
パウロがアガボの言葉と人々の忠告によって、思案したり動揺したりすることがなかったのは、すでに彼自身が神の御心を知らされ、それに従うつもりでいたからです。「投獄と苦難がわたしを待ち受けている」(同20:23)との聖霊の御告げを受け、備えができていたからです。
マリアが天使から受胎の告知を受けた時、そんなことはあり得ないと思いましたが、神の力によって起こるという御心を知らされた時、それに従うことを決意し受け入れました。
このように、明らかにされた御心であっても、それを理解するのは困難であったり、時間を要することがあります。しかし、御心に従う思いがなければ、御心がわからないままになり、御心をなすことのないままになってしまいます。この第三の祈りはそのようなことがないようにという祈りでもあります。
それで、使徒パウロはこう述べています。
「あなたがたは世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神が喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ12:2)。
試練から逃れる道を備えられているという御心、(Ⅰコリント10:13)を信じないため、御心を行うことができずにいることがよくあります。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」