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「小閑記」
イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。
=へブル13:8=
激流の中に立つ大岩のように、力ある救い主なるイエスは、人類の歴史の真ん中に立っていたもうお方です。日々、太陽が地球の上に昇り、光と暖かさと生命とを与えることを許されたこと以外に、何の要求も持たないように、イエス・キリストの恵みは、私たちの上に日々与えられています。イエス・キリスト以外のものは、全て夜であり、滅びであり、死であります。イエス・キリストの中にこそ光と生命と希望があり、私たちの日々に、人生に意義と目的を見出すことが出来ることはなんと幸いなことでしょう。
幸いなことよ 悪しき者の はかりごとに歩まず 罪びとの道に立たず 嘲る者の座に着かない人。
主の教えを喜びとし 昼も夜も その教えを口ずさむ人。
その人は 流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。
悪しき者は、そうではない。 まさしく 風に吹き飛ばされる籾殻だ。
それゆえ 悪しき者は裁きに 罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。
まことに 正しい者の道は主が知っておられ 悪しき者の道は滅び去る。(詩篇1:1~6)
この世の基がおかれる前から、イエス・キリストにあって私たちが選ばれたという聖なる奇跡を、誰も理解することはできません。それにもかかわらず、この事実が救いを不動のものとし、まったく恵みによるものであることを証明しています。
アダムによって破壊された創り主なる神様との正しい関係が、キリストの中に再び立て直されました。父なる神とキリストは生命、永遠の生命を与える三位一体の聖霊によって、アダムの種族のすべてが集められるかぎりのもの、主イエス・キリストを信じるすべてに、それを与えられるのです。
アダムが死の種をまいたところに、キリストは生命の種を植えられるのです。神に全幅の信頼をもって従う者には、永遠の滅びはありません。他のものすべては倒れ、滅ぼされても、イエス・キリストはその頼るべき堅き岩、闇の中の光、死の国にある生命であります。この神に生き、来る2023年でありましょう。
ふたたび
御愛を忘れようとする わが魂にふたたび
十字架の上で苦しむ キリストの御姿をば見させたまえ
みもとを離れようとする わが魂にふたたび
十字架の上で語る キリストの御言葉をきかせたまえ
御心に背こうとする わが魂にふたたび
キリストの御血潮を 注ぎたまえ
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」