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「今月のことば」
すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。
=ヨハネ9:38=
キリスト者の願いは、ただ一つ。それは信仰によって歩むという願いです。
救い主としてのキリストにみ言葉とその愛のみ業に触れ、お目にかかった後、キリスト者は全てをかけて、キリストを救い主として信じる者でなければなりません。
この誰もが願うことに、時として陥る無意識の不信仰状態・空白が生まれることを、多くの信仰者は経験してきました。それは、日々の生活の中での自己中心に陥り、キリスト者として、信じることよりも経験の上に信仰を考え、生活を建てることで、これはキリスト者をキリストより引き離させ、信仰の思いから遠ざける、人生設計になっているのです。
「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども信じている」とペテロは言っています。パウロでさえも、天にあげられ、人の語ることばではないことばを聞いて、その後は信じる者でなければならなかったのです。十字架のイエスの死を見上げ、イエスの墓のそばに立っても、人は信仰を失わなかったことを喜びたいです。
キリスト者は、探し求めても見出さない者とは違います。神のみ言葉を信じて生き、進む者は、単に信じる者だけでなく、神の御約束に生きて、その約束を見るだけ、知るだけの者なのはなく生きる者なのです。キリストは、私たちが信じ、また有るべきことを語られたばかりでなく、こう約束されました。
「なんじの労して耕しし所は、わが永遠の収穫とならん」。
これからの日々を、キリストの前にひざまずいて、今よりも深く、主イエスの明らかな救いの恵みの約束を信じましょう。幾度も幾度も助けて下さった主を、時には少しも私たちが期待しなかったとしても、主は、今日も私たちの頼りとなるお方です。この主イエス・キリストを信じる信仰に、生きましょう。
あなたを愛するゆえに
あなたを愛するゆえに 私を愛するゆえに 父なる御神が
御子を遣わしくだったのです
あなたを愛するゆえに 私を愛するゆえに 御子なるイエスが
命をば捨てて下さったのです
あなたを愛するがゆえに 私を愛するゆえに 真理の御霊が
み救いを告げてくださったのです
水野源三著 第四詩集より
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」