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バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
24 再び焦土の日本へ・・・2・・・
1946年11月10日、マカルピン氏の母堂、ミセス・アンナ・バラ・マカルピンさんは、82歳で逝去された。そして北カロライナ州のウインストンセーラムに葬られた。
1947年(昭和22)1月4日、愛する母を亡って間もなく、J・A・マカルピン氏は廃墟の混乱と窮乏のドン底に喘ぐ東京に着いた。1月14日、神戸でW・A・マキルエン博士と提携してミッション事業を検討することになった。1月30日には、世界伝道局書記長のダービー・フルトン博士と同議長W・M・エリオット博士が、今後の日本伝道の協議のために派遣された。
マキルエン氏とマカルピン氏は、空襲で跡形もなくなった神戸市葺合区熊内町1丁目の中央神学校庭に焼け残った小住宅を仮住まいに、ここを根城に旧南長老教会ミッションの元伝道地を調査することになった。且つてミッションと協力した教職との連絡もできて、4月には熊内町の小旧宅で懇談の会合を持ち、ミッションの伝道再開についての協議がなされた。
そして8月、マカルピン氏は日本伝道再開のために家族を日本に移すため、またミッションの必要品を運ぶためアメリカに帰り、10月には敵製財産として日本政府に管理されていた土地建物も返還されて、神戸・熊内の小住宅に居住してミッション事業が始まった。
マカルピン夫妻は、この小住宅を開放して集会を開いて礼拝を守った。L・W・モーア宣教師も軍籍を離れて高松に赴任し伝道を開始することになった。そして、その年12月30日から1948年1月1日にかけて、日本における戦後初めてのミッション会議(第55回)が、12名の宣教師の出席によって開かれ、マカルピン氏が議長として議事に当たった。そして、
神戸地区(本 部) W・A・マキルエン宣教師夫妻
四国地区(丸 亀) L・W・モーア宣教師夫妻
金城学院(名古屋) ミセス・スマイス宣教師
愛岐地区(岐 阜) J・A・マカルピン宣教師夫妻
と担当が決まった。
(写真 岐阜県大井国立療養所聖書研究会 3人目マカルピン師、左隣り筆者・1950年)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」