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「小閑記」
見よ、世の罪を取り除く神の小羊
=ヨハネ1:29=
私たち人間にとって、否、全被造物にとって、罪は最大の不幸であります。ですが、この罪はいわゆる、刑事罰だけのことではありません。神様への背信行為、忘恩、人への偽善も含めてのことです。この罪が全被造物に、この世のすべての悲しみに、全ての不幸の原因であると、聖書は私たちに語ってきました。もし、罪がこの世から無くなったなら、と考えてみたのです。それは初めからわかっていたことで、「不可能」です。しかし、この不可能の中に生き続ける私たちの姿は、もっと悲惨です。惨めな希望のない姿を、神様はご覧になったのです。聖書の記述は、人類の悲惨と悲しみと絶望の世界の記録です。
神様はなはだ良かったと満足し、祝福された被造物に、罪のゆえに人間と被造物に神様は、再び救いのみ手を差し伸べて下さったのです。そのみ手と愛は、「神の小羊(イエス・キリスト)」をお与え下ったという事実が示しているのです。これ以上のものはありません。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。これ以上の慰めはありません。
この「小羊」は私たちが負うべき義務(罪の代価の支払い)を、キリストに背負わせ、「罪を取り除く小羊」に背負わせたのです。そればかりでなく、罪の負債を取り除かれたばかりでなく、信仰という恵みへと招き、信じる者へと導いてくださっています。
私たちのなすべきことは、神のみ前に日々の悔い改めの姿で立ち、感謝の思いをもって平伏すことです。「小羊・神の子」は、地上において、悔い改めるすべての者に、キリストの名において示されている唯一の権威、道、道しるべなのです。
いと遠き、夕べの鐘の音のごとく イエスのみの 海山にひびけば
重荷を負える幾千の魂は ひそやかに
よき羊飼いなる主よ 疲れし足をなんじに向く
イエスのみ使い 光のみ使いは 心よろこびもて 喜び迎えん
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」