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「今月のことば」
さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、・・・・。(主はあなたがたをよみがえらせたもうた。)
=エペソ2:1=
わたしたちの主イエス・キリストの贖いの死と甦りによって神はわたしたちのために、この救いという恵みをくださいました。こうして、神は再び永遠の日に至る扉を開いてくださったのですから、感謝以外にありません。
自分の罪過と罪によって死んでいたわたしたちのため、我がまま勝手にやって来たわたしたちのため、全てのことが主イエスに負わされたのです。
何の罪も知らない主イエスが、わたしたちのために、罪ありとされたのです。死の果実を知らないお方が、全ての人間のために死を味われました。そしてわたしたちにとっては永遠の死が、永遠の命ととりかえられたのです。
主イエスが死をその足の下にされ、踏まれた時、わたしたちは命を受けました。神の約束は、「わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」(創世記3:15)と言われました。その約束の完成のために神は、「わたしたちをキリストとともに生かし、キリスト・イエスにあって、ともに天上で座に着かせてくださった」のです。アダムに滅びと地獄を与え、キリストは天をくださいました。「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされたのである」とされたのです。そして、このすべてのことを、わたしたちは何の功績(いさおし)なしに、ただ悔い改めて、回心して、神のみ子のみ名を信じることによって得られる者とされたのです。
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終わりの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ6:40)。
そこで、自分の命を救いたいと思う者は、主のもとへ行くことなのです。何も躊躇することなく、功績を携えずに、ただ、主イエス・キリストを救い主と信じ、わが罪を認め、罪赦されることを願い、悔い改めの心をもって生きることです。
命の扉は開かれています。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」