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世田谷通信(236)
猫草
近所で高さ10mほどの崖が崩れた。雨上がりの夕方の工事現場、幹線道路沿いで交通量も人通りも多い場所だが、幸いにも人的被害はなかった。
そこは次男の通所バスが停まるところの近くで、平日朝夕2回、工事の様子を眺めていた場所だ。崩れたのは古い集合住宅の壁面。建物は何年も前に取り壊されていて、背面の壁が国分寺崖線の段丘面に残されていた。そこに新たな建設工事が始まり、残った壁の撤去作業中の事故である。
工事では、重機で壁面下部を掘って、鉄筋を抜いていた。大量の土砂を運搬するトラックも往復していた。急斜面だし、事故にならないといいなと思っていた。
国分寺崖線段丘面の高低差は10m以上。斜面物質は重力によって下方へ移動する。誘因としての雨も続いた。降雨は地中水となって重量を増し、さらに下方への運動を加速する。崩れた面には縦方向の亀裂もあった。いったいどれほどの質量が動いただろう。
関東平野は火山灰が堆積してできている。どこから来た火山灰かというと富士山や箱根の山々が噴火したときのものだそうだ。ずいぶん離れた場所まで飛来するのだなあと思う。いわゆる黒ボク土と呼称される。地層で言うなら武蔵野ローム層。長い年月をかけて堆積し、押し固められた地層。この露頭は、表面が乾燥と湿潤を繰り返すことでもろく崩れやすくなる。
崖の上は富士山を望める立地で眺めが良い。台地の上なので水を得にくく、米や畑に適さない。かつては武蔵野の雑木林が延々と拡がっていた荒地で、まとまった宅地開発がしやすかったという理由もあるだろう。住宅が立ち並び、中層のマンションも多い。昭和の初め頃の国分寺崖線沿いは、都心からちょっと離れた郊外の別荘地としても人気があったようだ。
さて、崖の崩れた場所には、現在たくさんの土嚢が積み重ねられている。毎日粛々と補強・修復の工事が進む。その様子を眺めながら、「とにかく、ご安全に」と思っている。
<いきいき里山・山里ものがたり>
テレビには、全国各地にある観光花園ニュースが多くなりました。広い畑には季節の花が咲き、多くの方が楽しまれている姿は、好いものですが、気になることは、ご自分の楽しみとしての花壇はお持ちなのでしょうか。
桜から新緑の季節になりますと、道端には新しい草が伸び始めても来ました。それを「雑草」と呼び、嫌われもの、迷惑がられていますが、この一つ、一つにも神様の創造の御業を見る時、「いのち」を思わされます。創世記の「・・・・はなはだよかった」には、草木に雑草、雑木の「雑」の文字はないように思えるのです。人間の基準で「雑草」と呼んでしまう恐ろしさは、人間社会の格差や差別や偏見を生み出しているかのようで、恐ろしい感じを禁じえません。
鳥インフルエンザの殺処分に係っていた友人からのメールに、駆除しなければならないことは分かっていても、最初は心痛んでいたが、それが当たり前に「殺処分」している自分が怖いと書かれていました。「頂きます感覚」は日常生活から薄れています。戦争、人権侵害、いじめ、などなどは、心の痛みがあれば・・・と「観光花園」のニュースを見ていて感じました。私の庭は除草剤は使いませんので、飛んできたのが地に落ちた「自然生えガーデン?」です。虫たちはよく遊びに来ます。因みに私は蚊が大の苦手で、蚊取り線香派です。 神奈川県 T・Yさんより
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」