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「小閑記」
あなたがたもまた、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。
=エペソ1:13~14=
キリストにある信仰によって、神の子供となった者は、神の世嗣となり、キリストと共同の世嗣となったのです。神の持ちたもうすべては、キリストとその救われた人々との間で分かち与えられたからです。私たちの兄弟・姉妹と言われることを恥じられぬ主は、その世嗣を私たちと分け合ってくださるのです。
しかし、私たちがこの世にいる間は、この世嗣を受ける取ることは出来ません。神は、主の民が信仰によってこの世を通り抜けねばならないように、人生という道を用いて準備させてくださいます。信仰生活は、神様がお備え下さった道を、祈りと希望をもって歩むことでもあります。旧約聖書に記されていることですが、カナンへ至る荒野を通る道すがら、恵みのマナを空の器に毎日集めなければなりませんでした。その民たちは、これを翌日のために貯えることは出来ませんでした。神は新しい日が明けるとともに、恵みも新しくなる、と約束なさったのでした。
「主の祈り」にありますように、日毎の糧を今日も与えて下さったのです。しかし、まことの祖国へ入るまでは、嗣業は私たちのものとはなりません。
神様は決して私たちを空手のままで、この世を通らせはなさいません。神は封印の約束を私たちに送って下さって、ご自分につける者であるとの印を付けて下さいました。神様は、私たちが受ける嗣業の担保として、聖霊を賜ったのです。この印が私たちにある以上は、誰も私たちを神様から奪うことは出来ません。そしてこの保証を持っていれば、私たちは必ず嗣業を受けるのです。
今、私たちはこれを十分に理解してはおりません。ただ、言い表すことのできぬ大いなるものを備えられていることを知り、それを信仰によって感じることはできます。
私たちにとってこの事実は非常に重要なことで、封印と保証とを失わないことであります。私たちの祈りは、そのためにこそ、「主よ、あなたの聖なる霊を私たちから取らないでください」と日々祈らなければなりません。これが信仰の歩みだからです。
遠く 遠く 遠く
父なる神の愛を 遠く 遠く 遠く 忘れて、
むさしく生きるあの胸に み愛を慕う心を起こしたまえ
父なる神のみ旨に 遠く 遠く 遠く 背いて
淋しく生きるあの胸に み旨を思う心を起こしたまえ
父なる神のみもとを 遠く 遠く 遠く 離れて
悲しく生きるあの胸に みもとに帰る心を起こしたまえ
水野源三「信仰詩」
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」