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「小閑記」
こころおののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。
=イザヤ35:4=
キリスト者は、心が恐れ憂いにおののくとはどのような事であるかを知っております。人生の困難な道は、たびたびキリスト者を迷わせ、恐れしめ、多くのことが日常の生活に有形無形の激しい力で襲い掛かります。しかもそれが予期せぬ具合の悪い時に訪れ、心を不安と恐れに陥れるのです。しかし、真面目なキリスト者の心を最も不安にするものは、魂に罪を負わせる傷であり、霊の熱心をしばしば消そうとするかのような、死の力であります。
そのような時、自分の功徳的な精神に入ることはある面では容易かもしれません。それを修行と言い、人は、その時、過去の一つ一つの出来事を過過少評価し、安心立命の中に自分を置くのです。しかし、それは自己中心な思いです。しかし、シナイの山がカルバリよりもわたしたちに近い時、心は常に恐れおののき、審判はわたしたちの上にかかっています。なぜなら、人を自由ならしめるものは、ただ恵みのみですから。
しかし、冒頭のみことばにおける神の心は、すべての弱いおののく魂に、怯えおののくわが子に、逃れさせたいと願うよりも、もっともっと強く、慰めてやりたいという神の願う思いであります。それが胸躍らせることと知るなら、何と幸いなことでしょう。
「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。」
神様に信頼する者には、人間的にはこころ騒がせることはあっても、あるいは、不安の中にさまよっていたとしても、それは人間の弱さであって、神の約束の不確かさではないことに立ち返ります。御子以外に頼り、信頼するもののないことを知らされているのもキリスト者なのです。「神への信頼」「神の約束の確かさ」、ここに立たせてくださる神様には、ただただ感謝の思いしかありません。
すべてあなたを攻めるために造られる武器は、その目的を達しない。
すべてあなたに逆らい立って、訴える舌は、あなたに説き破られる。
これが、主のしもべらの受ける嗣業であり、
また彼らがわたしから受ける義である、と主は言われる。
・・・イザヤ54:17・・・
<讃美歌405>
1 かみともにまして ゆく道をまもり、 あめの御糧(みかて)もて
ちからを あたえませ。
2 荒野(あれの)をゆくときも、 あらし吹くときも、 ゆくてをしめして、
たえずみちびみませ。
3 御門(みかど)に入る日まで、 いつくしみひろき みつばさのかげに、
たえずはぐくみませ。
(おりかえし)
また会う日まで、 また会う日まで、
かみのまもり、汝(な)が身を離れざれ。 アーメン
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」