2023年7月号
№193
号
通巻877号
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遊女ラハブ
ヨシュア記 2章
私たちは、旧約の婦人たちを研究して、遊女ラハブの物語にまで進んできました。
ある人々は、とかく批判のある遊女の物語などをなぜ学ぶのか、これはそのまま見過ごして出来るだけ隠しておいた方がよいのではないかと言われるかもしれません。しかし、ここに聖書の特徴があり、真実さがあります。
つまらない遊女も、神様の御用に用いられる時、神様のご計画の一端にたずさわるものであって、私たちは決して見逃してはなりません。
聖書の中でも、特にヘブル人への手紙11章31節に、「信仰によって遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に、滅びることはなかった」と記して、遊女さえも、いにしえの信仰高いイスラエルの人たちと並べて称讃されており、マタイによる福音者1章5節には「サルモンはラハブによるボアズの父」とあって、その名をとどめるほどです。私たちは、彼女を見過ごすと大きな損失を招くでしょう。
では一体このラハブはどこでどうして、この信仰を得たのでしょう。聖書はこの点に関して何も記していません。
彼女の物語は、ヨシュア記2章に、初めて現われています。神様はご自分の計画によって、ヨシュアがエリコに放った二人のスパイのために、町の人々に見つからないような、安全な隠れ家を備えられました。それがこのラハブの家でした。2章全体をよく読んでみますと、ラハブは二人のスパイを見た瞬間、これは悪い目的で来たのではなく、真の神の使いだと見抜いたのでしょう。そしてエリコの王が、この二人を引き渡すよう命じた時、王の命令をも恐れず、二人を隠し、窓から釣り降ろすなどの機知をもって、彼らを他の道から逃れさせ、その危機を救いました。
よく考えてみますと彼女のこれらの行動は、単に旅人に親切であったという理由だけでなく、真の神とその能力を信じ、二人を神の使者として救ったのです。このことは彼女が二人のスパイに語った言葉の節々によく表れております。ヤコブの手紙2章26節を見ますと「同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出したとき、行いによって義とされたではないか」とある通り、ラハブの特徴は信仰を行いで現わしたことです。
ここで、私たちが特に注意しなければならないことは、彼女のこれらの行為が、彼女の信仰から出ているもので、人の救われるのは、業ではなく、ただ信仰によるということです。
私たちがこのラハブの物語から学びますことは、第一に、罪の恐ろしさです。
神は愛であられますが、それとともに、無限の聖なるお方であります。どんなに小さい罪でも見逃すとか、犯してもよい、というような態度は決してとられません。しかし、ここで考えますことは、人がいかに悲惨な罪のうちにあっても、失望することはありません。神は愛ですから、人を罪から救うために、ひとり子をこの世に送って下さったのです。神は罪あるラハブさえも、御用のためにお用いになったように、私たち罪ある者をも、神は御用のためにお用い下さることを深く教えられます。
第二に、神に用いられるには条件があること。神の御用を務めますには、神のみ声を聞いて、自分の罪を懺悔し、告白して、神様に罪を赦され、救いに与るのがその条件です。神は、私たちの過去をもお赦しくださるばかりか、これを潔め御用のためにお用い下さいます。
例えば、蓮池の泥の中に眠る蓮の根も、春とともに暖かい太陽の光を受ける時、地上に可愛い芽を吹き、育っては美しい花をつけ、私たちを慰めてくれます。そのように私たちも、罪の生活から神に帰り、導かれ、救いを受けて信仰に入る時、罪の泥の中に咲きにおう蓮のように、自分の周囲の人々に信仰のゆかしい香を放つことができます。
第三に、私たちの絶えず気を付けるべきことは、自分が罪人であるということです。ローマ人への手紙3章10節を見ますと、「義人はいない、ひとりもいない」、また22節を見ますと、「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」とあります。
そのように、世の中には完全な人は、一人もおりません。私たちクリスチャンは罪赦された罪人であり、神の力によって潔められなければ、神の前に立つことのできない者です。私たちの絶えることのない願いと目的は、自分をキリストにくらべて、自らの醜さと、足りなさを自覚し、一層、信仰に励まねばならことです。
「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5:48)。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版) この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円