2023年7月号
№193
号
通巻877号
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詩編を祈る 11編
「主を、わたしは避けどころとし」
この詩編は、ダビデがサウル王に命を狙われ、追われていることを背景にした詩編と考えられています。いわれのない理由で都を追われ、妻や友、家族とも別れて放浪し、王とその取り巻きに命をつけ狙われているという理不尽な境遇の中で詠われたものです。社会の基盤である法と秩序と正義が、その実行者である王自身によって公然と破られ、無法と不法がはびこる世となってしまったのでした。無実の人、誠実な忠臣をその地位から追い落し、政務をほったらかしにして、ひたすらその命を狙うという異常な事態によって、「世の秩序が覆っている」のでした。そのような中で一体何ができるというのでしょうか。
このような事態の中で人々は「鳥のように山に逃れよ」と勧めます。小鳥が不安に駆られて、小さな物音にも敏感に反応し、本能的に逃げ去るように、自分を守れというのです。ユダヤの荒れ野にはあちこちにほら穴や洞窟があり(創世記14章10節)、社会的逃避者の避難所となっていました(サムエル上22章1~2節)。
この「山に逃れ」るとは、かつてソドムとゴモラが滅亡するとき、ロトに命じられたことと重ね合わされています(創世記19章17節)。町は神の裁きにゆえに、火と硫黄によって滅ぼされたのでした(19章24節)。
しかしダビデは明言します。「主を、私は避けどころとしている」と。この世の秩序は覆り、「拠り所」が壊されたとしても、それを自分の拠り所とするのではなく、主なる神をこそ避けどころとするというのです。詩編は繰り返し、神が私たちの避けどころであると告白します(46編1節、59編17節、62編7~8節など)。この世がその基から崩壊し、揺れ動くとき、この世の基準が壊され、秩序も道徳も混乱していくとき、自分が一体何を「拠り所」「避けどころ」としているかを問わなければなりません。私たちは、主を避けどころとしているでしょうか。
地上の混乱のただ中で、ダビデが主を見上げていったとき、ただ一人変わることなく、揺らぐことのない方をそこに見ました。天の御座にいて、この世を見据え、公正に裁かれる神こそ、私たちの「避けどころ」です。「人の子らを見渡し」とは、物を詳細に調べることで、その背後まで見透かす目をもって見極めることです。人は見かけしか見ませんが、神は人のすることの全てを見通す方です。「人の子らを調べる」とは、金の精錬に用いられる言葉で、一つ一つの出来事に目を留めて注目される神の目配りが語られています。
神の裁きは、その初めから終わりに至る全てに渡って正当なのです。その神が「主に従う人と逆らう者を調べ」、それにふさわしい取扱をなさるのです。従う者には「調べる」とは「試みる」ことですが、それは彼らに「義という平和に満ちた実」(ヘブライ12章11節)を結ばせます。しかし逆らう者には神の適正な裁きをくだされるのです。
ここで神の裁きが「火」のイメ-ジで語られていることに注目しましょう。聖書で「火」は、神の臨在を現わし、この聖なる神の臨在はそれ自体が恵みであると共に裁きにもなります。それは神の近づき難い「聖さ」「栄光」を示し、それに触れる者をそれにあずからせずにはおかないものです。だから神の聖なる臨在そのものが正しい者にとっては恵みであり、逆らう者にとっては裁きとなるのです。それは私たちを「浄化する火」です。それは苦しみでもありますが、それによって私たちは神に近づけられていくのです。
「見よ、わたしは火をもってお前を練るが、銀としてではない。わたしは悩みの炉でお前を試みる。」(イザヤ48章10節)神の火は、私たちから「不純物を取除く」(箴言25章4節)ものです。それは「吟味の火」(コリ第一 3章10~15節)でもあります。こうして神は「御顔を心のまっすぐな人に向けて」「避けどころ」となってくださるのです。
稲毛海岸教会牧師
三川栄三
「主を、わたしは避けどころとし」
この詩編は、ダビデがサウル王に命を狙われ、追われていることを背景にした詩編と考えられています。いわれのない理由で都を追われ、妻や友、家族とも別れて放浪し、王とその取り巻きに命をつけ狙われているという理不尽な境遇の中で詠われたものです。社会の基盤である法と秩序と正義が、その実行者である王自身によって公然と破られ、無法と不法がはびこる世となってしまったのでした。無実の人、誠実な忠臣をその地位から追い落し、政務をほったらかしにして、ひたすらその命を狙うという異常な事態によって、「世の秩序が覆っている」のでした。そのような中で一体何ができるというのでしょうか。
このような事態の中で人々は「鳥のように山に逃れよ」と勧めます。小鳥が不安に駆られて、小さな物音にも敏感に反応し、本能的に逃げ去るように、自分を守れというのです。ユダヤの荒れ野にはあちこちにほら穴や洞窟があり(創世記14章10節)、社会的逃避者の避難所となっていました(サムエル上22章1~2節)。
この「山に逃れ」るとは、かつてソドムとゴモラが滅亡するとき、ロトに命じられたことと重ね合わされています(創世記19章17節)。町は神の裁きにゆえに、火と硫黄によって滅ぼされたのでした(19章24節)。
しかしダビデは明言します。「主を、私は避けどころとしている」と。この世の秩序は覆り、「拠り所」が壊されたとしても、それを自分の拠り所とするのではなく、主なる神をこそ避けどころとするというのです。詩編は繰り返し、神が私たちの避けどころであると告白します(46編1節、59編17節、62編7~8節など)。この世がその基から崩壊し、揺れ動くとき、この世の基準が壊され、秩序も道徳も混乱していくとき、自分が一体何を「拠り所」「避けどころ」としているかを問わなければなりません。私たちは、主を避けどころとしているでしょうか。
地上の混乱のただ中で、ダビデが主を見上げていったとき、ただ一人変わることなく、揺らぐことのない方をそこに見ました。天の御座にいて、この世を見据え、公正に裁かれる神こそ、私たちの「避けどころ」です。「人の子らを見渡し」とは、物を詳細に調べることで、その背後まで見透かす目をもって見極めることです。人は見かけしか見ませんが、神は人のすることの全てを見通す方です。「人の子らを調べる」とは、金の精錬に用いられる言葉で、一つ一つの出来事に目を留めて注目される神の目配りが語られています。
神の裁きは、その初めから終わりに至る全てに渡って正当なのです。その神が「主に従う人と逆らう者を調べ」、それにふさわしい取扱をなさるのです。従う者には「調べる」とは「試みる」ことですが、それは彼らに「義という平和に満ちた実」(ヘブライ12章11節)を結ばせます。しかし逆らう者には神の適正な裁きをくだされるのです。
ここで神の裁きが「火」のイメ-ジで語られていることに注目しましょう。聖書で「火」は、神の臨在を現わし、この聖なる神の臨在はそれ自体が恵みであると共に裁きにもなります。それは神の近づき難い「聖さ」「栄光」を示し、それに触れる者をそれにあずからせずにはおかないものです。だから神の聖なる臨在そのものが正しい者にとっては恵みであり、逆らう者にとっては裁きとなるのです。それは私たちを「浄化する火」です。それは苦しみでもありますが、それによって私たちは神に近づけられていくのです。
「見よ、わたしは火をもってお前を練るが、銀としてではない。わたしは悩みの炉でお前を試みる。」(イザヤ48章10節)神の火は、私たちから「不純物を取除く」(箴言25章4節)ものです。それは「吟味の火」(コリ第一 3章10~15節)でもあります。こうして神は「御顔を心のまっすぐな人に向けて」「避けどころ」となってくださるのです。
稲毛海岸教会牧師
三川栄三
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〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円