2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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『旧・新約婦人物語』(31)
良妻アビガイル
(サムエル記上 15章以下)
皆さんもご存知かと思いますが、イスラエルの最初の王はサウルです。彼は全国民の間から神に選ばれた王でしたが、後に心驕り、神に背いて善い政治を行なわなかったために、神に見捨てられました。
「・・・あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」(15:23)とあります。サウルが王位を失いましたので、神はサムエルをベツレヘムの人エッサイのもとに送って、彼の息子ダビデに油を注ぎ、王位を継がせました(16:1)。ところが、サウルは自分が神に捨てられ、王位を失ったのに気付かず、かえって、ダビデを妬み、憎みます。しかも、ダビデが各地の戦いで勝利をはくし、彼の声望が高まるに従って、サウルはついに彼を殺さんと企てました。
アビガイルの話は、ダビデがサウルより逃れ、生死をともにする兵士七百余名を率いて、マオルという荒野に隠れていた時のことです。その近くにナバルという家族が住んでいました。ダビデの兵士たちは、このナバルの羊飼いたちと大変親しく、羊を盗みに来るペリシテ人を防いで、よい羊の番人となり、彼らは荒野の生活の窮乏にも、決して盗んだり、害を加えたりいたしませんでした。
ある日のこと、ダビデはナバルが羊の毛を切るお祝いをすると聞いて、彼は十人の若者を遣わして、丁寧な挨拶をさせて、彼の羊を守った報いとして、何か食べ物を下さるように頼みました。しかし、ナバルの答えは以外でした。
「ダビデとはだれか。エッサイの子とはだれか。このごろは、主人を捨てて逃げるしもべが多い。どうしてわたしのパンと水、またわたしの羊の毛を切る人々のためにほふった肉をとって、どこからきたのかわからない人々に与えることができようか」(25:10~11)と、実に人を無視した失礼な態度を取りました。
これでナバルの人格がうかがわれます。彼は自分に財産に心引かれていましたし、聖書は彼を「剛情で、粗暴であった」(25:3)と言っております。彼は他人を顧みませんでした。ダビデは、この失礼な返事を聞きまして、烈火のように怒り、直ちに兵四百人に命じてナバルの家族を殺そうと決心いたしました。
この危機に当たって登場してくるのが、この話の主人公ナバルの妻アビガイルです。彼女はこの出来事を聞いて驚きましたが、賢明に事の理非曲直を判断し、主人に相談もせず、直ちに多くの食物を贈り、主人に代わって非礼を詫び、すべてを自分の責任に帰して努力したのです。その言葉は25章24節から31節にあります。
彼女は自分の主人の非を詫びるとともに、悪に報いるに悪をもってする復讐の無駄であることを述べて、無意味に血を流すのは、主のみこころではございませんと、丁重に争いを避けるように努めました。
これに対するダビデの答えもまた立派なものです。
「きょう、あなたをつかわして、わたしを迎えさせられたイスラエルの神、主はほむべきかな。あなたの知恵はほむべきかな。あなたは、きょう、わたしがきて血を流し、手ずからあだを報いることをとどめたのです」(25:32~33)と言って、神をたたえ、彼女をほめるあたり、讃美の歌を聞くようです。良妻アビガイルはこのように智恵と勇気をもってダビデの怒りをなだめ、ナバル一家の危機を救いました。
ところで、夫ナバルはどうでしょう。妻が家に帰って来ても、彼は妻が自分の命を救ってくれたのを知らず、いつものように酒に酔い潰れているのです。翌朝、妻からこの様子をつまびらかに聞かされて、驚きのあまり、「彼の心はそのうち死んで、彼は石のようになった」(37)と聖書にある通り、10日の後、ついに死んでしまいました。
その後、ダビデはアビガイルの智恵の勝れていること、慎み深いこと、その美しさに目をとめて、彼女と結婚いたしました。
ところで、この話は私たちに何を物語っているのでしょうか。
第1 アビガイルの夫ナバルは、彼女にとって決してふさわしい夫ではありませんでした。これは当時の習慣で親たちが、本人の意志と幸福を顧みず、自分たちの都合のよい結婚をさせたからだと思います。昔の封建的な日本の社会にも見られることです。このような不釣合いな結婚であったにも関わらず、アビガイルはよく自分の立場を守り、賢く立ち回わって、夫の危機を救い、忠実に妻としての務めを果たしたことは、大いに学ぶべきだと思います。
第2 しかし、神はみ旨によってこの不釣合いな結婚生活に終止符を打ち、この良妻にふさわしい良き夫ダビデを与えたまいました。神はこのように、不幸わせを忍んでいる内に公平にしてくださいます。もしも私たちが、このような境遇にあると知りましたら、アビガイルの態度を学ぶべきです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
良妻アビガイル
(サムエル記上 15章以下)
皆さんもご存知かと思いますが、イスラエルの最初の王はサウルです。彼は全国民の間から神に選ばれた王でしたが、後に心驕り、神に背いて善い政治を行なわなかったために、神に見捨てられました。
「・・・あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」(15:23)とあります。サウルが王位を失いましたので、神はサムエルをベツレヘムの人エッサイのもとに送って、彼の息子ダビデに油を注ぎ、王位を継がせました(16:1)。ところが、サウルは自分が神に捨てられ、王位を失ったのに気付かず、かえって、ダビデを妬み、憎みます。しかも、ダビデが各地の戦いで勝利をはくし、彼の声望が高まるに従って、サウルはついに彼を殺さんと企てました。
アビガイルの話は、ダビデがサウルより逃れ、生死をともにする兵士七百余名を率いて、マオルという荒野に隠れていた時のことです。その近くにナバルという家族が住んでいました。ダビデの兵士たちは、このナバルの羊飼いたちと大変親しく、羊を盗みに来るペリシテ人を防いで、よい羊の番人となり、彼らは荒野の生活の窮乏にも、決して盗んだり、害を加えたりいたしませんでした。
ある日のこと、ダビデはナバルが羊の毛を切るお祝いをすると聞いて、彼は十人の若者を遣わして、丁寧な挨拶をさせて、彼の羊を守った報いとして、何か食べ物を下さるように頼みました。しかし、ナバルの答えは以外でした。
「ダビデとはだれか。エッサイの子とはだれか。このごろは、主人を捨てて逃げるしもべが多い。どうしてわたしのパンと水、またわたしの羊の毛を切る人々のためにほふった肉をとって、どこからきたのかわからない人々に与えることができようか」(25:10~11)と、実に人を無視した失礼な態度を取りました。
これでナバルの人格がうかがわれます。彼は自分に財産に心引かれていましたし、聖書は彼を「剛情で、粗暴であった」(25:3)と言っております。彼は他人を顧みませんでした。ダビデは、この失礼な返事を聞きまして、烈火のように怒り、直ちに兵四百人に命じてナバルの家族を殺そうと決心いたしました。
この危機に当たって登場してくるのが、この話の主人公ナバルの妻アビガイルです。彼女はこの出来事を聞いて驚きましたが、賢明に事の理非曲直を判断し、主人に相談もせず、直ちに多くの食物を贈り、主人に代わって非礼を詫び、すべてを自分の責任に帰して努力したのです。その言葉は25章24節から31節にあります。
彼女は自分の主人の非を詫びるとともに、悪に報いるに悪をもってする復讐の無駄であることを述べて、無意味に血を流すのは、主のみこころではございませんと、丁重に争いを避けるように努めました。
これに対するダビデの答えもまた立派なものです。
「きょう、あなたをつかわして、わたしを迎えさせられたイスラエルの神、主はほむべきかな。あなたの知恵はほむべきかな。あなたは、きょう、わたしがきて血を流し、手ずからあだを報いることをとどめたのです」(25:32~33)と言って、神をたたえ、彼女をほめるあたり、讃美の歌を聞くようです。良妻アビガイルはこのように智恵と勇気をもってダビデの怒りをなだめ、ナバル一家の危機を救いました。
ところで、夫ナバルはどうでしょう。妻が家に帰って来ても、彼は妻が自分の命を救ってくれたのを知らず、いつものように酒に酔い潰れているのです。翌朝、妻からこの様子をつまびらかに聞かされて、驚きのあまり、「彼の心はそのうち死んで、彼は石のようになった」(37)と聖書にある通り、10日の後、ついに死んでしまいました。
その後、ダビデはアビガイルの智恵の勝れていること、慎み深いこと、その美しさに目をとめて、彼女と結婚いたしました。
ところで、この話は私たちに何を物語っているのでしょうか。
第1 アビガイルの夫ナバルは、彼女にとって決してふさわしい夫ではありませんでした。これは当時の習慣で親たちが、本人の意志と幸福を顧みず、自分たちの都合のよい結婚をさせたからだと思います。昔の封建的な日本の社会にも見られることです。このような不釣合いな結婚であったにも関わらず、アビガイルはよく自分の立場を守り、賢く立ち回わって、夫の危機を救い、忠実に妻としての務めを果たしたことは、大いに学ぶべきだと思います。
第2 しかし、神はみ旨によってこの不釣合いな結婚生活に終止符を打ち、この良妻にふさわしい良き夫ダビデを与えたまいました。神はこのように、不幸わせを忍んでいる内に公平にしてくださいます。もしも私たちが、このような境遇にあると知りましたら、アビガイルの態度を学ぶべきです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円