2023年7月号
№193
号
通巻877号
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『旧・新約婦人物語』(35)
シバの女王
=列王記上 10:1~13=
ここに面白いエピソードがあります。それは、シバの女王がソロモンの知恵と悟りと、その栄華の噂を聞いて、それを実際に見、試そうとして、いろいろの難問を用意し、贈物としてたくさんの金銀宝石などを、らくだに積んで、供ぞろえ美々しく、エルサレムに乗り込んできたことです。
この女王はユダヤ人ではありませんが、旧約聖書でも滅多に見ない、地位の高い人でした。まだ女の権利の認められていない古代において、王としての権威を一女性が持っているのも面白いと思います。
さて、この女王の国はどこでしょうか。シバはアラビヤの西南端にあった小さい国で、エルサレムからはずいぶん遠いところでした。当時は、まだ交通機関もなく、新聞やラジオの報道もない時代であったにもかかわらず、ソロモンの噂は、この遠いシバにまでも伝わっていたということは、驚くべきことで、ソロモンがいかに偉大であったかがわかります。
この女王は、今の言葉で言えば、センスのある、開けた人とでもいいましょうか、新しい文化に興味を持っていたようで、彼女は自分が聞いているソロモンの栄えと知恵が、真実であるかどうか、実際に自分の目で見たく、この長い旅を続けて、エルサレムへ来たほどです。道も開けていない砂漠地帯を横切って行くこの大旅行は、実に苦しい旅であったでしょう。
彼女は、この苦しい旅をもいとわぬほど、新しい文化を吸収することに熱心であったのです。また、彼女は単にエルサレムでソロモンの文化から、何かを得ようとしたばかりではありません。立派な贈物を用意して、自分の国の文化をも紹介しようとして、シバの最高の宝物を持って行くことも忘れませんでした。シバは、当時の文明国エジプトからインドへ行く交通の要路に当たり、商業が盛んで、国が富んでいたようです。女王がエルサレムに着いたとき、町の人々はその供まわりの美しさ、沢山の荷物が運ばれてきたのに目を見張って驚きました。
ソロモンは、親切丁寧に、国賓として彼女を迎え、女王の質問にことごとく答え、その上、宮殿に案内して、その盛んな様子を見せました。
女王は「わたしが国であなたのことと、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。・・・あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています」(6~7)、と言って驚嘆しています。特に、女王がエホバの家にのぼる階段を見たとき、彼女は気を奪われたとあります。唖然としたことでしょう。ソロモンが女王を主の宮に案内したのは、宮の礼拝に出席して、まことの神の礼拝に参加させたことを物語っていると思います。
ここで残念に思うことは、女王がこのように神の恵みに満たされたソロモンの様子を見ても、まことの神を信じるようになったという記事が見られないことです。女王は「あなたの神、主はほむべきかな」(9)と、神を賛美していますが、「あなたの神はわたしの神」と告白していないのは、まことに残念なことです。
彼女は、ソロモンからたくさんの贈物を受けて国に帰りましたが、何ものにもまして大切な信仰は持って帰らなかったのです。私たちも、この女王のようにせっかく神のみもとに導かれて、信仰を得る機会を与えられながら、手を虚しゅうして帰るることはありません。新しい教育を受けた、いわゆる、文化人にこのような傾向の人が多いようです。彼らは高い犠牲を払って、何年も科学的真理を求めていますが、科学以上のものがあるのに気付かないのです。
「南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる」(マタイ12:42)。
これは、イエスの在世当時、イエスをキリストと認めなかった人々に対する、イエスの警告です。もちろん、お言葉の中に引用されている南の女王とは、シバの女王をさしています。彼女が地の果てよりソロモンの知恵をかりに来る熱心な態度を、イエス様はお認めになっていますが、イエスは全能の神の存在を教えようとして、「見よ、ソロモンにまさる者がここにいる」と力を入れて叫んでおられます。
私たちも、キリストを認め、イエスをキリストと信じなければ、このシバの女王のような熱心さがあっても、宝の山に入りながら、手を虚しゅうして帰る愚を行うことでしょう。多くのお母さん方、自分の娘が結婚するために、お茶だ、お花だ、洋裁だといろいろな文化的教養を身につけさせるのに一生懸命ですが、より大切な魂をお忘れではないでしょうか。この世の文化がいかに栄えようとも、信仰のない文化は根のない草花に等しいもので、やがては、しぼみ、枯れてしまいます。それゆえに信仰のない文化は空の空なのです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
シバの女王
=列王記上 10:1~13=
ここに面白いエピソードがあります。それは、シバの女王がソロモンの知恵と悟りと、その栄華の噂を聞いて、それを実際に見、試そうとして、いろいろの難問を用意し、贈物としてたくさんの金銀宝石などを、らくだに積んで、供ぞろえ美々しく、エルサレムに乗り込んできたことです。
この女王はユダヤ人ではありませんが、旧約聖書でも滅多に見ない、地位の高い人でした。まだ女の権利の認められていない古代において、王としての権威を一女性が持っているのも面白いと思います。
さて、この女王の国はどこでしょうか。シバはアラビヤの西南端にあった小さい国で、エルサレムからはずいぶん遠いところでした。当時は、まだ交通機関もなく、新聞やラジオの報道もない時代であったにもかかわらず、ソロモンの噂は、この遠いシバにまでも伝わっていたということは、驚くべきことで、ソロモンがいかに偉大であったかがわかります。
この女王は、今の言葉で言えば、センスのある、開けた人とでもいいましょうか、新しい文化に興味を持っていたようで、彼女は自分が聞いているソロモンの栄えと知恵が、真実であるかどうか、実際に自分の目で見たく、この長い旅を続けて、エルサレムへ来たほどです。道も開けていない砂漠地帯を横切って行くこの大旅行は、実に苦しい旅であったでしょう。
彼女は、この苦しい旅をもいとわぬほど、新しい文化を吸収することに熱心であったのです。また、彼女は単にエルサレムでソロモンの文化から、何かを得ようとしたばかりではありません。立派な贈物を用意して、自分の国の文化をも紹介しようとして、シバの最高の宝物を持って行くことも忘れませんでした。シバは、当時の文明国エジプトからインドへ行く交通の要路に当たり、商業が盛んで、国が富んでいたようです。女王がエルサレムに着いたとき、町の人々はその供まわりの美しさ、沢山の荷物が運ばれてきたのに目を見張って驚きました。
ソロモンは、親切丁寧に、国賓として彼女を迎え、女王の質問にことごとく答え、その上、宮殿に案内して、その盛んな様子を見せました。
女王は「わたしが国であなたのことと、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。・・・あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています」(6~7)、と言って驚嘆しています。特に、女王がエホバの家にのぼる階段を見たとき、彼女は気を奪われたとあります。唖然としたことでしょう。ソロモンが女王を主の宮に案内したのは、宮の礼拝に出席して、まことの神の礼拝に参加させたことを物語っていると思います。
ここで残念に思うことは、女王がこのように神の恵みに満たされたソロモンの様子を見ても、まことの神を信じるようになったという記事が見られないことです。女王は「あなたの神、主はほむべきかな」(9)と、神を賛美していますが、「あなたの神はわたしの神」と告白していないのは、まことに残念なことです。
彼女は、ソロモンからたくさんの贈物を受けて国に帰りましたが、何ものにもまして大切な信仰は持って帰らなかったのです。私たちも、この女王のようにせっかく神のみもとに導かれて、信仰を得る機会を与えられながら、手を虚しゅうして帰るることはありません。新しい教育を受けた、いわゆる、文化人にこのような傾向の人が多いようです。彼らは高い犠牲を払って、何年も科学的真理を求めていますが、科学以上のものがあるのに気付かないのです。
「南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる」(マタイ12:42)。
これは、イエスの在世当時、イエスをキリストと認めなかった人々に対する、イエスの警告です。もちろん、お言葉の中に引用されている南の女王とは、シバの女王をさしています。彼女が地の果てよりソロモンの知恵をかりに来る熱心な態度を、イエス様はお認めになっていますが、イエスは全能の神の存在を教えようとして、「見よ、ソロモンにまさる者がここにいる」と力を入れて叫んでおられます。
私たちも、キリストを認め、イエスをキリストと信じなければ、このシバの女王のような熱心さがあっても、宝の山に入りながら、手を虚しゅうして帰る愚を行うことでしょう。多くのお母さん方、自分の娘が結婚するために、お茶だ、お花だ、洋裁だといろいろな文化的教養を身につけさせるのに一生懸命ですが、より大切な魂をお忘れではないでしょうか。この世の文化がいかに栄えようとも、信仰のない文化は根のない草花に等しいもので、やがては、しぼみ、枯れてしまいます。それゆえに信仰のない文化は空の空なのです。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円