2023年7月号
№193
号
通巻877号
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解説 ウエストミンスター信仰告白 (7)
岡田 稔著
第三章 神の永遠の聖定について(2)
3 神の聖定によって、神の栄光が現われるために、ある人間たちとみ使たち(1)が永遠の命に予定され、他の者たちは永遠の死にあらかじめ定められている(2)。
1 Ⅰテモテ5:21、マタイ25:41
2 ロマ9:22,23、エペソ1:5,6、箴16:4
三 物質は水と火であれ、究極的には同性的であると言えるが、善と悪は被造界に関し
て最も究極的な二元性を示している。それによって生じた究極的区別の根源は、結局、神
の聖定以外に求めるべきではない。この予定論、選びの根本問題であり、聖定論はもとも
と、この問題の包括的論議に他ならない。ルター派は永遠のいのちへの選定のみを告白す
るのに対し、改革派教会は双方予定論を保持している。
4 このように予定されたり、あらかじめ定められているこれらのみ使や人間は、個別的また不変的に指定されており、またその数もきわめて確実で限定されているので、増し加えられることも、減らされることもできない(1)。
1 Ⅱテモテ2:19、ヨハネ13:18
四 これは双方予定論の当然の結論であるが、この教理に対する温和化が試みられた中で、一つは集団的予定論という考え方であって、選びも放棄も個別的でなく、グループ的であるという説(ローマ人への手紙9章以下をこのように註解する者が多い)に対する排斥と思われる。ウオーフイルドの「救いの計画」を見るとよくわかる通り、カルヴァン主義は個別救済論を主張している。
5 人類の中で命に予定されている者たちは、神が、世の基の置かれる前から永遠不変の目的とみ旨のひそかな計画と満足に従って、キリストにおいて永遠の栄光に選ばれたのであって(1)、それは、自由な恵みと愛とだけから、被造物の中にある信仰・よきわざ・そのどちらかの堅忍・またはその他の何事をでも、その条件やそれに促す原因として予見することなく(2)、すべてその栄光ある恵みの賛美に至らせるために、選ばれたのである(3)。
1 エペソ1:4,9,11、ロマ8:30、Ⅱテモテ1:9、Ⅰテサロニケ5:9
2 ロマ9:11,13,16、エペソ1:4,9
3 エペソ1:6,12
五 前半は、救いは選ばれた者の選びが、その目的、その原因、そして、その経過のすべてについて、神によるものであることを示し、後半はその選びが、決して選ばれた人間自身の何ものにもよらないことを示している。すなわち、業による選びではないのみか、信仰というものを、何か信者の自力と考えることの誤りとともに、第二項の予知論の方向に目を向けることの非を教えている。
6 神は、選民を栄光へと定められたので、神は、み旨の永遠で最も自由な目的により、そこに至るためのすべての手段をも、あらかじめ定められた(1)。だから、アダムにおいて堕落しながら選ばれている者たちは、キリストによってあがなわれ(2)、時至って働くそのみ霊によってキリストヘの信仰に有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ(3)、み力により信仰を通して救いに至るまで保たれる(4)。他のだれも、キリストによってあがなわれ、有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ、救われることはなく、ただ選民だけである(5)。
1 Ⅰペトロ1:2、エペソ1:4,5、エペソ2:10、Ⅱテサロニケ2:13
2 Ⅰテサロニケ5:9,10、テトス2:14
3 ロマ8:30、エペソ1:5、Ⅱテサロニケ2:13
4 Ⅰペトロ1:5
5 ヨハネ17:9、ロマ8:28-39、ヨハネ6:64,65、ヨハネ10:26、ヨハネ8:47、Ⅰヨハ ネ2:19
六 これは選ばれた以上は、かならず一定の経路を経て救いが完成されるのであって、中途で未完成に終わるということのない点を力説したものである。
7 人類の残りの者は、神が、み心のままにあわれみを広げも控えもなさるご自身のみ旨のはかり知れない計画に従い、その被造物に対する主権的み力の栄光のために、見過ごし、神の栄光ある正義を賛美させるために、彼らを恥辱とその罪に対する怒りとに定めることをよしとされた(1)。
1 マタイ11:25,26、ロマ9:17,18,21,22、Ⅱテモテ2:19,20、ユダ4、Ⅰペテロ2:8
七 ここでは、二つの点を注意するように教えている。第一は、罪のために、永久に棄てられる者は、どこまでも神の主権的判断によって、そうされるのであるから、人間が「なぜだ」と神に抗弁する権利はないこと。第二は、五項の終わりの「恵みと賛美に至らせるため」と七項の終わりの「正義を賛美させるために」とを対照すること。前者は「あわれみの器」で、後者は「怒りの器」で、ともに「器」であり、神の栄光をあらわす器であることである。
8 予定というこの高度に神秘な教理は、み言葉に啓示された神のみ旨に注意して聞き、それに服従をささげる人々が、彼らの有効召命の確かさから自分の永遠の選びを確信するよう(1)、特別な配慮と注意をもって扱われなければならない(2)。そうすればこの教理は、神への讃美と崇敬と称賛の(3)、また謙そんと熱心と豊かな慰めの材料を、すべてまじめに福音に従う者たちに提供してくれるであろう(4)。
1 Ⅱペテロ1:10
2 ロマ9:20、ロマ11:33、申命29:29(28)
3 エペソ1:6、ロマ11:33
4 ロマ11:5,6,20、Ⅱペテロ1:10、ロマ8:33、ルカ10:20
八 (結び) 予定論ほど不思議な真理はめずらしい。信仰をもって学ぶ者を慰励するとともに、好奇心をもって軽蔑する者の心を混乱させる。まさに「とげのある鞭をうければ、傷を負うだけである」(使徒26:14)。だから、初心者には、刃物のように危険だと言う人もいるが、私は弊害を恐れるよりも、その利益を信じて大胆に、しかも、忠実、そして謙虚に学んでほしいと思っている。
1618年~19年、オランダで世界中の改革派教会の代表が会議を開いてドルト信条を作った時、英国王ゼームス一世は これを読んで「予定論は誠に真理であるが、余りにも奥義だから学識や経験の未熟な下級教職が説教することを禁止する」という法令を出した。しかし私は、パウロのローマ人への手紙をもらったローマ教会の会員たちに、それが有益だったと信じるから、同様に聖書に即してよく読み、学べばかならず大きな益を受けると確信している。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
岡田 稔著
第三章 神の永遠の聖定について(2)
3 神の聖定によって、神の栄光が現われるために、ある人間たちとみ使たち(1)が永遠の命に予定され、他の者たちは永遠の死にあらかじめ定められている(2)。
1 Ⅰテモテ5:21、マタイ25:41
2 ロマ9:22,23、エペソ1:5,6、箴16:4
三 物質は水と火であれ、究極的には同性的であると言えるが、善と悪は被造界に関し
て最も究極的な二元性を示している。それによって生じた究極的区別の根源は、結局、神
の聖定以外に求めるべきではない。この予定論、選びの根本問題であり、聖定論はもとも
と、この問題の包括的論議に他ならない。ルター派は永遠のいのちへの選定のみを告白す
るのに対し、改革派教会は双方予定論を保持している。
4 このように予定されたり、あらかじめ定められているこれらのみ使や人間は、個別的また不変的に指定されており、またその数もきわめて確実で限定されているので、増し加えられることも、減らされることもできない(1)。
1 Ⅱテモテ2:19、ヨハネ13:18
四 これは双方予定論の当然の結論であるが、この教理に対する温和化が試みられた中で、一つは集団的予定論という考え方であって、選びも放棄も個別的でなく、グループ的であるという説(ローマ人への手紙9章以下をこのように註解する者が多い)に対する排斥と思われる。ウオーフイルドの「救いの計画」を見るとよくわかる通り、カルヴァン主義は個別救済論を主張している。
5 人類の中で命に予定されている者たちは、神が、世の基の置かれる前から永遠不変の目的とみ旨のひそかな計画と満足に従って、キリストにおいて永遠の栄光に選ばれたのであって(1)、それは、自由な恵みと愛とだけから、被造物の中にある信仰・よきわざ・そのどちらかの堅忍・またはその他の何事をでも、その条件やそれに促す原因として予見することなく(2)、すべてその栄光ある恵みの賛美に至らせるために、選ばれたのである(3)。
1 エペソ1:4,9,11、ロマ8:30、Ⅱテモテ1:9、Ⅰテサロニケ5:9
2 ロマ9:11,13,16、エペソ1:4,9
3 エペソ1:6,12
五 前半は、救いは選ばれた者の選びが、その目的、その原因、そして、その経過のすべてについて、神によるものであることを示し、後半はその選びが、決して選ばれた人間自身の何ものにもよらないことを示している。すなわち、業による選びではないのみか、信仰というものを、何か信者の自力と考えることの誤りとともに、第二項の予知論の方向に目を向けることの非を教えている。
6 神は、選民を栄光へと定められたので、神は、み旨の永遠で最も自由な目的により、そこに至るためのすべての手段をも、あらかじめ定められた(1)。だから、アダムにおいて堕落しながら選ばれている者たちは、キリストによってあがなわれ(2)、時至って働くそのみ霊によってキリストヘの信仰に有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ(3)、み力により信仰を通して救いに至るまで保たれる(4)。他のだれも、キリストによってあがなわれ、有効に召命され、義とされ、子とされ、聖とされ、救われることはなく、ただ選民だけである(5)。
1 Ⅰペトロ1:2、エペソ1:4,5、エペソ2:10、Ⅱテサロニケ2:13
2 Ⅰテサロニケ5:9,10、テトス2:14
3 ロマ8:30、エペソ1:5、Ⅱテサロニケ2:13
4 Ⅰペトロ1:5
5 ヨハネ17:9、ロマ8:28-39、ヨハネ6:64,65、ヨハネ10:26、ヨハネ8:47、Ⅰヨハ ネ2:19
六 これは選ばれた以上は、かならず一定の経路を経て救いが完成されるのであって、中途で未完成に終わるということのない点を力説したものである。
7 人類の残りの者は、神が、み心のままにあわれみを広げも控えもなさるご自身のみ旨のはかり知れない計画に従い、その被造物に対する主権的み力の栄光のために、見過ごし、神の栄光ある正義を賛美させるために、彼らを恥辱とその罪に対する怒りとに定めることをよしとされた(1)。
1 マタイ11:25,26、ロマ9:17,18,21,22、Ⅱテモテ2:19,20、ユダ4、Ⅰペテロ2:8
七 ここでは、二つの点を注意するように教えている。第一は、罪のために、永久に棄てられる者は、どこまでも神の主権的判断によって、そうされるのであるから、人間が「なぜだ」と神に抗弁する権利はないこと。第二は、五項の終わりの「恵みと賛美に至らせるため」と七項の終わりの「正義を賛美させるために」とを対照すること。前者は「あわれみの器」で、後者は「怒りの器」で、ともに「器」であり、神の栄光をあらわす器であることである。
8 予定というこの高度に神秘な教理は、み言葉に啓示された神のみ旨に注意して聞き、それに服従をささげる人々が、彼らの有効召命の確かさから自分の永遠の選びを確信するよう(1)、特別な配慮と注意をもって扱われなければならない(2)。そうすればこの教理は、神への讃美と崇敬と称賛の(3)、また謙そんと熱心と豊かな慰めの材料を、すべてまじめに福音に従う者たちに提供してくれるであろう(4)。
1 Ⅱペテロ1:10
2 ロマ9:20、ロマ11:33、申命29:29(28)
3 エペソ1:6、ロマ11:33
4 ロマ11:5,6,20、Ⅱペテロ1:10、ロマ8:33、ルカ10:20
八 (結び) 予定論ほど不思議な真理はめずらしい。信仰をもって学ぶ者を慰励するとともに、好奇心をもって軽蔑する者の心を混乱させる。まさに「とげのある鞭をうければ、傷を負うだけである」(使徒26:14)。だから、初心者には、刃物のように危険だと言う人もいるが、私は弊害を恐れるよりも、その利益を信じて大胆に、しかも、忠実、そして謙虚に学んでほしいと思っている。
1618年~19年、オランダで世界中の改革派教会の代表が会議を開いてドルト信条を作った時、英国王ゼームス一世は これを読んで「予定論は誠に真理であるが、余りにも奥義だから学識や経験の未熟な下級教職が説教することを禁止する」という法令を出した。しかし私は、パウロのローマ人への手紙をもらったローマ教会の会員たちに、それが有益だったと信じるから、同様に聖書に即してよく読み、学べばかならず大きな益を受けると確信している。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
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書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円