2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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『旧・新約婦人物語』(42)
ドルカスと呼ばれた
タビタ
=使徒行伝9:36~43=
紀元49年頃、地中海の東海岸にあります港町ヨッパに、タビタという非常に熱心な女性のクリスチャンが住んでおりました。このユダヤの婦人が、どんな経路をたどってキリスト教に導かれましたのか、使徒行伝には記されていません。けれども、たぶん当時その地方によく伝道していました伝道者ピリポに導かれたのかもしれません。おもしろいことに、このタビタという名前を、ギリシャ語に訳しますと、ドルカス(かもしか)と言う意味になるのです。
イエス様の母マリヤは別といたしましても、ドルカスという名前は、新約聖書に登場してくる多くの婦人の内で、現代において最もよく知られている名前だと思います。なぜかと申しますと、ヨーロッパでも、アメリカでも、多くの婦人方がこの名前を取って「ドルカス会」という会をいたるところで作られているからです。このドルカス会は、困っている人たちのために服を作ってあげ、それを贈る仕事を目的としておられます。二千年昔に住んでいたドルカスの始めた良い行いが、現在にいたっても尚、続けられていると申しましても、少しも差しつかえないと思います。
と言いますのは、このドルカスは熱心なクリスチャンで、いろいろな良い働きや、また施しをしていた婦人で、彼女の信仰は単なる飾りや形式的なものではなく、実に具体的でした。ことに彼女はヨッパにあって多くのやもめたちを哀れみ、助けてあげました。
このヨッパという港は、日本の漁港のように、漁師がたくさん住んでいる町で、嵐のために、あるいは様々な災難のために遭難し、自分たちの町に帰って来ない漁船や漁師が多かったことでしょう。そのために働き手を失った哀れなやもめたちも沢山住んでいたようです。このやもめたちを訪ねて、慰め、励ましたのが、このドルカスでした。また、困っているそれらの孤児とやもめたちのために、いろいろと苦心して服を贈ったり、お金を与えたりしたのも、このドルカスでありました。
このドルカスの働きは、いつまでも続きませんでし。ある日、彼女は病に倒れ、神様に召されてしまいました。人々は悲しみに沈んでいました。彼らは彼女のなきがらを屋上の部屋に静かに横たえました。使徒ペテロが近くのルダの町に来ていることを聞き知った彼らは、急いで二人の使いを彼のもとに送って、どうぞ早くヨッパに来てくださいと頼みました。そこでペテロは二人の使いに連れられ、急いでヨッパに来ました。彼はすぐに屋上の部屋に案内されました。そこへドルカスが親切に世話をしてあげたやもめたちが集まってきて、ドルカスが生前に作ってくれた下着や上着の数々を泣きながらペテロに見せました。
ペテロは感激して、みなを外に去らせ静かにひざまずいて神様に祈り、死体に向かって「タビタよ、起きなさい」と申しました。すると彼女は目を開けて、ペテロを見て起き上がりました。ペテロは彼女に手をかして立たせ、聖徒ややもめたちを呼び入れて彼女の生き返っているのを見せました。
彼女らのその時の喜びは、わたしたちの想像も出来ないほどのものでしたでしょう。ちょうどキリストに甦らせていただいた、ラザロの姉妹マルタとマリヤの喜びと同じであったでしょう。聖書全体を通して、死よりよみがえらせていただいた婦人は、ただ二人だけです。その内の一人が神の偉大な力によって甦らせていただいたタビタです(イエス様によって甦らせていただいた今一人の女性は、ヤイロの娘です)。この不思議な奇跡は、わたしたちに何を教えているのでしょうか。それは神様がタビタの愛の業を受け入れてくださったと言うことであります。
キリストのために、またキリストのみ名によって、良き業に励みますことは、クリスチャンの尊い義務であるばかりでなく、大きな喜びであります。わたしたちの周囲には困っている人々や、また神への道から外れている人々が、いくらでも目につきます。
マタイによる福音者25章34~46節にあります、最後の審判の日の譬えを、もう一度お読みください。み国を受け継ぐ者はどういう人々でありましょうか? イエス様は、み国を受け継ぐ人々に向かって、その理由として、「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに見舞い、獄にいたとき尋ねてくれたからである」と仰せになり、更に「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」と言われました。このような人々こそ永遠のいのちに入る者であると、強く語っておられるのであります。
理想的なクリスチャン生活とは、ただ教会の集まりに欠かさず出席し、毎日聖書を読み、祈りを忘れないだけではないのです。そうかといって、これらを軽く見る意味では決してありません。勿論、これらは信仰生活の根本であり、大切ですが、これが信仰生活の全部ではありません。
あなたは、可愛相な孤児たちにどうしておられるでしょうか? いつ病人を見舞ったでしょうか? イエス様が語られた「最も小さいものの一人」をお忘れになっていないでしょうか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
ドルカスと呼ばれた
タビタ
=使徒行伝9:36~43=
紀元49年頃、地中海の東海岸にあります港町ヨッパに、タビタという非常に熱心な女性のクリスチャンが住んでおりました。このユダヤの婦人が、どんな経路をたどってキリスト教に導かれましたのか、使徒行伝には記されていません。けれども、たぶん当時その地方によく伝道していました伝道者ピリポに導かれたのかもしれません。おもしろいことに、このタビタという名前を、ギリシャ語に訳しますと、ドルカス(かもしか)と言う意味になるのです。
イエス様の母マリヤは別といたしましても、ドルカスという名前は、新約聖書に登場してくる多くの婦人の内で、現代において最もよく知られている名前だと思います。なぜかと申しますと、ヨーロッパでも、アメリカでも、多くの婦人方がこの名前を取って「ドルカス会」という会をいたるところで作られているからです。このドルカス会は、困っている人たちのために服を作ってあげ、それを贈る仕事を目的としておられます。二千年昔に住んでいたドルカスの始めた良い行いが、現在にいたっても尚、続けられていると申しましても、少しも差しつかえないと思います。
と言いますのは、このドルカスは熱心なクリスチャンで、いろいろな良い働きや、また施しをしていた婦人で、彼女の信仰は単なる飾りや形式的なものではなく、実に具体的でした。ことに彼女はヨッパにあって多くのやもめたちを哀れみ、助けてあげました。
このヨッパという港は、日本の漁港のように、漁師がたくさん住んでいる町で、嵐のために、あるいは様々な災難のために遭難し、自分たちの町に帰って来ない漁船や漁師が多かったことでしょう。そのために働き手を失った哀れなやもめたちも沢山住んでいたようです。このやもめたちを訪ねて、慰め、励ましたのが、このドルカスでした。また、困っているそれらの孤児とやもめたちのために、いろいろと苦心して服を贈ったり、お金を与えたりしたのも、このドルカスでありました。
このドルカスの働きは、いつまでも続きませんでし。ある日、彼女は病に倒れ、神様に召されてしまいました。人々は悲しみに沈んでいました。彼らは彼女のなきがらを屋上の部屋に静かに横たえました。使徒ペテロが近くのルダの町に来ていることを聞き知った彼らは、急いで二人の使いを彼のもとに送って、どうぞ早くヨッパに来てくださいと頼みました。そこでペテロは二人の使いに連れられ、急いでヨッパに来ました。彼はすぐに屋上の部屋に案内されました。そこへドルカスが親切に世話をしてあげたやもめたちが集まってきて、ドルカスが生前に作ってくれた下着や上着の数々を泣きながらペテロに見せました。
ペテロは感激して、みなを外に去らせ静かにひざまずいて神様に祈り、死体に向かって「タビタよ、起きなさい」と申しました。すると彼女は目を開けて、ペテロを見て起き上がりました。ペテロは彼女に手をかして立たせ、聖徒ややもめたちを呼び入れて彼女の生き返っているのを見せました。
彼女らのその時の喜びは、わたしたちの想像も出来ないほどのものでしたでしょう。ちょうどキリストに甦らせていただいた、ラザロの姉妹マルタとマリヤの喜びと同じであったでしょう。聖書全体を通して、死よりよみがえらせていただいた婦人は、ただ二人だけです。その内の一人が神の偉大な力によって甦らせていただいたタビタです(イエス様によって甦らせていただいた今一人の女性は、ヤイロの娘です)。この不思議な奇跡は、わたしたちに何を教えているのでしょうか。それは神様がタビタの愛の業を受け入れてくださったと言うことであります。
キリストのために、またキリストのみ名によって、良き業に励みますことは、クリスチャンの尊い義務であるばかりでなく、大きな喜びであります。わたしたちの周囲には困っている人々や、また神への道から外れている人々が、いくらでも目につきます。
マタイによる福音者25章34~46節にあります、最後の審判の日の譬えを、もう一度お読みください。み国を受け継ぐ者はどういう人々でありましょうか? イエス様は、み国を受け継ぐ人々に向かって、その理由として、「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに見舞い、獄にいたとき尋ねてくれたからである」と仰せになり、更に「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」と言われました。このような人々こそ永遠のいのちに入る者であると、強く語っておられるのであります。
理想的なクリスチャン生活とは、ただ教会の集まりに欠かさず出席し、毎日聖書を読み、祈りを忘れないだけではないのです。そうかといって、これらを軽く見る意味では決してありません。勿論、これらは信仰生活の根本であり、大切ですが、これが信仰生活の全部ではありません。
あなたは、可愛相な孤児たちにどうしておられるでしょうか? いつ病人を見舞ったでしょうか? イエス様が語られた「最も小さいものの一人」をお忘れになっていないでしょうか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
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〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円