2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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解説 ウエストミンスター信仰告白 (9)
岡田 稔著
第四章 創造について(2)
2 神は、他のすべての被造物を作られたあとで、人間を男と女に(1)、理性ある不死の霊魂をもち(2)、ご自身のかたちに従って知識と義とまことのきよさとを賦与され(3)、心の中にしるされた神の律法(4)とそれを成就する力をもち(5)、しかも変化しうる自分自身の意志の自由に委ねられて、違反する可能性のある者として(6)創造された。彼らは、心にしるされたこの律法のほかに、善悪を知る木から食べるな、という命令を受けたが(7)、これを守っている間は、神との交わりにおいてしあわせであり、もろもろの被造物を支配していた(8)。
1 創世1:27
2 創世2:7、伝道12:7、ルカ23:43、マタイ10:28(*)
*創世2:7を伝道12:7、ルカ23:43、マタイ10:28と比較のこと。
3 創世1:26、コロサイ3:10、エペソ4:24
4 ロマ2:14,15
5 伝道7:29
6 創世3:6、伝道7:29
7 創世2:17、創世3:8-11,23
8 創世1:26,28
二 ここでは、次の真理が明らかにされている。
1 人間は被造物であって、その肉体も霊魂も永遠者ではない。
2 人間は被造物中で最後に創造された。
3 人間は男女二性に創造された。
4 人間は他の動物などと次の点で相違する特有性を持っている。
① 不滅の霊魂を持つこと。ここでの「不滅」とは「無始」という意味の永遠性を意味しない。創世記2章7節の「命の息をその鼻に吹きいれた」とある「命の息」を、神の聖霊と理解するのではない。霊魂はその吹きいれられた神の聖霊そのものであるとすると人間の霊魂は、神の分身だと言うことになる。これは最も聖書的でない思想である。従って、「命の息を鼻に吹きいれ」という動作は、神が人間を創造された時の創造の方法を述べているのであって、「光あれ、と言われた。すると光はあった」。神はまた言われた「水は生き物の群れで満ち」とあるのと対比すると、単に言うのみで創造されたのと異なり、特別に入念に創造されたことを示すと言えよう。
伝道の書12章7節に「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に
帰る」も霊魂を神の分身とするプラトン主義や汎神思想から理解してはならない。
不滅は永遠性、特に自存性の意味ではなく、死という現象、すなわち自己崩壊、
分裂をしょうじないということである。
霊魂は単一性を特色とするから、死に際して肉体のように、ばらばらになって分
裂しないで、依然としてそれ自身の統一を保持している。この点を主として指し
て言われているようである。また、霊魂の形容詞として、理性的という言葉がつ
けられているが、これはウエストミンスター小教理問答で、イエス・キリストの
受肉を述べる際に、正常な肉体と理性的霊魂と言う表現が用いられていることを
参考にされるとよい。
② 神のかたちに創造されたということ。これは①の問題と深い関係がある。人間には霊魂がある。だから死んでも動物のように、まったく自己分裂に落ちてしまわない。肉体はちりに帰っても、霊魂はそのまま存続する。この霊魂の中にこそ、自己の人格的主体が宿っていると言える。
けれども、この霊魂がそのまま神のかたちなのではない。人間は魂と肉体とから
成り立っている一個の生けるものであり、生きた人とは、実に霊魂と肉体の結合
によって成り立っている人間のことである。そして、この人間が神のかたちに似
せて造られているのである、と言うのが聖書の本当の意味である。
では、どの点が神のかたちに似せてと言われているのであろうか。それは、知と
義と真と聖についてである。すなわち、人間の文化能力、宗教・道徳性を統括す
るものであって、政治、経済、芸術、科学、哲学、倫理、宗教など、今日の大学
が取り扱う一切の分野がこの中に入っている。
カルヴァン主義は、この神のかたちを、このように広義に解釈するために、救い
の範囲もこれに対応する全般性をもっているのである。
③ 心に記された神の律法とそれを成就する力。これは良心とか道徳という問題と深い関係にある。すなわち、律法の下に置かれたのである。神は常に律法の主であり、律法の上に立ちたもう方である。神のかたちは、この意味で人間の自由をその中に含んでいるのであるが、人間が律法の下にあるという点は、むしろ、人間が神に似ていない。神とは異なるという事実を強く示すのである。
動物は自然法則の中に存在している。心に記された律法は、このような客観的な 法則ではない。律法の内容に二つあるのではないが、律法の記され方には、二つの面がある。それは心の外に記された場合と心の内に記された場合とである。
人間が内に律法を記されたと言うことは、人間は神ではない、という事実とともに、人間が動物とは異なる存在である、という事実も同時に強く示すものである。この律法の成就力と罪を犯す可能性とは、実にこれが自由というものの姿であることを示している。従って、本項から考えると、これは、主として他の被造物との相違点を指摘することが主眼であると言えよう。だから、律法の下にあることを主張して、人間は神ではない、という事実を明示することよりも、心に記された律法と自由との二点を指示し、動物との相違を明白にしているのである。
④ 禁断の木の実ことである。これは人間論的に考えると、神と人との自然的関係、すなわち、造り主と被造物の関係から一歩進んだ契約関係に入った問題である。従って、厳密には創造論の課題ではなく、摂理論に入る問題である。しかし、とにかく人間が堕落以前に、どの点で独自な被造物として存在していたかを示したいという本項の建前から、これがその一点として加えられたのであろう。
⑤ 最後に被造物を統治する資格、使命、特権が述べられている。ウエストミンスター小教理問答では、この点も「神のかたち」の一面として理解するのが正しいと思われるように表現されている。③で言ったように律法の下にあるということが、神でないことの特徴であるように、統治権は主なる神の特徴である。
だから、人間の文化能力としての統御力ということは、たしかに神のかたちの一
内容と思われる。本項は、終始人間型の被造物より優れているという特異性を、
強調する方向で述べられているから、このことが最後に一項目として取り上げた
のはもっとものである。なお、この項には、今一つ堕落後の罪と悲惨の状態にあ
る人間の姿に対し、創造されたままの姿の特徴を示そうとした点も見逃してはな
らない。人間は、全被造物と同様に神のみ手の業であることを忘れてはならない。
同時に、人間は被造物の冠であって、いろいろな点で特色を持つばかりでなく、
実は世界は人間がそこで神の栄光をあらわす舞台として創造されたのであり、世
界のない人間はありえないし、人間のない世界もまた空虚なものであることを知
らなければならない。このような尊い使命を持つ人間が、やがて語られるように、
罪によって自己を汚し、世界を損ねたという事実を深く考えなければならない。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
岡田 稔著
第四章 創造について(2)
2 神は、他のすべての被造物を作られたあとで、人間を男と女に(1)、理性ある不死の霊魂をもち(2)、ご自身のかたちに従って知識と義とまことのきよさとを賦与され(3)、心の中にしるされた神の律法(4)とそれを成就する力をもち(5)、しかも変化しうる自分自身の意志の自由に委ねられて、違反する可能性のある者として(6)創造された。彼らは、心にしるされたこの律法のほかに、善悪を知る木から食べるな、という命令を受けたが(7)、これを守っている間は、神との交わりにおいてしあわせであり、もろもろの被造物を支配していた(8)。
1 創世1:27
2 創世2:7、伝道12:7、ルカ23:43、マタイ10:28(*)
*創世2:7を伝道12:7、ルカ23:43、マタイ10:28と比較のこと。
3 創世1:26、コロサイ3:10、エペソ4:24
4 ロマ2:14,15
5 伝道7:29
6 創世3:6、伝道7:29
7 創世2:17、創世3:8-11,23
8 創世1:26,28
二 ここでは、次の真理が明らかにされている。
1 人間は被造物であって、その肉体も霊魂も永遠者ではない。
2 人間は被造物中で最後に創造された。
3 人間は男女二性に創造された。
4 人間は他の動物などと次の点で相違する特有性を持っている。
① 不滅の霊魂を持つこと。ここでの「不滅」とは「無始」という意味の永遠性を意味しない。創世記2章7節の「命の息をその鼻に吹きいれた」とある「命の息」を、神の聖霊と理解するのではない。霊魂はその吹きいれられた神の聖霊そのものであるとすると人間の霊魂は、神の分身だと言うことになる。これは最も聖書的でない思想である。従って、「命の息を鼻に吹きいれ」という動作は、神が人間を創造された時の創造の方法を述べているのであって、「光あれ、と言われた。すると光はあった」。神はまた言われた「水は生き物の群れで満ち」とあるのと対比すると、単に言うのみで創造されたのと異なり、特別に入念に創造されたことを示すと言えよう。
伝道の書12章7節に「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に
帰る」も霊魂を神の分身とするプラトン主義や汎神思想から理解してはならない。
不滅は永遠性、特に自存性の意味ではなく、死という現象、すなわち自己崩壊、
分裂をしょうじないということである。
霊魂は単一性を特色とするから、死に際して肉体のように、ばらばらになって分
裂しないで、依然としてそれ自身の統一を保持している。この点を主として指し
て言われているようである。また、霊魂の形容詞として、理性的という言葉がつ
けられているが、これはウエストミンスター小教理問答で、イエス・キリストの
受肉を述べる際に、正常な肉体と理性的霊魂と言う表現が用いられていることを
参考にされるとよい。
② 神のかたちに創造されたということ。これは①の問題と深い関係がある。人間には霊魂がある。だから死んでも動物のように、まったく自己分裂に落ちてしまわない。肉体はちりに帰っても、霊魂はそのまま存続する。この霊魂の中にこそ、自己の人格的主体が宿っていると言える。
けれども、この霊魂がそのまま神のかたちなのではない。人間は魂と肉体とから
成り立っている一個の生けるものであり、生きた人とは、実に霊魂と肉体の結合
によって成り立っている人間のことである。そして、この人間が神のかたちに似
せて造られているのである、と言うのが聖書の本当の意味である。
では、どの点が神のかたちに似せてと言われているのであろうか。それは、知と
義と真と聖についてである。すなわち、人間の文化能力、宗教・道徳性を統括す
るものであって、政治、経済、芸術、科学、哲学、倫理、宗教など、今日の大学
が取り扱う一切の分野がこの中に入っている。
カルヴァン主義は、この神のかたちを、このように広義に解釈するために、救い
の範囲もこれに対応する全般性をもっているのである。
③ 心に記された神の律法とそれを成就する力。これは良心とか道徳という問題と深い関係にある。すなわち、律法の下に置かれたのである。神は常に律法の主であり、律法の上に立ちたもう方である。神のかたちは、この意味で人間の自由をその中に含んでいるのであるが、人間が律法の下にあるという点は、むしろ、人間が神に似ていない。神とは異なるという事実を強く示すのである。
動物は自然法則の中に存在している。心に記された律法は、このような客観的な 法則ではない。律法の内容に二つあるのではないが、律法の記され方には、二つの面がある。それは心の外に記された場合と心の内に記された場合とである。
人間が内に律法を記されたと言うことは、人間は神ではない、という事実とともに、人間が動物とは異なる存在である、という事実も同時に強く示すものである。この律法の成就力と罪を犯す可能性とは、実にこれが自由というものの姿であることを示している。従って、本項から考えると、これは、主として他の被造物との相違点を指摘することが主眼であると言えよう。だから、律法の下にあることを主張して、人間は神ではない、という事実を明示することよりも、心に記された律法と自由との二点を指示し、動物との相違を明白にしているのである。
④ 禁断の木の実ことである。これは人間論的に考えると、神と人との自然的関係、すなわち、造り主と被造物の関係から一歩進んだ契約関係に入った問題である。従って、厳密には創造論の課題ではなく、摂理論に入る問題である。しかし、とにかく人間が堕落以前に、どの点で独自な被造物として存在していたかを示したいという本項の建前から、これがその一点として加えられたのであろう。
⑤ 最後に被造物を統治する資格、使命、特権が述べられている。ウエストミンスター小教理問答では、この点も「神のかたち」の一面として理解するのが正しいと思われるように表現されている。③で言ったように律法の下にあるということが、神でないことの特徴であるように、統治権は主なる神の特徴である。
だから、人間の文化能力としての統御力ということは、たしかに神のかたちの一
内容と思われる。本項は、終始人間型の被造物より優れているという特異性を、
強調する方向で述べられているから、このことが最後に一項目として取り上げた
のはもっとものである。なお、この項には、今一つ堕落後の罪と悲惨の状態にあ
る人間の姿に対し、創造されたままの姿の特徴を示そうとした点も見逃してはな
らない。人間は、全被造物と同様に神のみ手の業であることを忘れてはならない。
同時に、人間は被造物の冠であって、いろいろな点で特色を持つばかりでなく、
実は世界は人間がそこで神の栄光をあらわす舞台として創造されたのであり、世
界のない人間はありえないし、人間のない世界もまた空虚なものであることを知
らなければならない。このような尊い使命を持つ人間が、やがて語られるように、
罪によって自己を汚し、世界を損ねたという事実を深く考えなければならない。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
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書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円