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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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6c671513.jpeg 解説 ウエストミンスター信仰告白 (10)
               
                    岡田  稔著
                  (元神戸改革派伸学校長)
第五章 摂理について(1)

1 万物の偉大な創造主である神は、すべての被造物、行為、また事物を(1)、大小もらさず(2)、最も賢い、きよい摂理によって(3)、無謬の予知と(4)、ご自身のみ旨の自由不変のご計画に従って(5)、その知恵と力と義と善とあわれみのご栄光の賛美へと(6)、保持し(7)、指導し、処理し、統治される。

  1 ダニエル4:34,35(31,32)、詩135:6、行伝17:25,26,28、ヨブ38,39,40,41章
  2 マタイ10:29-31
  3 箴15:3、詩104:24、詩145,17
  4 行伝15:18、詩94:8-11
  5 エペソ1:11、詩33:10-11
  6 イザヤ63:14、エペソ3:10、ロマ9:17、創世45:7、詩145:7
  7 ヘブル1:3

一 これは摂理の定義である。摂理の対象と根源と目的と内容とが述べられている。被造物が存在し、行為し、変化することの一切は摂理であり、神の不変な永遠の予知と予定に基づいてなされ、神ご自身の栄光のためになされる。摂理という時に保持と指導と処理と統治とが含まれている。創造されて世界が存続するのは保持であり、法則に従って運行し、進化し、移動するのは指導、処理、統治などのみ業によるものである。
世界と神との現在関係を総称する言葉が摂理であって、有神論的世界観は創造と摂理のうち、特に後者において、その本領を明示すると言える。自然神教(理神論)は、創造を肯定しつつ、摂理を否定する。キリスト教が超越神を主張しつつ、神と世界の現在関係を汎神論同様に強調しえるのは、実にこの摂理の教理による。従って、摂理を少しでも限定する時、それだけ真正な有神論ではありえなくなる。

2 第一原因である神の予知と聖定との関連においては、万物は不変的かつ無謬的(むびゅうてき)に起こってくる(1)。しかし同一の摂理によって、神はそれらが第二原因の性質に従い、あるいは必然的に、あるいは自由に、または偶然に起こってくるように定められた(2)。

  1 行伝2:23
  2 創世8:22、エレミヤ31:35、出エジプト21:13、申命19:5(*)(**)
     *出エジプト21:13と申命19:5を比較
     **改革派教会訳は、列王上22:28,34、イザヤ10:6,7を欠落している。

二 これは第一原因、すなわち、神の予知と聖定、第二原因の法則と人間の自由意志と機会というものとの関係を明確にする。永遠の制定を歴史の上で実現するための方法が、必然、自由、偶然の三様に異なるのは、第二原因の種類によるのである。祈りが聞かれるのは、この点から理解される。神の予知や予定がところによって変更されるのではなく、神の深い聖定のうちに確定しておられるみこころを祈りを通して、初めて実現してくださるのである。雀が落ちるのも、聖定に基づく摂理であり、罪人が回心(宗)するのも聖定に基づく摂理である。
カルヴァン主義は、最も徹底した有神論であると言われる。そのために摂理の教理を尊重する。しかし、すべては摂理だと言うことと、摂理によって生起する事物が一様の経過をたどるのではなく、ある時は必然的に、ある時は偶然的に、ある人はあたかも人間の自由意志のままに出来たかと思われるような、多様な様相をもって生じるということと少しも矛盾しない。

3 神は、通常の摂理においては、手段を用いられる(1)。けれどもご自身がよしとされる場合には、手段を用いないで(2)、それを越え(3)、またそれに反して(4)自由に行動される。

  1 行伝27:31,44、イザヤ55:10,11、ホセア2:21,22(23,24)
  2 ホセア1:7、マタイ4:4、ヨブ34:20
  3 ロマ4:19-21
  4 列王下6:6、ダニエル3:27

三 摂理には、第二原因を通してなされる場合とそうでない場合とがある。そして後者を奇跡と言う。神は常に超越者である。摂理という内在的行動についても、神が一切の法則や関係に対して自由であるということを、わたしたちは忘れてはならない。奇跡は一見ありえないこと、あってはならないことのように思われつつ、実は、最も神に相応しい事柄である。

4 神の全能の力、窮めがたい知恵、無限の善は、その摂理の中によく現われ、最初の堕落やその他すべてのみ使と人間たちの一切の罪にまでおよんでおり(1)、しかも単なる許容によるものではなくて(2)、多様な配剤において、神ご自身のきよい目的のための(3)、最も賢い力ある制限や(4)、その他の秩序づけと統治がそれに伴っている。しかもなおその場合の罪性はただ被造物からだけ出て、神から出るのではない。最もきよく正しくいます神は、罪の作者でも是認者でもないし、またありえない(5)。

  1 ロマ11:32-34、サムエル下24:1、歴代上21:1(*)、列王上22:22,23、
    歴代上10:4,13,14、サムエル下16:10、行伝2:23、行伝4:27-28
    *サムエル下24:1を歴代上21:1と比較
  2 行伝14:16
  3 創世50:20、イザヤ10:6,7,12
  4 詩76:11(10)、列王下19:28
  5 ヤコブ1:13,14,17、Ⅰヨハネ2:16、詩50:21

四 これは摂理と罪との関係についてで、摂理論の一番大きな問題である。カルヴァンは「キリスト教綱要」一巻の終わりでこの点を詳述している。罪だけは摂理外のことと考えてはならない。罪もまた摂理されたのである。単に許容として片づけてはならない。確かに罪の罪たる性質は神より出たことではないので、その限りでは許容という用語が使用されるのは止むをえないのであるが、罪によって生起した一切は、神の摂理によって生起したのである。
人間は罪を犯したけれども、何一つ人間だけの力や行為で、歴史を変化させたのではない。アウグスチヌスが罪が非存在と称したのも、こうした心からだと思われる。一切は神より出て神によって成り、神に帰すという大原則を人間の罪は決して破りえない。わたしたちは罪を作るということが何者かを存在させたり、変化させることではない。一切の物と行為と出来事とは依然として神の摂理によると告白しなければならない。
わたしたちの告白は、人間の理論的用語にあてはめにくい場合がある。それは矛盾と言う表現で片づけるとごく簡単であるが、神は統一と平和の神であるから、矛盾と言うものは人間の理解の不徹底、または表現の不十分さに他ならない。わたしたちは罪の摂理を、このような意味で許容的摂理と言う。単なる許容ではなく神の摂理であるが、一般的摂理と異なるのは、その道徳的責任が罪を犯した人間の側にある点である。

この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
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