2023年7月号
№193
号
通巻877号
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解説 ウエストミンスター信仰告白 (12)
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第六章 人間の堕落と罪、および罰について(1)
1 わたしたちの始祖は、サタンの悪巧みと誘惑にそそのかされ、禁断の木の実を食べて罪を犯した(1)。神は、彼らのこの罪を、ご自身の賢いきよい計画によって、ご自身の栄光に役立てる目的をもって、許容することをよしとされた(2)。
1 創世3:13、Ⅱコリント11:3
2 ロマ11:32
一 これは罪と聖定との関係を明らかにすることである。
1 人間の責任と悪魔の誘惑との関係
悪魔の存在や活動も、神の許容する限りにおいて悪魔自身の自由意志に基づく事柄であって、神が悪魔を創造したのではなく、悪魔が永遠より存在したのでもなく、天使のある者が自己の自由の悪用によって悪魔と化したのである。アダムたちはこの悪魔の活動によって、罪を犯す機会を与えられた。しかし誘惑は、必ずしも犯罪の父ではない。キリストは荒野での試みに負けはしなかった。誘惑すること自身は悪であるから、その責任を神は問うであろうけれども、それによってアダムたちの犯罪の責任が少しでも軽減されるものではない。
今日、児童教育に関して、教唆罪が重視され、児童本人の責任は軽くみられていて、むしろ児童は謝った教育の被害者であるかのように呼ばれているのは、はなはだしい誤りではないだろうか。
2 悪魔の誘惑とアダムたちの犯罪とは、ともに神の聖定との関係から考えると、三つの点を明確に知らなければならない。
① 神の聖定以外に何事も何人によっても発生しないこと。もし、そういう事件が起きるとすると、神の世界支配権が犯される。
② 聖定の目的は、すべて神の栄光のためであって、人の利益や神の恥のためになされたものではないこと。
③ 罪に関する聖定は、特に許容であって、強制または黙認ではない。行われてからの事後承認でもない。許容という用語は、一方では物理的には神の意志が原因でありつつ、他方倫理的には人の責任が問われることである。わたしたちがこの告白文を見て、悪魔を憎み、アダムに同情したり、神に同情するならば、それは、自己とアダムとを無関係であるとしているとともに、神の支配を客観的に眺めているという誤りに陥っているのである。
2 この罪によって、彼らは原義と神との交わりから堕落し(1)、こうして罪の中に死んだ者となり(2)、また霊魂と肉体のすべての機能と部分において全的に汚れたものとなった(3)。
1 創世3:6-8、伝道7:29、ロマ3:23
2 創世2:17、エペソ2:1
3 テトス1:15、創世6:5、エレミヤ17:9、ロマ3:10-18(*)
*ロマ3:10-19が正しい
二 これは罪の人間に及ぼした結果についての告白である。「堕落し、死んだ者となり、全的に汚れたもの」とは三つの結果である。「・・・ものとなった」と言うことは、神の律法との関係を基準にしてのことであるから、律法の下にありつつ神のかたちをもち、神との交わりにあづかっていた者が、今や神の怒りと律法の呪いの下に落ちたということである。
その当然の結果は死(霊的)である。あるいは死という状態の中へ落ち込んだとも言える。そして全機能が破損し、汚れたのである。破損がひどかったから死んだと言うよりも、死の状態に落ちたから汚れたのである。罪は人間に、神との関係と環境と内部構造(性質)との三つの面にその結果をもたらした。この三つは同時的に生起したことであるとともに、論理的には一は二の、二は三の原因というべきものである。
3 彼らは全人類の根源であるので、彼らから普通の出生によって生まれるすべての子孫に、この罪のとがが転嫁され(1)、また罪における同じ死と腐敗した性質とが伝えられた(2)。
1 創世1:27,28、創世2:16,17、使徒17:26、ロマ5:12-19(*)、
Ⅰコリント15:21,22,45,49(**)(***)
*ロマ5:12,15-19が正しい **Ⅰコリント15:21,22,49が正しい
***創世1:27,28と創世2:16,17と使徒17:26を、ロマ5:12,15-19および
Ⅰコリント15:21,22,49と比較
2 詩51:5(7)、創世5:3、ヨブ14:4、ヨブ15:14
三 ここはアダムたちとわたしたちとの関係についてである。前項の犯罪の結果である三つのものが、ここでは罪のとが、死、腐敗と言われている。原義と神との交わりは今や罪のとが(罪責)にとってかわったのである。すなわち、単に失ったと言うことではなく大いなる負債を負ったのである。そして罪責は転嫁という方式をもって、死と関係している。「罪責における死」とは悲惨であり、全性質の腐敗とは、原罪のことである。この二つは遺伝によってわたしたちに関係してくる。しかし、罪責は義認により、死は再生により、腐敗は聖化によって回復させられるのである。
4 わたしたちをすべての善に全くやる気をなくさせ、不能にし、逆らわせ(1)、またすべての悪に全く傾かせている(2)ところのこの根源的腐敗から、すべての現実の違反が生じる(3)。
1 ロマ5:6、ロマ8:7、ロマ7:18、コロサイ1:21
2 創世6:5、創世8:21、ロマ3:10-12
3 ヤコブ1:14,15、エペソ2:2,3、マタイ15:19
四 この項は、原罪と現行罪との関係についてのものである。三項でのように、罪責と死と腐敗とは同時的でありつつ、因果関係を持つものとして考えると、現行罪の生じる根元は、性質の腐敗であるとみなければならない。
同時に、その腐敗が聖化されるためには、さらに根元にさかのぼって、再生と義認がこれに先行しなければならない。ローマ・カトリック教会の注ぎの恩恵という教理は、現行罪と性質罪の関係のみを考えて、性質罪の根元を問わない誤りといえよう。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第六章 人間の堕落と罪、および罰について(1)
1 わたしたちの始祖は、サタンの悪巧みと誘惑にそそのかされ、禁断の木の実を食べて罪を犯した(1)。神は、彼らのこの罪を、ご自身の賢いきよい計画によって、ご自身の栄光に役立てる目的をもって、許容することをよしとされた(2)。
1 創世3:13、Ⅱコリント11:3
2 ロマ11:32
一 これは罪と聖定との関係を明らかにすることである。
1 人間の責任と悪魔の誘惑との関係
悪魔の存在や活動も、神の許容する限りにおいて悪魔自身の自由意志に基づく事柄であって、神が悪魔を創造したのではなく、悪魔が永遠より存在したのでもなく、天使のある者が自己の自由の悪用によって悪魔と化したのである。アダムたちはこの悪魔の活動によって、罪を犯す機会を与えられた。しかし誘惑は、必ずしも犯罪の父ではない。キリストは荒野での試みに負けはしなかった。誘惑すること自身は悪であるから、その責任を神は問うであろうけれども、それによってアダムたちの犯罪の責任が少しでも軽減されるものではない。
今日、児童教育に関して、教唆罪が重視され、児童本人の責任は軽くみられていて、むしろ児童は謝った教育の被害者であるかのように呼ばれているのは、はなはだしい誤りではないだろうか。
2 悪魔の誘惑とアダムたちの犯罪とは、ともに神の聖定との関係から考えると、三つの点を明確に知らなければならない。
① 神の聖定以外に何事も何人によっても発生しないこと。もし、そういう事件が起きるとすると、神の世界支配権が犯される。
② 聖定の目的は、すべて神の栄光のためであって、人の利益や神の恥のためになされたものではないこと。
③ 罪に関する聖定は、特に許容であって、強制または黙認ではない。行われてからの事後承認でもない。許容という用語は、一方では物理的には神の意志が原因でありつつ、他方倫理的には人の責任が問われることである。わたしたちがこの告白文を見て、悪魔を憎み、アダムに同情したり、神に同情するならば、それは、自己とアダムとを無関係であるとしているとともに、神の支配を客観的に眺めているという誤りに陥っているのである。
2 この罪によって、彼らは原義と神との交わりから堕落し(1)、こうして罪の中に死んだ者となり(2)、また霊魂と肉体のすべての機能と部分において全的に汚れたものとなった(3)。
1 創世3:6-8、伝道7:29、ロマ3:23
2 創世2:17、エペソ2:1
3 テトス1:15、創世6:5、エレミヤ17:9、ロマ3:10-18(*)
*ロマ3:10-19が正しい
二 これは罪の人間に及ぼした結果についての告白である。「堕落し、死んだ者となり、全的に汚れたもの」とは三つの結果である。「・・・ものとなった」と言うことは、神の律法との関係を基準にしてのことであるから、律法の下にありつつ神のかたちをもち、神との交わりにあづかっていた者が、今や神の怒りと律法の呪いの下に落ちたということである。
その当然の結果は死(霊的)である。あるいは死という状態の中へ落ち込んだとも言える。そして全機能が破損し、汚れたのである。破損がひどかったから死んだと言うよりも、死の状態に落ちたから汚れたのである。罪は人間に、神との関係と環境と内部構造(性質)との三つの面にその結果をもたらした。この三つは同時的に生起したことであるとともに、論理的には一は二の、二は三の原因というべきものである。
3 彼らは全人類の根源であるので、彼らから普通の出生によって生まれるすべての子孫に、この罪のとがが転嫁され(1)、また罪における同じ死と腐敗した性質とが伝えられた(2)。
1 創世1:27,28、創世2:16,17、使徒17:26、ロマ5:12-19(*)、
Ⅰコリント15:21,22,45,49(**)(***)
*ロマ5:12,15-19が正しい **Ⅰコリント15:21,22,49が正しい
***創世1:27,28と創世2:16,17と使徒17:26を、ロマ5:12,15-19および
Ⅰコリント15:21,22,49と比較
2 詩51:5(7)、創世5:3、ヨブ14:4、ヨブ15:14
三 ここはアダムたちとわたしたちとの関係についてである。前項の犯罪の結果である三つのものが、ここでは罪のとが、死、腐敗と言われている。原義と神との交わりは今や罪のとが(罪責)にとってかわったのである。すなわち、単に失ったと言うことではなく大いなる負債を負ったのである。そして罪責は転嫁という方式をもって、死と関係している。「罪責における死」とは悲惨であり、全性質の腐敗とは、原罪のことである。この二つは遺伝によってわたしたちに関係してくる。しかし、罪責は義認により、死は再生により、腐敗は聖化によって回復させられるのである。
4 わたしたちをすべての善に全くやる気をなくさせ、不能にし、逆らわせ(1)、またすべての悪に全く傾かせている(2)ところのこの根源的腐敗から、すべての現実の違反が生じる(3)。
1 ロマ5:6、ロマ8:7、ロマ7:18、コロサイ1:21
2 創世6:5、創世8:21、ロマ3:10-12
3 ヤコブ1:14,15、エペソ2:2,3、マタイ15:19
四 この項は、原罪と現行罪との関係についてのものである。三項でのように、罪責と死と腐敗とは同時的でありつつ、因果関係を持つものとして考えると、現行罪の生じる根元は、性質の腐敗であるとみなければならない。
同時に、その腐敗が聖化されるためには、さらに根元にさかのぼって、再生と義認がこれに先行しなければならない。ローマ・カトリック教会の注ぎの恩恵という教理は、現行罪と性質罪の関係のみを考えて、性質罪の根元を問わない誤りといえよう。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円