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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

恐れてはならない、わたしはあなたがたと共にいる。

驚いてはならない、わたしはあなたがたの神である。

わたしはあなたがたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

=イザヤ41:10=

 このみ言葉で、世界の多くの人がどれだけ勇気と力と希望を見出したことでしょう。何時の時代も不安と希望を奪う出来事で生きる希望を見出せず、勇気と言う大切なものを見失ってきたことでしょう。そんなに深刻に考えるのは止めて、今日を一日、思いのままに過ごす方法を考えようではありませんか、と言う声が聞こえてきます(箴言の中の言葉)。

 

 その誘いは魅惑的です。しかし、日々の在り方が頼りなく感じ、不安と恐れ、自分自身のこれからに失望してしまった時、魅惑の声や言葉は強力です。しかし、私たちに必要なことは、難しい言葉ではなく、病める者に手を添えるような優しい愛の手と心ではないでしょうか。   

 

 私たちにとって神の存在が遥かに遠く、理解しがたいお方と考えているなら、それは違います。「今月のことば」が、私たちの身近にあるとするなら、何と幸いなことでしょう。私たちが、主イエス・キリストを知るために、その歩みを「聖書」と言う全人類の宝の書物を開いて読み、何かを感じては如何でしょうか。この「つのぶえジャーナル」の「主の祈り」のコーナーに掲載されている「主の祈り」をご自分の大切な事柄・指針としてお考えになっては如何でしょうか。

 

 神様はその弱く、生きる光を求めている人の姿をご覧になり、それは、今で言う「自己責任」として突き放すお方ではありません。その声に耳を傾け、その嘆きの言葉をお聞きくださるお方であることが「今月のことば」は示しているのです。

 

 「恐れるな」といういう言葉は、聖書の中に365回もあると言われています。もしそうなら、一日一回とするなら神様は私たちに365日、絶え間なくお声をかけておられることになります。即ち、神様を求める者に、毎日、慰めや希望や明日への道をお示し下さっているということです。その招きを信じ、生きようではありませんか。その救いの道を、先に信じるようにされている私たちキリスト者は、それを、今、伝えなければならないのです。「今月のことば」は、私たちへの言葉であると同時に、まがい物宗教に惑わされたり、この世的な喜びを求めておられる人々に、心を低くして伝えなければならないのではないでしょうか。

 

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  「小閑記」

あなたの神、主が賜わる地で、もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。

          =申命記15:7=

このみ言葉は、キリスト教社会福祉事業やその仕事を志す人の原点を示すみ言葉の一つと言われています。

世の中には働かないので貧しい者が沢山いるのは事実です。人は言います。そのような人々の中には、貧困と怠惰の中にいることを生甲斐とし誇りとさえ思っている人たちだという声です。貧しい今の社会だからこそ、社会は責任を担い、富める者は支えることは義務だと言います。また、多くの人は「働こうともしない者は、食べることもしてはならない。怠ける者を助けることは、怠惰を認めることである」と主張する人もおります。

 

しかし、現実に貧しい人々の中の多くは、一生懸命に働いても、労してもそれに見合う賃金が得られない方は全世界には沢山おられます。もしそのような人に向かって、心と手を閉じているなら、私たちは重い神の裁きの下にあることを、このみ言葉は示しています。

 

この世界に貧しい人が今に生きていることを神様はご存知です。それは放置ではありません。ある目的があってのことです。神様は格差や差別を認めているのか、と言われる方がおられますが、そうではありません。富める者と貧しい者とは共におることを黙認しているのでもありません。すべては、神が造られたのです。

 

「貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ。その施しに主が償われる」ということを知ることは、とても大切なことではないでしょうか。この言葉を信じましょう。  

そうすれば私たちは貧しい者を助けることによって、ますます主に対して貸すことになるのです。それこそ信じ難いことではないでしょうか。

神様は私たちに、大切なことをお教え下さいました。日々、私たちの心の中に謙遜な憐みの心を、恵みに恵みを加えてくださる主に貸しを作るとするなら、感謝して、私たちは隣人に仕えることを喜びとする者へと育み成長させて下さっていることを確信し感謝しましょう。

 

 キリスト教福祉の本の中に、このような言葉のあったことを思い出しました。また、「つのぶえジャーナル」のカテゴリーで「キリスト教=社会福祉のあゆみ」を検索し、ご笑読ください。

  主をほめよ、主は汝の子の手のわざを栄えしめ、汝を守りたもう。

   主の恵みと憐みとは日ごとに伴う。

  思え、全能の主、その愛をもて、汝を助けたまわば、

   何をかなさざらん。

 


世田谷通信(228

猫草

  晴れの日はもちろん、雨でも風でもほぼ毎日、電動自転車に乗っている。大雪や路面が凍っているときぐらいは控えるけれど、歩くより膝に負担もかからず、買い物荷物が増えても前後のカゴでたくさん運べる。国分寺崖線の坂道も上手にルートをとればよい。良く知っている道をゆっくり移動する。駐輪場の場所や空き具合もわかっているので停める苦労も少ない。駅前で婦人警官の方々が自転車の人にティッシュとチラシを配っていた。「自転車による事故が増えています、どうぞ安全運転で」と私も声をかけられた。言われずともサドルは一番低くて、スピードは出ない。ジョギングしている人ぐらいかなと思う。何よりすぐに止まれて、安定していることが優先。電動自転車は車体が重い上に、前後に荷物も載っているので、もし転倒したら大変なのだ。今転んだら間違いなく捻挫、いや骨折する自信がある。

免許は更新していても、もう30年ほど車は運転していない、何度か「ペーパードライバー講習」に行こうかなと思っては、必ず交通事故の夢で飛び起きて「やっぱりやめよう」と思う。たぶん自分のコントロールを超えた速度が怖いのだ。バスや電車は大丈夫なので、自分を信用していないとも言える。

 私ののろのろ自転車と比べると同じ乗り物と思えないほどに速いのがロードバイク。世田谷通りの長い下り坂を車ぐらいのスピードで疾走していく。赤信号の交差点で止まるときにも足先がペダルに固定されているので、少しタイヤを斜めにして体幹で立っている。タイヤはびっくりするほど細くてフレームも軽そう。乗っている人もレーシングスーツを着て空気抵抗を減らし、軽量化の工夫に満ちている。インターハイなどの自転車競技結果を見ると3kmのコースで優勝タイムは約3分となっている。1km1分、時速60㎞、ええ、ちょっと速すぎませんかそれは。一口にロードバイクと言っても平地が得意なスピードタイプや坂道、登りが得意な人など、役割分担があるらしい。斜度30度以上を激坂と言うそうだが、そんなところもスイスイ登っていく。降りて押してもキツいのに。一体どうなっているんだか。

 私の自転車は荷物運搬、ロードバイクはより遠く早く行くため、同じ交通法規で括ってあるのが不思議なほど差がある。自転車競技の部活かサークルか、数人でぴったり一列に並んで駆け抜けていく後ろ姿をみると、自分の力であんなに速く走れたらさぞ気持ちがいいだろうな、あのペースで何キロ走るのだろう、と思ってしまう。いや絶対真似しないけれど。どうぞ安全に・・。

 

<いきいき里山・山里ものがたり>

先日、もう20年近くなるでしょうか、大学院の有志が近況報告・同窓会を企画してくれて、新幹線で東京まで行ってきました。先輩、後輩合わせて27名が参加していました。お腹の出た人、頭の薄くなった人たちです。それぞれ、第一線で活躍されている人や学生時代の夢の実現を追い求めておられていて頼もしく、誇らしげでした。それぞれが卒業後の報告を兼ねた自己紹介でしたが、苦労はあっても今があることをお話しされ、エネルギーを貰いました。

私の番になり、院を卒業と同時に、父の建築設計事務所で働いてきましたが、卒業祝いにと2年間の留学を許してくれて、学生時代からお世話になっていたフィンランドのルーテル教会の宣教師を頼りにフィンランドの大学で聴講生として在籍しながら北欧の信者さん宅でホームステイーとして受け入れてもらい、家事を手伝いながら学生時代から興味を持っていた好きな木造建築の教会巡りをしていました。驚いたことに北欧の皆さんは本当に音楽好きで、家では幼い子供たち一人ひとりが自分の楽器を持ち、ホームコンサートをされたり、音楽仲間の家族と演奏会をすることでした。そのような日々の中で、主人と出会い、結婚しました。主人も建築家志望で意気投合、私の故郷に来てくれまして今も一緒にそれぞれの仕事をしています。特に、日本の木造建築に興味を持ち、今は、放置された建物の再生活用を仕事の傍ら考えていて、安く手にいれて、手を加え、それを北欧の友人が日本旅行の宿泊の場に無料で提供して、もう10年以上になります。

また、地域の方々には、ミニコンサートや朗読の会、ママさんコーラスの練習会場や発表の場に活用していただいております。教会の行事や地域の教会員の集まり会にも利用していただいております。

「世田谷通信の猫草さん」の活動も何時も素晴らしいと思いながら読ませていただいております。同じ世代かな???なんて思っています。

そのようなことを、お話ししたら、相変わらずの乙女さん?だねと言われて、内心にやにやしていました。  大分県 TTさん

長いお便りでしたが、このような形で、了解を得て紹介させていただきました。(編集子)


「美しい朝に」

⁂  お元気ですか? こちらは、少し暑さでばてています。血糖値を下げるのに「運動」をと思いますが、あまりに暑くて・・・それどころではありません。それに、コロナもありますし・・・。最近は、朝早く(・・・4時ごろ)冷凍庫の氷を溶かし、植木に水をあげ、打ち水をします。その続きで「散歩」に出かけます。夕方出かける時もあります。写真をお送りしますね。

⁂  本当に暑いですね。今日は、鉢植えの根元に「氷」を置きました。南向きなので・・・。孫も含め、娘家族は「コロナ」に感染しています。娘は85日が誕生日でしたが、コロナの誕生日でした。81日に、お婿さんがうちに来たので・・・。

私は難病で予防注射もしていないので、感染していないか心配です。家で様子を見ています。

⁂  朝の来ない夜はないー!

               

=沙耶香のつぶやき=

   お母さんの畑にはヒマワリが2本、トウモロコシが6本、ピーマンが10本くらいあり、ピーマンは美味しく食べています。プランターの朝顔が軒下まで伸びて、花の数が毎日8~10個は咲いてくれるので、お母さんは張り切って水やりを楽しみにしています。  

   毎日の暑さに外に出る気分にはなれず、今は英会話の勉強?をしています。それは、先日お母さんと買い物に行ったとき、外国人(アメリカ)の人に道を尋ねられ、何とか説明はできましたが、帰り際に、アリガトウゴザイマス!と言われ、嬉しくなり、まだ始めたばかりですけど・・・。   

 

       ********

  母はこの「美しい朝に」を毎月楽しみに読んでいます。60歳になってから苦しい長い間の体験した闘病生活があるので、お気持ちよくわかるのよね・・・と言っています。沙耶香さんのことは、貧しい東濃の農家に育ち、両親の苦労を知っていたので、集団就職で名古屋に来て働きながら何とか夜間高校に通うことができたことで、沙耶香さんが、勉強したいという気持ちが分かるようで、無理しないで、先ずは健康になることよね、と言いながら祈りの時に忘れないようにと書き留めてある「美しい朝に」の名前があるのです。教会に行って初めて讃美歌を歌い、外国の歴史を知ることができたのよね、ともいっています。・・・。 

  

*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子


 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (198)

7月28日

 毎月、「つのぶえジャーナル」のお届けが当たり前ではないことに心より感謝しています。教会の方々との交わりとは趣の違うコラムも主人と声を出して読みあっています。昨夜は「今月のことば」でした。私がゆっくり読むのを主人が聞いていて、その後感想を述べてくれました。難しいところをわかりやすく解き明かしてくれてあるので、私のように素人でも理解できるので喜んでおりました。

その後、聖書の出エジプト記を今度は主人が私に読み聞かせてくれました。十戒を石板に刻んでいく場面です。若い頃見た映画でもあの場面と海が二つに割れる場面がとても印象的でした。そんなことを思い出させてくれる出エジプト記です。

伊賀街道青嶺に向かひ伸びてをり。

元気なる辻井伸行や梅雨晴れ間。

九十九折多羅尾へ出れば閑古鳥。

沖縄の膿を素足で歩きける。

四隅を風の通れば梅雨明くる。  馬場路哉

息子が沖縄の大学にいたころその海の色に魅せられて何度も砂浜を歩いて散策したと教えくれました。でも湿度が高くて夏はとても過ごしにくかったと言っています。そんなときには海へ入って泳いだり、もぐったりして気持ちを晴らそうとしたそうです。

7月30日

この暑さに耐えられたなら、何とか、今年の暑さも乗り切ることができるのではないでしょうか。庭の朝顔たちは朝の5時ごろからほんの一時間余り頑張って咲いていますが、7時を過ぎるとその暑さで萎れてしまいます。あまりにも短い花の命ですね。

昨夜もジャーナルを読ませていただき、二人とも励まされて感謝して休むことができました。使徒パウロのような生涯、教えられました。主人の俳句が出来ました。

家前に完璧な虹仰ぎける。

先輩と海阪望む夏の旅。

しもつけの細やかさこそ神慮なれ。

起臥の時一声聞きぬホトトギス。

アジサイや鄙に朝日の差し染むる。  馬場路哉

ありきたりの俳句しか出てこないと嘆いていますが、よろしくお願いします。

馬場暁美

上野緑ケ丘教会会員


眸(ひとみ)

  もう何十年も見慣れた玄関の入り口には沢山の鉢植えと背丈の伸びた木がありますので、毎朝たっぷりと水やりをしてきましたが、最近、それが苦になり始めました。すぐ疲れが出てきて、今までできていたことが嫌になり始めたのです。また健康のためにと散歩を続けてきましたが、いろいろ理由を付けて休む言い訳の知恵が出てきました。家の中の掃除も今までなら週に三度はしていたのに気力が出ません。これも取りやめ。立ったり座ったりがどこかがうまくかみ合わないのか変な音とともに痛みが走ります。机の下に物が落ちたのを拾うのも一苦労です。難儀な状態になってきました。できることだけをしていこうと考えています。無理はしないようにして何とかこの夏を乗り切りたいと祈っています。67歳なのに、あああ~。先が思いやられます。 千葉県 HHさん

  施設の玄関には、今年も短冊が飾られていました。職員の方々が利用者さんの願いが書かれていて、家族に会いたい、旅行や買い物がしたい、ご近所のお友だちのことが知りたい、好きなお酒が飲みたい、というのもありました。通所の私たちとは交流はありませんが、こうした一枚の小さな短冊から、お気持ちを知る機会ができてうれしいです。長崎 BAさん

  信州も朝晩は涼しくなりました。早目の冬の支度を主人は始めています。長年、煮炊きや暖房は裏の山の倒木を運び、切り出して、軒下や納屋に入れて乾燥させます。健康のためになると言ってなたを振るっています。最近、「何とか映え」とか言って若い人や外国人の少人数のグループが、道祖神探しの人を見かけます。道路が整備、拡張され、ガードレールが出来て、私たち地元にいる者も忘れていました。そんな信濃にも秋風と共に薄の中にいる道祖神も寒さを迎えるのももうすぐです(そうでした、道祖神の多くは二人一組が多いので寒さをしのいでいるのかな)。 長野県 T・0さん

  新型コロナワクチン4回目のお知らせが届き、早速、何時もお世話になっている病院に予約してきました。毎日、ニュースで感染者の急増に何とも言えない恐ろしさを感じます。「ジャーナル友さん」ばかりでなく、ご家族、医療に関わる方々のご健康をお祈りいたします。朝晩の風はだいぶ涼しくなりました。 石川県 TTさん

  「つのぶえジャーナル」8月号が届きました。ありがとうございます。連日の蒸し暑さは身体にこたえますね。 またコロナ感染者の急増や、旧統一教会のことなどで心の落ち着かない日々が続いていますが、日々、み言葉を学ぶことで新たな気づきを与えられています。 奈良県 SKさん

  今年の夏は近くの公園の木々から聞こえるセミの声が、鳴き声ではなく、暑さのためでしょうか泣き声、悲鳴のような感じがして、自然界も変だ!変だ!異常ですよ!異常ですよ!に感じてしまうは私だけでしょうか。    「ジャーナル友の皆さん」のことを思いながら過ごしています。 東京都 TNさん

  毎日の生活が神様に守られておりますことを実感する日々です。また、隣りの町におられる教会の役員さんのご厚意で、私たち高齢者たちをご自分の車で4回目のワクチン予防の接種会場まで送迎をして下さり、8名全員受けることができました。ありがたいことです。  山口県 BAさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 


十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

 

=御国=

第二の祈り③・神の支配に服する

       マタイ13:18~23

  

 神の支配である神の国は、主イエスが誕生され、公生涯をなさったことで、画期的な新しい姿を現しました。それまでの旧約時代は預言者、祭司、王という人々を通して、神はその御心と御力とを現してこられましたが、御子によるその支配の豊かさは格段の違いとなりました。とりわけ、その十字架の死と復活によって、主の愛は人々の心を開き、大きな支配をもたらすことになりました。それが終末の完成に向かって、さらに拡大されていくことが確実であることは、この「種蒔きの譬え」の通りです。

 主はこのように蒔かれた種には4種類の可能性があることをお語りになりました。その中の一つだけが順調に成長しています。このことは、妨害する悪魔の働きが強く、決して侮ることができないということです。現実もそのように見えます。私たちは、日本という異教の土壌に生きていて悪魔の働きを肌で感じています。信じることに妨害を受け、信じてから成長することにも妨げがあります。

 しかし、30年余りの牧師の経験から、少し分かって来たことは、プロテスタントの宣教が始まって150年になろうとしている時、私たちキリスト者の成長の難しさを少しでも取り除かないと、人々が信仰に入るのは妨げられるということです。

 言い換えると、私たち自身が聖書の教会に成長すること、具体的には私たちが、教会でも、家庭でも、地域でも、親戚にも、職場でも信仰的に羨ましがられるようになって初めて、良い環境が与えられることになります。そのために、改革派教会が目指している教会は確かに聖書の教会ですが、良い伝統がまだまだ受肉していないのが現実です。 

 

 この譬えから教えられるように、先ず、主がこのように実を結ばせてくださることを約束していてくださることを知って、励まされます。

 そうして、主が言われたように、現実に、悪魔のために、私たちが実を結ぶのを妨げられている自分自身に気付き、先ずそのことを認める必要があります。認めるからこそ、「御国を来たらせたまえ」と祈らなければならないのです。

 神の国が自分を支配してくださるように、自分が真実にその支配に従うようにさせてくださいと祈ります。私たちは傍観者ではありません。み言葉を聞こうとしない思い上がりで、この世の力に負けており、さまざまな誘惑に負けていては、御国は来ません。誘惑に対して闘うことができるよう、できれば、「勝たせてください」というのが、このように「御国を」求め、「御国に服すること」を求める祈りです。

 それは私たちが、その祈り求める神の支配に服したいという願いが真実になることを願う祈りです。この譬えを聞いて悟る人は「ある者は百倍、ある者の六十倍、ある者は三十倍の実を結ぶのである」と、主御自身から保証されているので、失望しないで、「御国を来たらせたまえ」と祈ります。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

21 マカルピン二世の来日・・3・・

 マカルピン氏が着任して数日後の9月21日「室戸台風」のため関西地方を中心に死者2500人を出すという事態が生じた。キリスト教界は、「マルクス主義とキリスト教」の論争が盛んになり、「弁証法神学」によるバルト神学の流行が教会を圧倒した。

天皇神格化の国体明微運動と共に、キリスト教の宣教師の行動にも政府官憲の監視が強化され、特にアメリカ、英国の宣教師の行動にはスパイの嫌疑をもって終始する偏見が、その伝道に大きな障害となって来た。このように、若いJA・マカルピン夫妻にとって、その前途は決して安易な宣教の道ではなかったのである。

当時、愛岐地区のミッション所属伝道所の統計(1934年(昭和9)末現在)を見ると

岐阜県

伝道所 会員数 現住陪餐 朝礼拝 夕礼拝 祈祷会 受洗者 主任者

加納   44     16    15   12   10    1   伊達量平

関     43     18    6    7    6     0   雨宮正士

多治見  23     18    8    9    5     0   マキルエン

大井   83      60   19   26   15    3   伊藤庄太郎

大田   12      5     7   ―    8     2   雨宮正士

 

 愛知県

蒲郡   16      8     3    2    ―    0   モーア

東山   23     16    16   ―    8     9   スマイス

刈谷   50     16    15    16  16    4   前川敬雄

名古西  48     21    14    9   7     2   中村則秋

津島   18      8    10    10   8     2 幅銀右衛門

さらに岐阜県における宣教師の活動を困難にした問題は、美濃ミッション問題である。

1933年(昭和8)6月、米国宣教師ワイドナー女史の創設した大垣市の美濃ミッション問題の信徒の家庭の樋口繁美、潔美という小学生が、伊勢神宮の参拝を偶像礼拝として拒否した問題から時節柄キリスト教は非国民であるとして、一般および官憲の反感を招いたことであった。

それは信仰上、当然のことながら、当時警察当局がそれを天皇・皇室に対する不敬問題として取り上げ、弾圧した。信仰の道理を認めないほど、わが国はファシズムによる軍国化と国家主義体制へと狂奔していた。キリスト教は危険思想であって共産主義者と同様、国賊であるという見解であった。一歩家を出れば特高刑事の尾行が後を追うという時代である。日本の暗黒時代に宣教師としての活動がどんなに至難であったかは、当時の宣教師と共同して伝道した筆者も経験したところである。

写真は1935年、JA・マカピン宣教師按手及び日本伝道出張当時の父子。


「いのり」

団塊の世代と言われ、バブルの狂乱とその後の混乱を経験した歩みでしたが、定年という区切りで、自分を振り返っています。今まで歩んできた夫婦や家族の生活、教会・信仰生活を省みている昨今です。心の断捨離とでも言いましょうか、記憶にある一つ一つを子供たちの成長記録のアルバムを開いて、神様のお守りがその時々に如何に豊かに与えられていたかを知らされます。生死をさまよった子供も今は母になりました。希望の大学に進めなかった長男も、今は中学校の副校長です。入退院を繰り返した私たち夫婦。その歩みは、神様からのお恵み以外に理由はありません。感謝以外に言葉はありません。

こうして、今、このように素直に言葉に出来ることは、この「いのり」に接して感じさせられたからだと思います。・・・・。 京都府 TTさん

*****************

  私たちを救うために

 みもとを離れてさまよう 私たちを救うために

 御子イエスを遣わされた 父なる御神の深き愛よ

 

 御恵みを無駄使いする 私たちを救うために

 その命さえ捨てられた 御子なる神の深き愛よ

 

 御旨を知らないで悩む 私たちを救うために

 救いの道を示された  御霊なる神の深き愛よ

 

  日本の心

 すべての国の主なる御神よ

  ほかの国にはない

   美しい自然を愛し

    生ける日本の心を

     深く深く理解させて

      恵みの御言葉を語らせたまえ

 すべての国の主なる御神よ

  ほかの国にはない

   美しい自然を愛し

     生ける日本の文化を

     深く深く理解させて

      救いの御言葉を語らせたまえ

 すべての国の主なる御神よ

  ほかの国にはない

   美しい自然を愛し

     生ける日本の言葉を使い

     深く深く理解させて

      命の御言葉を語らせたまえ

=水野源三著第四詩集より=


聖霊とその働き

           エドウィン・H・パーマー著      

鈴木英昭訳

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 はじめに

 クリスチャンにとって、聖霊という主題以上に重要なものはほとんど無い、と言ってもよいであろう。クリスチャンの霊的生活が始められ、そして継続されていくという、この両面とも、神の永遠の御霊の働きかけがなければあり得ないからである。聖霊と私たちの霊的生活との関係は、創造主とこの世界との関係にも比べることができる。

 創造主である神がおられなければ、この世界は決して誕生することはなかった。また神の継続的な保持の働きがなければ、クリスチャンとして新しく生まれることはなかったであろうし、御霊の絶えざるきよめる力の影響を受けることがなければ、クリスチャンの霊的生活はもとの霊的死の状態に逆戻りすることになるであろう。それだけではない。本書の目次を一瞥すれば分かるように、聖霊は、再生や聖化以外にも、信仰生活の多くの重要な面で、欠かすことのできないお方である。

 しかし、教会の歴史を見るとき、聖霊に関する教理はしばしば軽視されてきた。例えば、キリストの神性、三位一体、恵み、贖い、そして礼典といったような主題については、長期にわたって   論争がなされた。しかし、聖霊についてなされた論争は、それに比べてはるかに少ないのである。組織神学者たちは、御霊についての教理を三位一体の一部で扱い、個人の霊的との生活との関連でごく短く取り上げているが、それ以外の面では無視してしまうことがよくある。キリストへの関心は聖霊への関心より高い。クリスマスへの関心はペンテコステへのそれよりも高い。使徒信条ではキリストに関する項目が6つあるのに聖霊については一項目である。この事実は教会の関心の度合いをよく物語っている。聖霊のことを「知られざる神」と呼んだ人がいるくらいである。

聖書研究を大いに促進させたのは、宗教改革時の教会である。ローマ・カトリック教会の教えに反対して、宗教改革者たちは、聖書の正しい解釈に必要なのは教会ではなく、人間の心を照らす聖霊であることを強調した。また、ミサにおいてキリストの犠牲を人に適用するのは、聖職者でなければならないとするローマ教会の教えに対して、ルターとカルヴァンは、キリストの犠牲を私たちの生活に適用するのに、聖霊の働きの必要なことを主張した。しかし、聖霊の教理を強調することが特に必要になったのは、主権的恵みという聖書の教理が、カルヴァンによって再発見されたからである。というのは、カルヴァンは、人間の全的堕落と無条件的選びを強調したからである。つまり、神がその選びを主権的に実行なさるなら、選民の生活のうちに聖霊が力強く働かなければならないということになるからである。

聖霊研究では、これまで最も徹底してなされたものが二つある。その一つはイングランドの神学者ジョン・オーエンが17世紀に書いたものと、もう一つは19世紀のオランダの政治家であり神学者であるアブラハム・カイパーによるものである。この両者とも改革派の遺産を受け継いでいる。しかし、これらが共に分量が多く、非常に詳しく書かれた書物であるため、時間をかけてそれらを読む人はきわめて少ない。

近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかし、その学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。これに加えて、なかには聖霊の聖書的教理から逸脱するものも現れてきている。

したがって、この主題の重要なこと、それにもかかわらず比較的軽視されていること、学びがあまり歓迎されていないこと、クリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から、本書は書かれている。

                  エドウィン・H・パーマー


   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』   

   今夜から大雨になるとか。とても蒸し暑い今です。毎日の家事をこなすのが精一杯になってきました。立ったり座ったりがスムーズにいきません。何だかギコギコとどこかで骨と骨がけんかしているようです。散歩には気持ちだけはあるのですが、今日もお休みしてしまいました。家族には言えないので、愚痴メールをさせてもらいました。礼拝も休みがちです。  愛媛県 KKさん      

   東北の各地は「お祭り」がコロナ禍を追い払うかのように盛大に行われ、県外の車のナンバーが多くなりました。里帰りで若い方や娘さんばかりでなく、お年寄りの方も浴衣姿が目につきます。踊りの輪も大きくなりました。見る側から踊りの輪に参加する人が多くなり、収穫の秋を迎える東北の町々や村むらの様子が変わりつつあります。でも、浮かれてばかりではおれません。最近、プロパンガスの代金も光熱費も値上がりのようですからその対策に、町では煮炊き用に使える中古のプレハブ小屋の販売が好調とか。幼い頃、庭の軒下にはどこにでもあったお風呂や煮炊きや燃料用の薪も、今はあちらこちらからチェンソーの音が聞こえてきました。これで山にも人の手が少しでも入るなら、長い目で見ると良いことでよね。また工事をしてくれる工事屋さんは忙しいと言っておられましたが、若い職人さんは、経験が少ないので人手不足だそうです。今までは見かけなかった電化製品のコーナーの横には煮炊き用の土鍋などのコーナーが大手のスーパーにありました。倹約、節約志向に移りつつあるのでしょうか。  秋田県 MHさん

   職場にコロナの感染者が出て、家での仕事になり時間が出来たのと気分転換で・・・と言って、息子が横浜から車で夕方来ましたので驚きました。一晩泊まって帰りました。主人とのんびりビールを飲んでいましたら、秋の虫の啼き声が聞こえ、ああコオロギだ!聞いたのは高校時代かなあ、と言ってほっとしていました。空調の利いた事務所や家の中の生活を16年、秋の虫の声などとは無関係な生活だったのだろうと想像しながら、家族の健康を祈りながら家族のためにトウモロコシを手土産に送り返してやりました。ふと「虫の声」を思い出し、歌っていました。  静岡県 HTさん

     

童謡 虫の声

     あれまつむしが ないている

     チンチロチンチロ チンチロリン 

     あれすずむしが なきだした

     リンリンリンリン リンリン

     あきのよながを なきとおす

     ああおもしろい 虫の声  

   

     キリキリキリキリ こおろぎが

     ガチャガチャガチャガチャ くつわむし

     あとからうまおい おいついて

     チョンチョンチョンチョン スイッチョン

     ああおもしろい 虫の声  

 (編集子挿入)  

   

       ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

  遠くから夏祭りの太鼓の音が聞こえてきました。親子で出かける機会の少ない人々には思い出になるでしょう。小さい集落ですが、定期的に2か月に一度の健康検診に診療所へ行ってきました。みなさん私よりはお年寄りなのに、小綺麗にオシャレしてのお出かけにふさわしいスタイルでした。何時もそうなのですが、男性の方は黙って待合室でテレビを見ておられるのですが。女性たちはスタンスをとるように言われていても難聴の方が多く耳と耳をくっつけるほどに近づいて大きな声でおしゃべりです。私は少し離れたところで持って行った本を読んでいましたが、いつの間にかそのおしゃべりの輪の中に入っていました。家の中ばかりの日々ですから、皆さんとの会話がとても新鮮な感じがしました。帰りは大雨が降ってきて、お友だちの車に乗せていただいて、降りてから家にたどり着くまでの数分間でも体中ずぶぬれになりました。

  ニュースでコロナの家庭内感染とか、家族感染を見ていましたが、妹の小学生二人が学校で感染し陽性で家で様子を見ることになりましたが、二人の世話は余りの大変さで、上のおねえちゃんを私の家で様子を見ることにしました。私にも子供がいますが、そんなことは言っておれません。食事は部屋の前に、着替えも部屋の前に、お風呂などなども・・・、寂しい思いをさせてしまいましたが、今は良くなり元気ですが、一時は本当に心配しました。市内に内科医の友だちがいましたので、心強く思いました。今、このようにメールしていますが、本当に不安な日々でした。

  今年は6月下旬から猛暑が始まり、一度気温が下がりましたが、最近もまた暑さが始まりましたね。職場の友人から旧統一教会について聞かれることが多くなったような感じがします。テレビでもよく放映されてるみたいですね。ノンクリスチャンの人からは正統なキリスト教と混同されて誤解されることが多いので、自分の言動には注意しています。

私も学生のころサークル活動とかなどとか、統一教会に勧誘されたり、数年前もターミナル駅で統一教会ではない名前を変えた団体の人から勧誘を受けてました。キリスト教じゃなかったら被害にあっていたかもしれないと思いました。話した人は、とても優しい人だったので、交流を求めて入会する人も多いそうです。最近まで、統一教会のことは考えてなかったので、今回の一件でまた関心が高まりました。

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子

     


    『ありがとうございます』

今月も「つのぶえジャーナル」をお届けできますことを、神様に感謝しております。また、励ましの言葉を添えた寄付金や献金も与えられました。皆様のお祈りに支えられてできている小さな伝道活動です。最近増えだしたお手紙やメールのお返事も少し遅れがちになってしまうので、お詫びの言葉から始まります。このコロナの第7波の感染が一日も早く、「減少傾向」という言葉に代わることを願うばかりです。

8月になり、また病気と言いますか癖・趣味の水栽培?と命名して、広めの机の小型のパソコン2台と家庭用印刷機の横に、透明のお茶の入っていた容器や総菜を入れた容器に(葉や根の成長を楽しむため)、ジャガイモ1個(これは数日で失敗)、7センチくらいの長さで輪切りにした小型のさつま芋3個(今は新芽に成長して葉になる茎がそれぞれ10個ほど出てきました)。9月の中頃には沢山の葉になるでしょう。玉ねぎ1個(細いか細い糸のような根が数本)、細ネギ数本も元気です。(一昨年はアボガド3個を試み2個から小枝が出てきました)。仕事場にはドクダミが数本、細身のネギのあの独特の香りが、蚊取線香派の仕事場に得体の知れない微香?になって漂っています。両手に杖の私ですが2リットル入りのお茶のボトルに水を入れて、買い物でスーパーで貰ったビーニール袋にぶら下げてふらつきながら3日に一度、水替えをしています。これが私に出来る貴重な筋肉労働です。

 2022年7月16日から2022年8月15日までにお送りくださいました方々です。     

須川直子様 奥村めぐみ様 田畑伊久美様 島田祥子様 宮川真澄様 久保田道子様 加納さおり様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名2名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

「つのぶえジャーナル」の文書伝道事業は、キリスト教の名の下に行う霊感商法など旧統一教会・歴史的キリスト教の聖書を軽視するエホバの証人などの団体とは、一切関係はありません。どうぞ一人で抱え囲まずに公的機関か伝統的キリスト教会か、「つのぶえジャーナル」宛にご相談ください。

 

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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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