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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

 

 聖徒のうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べつたえるためである。

        =エペソ3:8=

 神の国における私たちの仕事が、重苦しい義務となった時は、何かが間違っているのです。神の国で、私たちが生活の資を作るため、あるいは名誉や権力を得るために働くとすれば、事は一層悪くなります。

 

パウロが当時、あるキリスト者たちに対して、「彼らはすべて自分の欲を求める」という悲しむべき事実を非難したことは、今日でも何と多くの人に当てはまることでしょう。私たちの生涯の仕事が審判の火を通る時、私たちが純粋な物であると信じていたものの多くは、藁のように燃えることもありうると言うことです。

 

 しかし、この冒頭の「聖徒のうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べつたえるためである。」と言う聖書のみ言葉は、何と心に突き刺さり、印象に残るでしょうか。

 宗教が平和と安寧を乱し、家庭や家族を泥沼に引き込んでしまった出来事を、ニュースは伝えています。健全な宗教、信仰でないことをまた警鐘として示されました。苦しみや悩みの解決を金銭で手にすることができるかの様な誘いは、イエス様も悪魔の誘いで経験され、み言葉に立つことをお教えになりました。

 

 自分について最も小さい者というこの人は、神が今まで得られたこともない最も偉大で、最も立派な働き手でありました。パウロは、神様から賜わった任務を果たしさえしたら、この命は自分にとって少しも惜しいとは思いませんでした。

 

主イエスの僕のうち、最も小さい者と目にうつり、主の福音を人々に伝えることを許されるのを恵みと考える。これこそ、私たちが仕事をする時に持つべき信仰・精神ではないでしょうか。

 

 私たちが、当然見るべきありのままの自分の姿を見ることができ、自分を神様が如何に造り変えられたかを知れば、自分の目に、如何に小さく映り神の恵みは言い表せない程に大きいことかが分かります。そのような心の視力とそのような信仰を神様に祈り求めましょう。

 救いは、金銭で得るものではなく、「主イエス・キリストの十字架の贖いの愛にあること」を、改めて知らされます。

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  「小閑記」

あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めているのに、魚の代わりにへびをあたえるだろうか。卵を求めるのに、さそりをあたえるだろうか。このように、あなたがたは悪いものであっても、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めてくる者に聖霊をくださらないことがあろうか。

          =ルカ11:11~13= 

 

全世界に飢えに苦しむ人の多いことがニュースになり、私たちの身の回りにも多くの家庭や家族、子供たちのいることを知らされます。しかし、賞味期限とか、流行から外れた衣服は、廃棄物として大量に処分されています。このみ言葉は、単なるみ言葉ではありません。平和を求める人々に、大量の破壊兵器が悲劇と憎しみを人々の心に残してきたことは歴史が示してきました。

 

飢えた子供に、パンや魚の代わりに石やへびを与える親は、人間よりも悪魔に近い者でないかと思えるのは極端でしょうか。しかし、快楽にのめり込み、放置された子供の悲劇は、後を絶ちません。本当に悲しいことです。

イエス様もそのようよう親を考えることはできませんでした。だからこそ、何時でもイエス様は、私たちは悪い者ながら、子供たちに良い贈り物をするということを、私たちにお教えになろうとしています。主イエス様は、罪深い私たちを用いて、悪い者から、良い食べ物を与える者へと導いてくださると言われるのです。私たちの善意や親切な思いをお用い下さるために、お力を下さいました。

「天の父はなおさら、求めてくる者に聖霊をくださらないことがあろうか。」

 

イエス様の下さる最高のものは、「聖霊」であると言われました。人は魚やパンを与えます。それも必要ですが、それとは比較にならない「聖霊」を下さるというのです。

 

「聖霊」で飢えや空腹は満たされないと人は言うでしょう。しかしそうでしょうか。人々に愛の心、分かち合う行動、共に流す涙と笑顔、これは神様が下さている「聖霊の賜物」そのものです。武器でもない、地雷でもない、核兵器の脅しでもない、小さな小さな一人ひとりの善意と言う宝がそうせずにはおれなくさせる働きです。

 

この美しくも小さな愛が、神様がくださる最大の贈物であることを知るなら、私たちは、貪欲なまでに願い求めようではありませんか。

「聖霊」は真理へと導き、光と悔い改めの願望を生み出します。日々の生活を振り返り、自分自身のためだけから、神様を信じる人々のために、そうしてすべての人々のために、信仰者として改めて日々「献身」の思いを強められたいと願い求めるなら、父なる神と子なる神と聖霊なる神様はお与えくださると信じます。

 

静けき光よ、来たりて満ちよ、わが胸の奥深く。人々の心にやどれや。

われらはみ光のほかに、よあけをしらず。きよき光を送り、われらの魂を照らし、さきわいたまえ。 


世田谷通信(227

猫草

 しばらく歯医者に通っていた。なんとなく奥歯が痛く顎の下が腫れておたふく風邪と診断されたこともあった。そこで歯医者で診察を受けると、歯を噛みしめている時間が人より長いと言われる。人間は通常、上の歯と下の歯は接しておらず、少し開いているもので、何かを噛むときだけ力がかかるそうだ。ところが私は口の開きが狭いのでずっと上下の歯がくっついており、それが感染リスクを拡大している。できるだけ口を大きく開けても4.5㎝。そこで1310秒間大きく口を開ける練習をしてくださいと言われる。それから日常生活の中で口を大きく開ける練習を続けて2か月、5.8㎝まで開くようになり、顎関節の痛みもなくなって、めでたく経過観察となった。

 ところが同僚は「逆です」と言うのだ。その方はずっと口が開いたままで顎が外れやすく、歯医者からは口が開きっぱなしだと乾燥や感染リスクが高いと言われると。なるほど、口も関節も骨格もみんな違う、悩みも違うのか。

 別の方から、最近足を骨折した話を聞いた。若いころと違って高齢になるとなかなか骨がくっつかず、回復に時間がかかるが、医者から処方されたビタミンD錠剤で改善したと。牛乳やヨーグルトを食べる習慣があっても、それだけでは新しく骨を作るための要素が不足していたようだ。

 小学校で子どもたちのツヤツヤな肌と髪をみていると、自分とだいぶ成分が違っているなと思うが、年齢を重ねたら仕方ないと思っていた。人は食べたもので構成される、そして同じものを食べていても吸収、分解、再構成する力は衰える。何が不足し、どこが衰えているかは、単に年齢ではできなくて、人によってさまざまなのだと思う。機械と違って部品交換はできないが、自分を構成する栄養素に偏りがないように、自身の状態に気をつけなくてはと思った。

<いきいき里山・山里ものがたり>

   「世田谷通信」7月号を読んで、反省している私。何もかも値上げ・・・と悲鳴が聞こえてきますし、叫んでいる一人が私でもあります。しかしスーパーには安いのに不ぞろいな野菜物があってもそれを嫌い、多くの人の手といろいろな経費をかけているのに、不ぞろい品を嫌い高いと言いながらそれを求めてしまう私。整った野菜も、下手な私の包丁さばきや味付けで、見事に変身するのです。でも台無しにしている私、そういえば、思い出すのは、母は、ここは一番おいしく栄養があるのよねと言って、野菜の根をきれいに洗い、刻んで料理していた姿、今は、野菜に根がなく、きれいに包装されている。ここにも人の手がと思わされた私。そのようなことを気づかせてくれた「猫草」、ありがとうございます。  埼玉県 KKさん

   太鼓の音に子供たちのはしゃぎ声は、昔も今も変わりがありませんが、最近若い女性の浴衣姿が多くなりました。踊りの輪にも参加者が多くなりました。団地にお住まいの方がふるさとのお祭りを思い出し、お子さん連れで参加するようになりましたし、外国の方も目につくようになりました。金魚すくいやお面のお店も見ることができます。そんな下町の姿が懐かしいです。

 ⁂ 皆さんの投稿を歓迎いたします。


「美しい朝に」

⁂  コロナ禍で中止の夏のお祭りは各地で行われています。今年、久々にお祭りがあるみたいてす。今、薬局に買い物に行った帰り、 だんじりの試し引きをしてましたので、写してきました。夏祭りは、すごい人です。 活気がありますよ。仕事を休んででも、参加する夏祭りで、コロナで気持ち的に沈みがちな各地に関西から活気を!と言う感じです。

 =沙耶香のつぶやき=

   先日、突然、クラスメイトから一緒に図書館に行ってほしいと言われビックリしました。あまり話したことがないのに、どうしてかなあ?・・・と思いながら行ってきました。本当は本を借りるなんてどうでもいいことで話したかったと言うのです。図書館のあまり目立たない片隅で3時間くらいいろいろのことを話していました。学校生活や勉強について行けないことや、友だちが出来ないことや家族のことなど、思い切り話せましたで、これからもお友だちになってね!と約束出来ました。私たちの市の図書館利用、今度はおにぎりをもっていこうかなあとメール交換しています。  

   最近できたお友だちとメール交換しています。メールはお互いにいろいろのことが言えるような感じがして、楽しい時間が持てるようになりました。自分だけとか、誰も聞いてくれないとか、わかってくれないと思っていたことが、メールして気づきました。

 

       ********

  久し振りにコミセンの手芸教室に行ってきました。新しい方も終えられ

あたらしい方もおら、気分一新?、良く来ましたね。どうしているかと心配していたのよ、とのお声につい泣いてしまいました。人の目が怖くてもう1年以上も行っていなかったのに、嬉しかったです。体調を考えながら行きたいと思いました。沙耶香さんはお元気ですよね。 

  

*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子

 


 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (196)

6月10日

今は曇ってきましたが、よく晴れ上がって暑い一日となりました。毎朝、4時に起きて聖書の通読と俳句の勉強ができている主人の日課にも感謝します。

つばくらの鳴きだす頃に起きにけり。

井戸替えや透明の水まず汲みぬ。

山峡に研ぎ澄まされてホトトギス。

篠茂り荒畑すぐに変わりけり。

聖霊の働きを知る聖五月。   馬場路哉

明日は雨が降るという予報ですが、また草刈りの「出会い」です。大雨だったら、延期です。小雨でしたら合羽を着ての草刈りです。

6月12日

 田舎の暮らしには慣れてきましたが、夏になると毎週のように「出会い」があるので疲れてしまいます。今日はリサイクル。昨日は先日の「出会い」で終えられなかった場所を皆でしました。高い山肌の部分を草刈りするのですが、その下は池です。みなさんスパイクのついた靴を履いて踏ん張っておられます。主人は足が悪いので違うところに回してもらいました。私たち女性は草刈りの後の掃除です。雨の降る前でしたので重みは感じましたが何とか時間内に終えることができました。家に帰るとぐったり、二人ともダウンしてしまいました。

聖霊の働きを知る聖五月。

旧友と労り会へる夏日かな。

明け易し妙なる鳥の音を聞きぬ。

硝子戸の白きヤモリを見て眠る。   馬場路哉

6月21日

我が家のくちなしの花が6年がかりで今年ようやく見事な花をたくさん咲かせてくれています。ほのかな甘い香りがお花に近づくにつれて漂ってきます。もうだめかと何度もあきらめていましたが、今年は冬から春にかけての葉っぱの勢いが違いました。ひょっとしてと期待を込めて消毒をしたり、虫を駆除したりと手入れを丁寧にしてきました。

するとびっくりです。つぼみが10個もついているのです。そしてあくる日にはその蕾たちがいっせいに花を咲かせてこの梅雨のうっとおしい季節を癒してくれています。主人は眼科へ出かけています。

早朝の祈り捧ぐや時鳥。

またたびや奥の花火の倉庫あり。

どくだみは十字架をもって天をさす。

井戸替えや日陰反射す虹色に。

草刈りの出会い必死や過疎の村。  馬場路哉

伊賀市内では眼科の専門医が2人しかおられません。それで朝9時前に医院に出かけても30名が待っているというのです。帰宅できるのは午後をかなり過ぎてからになります。白内障の手術になるかも分かりません。

6月24日

 フェーン現象というものなのでしょうか。南風が吹き荒れて洗濯物があちこちへ飛んでしまいました。またその影響で暑さがぐんぐん上がっています。室内で30,5度もあります。この夏一番ですね。これからこのように暑い日が続くのでしょうね。

草刈りの休むや茅花流しなる。

お互いに闘病すなり夏見舞い。

猫の子のおっとりとして抱かれぬ。

高くまで飛翔学ぶや夕ツバメ。

先生につつがあるとや青芭蕉。  馬場路哉

 

7月7日

 こちらは何とか雨が降らずに一日過ぎました。でも、この暑さに体力がついていきません。散歩は朝に出かけようと思うのですが、ぎらぎら光るお日様を見るととても散歩する気になれません。お隣の96歳になられる方(先日救急搬送された方)のお家にお見舞いに行ってきました。ご本人とはお会いできませんが、一人でお母様の介護をされている娘さんとしばらくの間お話しできました。病院への入院は免れたがやはり、体調が弱っているのが気になるといっておられました。とにかく体の体温調節ができなくなっているというのです。この暑いのに寒いからと毛布を重ねてみたり、食欲があまりないので心配されていました。ほんの10分ほどでしたが、“お疲れが出ませんように。”とお言葉を添えて帰りました。娘さん一人ですので誰にも相談できないのでとても喜んでくれました。

熱中症割くや朝の間草を刈る。(主人は朝6時過ぎから草刈りをしています。)

夕つばめ飛翔訓練とも見ゆる。

かの皐月絞るるまでの色あひよ。

一休みすれば老鶯鳴きにけり。

疾く起きて鳴きかはしをるツバメたち。  馬場路哉

7月15日

 今日散歩の折に近所の方から質問がありました。“統一教会ってキリスト教がもとなんだってね。” “ひどい宗教やね。”

私はすぐに否定しました。あれは悪徳商法集団で、エホバの証人も同じですとお伝えしました。このようなことに対しては曖昧は許されません。そう信じています。

草刈ってすっきりしたる広場かな。

梅雨腫れや良き絵葉書の到着す。

草刈るやリハビリの意図無くは梨し。

岩の上定家かづらの花散りぬ。

白鷺のたむろす朝の名張川。  馬場路哉

 

馬場暁美

上野緑ケ丘教会会員


眸(ひとみ)

  学生時代の友人がお子さんを車に乗せて遊びに来てくれました。コロナ前にはお互いに行き来していましたが、お互いに気を付けて途絶えていましたが、コロナもだいぶ落ち着いてきたのと、メール交換だけでは満たされない気持ちを、六甲山の近くにある静かな喫茶店でお昼をはさんで日常の出来事交換ができました。最近読んだ本や子育てやこれからのこと、学生の頃には話さないこととか、最近は疲れるのよねとか、ライブなんか行っていないとか、他愛のない会話が楽しく、あっという間に、車が混む前に帰るわの時間、またね・・・!と別れました。紫陽花がきれいに咲いている喫茶店でした。 兵庫県 HHさん

  人影のない広い公園、日除けのあるベンチにお弁当を広げて笑顔で話しかけている若いお母さんとお子さん。何とも言えない穏やかな時の流れと母と子の心通う姿を遠くから眺めていました。とにかく家業に追われていたわたしの中に「子育ての時期」は、子供たちには申し訳ないのですが、無いのです。「親子の絆」と言う大切なもののないわたしに、今出来ることはあるのかしら・・・と考え込んでしまいます。あのお子さんとお母さんのひと時を邪魔しない生活がしたいと思います。 石川 BAさん

  団地の片隅にある木に小鳥が時間になると集まって来るのが不思議で、たらあたりを見渡すと、鳥の巣箱とエサ台がありました。公園のハトや猫などの餌やりは禁止されていますが、小鳥は今のところ?なさそうで、誰かが毎日餌をやり、邪魔にならないように小枝をきれいにしていたのです。 

飼育のできなくなったペットや小動物が放置されてしまったというニュースが多いですが、悲しいですね。そうそう、20年近く前まで近くいたキジが近くの森にいました。宅地造成で住み家を失ったキジが山や森に避難していたのですね。  埼玉県 T・0さん

  梅雨明けと共に、群馬や栃木、甲府など三大猛暑地域?になってしまいました。私たちの小さな教会では高齢者の方が多いのですが、この猛暑で礼拝に来られる方が激減です。私もその一人ですが、今朝の暑さで、4時半に起きてしまい、時間が出来たので甘夏の苗(甘夏を食べていると種がありましたので植えてみました)とトマトの苗(サラダのトマトの実にある種を取り蒔いてみたら芽が出て)に水をやっています。この暑さで、トマトの葉はしおれている部分がありますが、朝は元気に若々しい葉になっています。生命力に驚いています。    栃木県 TTさん

  夏休みになる子供たちは、熱中症に注意して過ごすように先生から言われたとかで、それを口実に朝からゲームの熱中症?、親の私は食事の準備と自分の時間が無くなったことと、寝転んでパソコンゲームに夢中の子供たりの姿を見て頭のお熱は40度です。忍耐、忍耐と言い聞かせている私、ああえらい!ああえらい!(名古屋弁・関西弁ではしんどい)、の日々になりまた。 愛知県 SKさん

  園庭には陽射しを遮るためと花の手入れとお遊びを兼ねて始めてきた朝顔の葉が風に揺れています。子供たちは、先生、もうすぐ咲くよねと大きな声で、口々に叫んでいます。お母さんとの会話にも、今日は咲いていたのと聞かれてまだだと報告している季節になりました。子供の得意気な笑顔が想像できます。高層ビルに埋もれた小さな保育園ですが、ここにも夏があります。  東京都 TNさん

  お気に入りで買った昨年の夏物、ああ、着れないと太くなった腕とお腹にため息。家計のために何とかと思いましたが、情けないかな、気持ちとは裏腹に、体重と体形は厳しい判定!!食欲に負けた結果に、何とかお金のかからないダイエットと朝晩のジョギングを始めました。走った距離と時間を記入するノートを作り、眠っていた万歩計を腰に、日焼けに注意しながらのいでたちで、頑張っています!?食欲制御までは進んでいません。体重が膝痛に・・・にならないようにしています。夏物は、下手ですが何とかミシンを使い修理し、活用します。 京都府 BAさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 


十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

 

=御国=

第二の祈り②・神の国に入る

       ヨハネ3:1~13

 前回は「御国」すなわち、神の国が神の支配であることを理解しました。残りを3回に分けて、神の支配のことを聖書から、少し具体的に学ぶことにします。今回は、神の支配に入る、御国に入ることを求める祈りとして、次には、私たち自身がすでに神の国に入っている者として、神の支配に服することを求める祈りとして、最後は、約束されている終末の日が来て、イエス・キリストの再臨の後に、神の国は完成し、私たちは完全な救いを与えられますから、その日が来ることを祈ります。

 御国は確実に、そして着実に拡大していくことを約束されていますので、このことを期待をもって求める祈りとして学びます。

 

 旧約時代に神の国は、イスラエルの民と言う選民に殆ど限定されていましたが、主イエスの到来とともに、神の国は全世界に開かれました。そのために主の約束によって聖霊が降られ、主イエスを信じる人は、国籍に関係なく、神の国に招かれています。

 このヨハネによる福音書3章に記されているニコデモのことは、私たちがよく知っている聖書箇所の一つです。彼が夜、主イエスを訪れた時、主は彼に何が必要であるかを、こうおっしゃいました。

 「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3)。

 

 ニコデモには今のままでは、神の国を見ることができない、と主はおっしゃいました。見ることができないだけでなく、ましてや、神の国に入ることは決してできない、とおっしゃったことになります。神の国、神が支配しておられることを本当に見ることさえ、「新しく生まれること」が必要条件であると言われました。さらに主は、言い方を変えて、5節でこう言われました。

 「水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」。

 「水」とは何を指して言われたのか、洗礼者ヨハネが授けていた水の洗礼に関係があるというのが最も自然で、ヨハネが水でどんな洗礼を授けていたかを思い出したでしょう。自分の罪を認め、それを悲しみ、悔い改めて、洗礼を受けるためにヨハネのところに来ていましたから、悔い改めの洗礼のことでした。もう一つの「霊」とは、主御自身がお与えになる聖霊のことですから、聖霊に助けられて、主イエスを信じることを指しています。

 従って、ニコデモであれ、だれであれ、罪を悔い改めて、主イエスを信じることで新しく生まれます。こうして神の国に入れられます。

 ですからこの第2の祈りによって、救われる人が起こされ、そのために私たちに証しさせ、伝道させてくださいという祈りです。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

21 マカルピン二世の来日・・2・・

 マカルピン氏は1935年(昭和10)5月10日。ウエスタン神学校を卒業されたが、その間、ポーリンさんは神学校の聴講を許されて聖書研究の貴重な時を持たれた。

こうしてマカルピン氏はオランダの古式によって教師の准充を受け、さらに同年5月25日、南長老教会に転じ、ウインストン セーラムの中会で按手を受け、8月、同教会の世界伝道局によって日本への宣教師として任命されたが、この按手に父RE・マカルピン博士も手を置かれた。

そうしてJA・マカルピン夫妻は相たずさえて、生まれ故郷の愛知、岐阜地区伝道のためアメリカを出発、ちょうど日本、満州、朝鮮の北メソジスト教会の宣教師として任地に行かれるポーリン夫人の両親も同船され、9月12日、JA・マカルピン夫妻は岐阜に安着され、宣教の働きを始めることになった。

当時、岐阜市加納町、朝日町にミス・EO・ブカナン宣教師と明治町にVA・クロフォード宣教師が駐在していたが、クロフォード師は岡崎に転じ、JA・マカルピン夫妻は岐阜市美江町に住居された。

名古屋市にはWA・マキルエン宣教師夫妻がおられて、名古屋の西部と岐阜県東美濃の教会に責任を持っておられたが、この頃は休暇着米中で、マカルピン氏は関、太田、兼山地方、岐阜市内と中美濃地方を中心として活動された。

しかし、この頃の日本にはいわゆる「危機意識」と「非常時局」の声がやかましく、ファシズムとミリタリズムの横行する時代で、1932年(昭和7)、日本軍の満州侵略と満州国宣言による米国との不和、続いて日本の国際連盟脱退、国防の強化の提唱など、「1935、6年の危機」感ンが国内に戦争意識をますます昂揚させるようになって、日本精神を叫ぶ声は、軍部、政治家、教育家に高まって来た。

「いのり」

通勤は車の運転、仕事は工場の中での日々で、「祈り」の少ない信仰生活が十数年続いています。最近、ほっと一息つけるのは、帰宅して「つのぶえジャーナル」を読むようになってからです。途中で疲れて寝てしまう仕舞いますが、そのような時の「いのり」は、静かに語りかけてくれます。この「いのり」は本当にありがたいです。 神奈川県 TTさん

 

*****************

    私のまだ知らなかった方が。

   私のまだ知らなかった方が 

私の知らない所で 私の知らない時に 

  私のために祈っていて下さったから

   神のみもとへ帰れました

私のまだ知らなかった方が 

私の知らない涙を 私の知らない汗を 

  私のために流して下さったから

   神のみもとへ帰れました

私のまだ知らなかった方が

私の知らない言葉を 私の知らない愛を 

  私のために伝えていて下さったから

   神のみもとへ帰れました

 

キリストの愛に触れてみよ

幾度も聞いても読んでも キリストの愛の尊さは

 触れなければ分からないから

  キリストの愛に触れてみよ キリストの愛に触れてみよ

幾度も思い考えても キリストの愛の確かさは

 触れなければ分からないから

  キリストの愛に触れてみよ キリストの愛に触れてみよ

涙を流して感動しても キリストの愛の嬉しさは

 触れなければ分からないから

  キリストの愛に触れてみよ キリストの愛に触れてみよ

 

  水野源三著第四詩集より=


第104課 結びの言葉:個人的挨拶 

=16:1~27=

ローマにいるキリスト信者へのパウロの同労者たちの挨拶・・・1・・・

        =16:21~23=

数人のパウロの友人たちや同労者たちがここで挙げられている。それらの人々の中には、キリスト信者になったコリント市の要職の会計係エラストがいる。22節に出てくるルツテオはパウロのこの手紙を筆記した人である。これら人々は多分コリントでパウロに加わってキリスト教伝道の働きに参加したのであろう。

 

E 結びの讃詠 =16:24~27=

 25~17節は、ギリシャ語の原文では長文である。しかし、教えていることは明白である。キリスト信者を確立することは神の力であり、この力はイエス・キリストの福音を通して働くのである。この福音は「長き世々にわたって隠されていたが、今やあらわにされた」奥義として語られている(16:25~26)。

このように福音は「人間の哲学の体系でも、また人間の調査の結果でもなく、神の御目的の啓示なのである。パウロは度々、贖いの計画は永遠より形成されたものであって、人の目も発見することは出来ず、人の心も考えつくことができないものであることを述べています」(ホッジ)。

福音は永遠より神の御心の中にあったが、遂に終りの時、旧約においては部分的に、新約においては全面的に人間に啓示された。永遠より神の御心の中にあったこの福音は、遂に「今やあらわにされ、もろもろの国人に告げ知らされた」のである(16:26)。

ここで私たちはパウロの福音と旧約の預言者たちとの間に本質的な調和と一致があることに注目しなくてはならない。この福音は何か新奇なものなのではなく、旧約の中にあるものと全く一致するものなのである。それは同一の真理が完全な啓示の段階に到達したのに他ならないのである。

パウロの時代と私たちのこの時代においては、旧約の預言者たちの時代とは異なり、福音は「信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた」のである(16:26)。

「すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより栄光が永遠より永遠にあるように、アーメン」(16:27)。

人間の救いの全体が全く神とその恵みに着せられているこの手紙において、結びの文章が栄光をキリストにより神に帰していることは、まことに相応しいことである。そして 神はここで「唯一の知恵深い神」と述べれているが、それは、神はその無限で完全な知恵がそのすべての御業と特に御子に関する福音の中に現わされている御存在であるからである。

       ローマ書講解  =完=

 

     JG・ヴォス著

      玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師) 

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』   

   梅雨明けとともに、急に暑くなりました。「ジャーナル友」の皆さんのご健康をお祈りいたします。主人は何でもパソコンで検索すれば直ぐに分かると言って、調べてはコピーして渡してくれます。それはありがたいのですが、私は「広辞苑」派で、今も若い頃に買ったのを使っています。広辞苑を使うのは、その事柄の前後の言葉も読む楽しみがあるからです。今でも拡大鏡を使ってでも読めるので一つの趣味になっています。書く方もメガネを変えてこのようにお便りできています。子供たちは、新しい版の「広辞苑」をプレゼントしようかと言ってくれるのですが、学生時代からのもので残っているのはこの「広辞苑」だけなので、手放せません。聖書も讃美歌のあちこち修理して使っています。宝物です。  香川県 KKさん      

   ある本の中に、マルチン・ルーサー・キングの言葉として、「闇で闇を追い払う事はできない。光のみがそれをなしうる。憎しみで憎しみを追い払うことはできない。ただ愛のみがそれをなしうる」と書かれているのを思い出した。この言葉を言われたキング牧師も凶弾に倒れたが、その思いは、今も、これから残るとしたら、平和とは如何に遠いことかと思う。でもあきらめずに「地に平和を」と祈る日々でありたいです。  秋田県 MHさん

   今年は 早い梅雨明けとなりました。お元気でいらっしゃることと存じます。「つのぶえジャーナル」7月号をありがとうございます。我が家のプランターにも夏がやってきました。強い日差しを受けて、濃いピンクのマツバボタンが咲き始めました。母が毎年冬越しをしていたものを、少し持ってきまして、ベランダで育てています。教会へ行く道すがらは、田んぼが続いています。田植えが終わって1ヶ月余りが過ぎ、稲がぐんぐん伸びてきています。これから、夏本番ですね。ご健康が守られますように。お働きが支えられますように。お祈りいたします。  静岡県 HTさん

   四国におられる多くの人は、早く短い梅雨明けで、ニュースの多くは、早くから水不足の心配でしたが、それが現実になりました。東京にいる信友からNHKのニュースで、深刻な水不足のようだね!とメールが来ました。水不足で全国区は数年振りの感じがします。教会でも礼拝後の話題がコロナから、一雨欲しいね・・・、台風も恵みと思えますねと話題が変わりつつあります。気候変動なのでしょうか・・・。  徳島県  SSさん      

       ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

   共働きで購入した高層マンションも、周りにはもっと多くの建物が立ち荒川の花火も見えなくなってしまいました。今は狭いベランダにプランター栽培を楽しんでいますが、テレビ番組で高齢者ではないのに、畑仕事が生き甲斐をと言って励んでおられるお姿を拝見し、やれ紫外線対策だの、日焼けが心配でと家に閉じ籠っている「閉じ籠り高齢者」(団塊の世代の私ですが)、何と不健康なこと、サプリに頼る生活、地下鉄やタクシーの生活のひ弱さを感じます。虫の声や小鳥もベランダには来てくれません。蚊に好かれて困っていたのですが、自然からも蚊からも見捨てられてしまったのでしょうか。最近、妙に童謡のCDを懐かしく聞いています。教会でもマスクのお顔では侘しいです。マスクは人との交わりをも拒絶する代物(曲者)ですね。私は顎マスク派です。

  電気代もガス代も値上がりで、家計に響きます。オール電化のマンション住宅も、この電力不足のひっ迫のニュースで、言いようのない恐怖を感じます。「便利は不便、不便は生活の知恵の母」という言葉を聞いたことがありますが、母の楽しんで食事の準備をしている生活を見、父の工夫した生活スタイルには、どっしりとした生活の安定さがあります。両親はいつも言うのです。「田舎(ふる里)に戻って来なさい。待っているよ・・・」。との言葉に、子育てが終り、両親が元気なうちに、両親と暮らしたいという気持ちが膨らんできました。

  台風が来ました。我が家では、キュウリが今年初めて収穫できました。3本ほどですがうれしいです。それを輪切りにして塩を振りかけていただくのですが、やはりおいしさが違います。歯ごたえがシャキッとしていてうれしくなってきます。それにミニトマト。去年は大失敗で一つも食べることができなかったのですが、今年は雨が少ないからでしょうか。立派なミニトマトができ始めています。畑で試食してみたら、まだ酸っぱいですがトマトの苦みがあっておいしくなってくれそうです。なんだか自分の家の畑で収穫するのは一味違いますね。田舎のスーパーで見るとキュウリ一本が35円でした。いろんな野菜が値上がりしていてびっくりです。

  「ジャーナル友さん」のご健康をお祈りしている日々です。日の出が早く、暑くなる前に運動を兼ねた散歩を心掛けているのですが、急の大雨や雷で、もう真夏なのだと実感しながら、過ごしています。一日一回、一個のニンニクを食べたり、ヨーグルトを飲むようにしています。教会では、年寄グループ?の会話は健康のことが多くなりました。最高齢は89歳、ご家族の車で来ておられます。教会の中では車イスです。年寄りグループは平均80歳です。私は少しその下ですが、婦人会には入れません。

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子


  『ありがとうございます』

短い梅雨でこれからどうなるのだろうと心配されていた方々の心配の声、ウクライナの戦争の影響で食料品や燃料費の高騰で年金生活で過ごされている方々、農業や畜産業、養殖漁業を生業にしておられる方々にはこれらマイナス要因はコロナ以上の重荷であると思います。それは悲鳴に近い声になっていす。成すすべを失いそうになります。危惧されていた危ういグローバリズムがこのように瓦解するのかと思いました。

本当に教会にとっては試練の時、伝道の停滞、信徒の高齢化などなど、改めて砂上の楼閣に陥っていないかを自問する時ではないかと思うこの頃です。

園芸店の店先に、鉢植えの朝顔やホウズキがたくさん並んでいました。風鈴が賑やかに音を奏でてい ました。猛暑になっています。そうして第七波とか・・・。皆様のご健康をお祈りいたします。

 2022年6月16日から2022年7月15日までにお送りくださいました方々です。     

高木ルミ様 島袋亜里沙様 佐藤のり様 馬場暁美様 加納さおり様 中川ルミ様   匿名2名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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