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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

 あなたがたは、地の塩である。

 あなたがたは、世の光である。

      =マタイ5:13~14= 

 このみ言葉は、神様の御業がこのような形で、小さく貧しい私たち人間を神の民、信仰者として招き、用いてくださる時、大いなる希望と使命が託されていることを知らされます。

 日々の生活に追われ、小さな出来事に翻弄されてしまう私たちを「塩となり、光として」お用い下さるというのです。信じ難いことです。しかし、創世記1章には「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ』・・・。こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。・・・。第一の日」(1:1~5)。とあります。この全能の神が、私たちを「地の塩、世の光」とされるというのです。  

 

 この世界は、争いの絶えない歩みです。多くの国民が、民族が、悲惨な悲しみに陥ってきました。そのような今であるからこそ、キリスト者は、神様から託された役割を果たさなければならないのではないでしょうか。

 圧倒的な武力の前には本当に個人は無力です。しかし、武力をもって争いを引き起こすのが人間なら、平和や希望もまた人間の手によって作り出そうと信じたいのです。

 

 私たち自身が「地の塩、世の光」ではありません。私たちが神の民、キリスト者として用いられるとき、「・・・であろう」という未来形ではなく、「である」の言う現在形として、日々を考え、祈る存在であるとしたら、何と幸いなことでしょう。

 

 「闇に光が打ち勝つ」ことは、まさに主イエス・キリストの贖いの十字架が示しています。主イエス・キリストは、神の子として、私たちの「地の塩、世の光」そのものです。そのイエスを唯一の救い主と信じる民が、その役割を担っているというのですから、感謝以外にありません。

 

 私たちは、何をすべきでしょうか。「地の塩、世の光」として、何ができるでしょうか。出来ます。与えられている持ち場がその活動の場、働きの時です。家庭や近隣、働きの場そのものが「持ち場」です。キリスト者として生き、神の御心を喜びとし、それを分かち伝える日々が、最も感謝な「時」です。

 「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである」(伝送の書11:1)。

 

  全能の主、造られしもの、王なる神をたたえよ。

  わが魂よ、主をほめよ、主は救いにて 汝を健やかにしたもう。

    聞く者らよ、いざ進みゆきて、宮にもうで われとともに、心たのしく神を拝せん。  アーメン

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  「小閑記」

  恵みによって、心を強くするがよい。

             =へブル13:9=

 キリスト者が希望を持ち、静かに主の救いを待つことができるとは、何と素晴らしいことでしょう。み言葉は語ります。「人が若い時に、くびきを負うことはよいことである」。その「くびき」は、主がおはめになったと信じるなら、何と良いことでしょう。

その奥義に心を向け、静かに黙して祈り、感謝できるとしたら・・・、悲しみと不安で顔を下に向けている今こそ、実は「神の下さった恵みのくびき」なのです。「くびき」を、私たちの自由を奪う奴隷のような重荷とお思いなら、それは間違いです。「くびき」は正しい道に、希望に、救いに導く大切なものです。

 どうでしょうか、私たちが自由に何かをする時、喜びと感謝に満ちるでしょうか。私たちにとって自由は、神から離れ、罪の生活と放蕩へと誘う甘い蜜になるのではないでしょうか。

それを制御させるものが「くびき」と思い直してみませんか。あの聖書に記されている「放蕩息子」の教えは、「くびき」のない姿であり、彼の悔い改めは、「くびき」に生きようと決心してから始まりました。

 彼は放蕩から、生まれ故郷を学び、働くことを学び、父親の愛を知る機会となりました。神を信じることを学びました。これは「放蕩息子」の個人的な経験ではありません。私自身なのです。

 

 私たちの心には「人を妬みや羨む心」がいろいろの出来事の中に出て来ます。それは、人との比較や国と国との比較から生まれるものと言われています。貧富の差と言う富のバベルの塔、国土と国土の格差。不思議なことに、都会では高さを競い合い、ビルディングと言うバベルの塔を競って作っています。

 羨む心は、隣の芝生から生まれています。心に飾る美しいバラの花を握りしめているなら、野の花を愛でるでしょう。与えられている仕事や、悲しい災害での時や、人の喜びに関われる心の花を咲かせましょう。

 

 心を強くするために、人は努力します。それは素晴らしいことです。決して無駄なことではありませんが、「天に宝を積み」、地には平和と愛の花園を作ることができる日々へと導かれているなら、人は神様に感謝することでしょう。

「くびきを負う人生」のあることを知ろうではありませんか。

 

 主の導きにとりまつり ふたたび来ます平和の時まで、

  み名によりて、あだと戦わん。

 主来まさば、なやみはとに消ゆるなり、

  そのおもいのいかに楽しき。 

 


世田谷通信(226

猫草

里山農園というのが近所にできて、月に一度お手伝いにいっている。園芸の先生が色々な野菜、花の苗を用意して、植え方のコツや品種の特徴なども教えてくれるので、動きやすい服装だけで参加できるのが魅力だ。

 先生の指示通りに雑草を抜き、野菜を収穫し、肥料を入れて畝を作り直し、また苗を植える・・と受け身だったのが、最近は参加メンバー間の顔見知りも増えてきて、うちの苗ですが植えていいですか・・と持ち寄ることや、採れた野菜がたくさんあるのでおすそ分け、という機会も増えた。

 そうなのだ、私は単純に労働力の提供と野菜づくりのノウハウを知りたいと思って参加しているが、自宅の庭で野菜や花を育てて何十年のベテランたちも少なからず混ざっているのだ。自分でできるなら、わざわざ来なくていいじゃないかと思うのだが、自分だと毎年同じことの繰り返しになってしまう、自己流なので先生に教えてほしい、珍しい品種や新しい有機肥料、最新の自然農法での害虫対策が学べるから、というのだ。なんて志の高いことか。そして自前の道具類を持参している方も多いことに気が付く。

私がスギナの根っこに苦戦しながら移植ごてで除草していると、隣にいた高齢の男性が、「これ使ってみな」と道具を貸してくれた。10cmほどの木の柄の先に先の曲がった金属のフォークのような物がついている。スコップで深く土を掘り返してから、その道具を使うと面白いようにすいすい根っこだけがとれる。「これすごいですね、何ですか?」と聞くと、潮干狩り用の熊手だという。アサリやハマグリを採る、あれだ。

 そう思ったら、向こうで竹を組み合わせて器用にトマトの支柱となるパーゴラを作っている。ミニトマトの苗はちょっとだけ寝かせて植え、根のない方に支柱で誘引するとしっかり育つという豆知識も教えてもらった。

 そんなベテランガーデナーたち、「毎年、土も雨も気温も違う。同じようには収穫できない」と口をそろえる。当たり前のようにスーパーマーケットで野菜を買う、その裏で生き物を育てる工夫と苦労を感じなくてはと思う。

  <いきいき里山・山里ものがたり>

   東京の世田谷にも、里山活動なんて・・・・と不思議に思いながら、毎月「世田谷通信」を楽しみにしている奈良でパートしながら子育てしています。仕事に疲れ、何もかも放り出したくなる私ですが、不思議とパソコンで「世田谷通信」をアップして読んでいます。家の周りは水田とビニールハウスの風景ですが、裏山を「里山・山里」なんて、見たことはありません。自然がまぢかにあるのに、何の興味もなく過ごしてきましたが、園で子供たちに、花に水やりをする係になり、苦手な虫にも触れるようになりました。少し成長しているよね、」とニヤリとする時もあります。頑張ります。これからもよろしくお願いします。  奈良県 2児の不器用ママ

 

    

 


「美しい朝に」

⁂  先日は、内科検診でした。病院でしか血小板の数値はわからないので不安でしたが、 数値は安定していてホッとしました。

⁂  大阪は、雨が降っています。でも、紫陽花がきれいな季節です。雨の日は「塗り絵」や「孫の布絵本作り」をしたり、家の周りの掃除をします。雨が流してくれるので・・・、網戸も・・・。

⁂  暑いですが、少し暑さがましな日になったときは散歩をしています。「現在は、自転車で移動でき、杖なしで歩けるようになりました。声もまだじゅうぶんには出ませんでしたが、無口な人の人並には?にはなったみたい・・・。

        

=沙耶香のつぶやき=

  もう直ぐ梅雨入りになりますね。花粉症から解放されたらと思っていたら、今度は梅雨入りですから、体力のないわたしには、早めの閉じ籠りたい気分になりそうになります。こうしてメールできるのが、わたしには息抜きになります。 

  お母さんの小さな庭にアジサイが咲き始めました。この花を見ると、最近行っていないおばあちゃんの、きれいに手入れされたお庭を思い出します。お母さんはその影響を受けているのかなあ・・・、時間を見付けて庭の手入れをしています。わたしはおばあちゃんやお母さんの影響はまだありません。最近、私の興味のあることは、可愛いハンカチを集めることです。もう20枚以上もありますよ!                                                                 

 

       ********

  「美ししい朝に」さんがお元気なり、私のように病院でのベッド生活には、自分のことのように嬉しくなり、励まされます。大変な苦労をされてきての今だと思います。退院など考えられない私ですが、若い頃、あの大阪の建物の近くで働いていましたので、とても懐かしいです。

   沙耶香さん、お元気でいてください。私はまた定時制の高校を一年休学することにしました。学校に行くだけが・・・と言われますが、惨めな気持ちになります。使いたくない言葉の「劣等感」が大きくなり始めました。教会には中学生のころまで行っていましたが、もう行けていません。悲しいようです。

*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子

 


 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (196)

5月16日

 朝から私は大変失礼をしでかしてしまいました。今朝の散歩で、塾での教え子のお母さんとばったり出会いました。もう35歳ぐらいになられているようです。私に向かって走ってきてくださるので何かあるのかなとは予感いたしました。優秀なお子さんでしたので、お母様の希望通りに大学卒業後、希望の所に就職されました。最近、何か不穏な気配が感じられたのですが、こちらからはそのようなことを聞くわけにはいきません。それで、私から息子が体の調子を崩して沖縄の研究室から郵便局へ転職したことを伝えました。するとお母様から一人息子が勤め先を辞めてしまったと言われました。びっくりいたしましたが、人生なんて、そのようなものなんだと私は思っています。順風満帆なんていう言葉がありますが、私には波乱万丈という言葉が合っています。

鳩あそぶ桜紅葉の木漏れ日に。

亡き犬の写真眺むやイースター。

モクモクと羊は草を食み続け。

アンデルセン慰めとなれ聖五月。

万緑や底ひに立つる川の浪    馬場路哉

5月18日

 朝からお日様が照りだして気持ちの良いお天気となりました。少しずつ冬物を片付けています。今日は毛布を一枚洗いました。一日少しずつ進めていくと、何とか終わりになるのではと考えて焦らずにゆっくり夏用に移行しています。今朝の朝の散歩は少し離れたところまで歩いていると、“えらい張り切りやな” “もう年なんやから無理したらあかんで”と注意してくれました。転倒しやすい年齢になっているのがわかってくれたのでしょう、そのご挨拶をしてからは注意深く一足また一足と踏みしめて歩き続けました。

さすがにこの照り付ける太陽のもとを歩いていると汗ばんできました。自宅へ着くと水分補給に番茶をグイっと飲み干しました。主人はまだ山添村村内を歩いています。きっとどこかで休んで話し込んでいるのでしょう。

高きにてあぐらを組むかの棕櫚の花。

瞳澄む翁の描きし代田かな。

注意報防霜扇の必死なる。

踏青やランポーの詩を口ずさみ。

燕すいと迫りて家に入る。  馬場路哉

5月30日

 昨夜はとても暑くて寝苦しかったです。今日もぐんぐん気温が上がってきました。

アカシアの花の群がる峠かな。

朴咲くや奈良名張扇道の上。

賛美歌を楽しく歌ひ聖五月。

つばくらのよろよろ飛びぬ若葉雨。

山に灯の点るをるかの椎若葉。  馬場路哉

6月1日

 昨晩は今月の「小閑記」から二人で学びあいました。そして何度も読み返して暗唱しました。それは“信仰によってキリストのうちにあろうとあこがれる。愛によってキリストのために生きようとあこがれる。希望によってこの世を去ってキリストとともにありたいとあこがれる。”というところです。

信仰を与えられ謝す聖五月。

八朔の半ば彼もし花蜜に。

急逝す媼の畑のボタンかな。

傘寿にてゆっくり味はふちまきかな。

なすべりそ湿るなぞへに蕗を刈る。  馬場路哉

田舎では蕗(ふき)は勝手に収穫してはいけないといわれています。蕗はそれぞれの家の先代が植えてくれたものだからです。勝手に一人生えてきたものではなく、所有者がいるということなのです。ですから山の境目を知らないものはよその家の蕗を取ってしまう恐れがあります。我が家では主人しかできません。なかなか山の境目というのはわかりにくいところです。

馬場暁美

上野緑ケ丘教会会員


眸(ひとみ)

  広々とした田圃には陽の光が眩しい位に植えられている若い稲に注いでいます。自然の恵みに育てられ成長することでしょう。昨日から近くでホトトギスが空高く美しい声を出して鳴き始めました。鳥の鳴き声の中ではやはりホトトギスはソプラーノでしょうか。日に日に緑が鮮やかになりました。 山梨県 HHさん

  お隣りの庭に、今年も可愛らしい小さな赤ちゃんアジサイが咲き始まました。手入れの行き届いたお庭には、バラなど季節の花がそれは見事に咲いています。朝夕のご挨拶にお礼を申し上げています。時々娘が送ってくれる京都の老舗のお菓子をお裾分けしています。まだ50になられていない方ですが、お母さんが花好きで、何時もテーブルや部屋に一輪挿しのお花があったそうで、それが当り前に思っていましたとのこと。私は子供たちに何を残し、伝えたのかと思いました。幸い子供たち家族は教会に行ってくれています。 兵庫 BAさん

  「ジャーナル友」の皆さんのお便り、楽しく、また励まされて読ませていただいています。主人が仕事の疲れを訴えて診察していただいたら、何と「早期がん」と言われ、直ぐに治療を受けて、今は3年目になりました。テレビのがん保険に入っていたのが助けになりました。幸い、在宅でも出来る仕事をしていましたので、自分で起業し、マイペースで仕事をしています。東京のマンションを売り払い、緑の多い、そうして何よりも安心して診てもらえる大きな病院のあるところをと、祈っていた地が静岡で、夫婦で引っ越しました。今は子供たちも大きくなり自分の道に進み始めてくれています。少し早いですが、主人の健康と老後生活を考えて過ごすようにしています。幸い運転が出来ますので近くの老人施設で私も働いて、足腰も強くなり健康になりました。神様が御備え下さったことと感謝しています。 静岡県 T・0さん   

   仕事柄、マスクは外せませんが、子供たちには、「マスクなし」のニュースはありがたいことです。緑の多い町ですから、お年よりは、顎マスクです。車に乗っている人も、顎マスクですね。これから歩く時、梅雨の時期になりますから、水分補給と時々、顎マスして仕事に頑張りたいです。皆さんのご健康をお祈りいたします。  栃木県 TTさん

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 


十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)

天にまします我らの父よ

願わくはみ名をあがめさせたまえ

み国を来たらせたまえ

み心の天に成る如く地にもなさせたまえ

我らの日用の糧を今日も与えたまえ

我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ

我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり

アーメン

 

=御国=

第二の祈り①・神の支配

       ルカ17:20~37

「御国をきたらせたまえ」という第二の祈りは、主の祈りの中で最も短い祈りです。しかし、それでいて最も多くの意味を含んでいる祈りであると言われています。そのことを何回かに分けて理解することにします。

最近読んだ主の祈り本の一つに、この「御国を来たらせたまえ」について、国という言葉があるためでしょうか、「政治的な」性質のある祈りであると解説しているもの(ウイリモン、ハワーズ「主の祈り」、日本基督教団出版局、100頁)がありました。

この祈りが全宇宙的な神の支配を求めると言う意味がないわけではありませんから、政治的な祈りと考えるのでしょうが、この祈りはそういうことを中心に求める祈りではありません。イングランドの内戦の状況下で、しかも議会の求めに応じて生み出された、政治的な環境の中から生まれたウエストミンスター大教理問答にも小教理問答にも、そうした意味のことが記されているわけではありません。

事実、ファリサイ派の人々は、そうした政治的な国の到来を願って、「いつ来るのですか」と主イエスに尋ねたわけですが、主は、「神の国は、見える形では来ない」と言われました。

 

主イエスが「御名を崇めさせたまえ」という第一の祈りに続いて、「御国を来たらせたまえ」という第二の祈りを教えられたのは、第一の祈りが実現するための手段として、「御国を来たらせたまえ」という第二の祈りをお教えになりました。御国が来ることによって、御名が崇められることになり、崇められる程度も、御国が来る程度に連動するからです。

この「御国」は、主イエスが弟子たちにまず求めるべきものとして、マタイによる福音書6章33節で、人々に言われました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。

この「神の国」を求めることは、神の支配に服することを求めることです。そして、「神の義」を求めるようにと言われたのは、その神の国の支配に服することは、神の義に従う程度によって現わされることになるからです。

神の義とは、神の契約にみられる神の真実、恵み、それゆえ、契約に入れられた者の間の平和、正義、助けなどです。それを求める程度に応じて、神の国が見えます。そうすれば、生活の上での必要は添えて与えられるという約束です。

このように、まず神の支配が私たちの心に生まれ、それが次第に強化されることを願うことがいかに重要であるかということが頷けます。しかし、私たちは自分でこの神の支配に完全に服して行くことはできませんから、主はこの第二の祈りをするようにお教えになったわけです。更に進んで支配に服していこうとするにつれて、神の民は御名をそれだけ崇めることができるようになるからです。

憐れみ深い神は願う前から与えようとされておられますが、大事なことは神の支配の中で与えられていることを知っていることです。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

21 マカルピン二世の来日

 1934年(昭和9)8月18日、JA・マカルピン氏とポーリン・スミス女史がカリフォルニアのバークレーにある女史の家で結婚式を挙げられた。

ポーリンさんの父は、フランク・ヘロン・スミス博士、母はアイバ・ガートリュード・バンフォート・スミスさんで、両親は北メゾジスト教会の宣教師として、1905年(明治38)名古屋に来られました。そして現日本基督教団名古屋中央教会の形成のため、またメソジスト女学校のため尽力され、その頃、当時、すぐれた宣教師として、同様に名古屋におられたRE・マカルピン師とも知り合いになっておられた。

1909年(明治42)、両親は九州長崎に転任され、夫君はメソジスト派の鎮西学院の校長になられ、ポーリンさんは長崎の幼稚園に通われ、兄弟4人一家6人の楽しい時代を過ごされた。

1912年(明治45)から1カ年休暇で両親と帰米され、ローレンスにある父祖スミスさんの家に住まわれて小学校に入学、1913年、日本に帰り、すぐまた夫君が朝鮮の京城に教区長として転任されたので同時に行かれた。さらに夫君は1926年から1946年までカリフォルニアのバークレーに転勤駐在し、太平洋岸からミシシッピー河までの全日本人メソジスト教会の監督の責任に当たられた。

ポーリンさんは、幼稚園は日本の長崎、小学校はアメリカと朝鮮で、高等学校はアメリカと朝鮮の外国人高校、さらに大学はアメリカのカンサス大学、カリフォルニア大学院へと修学された。修学中も、会計の事務や大学教授の秘書として働き、また高等学校の英語教師としても良い経験を積まれた。さらに結婚まで東京の青山学院で教鞭をとられた。

ポーリン夫人とマカルピン氏の出会いは長崎で、1930年の感謝祭(11月の第4木曜日)であったと言う。JA・マカルピン夫妻は結婚して最初の9カ月をミシガン州のポートランドで過ごされた。 



「いのり」

  この「いのり」で、今までの祈りが如何に自己中心であり、身勝手であり、愚痴ばかりの祈りであることを知りました。讃美、感謝の貧しさは、私の日々の生活や気持ちの貧しさであることを知りました。今まで毎週、頑張って礼拝を守り、奉仕に参加してきた信仰生活に欠けていたものが何であるかを、考えるように導かれています。本当に神様に感謝し、悔い改めへと導かれているのを感じる日々です。 宮城県 TTさん

 「いのり」が掲載されるようになってから、私たち夫婦の祈りの時も変わりました。何だか内容が豊かになったように思います。自分たちの健康のこと、子供たちのこと、教会の方々のことと限られた事柄でしたが、神様のこと?を、前よりも意識して祈るようになりました。当り前のことですが、そうでなかったようです。祈りの時の後のお茶を飲みならの会話も楽しい時になりました。 石川県 BTさん

 

*****************

   真の平安

 朝から小鳥がさえずり

  草花が香っていても

   神のみもとへと帰るまでは

    真の平安はない

 友だちと言葉をかわし

  家族に囲まれていても

   神のみもとに帰るまでは

    真の平安はない

 私たち一人ひとりを

  ご自身のために造られた

   神のみもとに経ち帰って

    真の平安を得よう

 

   いま生きる私への

 遠い遠い昔に

  生きる望みをなくした人に

   キリストが語られた御言葉を

    いま生きる私への

     御言葉として聞かせてください

 サマリヤの井戸ばたで

  命の水を求めた人に

   キリストが語られた御言葉を

    いま生きる私への

     御言葉として聞かせてください

 ガリラヤ湖の岸辺で

  真の道を探す人に

   キリストが語られた御言葉を

    いま生きる私への

     御言葉として聞かせてください

 

=水野源三著第四詩集より=  


第104課 結びの言葉:個人的挨拶 

=16:1~27=

C  分裂と偽りの教理に対する警告・・・2・・・

        =16:17~20=

「なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである」(16:18)。

「純朴」という語は良い響きを持っているが、原語は「不注意」「不用意」という意味の語であって、宗教における真理と虚偽という問題について無警戒な人々を指しているのである。「思慮のない者はすべてのことを信じる」(箴言14:15)とあるとおりである。

従って思慮のない者、教理的に無防備である人たちは常に欺かれる危険があるということである。現代の偽教師たちはパウロの時代と同じく、極めて巧妙で狡猾である。真摯なキリスト者たちは彼らに対して、不断に警戒を厳しくしなくてはならない。

 

「あなたがたの従順は、すべての人々の耳に達しており、それをあなたがたのめに喜んでいる。しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には疎くあってほしいことである」(16:19)。

ローマのキリスト者たちが善良であるばかりでなく、注意深く細心でなくてはならない。「彼らは悪を行うことを避けるばかりでなく、悪の被害を受けないように注意すべきであるのだ」(ホッジ)。

「彼らはとても善良であざむくことができないだけでなく、あまりに善良で欺かれることのないようであるべきである」(グロチュウス)。オーガスチンが祈ったように、「聖書が私の喜びでありますように。聖書に立って欺かれることがありませんように、また聖書より外れて人を欺くことがありませんように」と考えるべきである。

「パウロは、ローマの信者たちが賢明であっていてほしいと願っているのである」(ホッジ)。

 

「平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう。どうか、わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように」(16:20)。

 すべての真のキリスト者と真の教会は、キリストを通じて神のみ恵みと力によって、サタンに対して勝利を得るのである。この勝利はローマのキリスト信者にも約束されている。

サタンは常にキリストの王国に敵対して働いている。サタンはやがて猛烈に活動的になり、ローマにいるキリスト信者たちに対する迫害を激化させるであろう。しかし、平和の神が速やかにサタンを彼らの足の下に踏み砕かれるという約束は真実である。何故なら彼らは恵みによってサタンに対して勝利を得ているからである。 

 

     JG・ヴォス著

      玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)


   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

   梅雨になりました。これから雨の季節に備えて、家の周りや、いろいろの所を点検したりなど、忙しくしてくれている主人に感謝ですが、雨どいを直すとか、高い所を登るのは心配です。はらはらしながら見守るだけです。私の出来ることは、傘傷み具合の点検や雨具の点検くらいです。坂道の多い田舎の道ですか、履物の点検は大切です。転んでは大変ですから、注意に注意を重ねています。「ジャーナル友」の皆さん、梅雨の時期を乗り越えましょう。  山口県 KTさん  

   愛知県におられる「ジャーナル友さん」からのメールに、楽しみにしていた「ノウゼンカズラ」が、今年も元気よく小さな庭ですが小枝を延ばしてくれました。毎年、朝の仕事は咲き終わって落ちた花を、美しく、やさしく咲いてくれてありがとうと感謝しながら片づけることですが、今年もそれを楽しみにしています。そうして咲き始めた花たちには、きれいに咲き始めているよ、ありがとうネ!と声をかけています。それを窓越しに主人も笑顔で眺めています。10数年前に和歌山にいる娘さんが苗木を植えてくれたとのことでした。  愛知県 KKさん      

   不注意で部屋で転倒して入院とリハビリでしたが、何とか退院できましたが、それまでの部屋の様子は一変、車いすで動けるように子供たちとヘルパーさんの助言で手すり、お風呂の改造、レンタルのベッドと様変わりしての生活も3年目になります。不平不満、自分の情けなさに、今までの信仰がどこかに消えてしまいました。元気な人さまが羨ましく、腹が立ち、家族に当たり散らしていましたが、この「つのぶえジャーナル」の皆様の声に接し、何度も何度も読み返し、今は感謝することが沢山あること知らされました。車いすになり、そのような設備のない田舎の教会ですから、行くことは出来ませんが、その代わりでしょうか、誰かが訪ねてくれて話し相手になってくれています。家内も含めた会話でいろいろのことが話せますので、このご厚意に感謝している日々です。  岐阜県 MHさん

 

      ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

  数日前は真夏のような暑さだったのに、昨夜は激しい雨でした。その雨の音で目を覚ましたのです。でも朝5時に起きた時にはすっかり止んでいました。そして一日晴れています。本日、27日に6月号のジャーナルが届けられました。「ジャーナル友さん」のお声など信仰の日々のお姿と心がいっぱい詰まっている「ジャーナル」を読ませていただき、感謝の涙があふれてきます。つい淋しさと孤独に襲われるわたしに、神様は「信仰の交わり」を差し伸べてくれました。ありがとうございます。今日からまた6月号を毎晩読むのを楽しみにしていきます。大分はもう直ぐ梅雨入りです。「ジャーナル友さん」のことを、祈りの課題にしています。

  こちらは一日曇っています。梅雨入まぢかです。団地の月一回の定例の掃除の日ですが、欠席すると500円を支払うことになっているのですが、お仕事をされている若い方は500円支払って仕事に、また家族で出掛けても行きます。参加する人は高齢者ばかりで、80歳以上の人は免除になりますが、皆さんのお顔が見たいからと、参加しています。年2回の草刈りは、地域の高齢者の団体に自治会費からお金を出して木の剪定や草刈りをお願いしています。費用は掛かってもきれいになるのですから、気持ちが良いですね。

  少し贅沢ではと迷いながら、宮崎県からここ長野に古民家を購入して移り10年になりました。地域の皆さんに暖かく迎えていただき、大工職人であった主人は自分の好きなように手を入れ、古民家のままを残しつつ、建て替える楽しみを味わってきました。私はお近くの方の指導を受けて自分たちで食べるくらいの野菜を作る楽しみをさせていただいてきました。主人も地域のためにと、大工の経験を生かしていろいろの活動に参加しています。私はご近所の方との会話で、お役に立てればと思っていますが、何も出来てはいません。幸いにも、地域の皆さん方は私たちがクリスチャンであることを理解し、冠婚葬祭の参加は自由にさせてもらってきました。明治時代に宣教師や伝道師の先生たちの働きによって小さな教会がありますが、そこに車で1時間かけて行かせてもらっています。生意気にもキリスト者として、地域のために奉仕することは、とても大切です。社会に対して教会もキリスト者も、もっと力を尽くして奉仕するなら、神様の証し人になることを信じています。

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子

     


    『ありがとうございます』

 今にも雨が降りそうな感じです。夕方は大雨とか。名古屋も梅雨入りです。関東や東北地方のおられる「ジャーナル友さん」からのお便りには、関東や東北は、天候の 急変や気温の低下で、日常生活ばかりでなく、農家の方々にとって一番困る「やませ」に頭を悩ませておられるとのことです。

 

「やませ」は、昔から関東や東北に冷害や災害をもたらす、困った自然減現象ですから、一日も早い解消が与えられることをお祈りしています。

 宮沢賢治の「雨にも負けず・・・・」の詩のように、また、柳田邦男の民話に出てくる、農民の冷害の災難から逃れるための「祭り」は、何処の国にもあります。

 

 色とりどりの紫陽花が、お庭に、公園に咲いています。紫陽花は酸性度によって色合いが変わるのですが、種類の多さや大きな塊の中にある小さな花にもそれぞれの表情があり、驚きながら見つめてしまってしまいます。

皆様の健康が支えられますようにお祈りいたします。

 

 2022年5月16日から2022年6月15日までにお送りくださいました方々です。     

宮向井明様 長津 栄様 西口義昭様 山下洋子様 加納さおり様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名2名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

 

 

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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