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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

  涙をもって種まく者は、

       喜びの声をもって刈り取る。

         =詩編126・5=

 混迷の時代、先の見えない日々に神様は、このみ言葉をもって希望を見出させ、喜びへと導いてくださいます。

 神様は私たちをそのみ恵みの内に受け入れてくださったときに与えてくださった心は、何でしょうか。今の同時代の人々に対する責任感と、世の人々をキリストへと導きたいという望みを私たちの心に育て、育んで下さることではないでしょうか。

 神様は「混沌とした闇に光あれ」といわれ、光と夜とに分け・・。良かったと言われましたように(創世記1:1~)、今の世にもそれをお望みです。その役割を、土の器、罪の人間(私たち)を用いて為されるとは、信じ難い光栄であり、大役でもあります。

 

 キリスト者は、この大役にたじろぎ、その歩を止めるとしたら、それは、自分の力や熱心で事に当たろうとした結末です。それが不成功であったことを見ると、不遜にも、その心はしばしば心折れ痛み、疑いに満たされてしまいます。特に生真面目な説教者たちや、熱心に教会の活動に、伝道の働きに関わった者が陥る、挫折感には深いものがあります。でも立ち止まってはなりません。

 

 親は子供に夢を託し、愛情を注ぎ努力した結果を、気ままな生活をしている姿を見る時、虚しさを味わうと言います。もしそうなら、神様は私たちに託した役割の結果を見た時、そのようにお思いになるのでしょうか。

期待外れ、期待を裏切ったと、私たちが日常の中で思うのと同じように、神様はお思いになられるでしょうか。

 

 すべての権をお持ちになる方を信じる信仰を告白し、祈りを聞くお約束下さった方を信じると告白し、励んできた者には、時に疑いを抱かせるころもあるでしょう。しかしそれは誤りです。この「涙をもって種まく者には、喜びの声と刈り取りの喜び」を神様は祝福をもって与えるとお答えくださいました。

 神様からの収穫は、額に汗し、涙を流すところに収穫があると言うのです。私たちの日々も同じではないでしょうか。そうであるからこそ、今の汗と涙は、喜びの約束でもあるのです。肉体が元気あることは大切です。しかし、もっと大切ものは信仰の心も元気ではないでしょうか!

  主のために涙もて種まきに出て行き、

損失はわが心を悲しませども、

われらの涙の日の終わる時、

主はよろこび迎えたまわん。

 

讃美歌536番

1 むくいをのぞまで  ひとにあたえよ、

  こは主のかしこき  みむねならずや。

  水の上に落ちて   ながれしたねもを、

  いずこのきしにか  生いたつもの。

2 あさきこころもて  ことをはからず、

  みむねのまにまに  ひたすらはげめ。

  かぜに折られしと  見えし若木の、

  おもわぬ木陰に   ひともや宿さん。  アーメン

  

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  「小閑記」

 わが魂は絶えいるばかりに 主の大庭を慕い、

   わが心とわが身は 生ける神にむかって喜び歌います。

            =詩編84:2= 

 キリスト者の生活のしるしは、望みに生きる、または憧れに生きる生活と言うものだと言われています。感謝なことに、私たちがだんだんと、罪とこの世の執着から逃れると、神様を求める心が私たちの内に強くなってきます。

 ある信仰の先達は、キリスト者の憧れは3つの枝にわかれると言いました(クリスチャン・スクリーパー)。

 

信仰によって、キリストの内にあろうとあこがれる、愛によってキリストのために生きようとあこがれる、希望によって、この世を去ってキリストと共にありたいとあこがれる、というのです。

 

このキリスト者生活の三つの面は、パウロにあっては非常に顕著であります。パウロは、キリストをとらえようと追い求めます。パウロは主イエス・キリストから賜わった神の恵みの祝福を証しする任務を果たしさえしたら、この命は、自分にとって少しも惜しいとは思わず、そして、この世を去ってゆくことをあこがれています。

 

このキリストのみこころを、ますますわがものにしたいと望むこの静かな、そうして強い欲求は、私たちキリスト者の生活において認めうることではないでしょうか。この欲求こそが、特に私たちをひざまずかせ、心の底からの涙と祈りを呼び起こすものではないでしょうか。心の中の平安がすべてになり、あこがれがキリストへと引き寄せる時、私たちは何と不思議な喜びを経験することでしょう。

 

キリスト者一人ひとりがこのこの崇高な憧れを追い求め、日々の事柄に追われて大切なものを見失わないように、信仰という「真の道」に進みましょう。

   讃美歌320番

 主よ、みもとに近づかん、 のぼる道は十字架に

   ありともなど、 かなしむべき、主よ、みもとに 近づかん。 

  アーメン


世田谷通信(225

猫草

顔を合わせての活動というのが制限されるようになって久しい。もはやそれが当たり前のような生活になっている。子どもたちの給食も「黙食」で教室は静かだ。でも一緒に食べるのは楽しいことだし、毎日のメニューも気になる。その日のメニューは子どもたちが食べる少し前に各階のプラスチックケースに配膳見本が置かれるのでわかる。手洗い場の横に来てはかわるがわる、たくさんの子どもたちが時に歓声を、苦手なものだとがっかり、新しいメニューだと好奇心いっぱいの表情で眺めていく。

自分の子どもの頃を思い出すと、主食はほとんど食パン、たまにコッペパンや揚げパン。袋に入ったソフト麺というのがあった。クジラの竜田揚げもうっすら食べた記憶がある。そういえば、「スラッピージョー」というのがメニュー表に載って、何だ?と教室中がざわめいたことがあった。当時そんな名前の食べ物は誰も知らなかった。わくわくしながら当日を迎えると、ひき肉とトマトと玉ねぎを炒めたもので、パンに挟んで食べるおかずだった。誰かが「ミートソース・・」と呟いて、全員が「だよね」と思った。

それに比べると、今どきの給食の美味しいこと、多彩なこと。横文字メニューも多い。主食だけでも麦飯、パスタ、ラーメン、焼きそばに赤飯もでる。パンも揚げパン、ハンバーガー、ココアビスキュイパンなんてお洒落なのもある。

食物アレルギーのある児童には毎回アレルギー除去食が出される。職員室には毎日各教室から電話があって、その度に副校長先生がアレルギー一覧表を確認している。

自分が子どもだった時代にも食物アレルギーの子はいただろうに、そんな丁寧な配慮はあっただろうか。出されたものはとりあえず残さず、好き嫌いなく全部食べろ!という感じだった気がする。牛乳が苦手でどうしても飲めなくて、それでも許されず、毎日掃除の時間まで俯いて教室の隅で牛乳瓶を前に固まっていた子がいたのは覚えている。さぞ苦痛だったことだろう。自分も牛乳瓶のぬるっとした感触が嫌いで、仕方なく飲んでいた。牛乳大好きは少数派で、苦手な気持ちはみんな多少なりともわかる。だけど、我慢が美徳で、多数が正義で、先生は絶対だったから、どうすることもできなかった。

数年前まで世田谷区も牛乳瓶だったが、今は四角い紙パック&ストローだ。職員室では「私これ苦手。いらない。」と言って牛乳を飲まない先生もいる。それを咎める人は誰もいない。それだけでも時代は変わったのかなと、少しほっとする。

 <いきいき里山・山里ものがたり>

  「世田谷通信」さんのお花の写真の紹介と感想で、それまで花などには殆ど興味を示さなかった主人が、お花の図鑑を買って来たり、狭い庭に鉢植えの花を買って来て朝晩水やりをしています。テレビの「XX園芸」を録画して何度も繰り返し見ています。今は12鉢ですが、これから多くなるでしょう。無趣味?から少し成長した主人が素敵ですよ。少し褒め過ぎかも?!      

愛媛県 OBさん

    

6月号の写真の紹介をさせていただきます。…猫草…  

 ⁑ 近くの河川敷でヤマグワが実をつけていました。塾せば野鳥のご馳走になりますよ。

 ⁑ カタバミの中でも派手な色で群生しとても華やかなのに、名前がイモカタバミで可哀想?です。

 ⁑ シロダモの若い葉は白っぽいので、この時期は林の中でもよく目立ちます。それにしても「ダモ」って何でしょう?

 ⁑ アズマネザサを放置するとあっという間に成長しますが、毎年丁寧に刈って斜面に光が入ると春に綺麗な野草が咲きます。頑張ったご褒美みたいな気がします。


「美しい朝に」

⁂  退院して、1か月が過ぎました。入院中は、夜の9時には消灯でした。6人部屋も真っ暗で、音も出せませんでしたから、家では電気がつけられ、テレビも音楽もイヤフォンなしなのがうれしいです。入院は46日でした。おかげで・・・良い習慣もつきました。以前より、入院していたとき体重はマイナス8キロでしたが、4キロ戻りました。夜も眠剤なしで熟睡できるようになりました。

              

=沙耶香のつぶやき=

   私たち家族のゴールデンウイークは、今年もコロナが心配で、近くのフラワーパークで、お父さんの運転とお母さんの手作りのお弁当持参で、出掛けてきました。天候に恵まれて、色とりどりのお花とチュウリップで花の模様の絨毯を展望台から眺めることができました。お兄ちゃんは就活と友だちとの約束とかで行きませんでした。もちろん、花粉症、日焼け対策はばっちり!ですよ。

   母の日に、家族の夕食を一人で作りました。何日も前から何を作ろうかと考えましたが、普段作っていないので、なかなかメニユーは浮かばないので、特別なことは止めて、何時もお母さんが作っているのを、私が作ることにしました。お父さんは、今日はお母さんの代行だねと笑顔で食べてくれました。もちろん、後片付けもしましたよ。やればできるじゃん!と褒められ、次の日も・・・と思ったが、疲れて止めました。そうだよね。母の日は一日だけだもんね。それで良いか・・・と自己満足しています。

       ********

*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子

 


 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (195)

4月13日

 今日もよく晴れて暖かい一日です。私が一番好きだった長野県出身の小平奈緒選手が今年の10月で引退されるというニュースを耳にしました。小平奈緒選手がスピードスケーターとして頑張って以来、私はずっと応援し続けてきました。

その謙虚な態度、言葉遣いに心打たれたのです。昨日の会見でも一言一言が謙虚でした。そして決しておごることなく、いつも10歳も年下の選手や学生たちと一緒に練習に励んでいたし、これからもし続けるというのです。胸がいっぱいになってしまいました。ライバルと言われていた韓国の選手もこれからの活躍を祈っているといっていましたね。

へりくだり、感謝するのみ受難週。

せせらぎの音柔らかく水温む。

里山の畑の翁にキジ鳴きぬ。

谷風の収まりこぶい咲きにけり。

谷川に沿ふ急峻や滝の音。

風通る新しき町ハナミズキ。

山峡の道を覆へる若葉かな。

春愁の苦悩ロダンの像にあり。

ハナズオウ咲かすや一つの夢叶ふ。   馬場路哉  

4月25日

 今は薄曇りです。今朝は気分がよかったので久しぶりに散歩に出かけました。

すると大発見です。こんなところに山桜が咲き誇っているではありませんか。散歩道には一面にその小さな薄い、とても小さな花びらが一面に風に吹かれて敷き詰められています。まるでアンデルセンのおとぎの国にでも来たような気分になって遠くに見える山桜を眺めて賛美歌533番を大きな声で賛美いたしました。

主のもとに集められし者イースター。

高みなる軍人墓地の桜かな。

困難に耐へむとすなり受難週。

山桜みやまつつじと咲き競ふ。

ハナズオウ夢を見るかに庭に咲く。(ハナズオウはとても珍しい花です。ぴんくのこい米粒のような花が小振りの枝に鈴のようにたくさん咲くのです。)

谷川に沿ふ急峻や滝の音。

鶯の厨のそばでケキョケキョと。

里山の畑の翁にキジ鳴きぬ。

細流の音柔らかく水温む

春寒や雨天となりて掃除しぬ。  馬場路哉

今朝は主人が夕ご飯の下ごしらえを手伝ってくれました。新ジャガイモの皮むきです。たったそれだけ手伝ってもらっただけですが、朝にパソコンに向かうことができて感謝です。

運転手老ひて新樹の山に住む。

水張られ声の揃ひぬ田のカエル。

早朝の光漲るシャガの花。

先々は神に委ねむ朧月。

帆を立てし様なる芭蕉若葉かな。  馬場路哉

馬場暁美

上野緑ケ丘教会会員

 


眸(ひとみ)

  5月の青空、日に日に緑の色が多くなり、枝が茂り、青葉、若葉で遠くが見えなくなりました。遠くの家に鯉のぼりが風に揺れています。今までお住まいの方は私たちと同年齢なのに、どうしてだろうと思って見ていましたら、役場の方があれはお子さんの希望で、お孫さんのための鯉のぼりだそうです。都会の団地での生活とかで、鯉のぼりを飾る空き地がないので、お子さんの代わりに、だそうです。そう言えば、私の近くの町では町おこし、観光とかで、川の両岸から数多くの鯉のぼりが渡されたロープに横に並んで風の中を泳いでいました。時代と共に鯉のぼりも竿に縦に飾られるのではなく、川岸に渡されたロープを横に並んでですから、時代とともに風習や習慣も変わるのですね。山里ならではの今の季節です。 石川県 HHさん

  三番目の息子もお兄ちゃんやおねいちゃんに手をつないでもらいながら、楽しそうに学校に行ってくれています。甘えん坊さんでしたが、なんだか少し逞しく?なったような気がしている親バカです。連休も外で遊んでいるみたいです。上の子には迷惑でしょうが、掃除や洗濯はお任せして午後3時までのパートに出掛けています。お母さん一人で大変ね!と言われるのですが、ワイワイ騒ぎながらの日々に感謝しています。教会には家族4人で出かけ、毎回、新しいコースを選んで公園で遊んでから帰って来ます。神様はお守りくださるのですね。  埼玉 BAさん

  コロナで家に閉じ籠っていた日々から解放されたいと思って、家族でゴールデンウイークに岩手県巡りをしてきました。遠くの山には雪がありましたが、桜も終わり緑の若葉と菜の花畑のお出迎えを受けての家族旅行ができました。印象に残っているのは雫石町の小岩井農場の風景は言葉に言い尽くせません。岩手山、広い畑と緑と菜の花に心奪われシャッターを切っていました。子供たちも何時もなら車の中でゲームに夢中なのに、余りにも広い大地に心奪われたようでした。楽しく心に残るゴールデンウイークでした。  東京都 TTさん   

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 


十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

 

=御名=

第一の祈り④・自分を崇める

       創世記11:1~4,ヨハネ12:27~28

 

 ノアの洪水の以後、人々は再び増えました。創世記11章のはじめの部分を読んでいただきました。そこには人々がバベルの塔を築いたことが記されています。彼らは何の目的でこのような塔を建てたのでしょう。人が最初に造られた時、やがて数が増え、地に満ちることになることが神から人に与えられたことが目的の一つでした。しかし、この11章4節には、人々は塔を建てて集まり、「全地に散らされないようにしよう」と言って、神の命令に逆らいました。彼らがそのようにした動機は、建てた塔のことで「有名になろう」、すなわち、「自分たちの栄光を現わそう」という強い願いがあったためでした。

 結果として有名になるのであれば、それは避けられないことですが、バベルの人々は、有名になること、自分たちの名が崇められること、栄光を自分たちに帰すことが目的で、この塔を建てました。このように、私たちは彼らの子孫として、常に自分を崇めたいという性質を大なり小なり持っていることを示しています。

 

 「御名を崇める」ことに関して、アーサー・ピンクという人(1886~1952年、移民としてアメリカにわたり、アメリカの教育を受け、牧師になり、1934年にスコットランドに戻り、前後の30年間「聖書研究」という月刊誌に書き続けたものが、書籍になっている)は、主の祈りの第一の祈りに関連して、神の御名を妨げている自分の罪を嘆く必要があると教えています。

 そして(1)避けるように願うべきことが、自尊心、熱心さの欠けた冷ややかさ、意志の頑なさ、生活の不潔さという4つの点を挙げています。その反対に(2)積極的に求めるべき点としては、神を知る知識が豊かになること、清い畏れが心に増すこと、信仰と希望と愛が増し加わること、そして、自分の賜物を正しく積極的に用いることの4点を挙げています。

 

 17世紀のオランダの神学者でウイトシウスという人は、「主の祈りの講解」のなかで、神の御名を崇めることを願っているなら、神に仕えるのに自分に欠けた点を、人が補ってくれるのを喜ぶはずであること、また、他の人が自分より能力があって神に貢献しているのを喜ぶはずであること。この二点がチェック・ポイントであることを語っています。

 キリストご自身の実例を考えてみましょう。今回の聖書の個所に、十字架を思って心を騒がせられた主イエスがヨハネによる福音書12章28節で、「父よ、御名の栄光を現わしてください」と祈られました。公生涯の終わりが近づいた時、主はこのようにご自分によって、父の御名の栄光が現れることを願われました。

 死を前にした御子にとって、父の御名の栄光を現わすことが最後の関心事として、そのことを願われたということは、御父の栄光が最も大切なことであることを意味します。私たちが神の栄光を現わすことができるなら、それが何よりも幸福であるということです。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

20 最後の奉仕・・2・・

 いよいよマカルピン師にも、その宣教師の奉仕を終えて、日本を去られる隠退の時がやって来た。

1932年(昭和7)3月5日、マカルピン師の満70歳の時である。しかしマカルピン師の後継者であるラ-ドナー・モーア夫妻が休暇から日本に帰るまで隠退の日を待つようにとのことで、半年ほど帰米を延ばすことになった。

春から初夏にかけてマカルピン師の隠退と帰米を惜しむ各地の教会での送別会が盛んに開かれた。日本伝道47年、それは決して短い歳月ではなかった。ようやく自転車が日本にも用いられるようになったのが明治の中期、鉄輪の自転車では道の悪い山坂を走ることも出来ず、手押しで坂道を運ぶことは大変な苦労であった。

ベビーオルガンを乳母車に乗せて運び、田舎町の街角で日本の補助伝道者と一緒に路傍伝道を盛んに試みたことも、マカルピン師にとって忘れ難い思い出であろう。高知県、神戸、愛知県、岐阜県、そして朝鮮とその足跡の至る所で、温容なマカルピン師の眼差しに触れ、誠実な交際と親切、そして小さな集会場のための運営と奉仕を続けた47年である。

謙遜は神の下僕として、人の足を洗うことも辞さなかったマカルピン師の影響感化は、今もなおこれを知る人の心に忘れることなく印象付けられている。先頃、筆者は中津川で「自由民権運動とキリスト教」の系譜を調べるため、この町の一自由民権運動家がキリスト教に接していたというので、その人物を知る古老に、そのことをただした時、「黒い服を着た背の高い外国人でカトリックの坊さんのようでした」との答えで、腑に落ちないまま歳月が経過した。たまたま市の名誉市民であったH氏が旧家であり、旧事を語り合っている時、「その民権家は私の縁者です。そこに出入りしていたのはマカルピンさんですよ」との言葉に町の有力者の中にもマカルピン師との繋がりと影響があったことを知ったのである。地に蒔かれた福音の種は私どもの知らない所で、水注ぐ者の手を待っていることを教えられて、自らの怠慢を恥じた。

先輩宣教師方が、どこに福音の種を蒔いたのかも確かめようともせず、実らないのはその宣教の失敗と決め込んで省みようともしない、後継者の牧師、伝道者でなければ幸いである。一生を捧げ、親・子・孫に至るまで、キリストを愛し、日本を愛して主のために力を尽くした先輩宣教師の足跡を辿ることも、また無駄ではなかろう。

この年8月、長崎にあったJA・マカルピン氏も、米国のウエスタン神学校に入学のため帰米された。10月1日、マカルピン師は横浜出帆のノルウエー号で明け方出航した。嵐のために出帆が一日遅れたのである。船は太平洋を渡り、サンフランシスコからパナマ沿岸を下ってパナマ運河を通り、キューバの東端からコロンブスが上陸したサン・サルバドルの記念碑を望み、やがて35日間の長い船旅をニューヨークで終わった。そうしてウエストンセーラムに11月14日、無事に着いたのである。

マカルピン師はそこで3か月ほど滞在し、その後ノースカロライナ州エキソンの伝道所で奉仕し、その教会の会堂を建築し、会員も50人ほどに成長し、定住牧師も与えられるまでになった。


「いのり」

   毎日の生活を平凡に過ごし、それが当たり前になり、祈りの必要なこともあまり感じないままの日々でした。それが、心の渇きなどとは全く感じていませんでした。そのような私の生活に祈っていないことに、この「いのり」で、気づかされました。

健康で、家族も過ごせているので「感謝」を忘れてしまい、それが信仰の怠惰に陥っていたことすら、感じられませんでした。本当にこの「つのぶえジャーナル」の「いのり」に感謝しています。 群馬県 TTさん

   子供の進学や主人の健康のことなどで、気持ちが塞いでしまい、イライラした日を過ごしていましたが、この「いのり」で大切なものを見失っていたことに気付かされました。モヤモヤ、イライラのために聖書からも離れていました。

 

*****************

   主の恵みを

 真(まこと)の神を信じない

  仰ごうとしない私を

真の神を仰ぐ者とされた

    主の恵みをほめ讃える

 真の愛を求めない

  触れようととしない私を 

   真の愛に触れる者とされた

    主の恵みをほめ讃える

真の道を尋ねない

 歩もうとしない私を

  真の道を歩む者とされた

   主の恵みをほめ讃える

 

  ひまわり

庭から 切ってきた 大きな大きな ひまわりの花が

 小さな小さな事に こだわるわが心に 話しかける

神様の大きな大きな愛を

   

=水野源三著第四詩集より= 

第104課 結びの言葉:個人的挨拶 

=16:1~27=

分裂と偽りの教理に対する警告

        =16:17~20=

「さて兄弟たちよ、あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教えに背いて分裂を引き起こし、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠さかるがよい」(16:17)。

「パウロはすべての忠実な教師や信徒たちを親切に受け入れることを彼らに勧めると共に、分裂やつまずきを与える者たちとの関係を断つことを勧めている。彼がこの箇所を記していた時に、その心にあったことは二つの誤りを指していると思われる。すなわち、誤った教理によって引き起こされたつまずきとか、醜聞とかであったと考えられる。初代教会を迷わせたこうした種類の誤りは殆ど道徳的な悪行に関係があったと考えられる」(ホッジ)。

 

私たちも同じく偽教師やその誤った教えを避けることを常に考えなくてはならない。現代において多くの人々が教理に関する相違などは重要ではない、生活における重大な誤った行動がない限りは大したことではないと考えるのである。しかし、正しい生活は真理から来るのであって、偽りからではない。偽りの教理は結局、邪悪な生活をもたらすのである。

 

偽りの教理の教師たちは先ず警戒され、直ちに避けられなければならない。キリスト教の愛は、私たちの家庭に侵入する盗賊や家庭に害を与える者を寛大に扱うことを要求していないと同様に、偽りの教理を寛大に扱うことを決して要求してはいないのである。キリスト教の愛は実は偽りの教理を拒否することを要求するのである。

 

私たちが偽りの教理を教え、すすめる者たちを警戒すべきであるならば、まず第一に真正な教理とは何かを知らなければならない。現代の多くのキリスト者たちは、神聖な教理と偽りの教理との相違を判別できないのである。彼らは自分の属する教会と他の教会との教理的な相違を正確に述べることができていない。偽りの教理を警戒し、それから遠ざかるためには、神の御言葉に述べられている真正な距離の適切かつ正確な知識を持たなければならないのである。

     JG・ヴォス著

      玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)        


     

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

  こちらも桜が舞い始めました・・・と思っていたら、細い山道には桜の花びらが薄いピンク色のお団子を作っています。鶯も得意げに鳴いています。山の田んぼは田植えを待っています。気温が20度近くにまで上がりましたので、忙しくなります。ところどころにはまだ雪があります。村の今年の新小学生は2人とか。お兄ちゃんお姉ちゃんたちに連れられて通学バスに乗って登校。私たちの頃は、荷馬車に乗せてもらったものです。変わらないのは緑のそよ風です。さあ~お布団でも干しましょうか。 佐賀県 KTさん  

  今は緑が鮮やかになりつつあります。お花ではハナミズキが白やピンクの花を咲かせて目を楽しませてくれています。今年もイースター礼拝に行くことができませんでした。この時期は何時も体調がすぐれなくて、もう7,8年イースター礼拝は、在宅礼拝になってしまいました。考えてみると礼拝に行けることは、特別なことだった感じがしています。自由に行けている時には感じられないことです。いろいろの事情で礼拝に行くことができない「ジャーナル友さん」もおられることでしょうが、一人で勇気を出して神さまをほめたたえさせていただきました。  兵庫県 KKさん      

  最近は何もかもが値上がりで、家計に響きますので、食卓には「もやし」が中心です。いろいろ工夫して楽しんでいます。ベランダ菜園なんていうのは贅沢で、規格品外の野菜で十分ですよね。子供たちも喜んで食べてくれます。インスタント食品に偏りがちな生活から、ひと手間加えての料理を楽しんでいます。 香川県 MHさん

  コロナ禍で福岡にいる息子たちも2年振りの里帰り。うれしかったです。孫たちも中2と高校1年になり、大きくなった姿を見て驚きました。そうだよね。私たちも年寄りになるのは当り前だよね、と今は静かになった私たちの会話です。健康で過ごしたいと改めて思いました。「ジャーナル友さん」のゴールデンウイークは如何お過ごしでしたか。 島根県 HTさん

 

      ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

  今年は、娘夫婦と家族が、連休を利用して、私たちの世話をしてくれ

ている兄夫婦に代るためにきてくれました。息子たちは3泊4日の温泉巡りに出掛けてくれました。何もかも訪問介護のヘルパーさんと息子夫婦に頼る私たちですから、このような時間を作ってくれた娘夫婦には感謝しております。神様からのお恵みです。感謝です。

  こちらは一日雨です。明日は晴れそうですが、今週は雨が多いようですね。このような雨を菜種梅雨というのだそうです。農家さんには恵みの雨になっているようです。もう村の田んぼは田植えの真っ最中です。すでに苗を植え終えたお家もあるようです。これからが農繁期と言って、とても忙しくなる季節ですね。草もぐんぐんのびてきました。さすがの主人も草刈り機を出してきて家の周りの草を刈っていました。

 

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子

 


    『ありがとうございます』

横浜にお住いの「ジャーナル友さん」から、今年も小さい公園の片すみにある藤棚に、薄紫の花が咲いてくれました。普段は人影もあまりない公園ですが幼いお子さんの散歩道、楽しそうな遊び場になっています。市が管理しているようですが、お年寄りの有志の方が長年、運動になるからと言って、清掃や管理をしておられます。小さな出会い、話し合いや笑顔の場を、小さく狭くても藤棚や季節の花が、お隣さんをつなぐ、自然の恵みとして作ってくれています。素晴らしい社会奉仕がそこにありました。家の中に閉じこもりがちだった私たちも時々?その輪に参加させてもらっています。都会の片隅の小さな憩いの場が、そこにありました、とのメールが送られてきましたので、紹介させていただきました。

新茶の季節になりますと、お飲みくださいと贈ってくださる姉妹もおられ、私たち老夫婦、感謝していただいております。あの味わい深い香りで元気を頂いております。

 2022年4月16日から2022年5月15日までに、「つのぶえジャーナル」のためにと、寄付金・献金としてお送りくださいました方々です。心から感謝いたします。     

井上義明様 稲田喜水様 宇佐神正武様 加納さおり様 佐藤のり様 馬場暁美様 奥平三郎様 匿名2名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」や「祈り合う友の輪」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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