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「今月のことば」
わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
=ヨハネ11:25=
真実な愛
真実な愛がない心から 出てくる行いを見ないで
真実な愛に満ちた主の その御業を見つめて歩めよ
真実な愛がない心から 出てくる言葉を聞かないで
真実な愛に満ちた主の その御言葉を聞いて歩めよ
真実な愛がない心から 出てくる力に頼らないで
真実な愛に満ちた主の その御力たのみて歩めよ 水野源三
今、一番忘れてはならない出来事はクリスマスと共に、「イースター」です、と言えば、多くの人は不思議に思うことでしょう。しかし、ゴルゴタの丘で十字架の上で処刑された主イエス・キリストは、このイースタ―で約束されたことの成就、復活を信じる人々が待ち望んでいた「よみがえり」を証しされたのです。
イエス様の死と葬りは、弟子たちや救い主と信じて従って生きてきた人々にとっては暗黒であったでしょう。しかし、不安と絶望の中にあっても、イエス様のお約束を待っていた出来事、この「よみがえり」は、言い尽くせない喜びであったことでしょう。
希望の拠り所を失い、消えてしまった墓の中のイエス様を見た者にとっては、立ち尽くし泣き崩れるしかありません。「絶望」とは、「望みを失うこと」です。
大きな死の力は、主イエスをも飲みこんでしまいました。人間の体が土となりはじめていた墓から、生ける人を呼び出されたあのイエス様が死なれたのですから。
3月号の「今月のことば」、べタニヤについて考えましたが、「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」とマルタはイエス様に申しました。今日も、今も、人々はこの叫びを言います。しかし、イエス様はお答えになります。
「もし信じるなら、神の栄光を見るであろう」。イエス様はこう言われた直ぐ後で、死んだと思われていたラザロは生きて、家族の群れの中に立ちました。「絶望」から「希望・喜び」変わったのです。今、この主のお約束を信じて待つだけの信仰を持つ者は、すべてのことが、喜びに代わることを信じることでしょう。
「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」
このみ言葉の成就こそが「イースター」なのです。
詩人は謳いました。
人みな喜べ、主は生きたもう。
主をたたえよや、救われしもの、主をほめたたえよ。
罪も死も、地獄もそのいきおいにひれ伏す。
「小閑記」
弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみな閉めていると、イエスがはいってきて彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
=ヨハネ20:19=
イエス様を救い主の信じて歩んできた弟子たちや当時の人々にとって、イエス様の十字架の死は敗北と、恥辱、落胆と嘲笑という、耐え難い悲しみであったことでしょう。弟子たちは自ら閉じ込めさせてしまいました。自分自身の不信、不安な心を恐れ、他人を恐れました。彼れらはイエス様をイエス様の言う通りの人物だと信用して、彼らの仲間に入り、イエスこそイスラエルの希望であると宣べ伝えていました。それなのに、今、イエス様は死んでしまったのです。その死を見、槍で刺される姿を見、ヨセフが墓にイエスを入れるのを見ていたのです。
正直な人にとって、この事実は辛いことです。彼らは救い主を失い、未来を失ってしまったのです。主が生きておられるという噂は、弟子のトマスにも伝わり、自分の指を釘のあとに差し入れ、手を主の脇に差し入れるまでは信じないと言わせました。もう一度失望することは、トマスには耐えられないことでした。
しかし、彼らが気付く前に、生けるイエスが部屋の真ん中に立たれました。カギをかけた扉を通って、主は愛する者たちの所へ現われ、平安をお与えになりました。ごらん、この手と脇をと!!
あなたはイエス様を失いましたか。あなたの魂が愛している主イエスを失ったように思うのですか。否、あなたは失ってはおりません。主は生きておられて、やがてあなたも私も今よりはるかに大いなる栄光ある主にお目にかかるのです。
私やあなたの心の扉が悲しみや疑いや冷ややかな軽蔑の眼差しに打ちのめされているように見えても、今までよりも大いなる栄光を見ます。主イエスは、この悲惨な現実のただ中に、この世界の真っただ中に立たれます。
主イエス・キリストは世界の暗黒と絶望の中に、たびたびお立ちくださいました。不安におののき、独り悲しみの祈り人の部屋に、よみがえりの主イエスは、お立ちくださいます。暗い地下壕におられる人々に、輝きの光を下さいます。諦めないでください。不安でも、世界の祈りの友の励ましを信じてください。そのただ中に、祈る人の心に主イエス・キリストはお立ちくださり、「平安あれ」と言われるのです。
世田谷通信(223)
猫草
「フォッサマグナ」って教科書の隅の方に何か書いてあったような、なかったような。興味を持って、関連する本を読んでみても理解も説明もできない。相手が大きすぎてイメージがつかめないのだ。1600万年も前から存在していて、本州の真ん中を貫通する、深さ6000m以上の深い溝。その範囲は首都圏をすっぽりと覆って余りある。そんな面白い地形の上に暮らしているなんて、これまで誰も教えてくれなかった。まあ、聞いたところで「ふうん」と思うだけですが。
巨大な溝といっても、ちゃんと固い地面と知って安心する。そりゃそうだ、日本沈没は小説やドラマの中だけにしていただきたい。長い年月をかけて堆積層、積み重なった地層が固い地面を構成しているのだが、フォッサマグナ地帯の基盤岩は6000mボーリング調査をしてもたどり着けないというのだから、また驚く。地球ってまだ分からないことがたくさんあるものだな、と妙に感心する。そうだよね、地球だってあの夜空に輝く星の仲間だもの、あ、惑星だから光らないのか。地球は動いていて、伸び縮みしていて、生きている。その巨大な活動の薄皮のような地面に線を引いて、国境とか名前をつけて暮らしているのだなと思う。
先日、区の資料室で探し物をしていたら、赤ちゃん連れの若いご夫婦が「断層のわかる地図はありますか」と聞いていた。自分たちの住む場所に断層があるかどうか調べたいからと。防災意識の高い方々だ、ネットで検索すれば国土地理院の活断層図が無料で公開されています、自治体別の土砂災害ハザードマップもありますよ・・、と心の中で呟いた。自分の地域の地形地質の特徴は知っておいて損のない情報だと思う。
<いきいき里山ものがたり>
* 子供の時からこの地に育ち、見慣れたこの地を、「里山・山里」などと言う感覚はないまま、主人と畑仕事をしてきましたが、都会生活の中にいる子供たちには、今で言う「癒し、癒される」地だそうです。そう言われて周りを見渡せば、小川?には魚が泳ぎ、虫たちが飛び交い、野山は淡い春霞、人々は畑の仕事、その穏やかな日々の中にいることへの感謝を、この「いきいき里山ものがたり」を読んで感じさせられています。まだまだ元気ですから野菜の出荷に頑張ります。裏山の筍が楽しみです。 愛媛県 O・Bさん
* ジャーナル友のみなさん、お変わりありませんか。季節は春ですね。ふと目を花々に注ぐといろいろの花が咲き始めています。ヒト目線だと小さな花でも、昆虫目線だとまだまだ朝晩冷える中に咲く大輪なのでしょうね。えーと 、これはトキワハゼでしたでしょうか。サギゴケ、シタバウオ・・・、これもヒト目線だと似たり寄ったり、ほわほわの毛が優しいハハコグサ。「綿屋さんの母子ね!」という絵本の言葉がぴったりです。こんな時期に大量のエゴノネコアシアブラムシ?と思ったら、ミツマタのつぼみでした。樹皮は和紙の原料になるそうです。書き始めるときりがありませんので、後はみなさんにお任せします。猫草
《写真の説明と投稿です》
「美しい朝に」
⁂ 昨日検査をして、大腸は、大丈夫だったので、 3日絶食ののち、昨日の夕食から普通食をたべています。
⁂ 今朝は、土日なので検査はおやすみです。ほとんど、毎日、消灯時間の間に2〜3時間、熟睡できています。身体から、眠剤が抜けたと感じます。今は、朝ごはんをまっています。もうすぐ、ひな祭りなので、折り紙で作ってみました。
⁂ 病院の廊下から、あべのハルカスを写しました。スマホしかないのですが、毎日、写すことを時間をかえて、角度をかえて、研究しました。ガラス越しですが、通天閣も、部屋から見えます。神様が、奇跡を写させてくださったのかな!?
⁂ 病室からの写真を送りましたので、ご覧ください。
=沙耶香のつぶやき=
春になりました。花粉症のわたしです。今まであまり気が付かなかったのですが、お母さんが庭の八重の椿が咲き始めたよと教えてくれました。花粉症でそれどころでないわたしでしたが、薄いピンクと白が混じっています。やっと春を迎えての今、とても感謝して愛でています。
まだまだ花粉症です。お薬で何とか頑張っています。お母さんもお父さんも同じで、違うのは兄だけです。みんなから裏切り者!と言われています。何だか可哀想です。でも羨ましいよう!!
********
*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(193)
2月17日
今朝の寒さもまた厳しいでした。指先が凍ってしまうほどに痛く感じられました。春よ来いと大きな声で叫びたいぐらいです。
金色に輝くレンコン堀にける。(すぐ近くの場所にレンコンが栽培されています。)
春立つや茜広ごり暮れにける。
寒中やこの十字架を負半とす。
急坂は前かがみなり梅探る。(我が家の前の道は30度ほどの急な坂です。)
春よ来いフルートの良き音色かな。(毎朝五時から聞いているクラッシッククラブでの演奏です。)
凍てゆるむ散歩の足の伸びにけり。 馬場路哉
2月も半ばになるというのに今年はまだまだ真冬並みの寒さが続いています。
あと少しの我慢でしょうか?
3月1日
朝から雨です。草木は恵みの雨をいただいて喜んでいるように感じられます。
3月になって春を感じる雨です。冷たい中にも希望が与えられるように感じます。
賛美歌291番にもありますが、“忍びて、春を待て、雪は解けて花は咲く”と。
寒い間の忍耐が暖かい春を迎えて気持ちがほぐれていきますね。感謝です。
旧交を温めてをり草萌ゆる。
山峡の空澄み渡る春の鳶。
ちぎれ雲ゆっくり流れ春の月。
春夕焼犬に似てをる雲形。
周りには樫の木多く風光る。 馬場路哉
3月2日
やっと雨が上がりました。温かい朝です。世界に目をやるとウクライナとロシアが大変な状況になっています。ニュースを耳にするたびに胸が痛みます。第三次世界大戦になりかねません。一日も早い停戦をと願うものです。
こちらの梅はようやくほころび始めて香りまでは届きませんが、春の訪れを伝えてくれています。
北風や笠取山は如何ならむ。(笠取山は主人の父の里の近くです)
日野菜なる片平あかね色極、う。(日野菜付けと似ていますが、片平あかねは山添村でしか栽培されておりません。赤い色に染まったお漬物です。)
鼠色棚田細かく耕しぬ。
おきつもの名張の山に雪舞ひぬ。
二股の枯れ木ぐらりと風に揺れ。 馬場路哉
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
眸(ひとみ)
主人は6年前に癌で亡くなり、残された2人の子供と3人の生活です。心細い日もあります。幸いに看護師の資格がありますので市内の病院で働いています。院長先生や奥様は同じ教会の役員をされていて、暖かい心で見守ってくれています。同僚もクリスチャンなので、昼の時間には院長先生を中心にして、お祈りの時を持っています。コロナでは、学校が休みの時もありますが、支えてくれます。でも疲れてしまう時は、礼拝を休んでしまいます。理解されている安心感って、私の大切な神様からのお恵みと感謝しています。 広島県 H・Hさん
「ジャーナル友」の皆様、お変わりありませんか。春は花の便りとともに私の苦手な花粉症と季節性のストレス性胃炎に悩まされている日々になってしまいました。特にコロナとウクライナのニュースは、辛く悲しい、何とも言いようのない思いにさせられます。そのような重い気持ちを抱えながらの仕事は苦しいです。教師として、生徒に何を話し、平和を伝えれば良いのでしょうか。一人の力や声は小さく無力にさえ感じます。私は戦争の話は聞いたことはありません。今は、そうしてこれからも平和を求めて祈ります。 山口県 B・Aさん
山深い里山に春が来ました。今朝、鶯の合唱で春の朝が来たような感じでした。とてもうれしくなり窓から裏山をのぞいていました。春がやっと来たという思いになっています。今年は雪が多く、教会にはなかなかいけませんでしたが、体調と相談しながら礼拝に婿の車で行きたいと思っています。
3回目のコロナの予防接種もすることができました。 大分県 A・Aさん
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=御名=
第一の祈り②・神を崇める
マタイ19:16
前回は大教理問答の190問の答えから、御名が崇められるのに私たちが「無能力と無気力」であるという前提を学びました。復習の意味でその現実を考えてみましょう。
例えば、アダムとエバの堕落は神の命令よりも自分たちの誉れを重んじたために起こりました。カインがアベルを殺しましたのも、カインが自分の供え物を神に受け入れられなかったことに腹を立てたためでした。アブラハムに始まるイスラエルの民の歴史は、神の恵みの選びに始まったにもかかわらず、全体としては、神よりも自分たちの誉れを重んじた歴史です。
イスラエルが主イエスを拒んだのも同じ理由からです。そして、私たちキリスト者の信仰生活においても、無意識のうちに神の誉れよりも自分の誉れを重んじているのです。
そうなると神が崇められることが私たちに最も大切なことでありながら、それは最も難しいことであることを理解した上で、努力することが、私たちキリスト者にとって、大事なことであることを知らされます。
それはどうしたら可能になるのか、聖書に記されている一人の人のことから、具体的に考えてみましょう。それで、読んでいただきましたのは「富める青年」のことです。
まず、主イエスは彼を軽蔑したり、叱責したりして言われたのではありません。マルコによる福音書には、「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」(10:21)と記されています。しかし、主はこうも言われました。
「もし完全になりたいなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人びとに施しなさい。そうすれば天に富を積むことになる。それからわたしに従いなさい」(マタイ19:21)。
主は12弟子にもこのように言われたとは記されていません。この青年にだけ言われました。それは彼が自分の財産に特に支配されていたからでしょう。彼は若いし、誠実であるし、人々の信頼もあったため、最高法院の議員になれたほどでした。社会的に尊ばれていたでしょう。でも彼がキリストの弟子になれない大きな欠陥がありました。それは自分の誉れを財産としていたことでした。主は彼を財産から解放する必要がありました。
しかし、主は彼にただ財産を貧しい人々に施すことさえすれば、永遠の命が得られると言われたわけではありません。この命令は財産に勝るものがあることを彼に教えるためでした。それは何かといえば、「それから、わたしに従いなさい」(21)ということでした。
彼が財産の支配から解放され、主に従っていくなかで、主の十字架の死と3日目の復活と、そして40日後の昇天を見ることになります。そして、その意味を理解し、主を信じることになります。永遠の命を与えられた自分に気付きます。伝承によりますと、この富める青年は、のちに使徒たちの足元に土地の代金を置いたバルナバ(使徒4:37)だと言われています。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
19 南長老教会ミッションの最盛期・・・3・・・
前記の須崎在任時代のこと、マカルピン師は遠く幡多郡の宿毛町にも伝道されて、最初の会堂建築のために努力された。この宿毛に最初の定住伝道者となった人は大正4年(1915)、神戸神学校を卒業した長尾丁郎(ていろう)氏であるが、夏季伝道に伊達量平教師(現日本キリスト改革派教会隠退教師)も伝道され、当時、町内の竹内明太郎氏(吉田茂元首相の兄)の住宅を一軒借り受けて、7~8名の信徒で集会をしていた。
会堂建築用の土地70余坪を資産として所有していたが、大正13年2月、今西延幸伝道師が赴任して、R・E・マカルピン師から2500円の融通を受けて会堂建築を計画した。そして大正14年(1925)の夏、献堂式を執行した。参加者は高知教会の多田 素牧師、田中剛二教師(現日本キリスト改革派神港教会)、橋田利助教師(現日本キリスト教団名古屋桜山教会名誉牧師)、J・H・ブレーデ宣教師で、マカルピン師は夫人の健康がすぐれず御殿場に行かれて欠席されたようである。
マカルピン師は豊橋で前任者パットン婦人宣教師の後を継いで、その晩年を活躍された。マカルピン師は赴任すると、借家を間借りで経営していた旭幼稚園のために、市内前畑町の市電停留所近くの東北裏側に50坪の土地を借りて、建坪50坪の園舎を苦心して建設し幼児教育と伝道のために園長となって尽力された。
そうして「折角立派な園舎が建っても、当局の認可がなかなか下りない。申請を出して度々県庁に足を運び一か年が経っても音沙汰もなく、流石のマカルピン師も怒って、県庁の係に“今日は貴方がたの首を貰いに来た”と言ったという」(日本基督教団豊橋教会60年略史)。残念なことに、この明るい美しい園舎も、昭和20年(1945)の戦災のためにいっさい失ってしまった。
「いのり」
母の想い出は、一人っ子の私が寝付くまで、子守唄を唄ったり、同じ本を毎日毎日読んでくれたことです。今はもうその母の年齢をはるかに超えてしまいました。私も娘にそうしてきました。その娘も子供たちに読み聞かせをして育てていたようです。
何も娯楽のない時代、激しい戦争の中にありましたが淋しがらないように育ててくれた想い出は90を超えた今も心に残っています。このように想い出をお手紙に書けるのも、本好きに育ててくれた母のお陰です。戦争は怖かったですが、不思議と日の丸を付けた飛行機を見て、何だか遠くにはおとぎ話の国があるように想像していた記憶があります。
帰り道、大声で学校で教えていただいた国民唱歌を唄いながら帰った想い出もあります。つのぶえジャーナル3月号の『いのり』は、うれしい内容でした。ありがたく思い、お便りさせていただきました。・・・・。(岐阜県にお住いのH・Eさんからの長いお便りの一コマです。編集子)
<もうお一人のお便りをご紹介いたします>
父は満州で戦死し母は嫁ぎ先で2人の子供を育てていました。狭い畑で何かを植えていたようですが覚えていません。私は長男でしたが母の手伝いは熱心ではありませんがしていました。友だちの家には真空管のラジオがあり、「鐘の鳴る丘」の放送などや川田正子さんの童謡を聞きたくて遊びに行ったものです。母は親戚の家の女中さんとしても働き、食事を貰って帰ってきていました。私は何とか中学を卒業して東京の新宿のお寿司屋さんで働くようになりました。街の薄明りの中に浮浪児が固まって虱潰しをしたりしながら寝ていました。その母が何時も唄っていた歌がありました。その歌が何だったか今は思い出しません。3月号の「いのり」で、親不孝にも忘れていた母を思い出させてくれました。ありがとうございます。
水野源三著第二詩集より
まばたきつづった詩
口も手足もきかなくなった私を
28年間も 世話をしてくれ
母
良い詩を作くるようにと
四季の花を 咲かせてくれた
母
まばたきでつづった 詩をひとつ残らず
ノートにかいておいてくれた
母
詩を書いてやれないのが 悲しいと言って
天国にめされていった
母
今も夢の中で 老眼鏡をかけ
書きつづけていてくれる
母
そのやさしさに
雲雀がさえずり すみれが咲く
野で遊んで来た幼い姪は 私に聞くんです
毎日退屈しないの? 野へ行きたくない?
そのやさしさに おもいやりに
私は ただほほえむだけです
み愛
亡き母にかわって 義妹が入れてくれた
香り良い新茶を さめないうちに
おのみください できたら草餅も お食べください
主よあなたが 私を案じて お訪ねくださった
そのみ愛だけで 私は十分なのです
亡母(はは)の生家
バスも通らない坂道を 弟を背負った母に連れられていった
風が吹くたびに りんごの白い花が舞い散っていた
亡母の生家
いとこ達とはしゃぎすぎて 祖父にやさしく叱られた
夜も昼もやすみなく
水車のまわる音だけがしていた
亡母の生家
第103課 結びの言葉:個人的挨拶
=16:1~27=
B ローマの多くのキリスト信者への挨拶
=16:3~6=
3~6節において、パウロは26名ほどの人々の名前を挙げて挨拶を送っている。私たちはここでパウロの友情・細やかな愛情の息遣いを脈々と感じるのである。パウロ自身は一度もローマへ行ったことはないけれども、当時、ローマにいた26名以上の人々を名前によって知っていたのである。多分、それらの人々の中にはローマ以外の地において個人的に会ったことのある人々もいたであろう。その他の人々は通信によって知り合った人々であろう。
しかし、いずれにしてもパウロは詳細をも付して挨拶を送っていることから見て、個人的な知己の間柄であったと考えられる。
パウロはローマの町だけで、これだけの多くの人々を知っていたのであるから、ローマ帝国全体では、どれだけ多くの友人を持っていたかと考えられる。この暖かい友情を見れば、パウロは学者たちが想像しているパウロ像とはいかに違った人柄であったが分かるのである。
すなわり、パウロを学問的な論争と紙を剥ぐような議論にのみ興味を示すような学者であるとする彼らの想像は、如何に真実のパウロとはちがったものであろうか。箴言に次のような言葉がある。「友をもつ人は、自らも友らしくなければならない」(箴言18:24・意訳)。
パウロがもつ多くの友人たちは、パウロが友情に満ちた人がらであったことを証ししているのである。
これこそキリスト教的友情であった。彼らはキリストにあるパウロの友人たちであった。パウロは彼らを主にあって友人・同労者と認めている。彼らがキリストに対して持っている関係は、パウロにとって、彼らは他のいかなる社会的関係よりも重要であった。現代の私たちも、パウロのように聖徒の友情を養い、また評価しなくてはならない。
J・G・ヴォス著
『ほっとひととき「みんなのコーナー」』
村おこしとかで10年ほど前から始めた季節の花の公園には、菜の花が見事に咲いて、大勢の方が来てくださいます。私は菜の花のお浸しが大好きで自分たち用として畑からとってきて食べています。虫たちも忙しそうに飛び回っています。健康が与えられて70歳になる主人の運転で礼拝にも行けています。感謝です。 鳥取県 M・Hさん
私が通っていた保育園が古くなり建物を壊して新しい保育園が出来ました。その保育園に娘がお世話になることになりました。子育てをしながら小さな工場で事務員として働いていますので、大助かりしています。私たちは三代続くクリスチャン家族で、教会も一昨年、建て替えました。私たちの家は祖父の代からの茅葺屋根の家ですが、私は大好きです。今はいませんが馬小屋もあったのですが、今は農機具が入っています。 群馬県 L・Tさん
賑やかだったわが家も子供たちは大学や就職で家を出て行きました。そのままにしてある部屋は殺風景です。主人はもう直ぐ定年ですから、これから二人の生活の場になります。食器棚の食器が何だか淋しそうです。これからは二人で健康を第一に考えようと話し合っています。 大分県 K・Kさん
「ジャーナル友」の皆様には、お変わりありませんか。役場の車で高齢者?のための送迎で集団で、コロナの予防接種をしてきました。これでこの地域の高齢者は3回目の接種は全員終わりました。考えてみると、小さな集落で不便かと思われがちですが、そんなことは全くありません。地域ぐるみの福祉を受けることができるのですよ。感謝なことです。わが家でも春を味わっています。これからいろいろの山菜や土筆が食卓に彩を添えてくれます。「ジャーナル」3月号も届き、楽しく皆さんのお便りを読んでいます。「美しい朝さん」お元気になってくださいね。今月の写真、面白いですね。また「猫草」さんの文とお写真、毎月楽しみしています。 徳島県 L・Tさん
わが家の庭もやっと春らしくなってきました。春咲の水仙が十数本ほど
咲き始めました。梅の花もずいぶん花が開いてきました。寒さの中にあっ てこの春の到来はとても感謝ですね。お隣りの方が小菊を下さいました。イースターを心からお祝いしたいです。 茨城県 M・Hさん
私の住むところは、ビルの谷間に戦後建てられた木造ばかりの、いわゆる下町ですが、皆さん、それぞれ近くの狭い空き地、いやいや隙間に大きな鉢を並べて季節の花を楽しんでいます。不思議と思われるでしょうが、買い物用の車椅子ばかりで、高齢者のための手すりやスロープなどはない地域です。入り口と道路の境は殆どありません。本当にお隣りさん同士で、毎日誰かが声をかけてくれます。プライバシーなんかは私たちには無用ですね。私たち夫婦は高齢者老人施設専用地域の住人だね、と笑いながら話し合っています。 東京都 H・Tさん
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
おはようございます。今朝は良い天気です。昨日は教会に行くことができました。感謝でした。ロシアの行為は本当に悲しいです。一日も早い解決を・・・と祈っています。イエス様の「迫害する者ために、また、あなたの敵を愛し、受け入れいれ、祈りなさい」のみ言葉が、迫って来ます。プーチン大統領の危険な行動は認められない。しかし、イエス様はサタンの虜になっているプーチン氏のために祈ることを求めている。私の中には差別や偏見、理解不足や人々への祈りが欠けているからなのでしょう。そうして何よりも、日本の、そして世界の為政者のことを神様に祈る信仰の熱心を神様に祈り求めたい。心の中にある壁が取り除かれたい・・・・。でもそれは言い訳であり、弁解である。サタンは巧妙です。
「愛と平和と和解」へと導かれるように、祈らなければならない、というお求めは、本当に心に刺さります。心から祈れるようになりたいです。でも祈れないのです。でも祈ります。
今までの寒さはうそのようです。ストーブを付けるのが癖になっているのでついつけてしまいそうになります。散歩に出かけるともうオオイヌノフグリが土手一面に咲き散らばっています。春ですね。
=この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子
『ありがとうございます』
淡いスイートピーが咲きましたと季節の花便りをメールしてくださる方がおられます。また奈良の東大寺のお水取りも明日12日で終わりのようです。昔の人はこの東大寺のお水取りが終わらないと奈良に春は来ないと伝え聞いて日々の暮らしを考えていたとの言い伝えが今も残っていますなどのお便りもありました。
教会では、4月17日が「イースター・復活日」です。まだ先ですがと書き添えて、「イースター献金」をお送りいただいております。感謝です。また、最近は、親しい友人に「つのぶえジャーナル」を送っていただけないですかとの依頼が多く与えられ感謝です。送らせていただいておりますが、どうぞ皆様の中に、そのようなご希望のある方はご遠慮なく、送り先をご連絡ください。感謝して対応させていただきます。
「ジャーナル友さん」と共に、先の見えない世の中、平和を祈ってまいりましょう。
2022年2月16日から2022年3月15日までにお送りくださいました方々です。
川俣すみ子様 飯田 司様 山本好子様 近藤ひろ子様 宮向井 明様 加納さおり様 横井綾子様 後藤木嘉代子様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名2名様
*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。
*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。
http://tunobue.blog.shinobi.jp
(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」