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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

         =マタイ5:7=

 コロナで始まった異常な2021年も終わります。2022年がどのような年になるのでしょうか。平和で穏やかな日々、家族、そうして社会や国と国との関係であってほしと人々は願っています。それは神様がくださるものであると同時に、憐れみと平和の神様に私たち一人ひとりが、熱心に祈り求めることでもあります。その思いを持ち続ける1年でありたいものです。

 

 神様はそのために、私たち一人ひとりを用いて、悩める人々と共に悩み、長い間、悲しんでいる人々の涙を拭い去って、ほほえみを返し、励げまし、また、分かち合うことに喜びを感じているという、大切な「愛」に富む人へと、成長させていただくことを信じつつ、「祈りと大切な感謝と喜びを、日々の祈りの課題」としようではありませんか。

 

 そのためには、何よりもまず、私たち一人ひとりが、日々の信仰生活で、祈りが課題・重荷となることなく、心の豊かさの財産であると共に、それは周りの人々にとって「宝」になると信じようではありませんか。

 冷淡の心、周りに無関心な心、辛辣な批判の嵐の社会よりも、思いやりと憐み深い人に出会う時、私たちは、その日一日が祝福された思いになれます。

 イエス様との出会いは、その出会いのお手本です。

 

 私たちが親切な心を持って生きようと、イエス様に学ぶ日々は、私たちが、その人生を終える時まで、信仰に生きた喜びの涙を流す信仰者でありたいと思います。その生き方は、確実に人びとに、神様の恵みを分かち合えた証しになるでしょう。

人びとから受けた憐れの愛は、不思議にも隣り人へと伝わっています。それは、感謝の思いを伝えたいという思いに変えられた証だからです。

イエス様に癒された大勢の病み人が、感謝の思いを隠し通せず、町に出て大勢の人々に分かち伝えた姿が福音書に記されています。

 

 この2022年が、イエス様との霊的交わりを深め、愛を頂き、隣りの人にお伝えする歩みでありたいと思います。

 

 

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  「小閑記」

 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

             =マタイ7:7=

 私たちが神様のもとへ、何かを願いに行くとき、誰も開けてくれない閉じられた戸を叩くのでもなく、私たちが、外にいることを望む心の狭い人びとの所へ行くのでもありません。否、私たちは、私たちを迎えに使いをよこされ、招いて、私たちに祈ることを希望を示し教えて、必ず得させて下さると約束してくださったお方の所に行くのです。

 

 多くのクリスチャンが、祈りは命令されたものであり、神が私たちに負わせたもうた義務・重荷である、と考えがちです。ですが、そうではありません。祈りは、私たちが神様から頂き、見いだす霊的交わりの時です。心に神の愛と憐みを頂きたい、助けを頂いきたいと願う、欠かせない大切な道なのであります。祈りは「くびき」ではなく、「翼」です。義務ではなく「権利」であります。

 

 この世の全ての戸口が私たちに閉じられていると思う時、全ての道が閉ざされ、閉じられたと思ってしまう時、その時こそ、私たちは神様に心を向け、神様のみ前に出て、私たちは素直に心を打ち明け、日々の、人生で起こることをお話しする時です。罪の赦し、日々の仕事の大変さ、明日の、いや今日の食事のこと、健康や家族との出来事など、全てを打ち明ける時なのです。

 

 昨年も多くの自死者が出ました。未遂もありました。その方々のお声の多くが、相談する人がいない。話し相手がいない。相談しても裏切られたという訴えが、語られています。相談所の窓口はありますが、多くの人がそこを訪ね、力を得ているのも事実です。親切に長年にわたり相談員として活動されている方も大勢おります。感謝なことです。

 

救いと光の本当の窓口は、イエス様に出会って心開かれたキリスト者であり、教会でなければならないのでしょう。「地の塩、世の光」として。

教会の建物には十字架を掲げているのですから・・・。

 

 道を求むる旅人われに 愛とみたまは なぐさめなり

 主よ、旅路を終わるまで わが友、わが守りとなりて導きたまえ。

 

 「あなたがわたしを呼ばわり、来て、私に祈る。わたしはあなたがたの祈りを聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会う」(エレミヤ29:12~14)。

「美しい朝に」

=沙耶香のつぶやき=

  少し風邪気味で元気がありません。この時期は何時も風邪を引いてしまいます。お粥を食べています。英語の勉強も出来ません。まだまだ若いんだから元気になって頑張れば良いではないでかと大人の人に言われても焦っています。

  近くにある病院でクスリを貰い飲んだら、少し元気になりましたよ。でもまだまだ、なかなかやる気が出てこないよう~です。お母さんは無理しちゃダメよと言うので素直に??聞いてお布団にくるまっています。

  家族で教会のクリスマス礼拝に行く予定にしています。元気な揃っていたいたとこのことを思い出していたら何だか知んないが、讃美歌を唄っていた時、涙が出てきて少し恥ずかしかったが、家族が知らないふりをしてくれていて、うれしかったよ。

  一年が過ぎようとしていますが、私は成長したのだろうかと、ふと思うことがあります。続いたと言えば定期検査のために通った病院行きのような感じがします。今年のはじめには、わかりやすい世界歴の本を読もうと決めて3冊ほど買いましたが、そのままです。そう言うのを、本箱読書というそうですが、その仲間入りになってしまいました。あああ~。

       ********

  今年も、このコーナーで慰められました。引き籠ってしまってもう6年目です。会社の先輩の指導といういじめにあい、両親の世話になってしまいました。引き籠りという同じ仲間のグループの人との会にも入りましたが、ダメでした。焦る気持ちに、自分が押しつぶされそうになる時、このコーナーで、ほっとするのです。「眸」や「ほっとひととき・・・」も、わたしの好きなコーナーで投稿者の方々に、みんなそれぞれが苦労したり、頑張っているんだ・・・と言う気持ちにさせられます。新しい年、どんな感じになるのでしょうか。  福島県 41歳 男性

   **この掲載は原稿の時にお送りし、手直しなどしていただき、全て了解を得ております。**編集子

 

「美しい朝に」

=沙耶香のつぶやき=

  少し風邪気味で元気がありません。この時期は何時も風邪を引いてしまいます。お粥を食べています。英語の勉強も出来ません。まだまだ若いんだから元気になって頑張れば良いではないでかと大人の人に言われても焦っています。

  近くにある病院でクスリを貰い飲んだら、少し元気になりましたよ。でもまだまだ、なかなかやる気が出てこないよう~です。お母さんは無理しちゃダメよと言うので素直に??聞いてお布団にくるまっています。

  家族で教会のクリスマス礼拝に行く予定にしています。元気な揃っていたいたとこのことを思い出していたら何だか知んないが、讃美歌を唄っていた時、涙が出てきて少し恥ずかしかったが、家族が知らないふりをしてくれていて、うれしかったよ。

  一年が過ぎようとしていますが、私は成長したのだろうかと、ふと思うことがあります。続いたと言えば定期検査のために通った病院行きのような感じがします。今年のはじめには、わかりやすい世界歴の本を読もうと決めて3冊ほど買いましたが、そのままです。そう言うのを、本箱読書というそうですが、その仲間入りになってしまいました。あああ~。

       ********

  今年も、このコーナーで慰められました。引き籠ってしまってもう6年目です。会社の先輩の指導といういじめにあい、両親の世話になってしまいました。引き籠りという同じ仲間のグループの人との会にも入りましたが、ダメでした。焦る気持ちに、自分が押しつぶされそうになる時、このコーナーで、ほっとするのです。「眸」や「ほっとひととき・・・」も、わたしの好きなコーナーで投稿者の方々に、みんなそれぞれが苦労したり、頑張っているんだ・・・と言う気持ちにさせられます。新しい年、どんな感じになるのでしょうか。  福島県 41歳 男性

   **この掲載は原稿の時にお送りし、手直しなどしていただき、全て了解を得ております。**編集子

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (190)

11月20日

 木枯らしが冷たく吹き荒れている中、12月号のジャーナルが届けられました。

感謝して読ませていただきました。心から感謝いたします。読ませていただいていると皆さんから不思議な力をいただくのです。これはやはり主にある方々とのお交わりからなのでしょうね。

伊賀の霧、晴れて囲める山見ゆる。

干し柿哉祖父の苦労を偲びける。

イワシ雲朝日に向かひ流れけり。

伊賀広し黄色を呈す羊の穂。

草刈りの暫く終わり冬新に入る。  馬場路哉

11月26日

 こちらは連日、風がとても激しく吹き荒れています。裏山の木々からはその風にあおられて、枯れ葉が次々と我が家の庭先まで飛んできます。主人はきれい好きなので、その葉っぱをきれいに掃いています。掃いたと思ったらまたすぐに枯れ葉が飛んできます。イタチごっこです。私は枯れ葉が庭にたくさん舞っていようと気になりませんが、ここ山添村の方たちはとてもその枯れ葉が気になるようです。どのお家もきれいに葉っぱを掃きだしています。

野良猫のそばに座りぬ日向ぼこ。(すっかり我が家の家族になった猫のシマちゃんです。)

刷毛を持てさっと描かれ秋の雲。

デイサービス翁の待つや寒き朝。(一番風邪の激しく吹くところのおうちの方です。)

なり年の柿そのままに鳥の餌。

なびきをる広き瓦の枯れすすき。  馬場路哉

篠田先生の“あなたに聖書を”が終了してしまいましたね。なんだか寂しいです。わかりやすいお話でしたから。日本伝道百年史では私が生まれた高知の地名がたくさん出てきて聞きなれた地名に懐かしさを覚えます。私が生まれたのは“中村”というところだったと聞いています。3歳までしかいませんでしたから自分の中での記憶は全くありません。長野へ行ってから母から聞いたことばかりです。

12月4日

お変わりありませんか?そしてこの時期になってまたオミクロン株という新しいコロナ菌が入ってきました。嫌な予感がしてきます。

山茶花の三色どれも主張しぬ。

あれこれと趣味の話しす年の暮れ。

水鳥の一群をりぬ浄瑠璃寺。

診察を待つ間読書の秋となる。  

15年目を迎えた検査ですがやはり待つ間の緊張感は変わりませんね。) 

なり年の柿はなぞへに満つるなり。

温みある山辺の橡紅葉かな。

山茶花の三色どれも主張しぬ。

山の田の小川の水の澄みにけり。

全身に熱の満つなりひなたぼこ。  馬場路哉

12月12日

 いよいよクリスマスが近づいてきましたね。スーパーへ行くと大きなお菓子が並んでいます。サンタクロースの顔をした袋もたくさん置かれています。何人の人たちが救い主イエス様のお生まれになったことを知っているのだろうと、ふと考えてしまいます。 

目離しをできぬみどりごアドベント。

柔らかな草引きをする日なたぼこ

憎しみを除くみどりごクリスマス。

賛美歌を老ひも歌いてクリスマス。

許すこと諭すイエスやクリスマス。

喜びと祈りを教うクリスマス。  馬場路哉

私は毎朝の散歩で待降節の讃美歌を賛美しながら自分自身を励ましています。

大きな声を出してうたっていてもほとんど人はおりませんから。とても快適です。

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

眸(ひとみ)

  1年の埃を家族で拭い去り、クリスマスをお迎えし、新年を迎える準備を整えて、ほっとしているところです。両親がいたころはおせち料理やお餅を作ったりと忙しかったですが、数年前から自分たちの新年を迎える準備が出来ています。家畜の仕事をされている方は年中休みなしですが、主人はJAで働いていますので、少しだけお休みを頂けています。2021年、天候に左右されることも少なく感謝でしたが、これからは毎年のことですが鳥インフエンザの心配な時期になりますので気懸りです。  三重県 CAさん

  施設の12月の行事の一つは、各部屋の利用者さんの掃除があります。これは日常業務の間ではできませんので、福祉協議会から紹介された業者さんに一任です。50部屋近くありますので、数日かかりますが新しい年を迎える大切な業務です。ロビーと食堂のクリスマスツリーは新人職員が担当です。他の職員はクリスマス会の準備です。近くの高校生のコーラス部の人が毎年きれいな歌声を聞かせてくれます。しかし、来年、聞ける人はわずかなのです。ですから私たちは精一杯準備して楽しいクリスマス会を、と願っています。  長崎県 HHさん

  スーパーの近くにあるお花屋さんに入ると、まず一番に目についたのは真っ赤なポインセチアです。クリスマスがこのお店にもやってきたのだなと感じました。次にはシクラメンです。控えめな趣でしたので、我が家にも思い切って一鉢買い求めました。家の玄関に置くと殺風景な我が家にも少し明るさが出てきました。お花の力ってすごいなと思い少しうれしくなりました。  石川県 B・Hさん

  最近、足腰ばかりでなく腕の力も弱くなり、手提げでは不便になり、福祉用器具のショッピングカートをレンタルすることにしました。折りたたみ式なので、バスでもタクシーでも人様に迷惑を掛けずに買い物や散歩を兼ねた近くのコンビニへ出掛けやすくなりました。風の強い時や雨の時は転倒が怖くて外に出るのを控えていた生活でしたが、気持ち的に少し楽になりました。いろいろな福祉器具がレンタルできる時代になったので、感謝です。  愛知 OYさん

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 

十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

 

=天にまします=

呼び掛け② 父なる神

       マタイ23:1~13

 主の祈りは、呼び掛けと祈願、そして結びの言葉の三つからなっています。「天にましますわれらの父よ」がその呼び掛けの言葉です。今回はその「父よ」について理解を深めたいと思います。

 

 旧約聖書は言うまでもなく、新約聖書も、祈りは父なる神に向かって捧げるものと教えています。罪人である私たちは父なる神に近づくことが出来せんから、御子を通して御父に祈ります。そして御父の御心に適った祈りが出来ませんので、それが出来るように聖霊の助けを受けて御言葉に教えられて祈ります。このように御父に向って、御子を通して聖霊を受けて祈ります。そのため、三位一体の神は、私たちが祈りが出来るよう力を結集して励まして下さるので、祈りは神との豊かな交わりになることが分かります。

 

 「父」なる神に祈ることを考える時、ウエストミンスター大教理問答の189問には、「父としての神の善意への確信と関心、畏敬の念、その他に子供らしい気持ち」が与えられると語っています。「父よ」と呼ぶ時、深い信頼感が与えられます。それは地上の肉親の父が与えるものとは似ていますが、それ以上のものであるということが出来ます。

 その理由は、主イエスが群衆と弟子たちに向かってお教えになったマタイによる福音書23章9節の意味を理解すると分かります。主は、ファリサイ派の人々の教えには耳を傾ける必要はあるが、彼らの行いを見習ってはならないと教えられた後で、こうおっしゃいました。「また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ」。この言葉を見ますと、肉親の父を父と呼んではならないと言われているように聞こえますが、もちろん、そうではありません。主イエスが第五戒の「父母を敬え」に矛盾するようなことをおっしゃっているはずがありません。

 

 それでは主イエスが天の父だけを父と呼ぶようにと、言われた理由はどこにあるのだろうかということです。それは私たちに信仰を教えてくれた信仰の家族、つまり、教会が第一の家族だということです。教会が第一の家族で、その父だから、肉親の家族以上に教会において父なる神を重んずるように、と言われたのです。

 

 年賀状の季節が終わりましたが、四国の一人の友人が電話でこんな愚痴を漏らしていました。彼は友人から指摘されたと言っていましたが、同感だから私に語ってくれたのだと思います。牧師たちの年賀状は自分の家族のことは書いてあるが、神様のこと、教会のことには一言の言及もないものがあるのはどうしたのかと言うのです。

 私たちの天の父が優先されることを契約の子供たちに教えるのは、父親が天の父を第一として生き、父親以上に影響を与える母親が御父を第一とする手本を示さなければならないということです。 

 

バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

18 バラ博士の最期とマカルピン・・・3・・・

 この年、日本基督教会では創立50年記念集会を10月9日神戸市下山手3丁目の神港教会(現日本キリスト改革派神港教会)で開催した。第35回の日本基督教会の決議事項として「内外協力伝道」のため、日本基督教会伝道局と関係諸ミッションの伝道機関を統一して、「協力伝道局」を作ろうというので、関係ミッションと委員を選んで協議することになった。

南長老教会ミッションのマカルピン師は、これに対して強く疑問を感じられた。伝道地における宣教師の自由な働きを制限し、財政などの指導も合同で委員会によって完全に統制をしょうとする協力案には安心できなかったのである。

すでに1909年(明治42)の日本基督教会第23回大会で、ミッションの自主的立場を保持するために、ダッチ リフォームド ミッションと南長老ミッションは、その大会が下した定義の協力関係とは別に「申し合わせ規約」を定めて、それに従ってきた。

日本基督教会の主流派の人々はミッションの伝道事業も、全て同教会の主体性の下に統一しようとする強い考えがあった。そして、その指導下に入ったのは北長老教会ミッションとジャーマン リフォームド ミッションであった。南長老ミッションの伝道への熱心と成果は、強い改革派信仰と長老政治の長所を生かして、聖書的に行動することにあった。従って、この統制的協力案に加わらず「申し合わせ規約」という点にとどまり一線を劃したマカルピン師の姿勢は、やがてこの日本基督教会の協力伝道局設置の決議案も進展を見ずに消え去ってしまった。

<いのり>

水野源三著第二詩集より 

 =天国に召された母=

 

「主よなぜですか」

 主よなぜですか 父につづいて 母までも み国へ召されたのですか

 涙があふれて 主よ 主よと 

 ただ叫ぶだけで つぎの言葉が出てきません

 主よあなたも 私と一緒に 泣いてくださるのですか

  

「母よありがとう」

 私の手となり 足となり 悲しみ 苦しみを一緒になってくれた 母

 源三を み国へ送ってから ゆきたいと いつも話していた 母

 先にゆくのが すまないと言って 早春の朝 み国へ召されてしまった 母

 

  「天つみ国へ」

 悩みと痛み多きこの世の 戦いを今終わりし者を

 天つみ国へ迎え入れたまえ

 流せる涙いくいずくかも すべてを知れるあわれみ深き

 主よ み手もてぬぐいとりたまえ

 愛のみ腕にすがりて 試練耐えたる者に約束されし

 いのちの冠さずけさせたまえ

 愛する者を涙にぬれし目で おくりたるわれらもやがて

 み国へ行きて相見えさせたまえ

  

「約束されしイエスよ」

 愛する者を失い 悲しむ者と共に 涙流されしイエスよ

 慰め与えたまえ

 信じるならみ国の 栄光を見せられると

 約束されしイエスよ 信仰与えたまえ

 冷たき墓の中に 葬られしラザロを

 生き返されしイエスよ

 希望を与えたまえ

 

  「泣かないでください

 母をうしなった私のために 泣かないでください

 もう泣かないでください

 心の中は 不思議なくらいに 静かなのです

 キリストが 私と共に おられるからでしょうか

 

第101課 パウロも宣教活動とその計画 

=15:14~33=

 

C パウロはローマのキリスト者たちの祈りを求めている。

・・・15:30~33・・・

「また、神の御旨により、喜びをもってあなたがたの所に行き、共に慰め合うことができるように祈ってもらいたい」(15:32)。

 これがパウロが祈ってもらいたい第三の事柄である。

 「パウロはローマにいるキリスト者たちと会うことを切に望んでいるかのようである。彼は戦いと働きの生活からの一時の休息として、このことを望んでいるのである。エルサレムでは不信のユダヤ人たちに取り囲まれ、ユダヤ主義キリスト者たちに悩まされ、その他の多くの場所では諸教会への心づかいで重荷を負わされていた。しかし、ローマは彼にとって憩いの地であって、働きの地ではなく、そこで彼はさらに遠くの地における使徒としての宣教の業の続行のために、その力を蓄えることを願っていたのである(ホッ  ジ)。

 

 使徒パウロの働きは、好ましいと思われる環境下にあっても、困難があったと考えられる。そして特に、友人または支持者であるはずの人々による反対に耐えることに勝って難しく辛いことはなかった。パウロは経験から、世からの反対でなく、教会内の人々からの反対の苦しみの味をよく知っていた。ローマ訪問をそのような苦しみながらのしばしの憩いの時として待ち望んでいたことは疑いのないことである。 それで、彼はローマのキリスト者たちに、喜びを持って彼らのところに行くことが出来るように、祈ってほしいと求めたのである。

 

 「どうか、平和の神があなた方一同と共にいますように、アーメン」(15:33)

 これがローマのキリスト者たちのために、パウロが神に捧げる祈りである。それは短い祈りであるが、多くのことを含んだ祈りである。『「平和の神」。神がお与えになる平和、平安は、魂の完全な祝福のために必要な全ての恵みを含んでいる」』(ホッジ)。

 キリスト教は平和の神を人々の下にもたらす唯一の宗教である。キリスト教はそれをするために、まず第一に人々を神との平和に入らせることによって始めるのである(ローマ5:1)。イエス・キリストの血と正義によって、人と神との間の恐るべき敵意が取り除かれ、罪人は神と和解していただけるのである。

  このことを基盤として、神の平和が人間の生活の中に来るのである。そして人は罪を憎むようになり、この世・肉・悪との激しい闘争状態に入る。しかし、その闘争を通じて、人は神の平和を得るのである。福音は私たちに戦いよりの解放を約束はしない。しかし、それは私たちに生涯を通しての神の平和を約束するのである。

JG・ヴォス著、

    玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

  祖父母が暮らしていた時代の集落では農閑期になると地域の人が集まって、一年の農家の仕事を終えて、骨休めと言って湯治場に行った古い写真を見せてもらった記憶が残っています。鍋やお米などを持ち寄って1カ月近く村の人たちと一年を振り返る骨休めだったのでしょう。今はそのような機会も繋がりも薄れ、仕事に追われている両親に、親孝行?罪滅ぼし?で数年前から出不精な両親に温泉旅行をプレゼントして来ましたが、このコロナの影響も小さくなり実現できました。今回はコロナの心配のない、秋田の小さな明治時代の面影を残す温泉地を選びました。3泊4日の旅でしたが、紅葉と地元の料理とお酒でのんびりできたようです。細やかなクリスマスになりました(自己満足ですかね)。  千葉県 LTさん

  妻の入院、そうして退院、何もかも妻任せの40年。その大変さは今回のことで知ることが出来ました。もう雪になりましたので、これからは町の介護タクシーを利用することにしました。買い物にも、病院にも連れて行ってくれますし、料金も格安です。ありがたいことです。これを機会に今まで考えてもみなかった運転免許の返納をすることにしました。大きな事故も起こさず60年近くの運転でしたが、決心がつきました。これからは、労わりながら日々の生活や信仰生活を送ります。  神奈川県 MHさん  

  「日本伝道百年史」の中に「・・・津島第三中学で毎週バイブルクラスを開いて・・・」とあるのを見て、(えっ?まさか?)と読み返しました。 津島第三中学は今の津島高校です。その昔に、私の母校にマカルピン先生が来て下さっていたと知って、何だか嬉しいです。  静岡県 HTさん

 

      ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

  事務所の中のカレンダーを2021年の横に2022年に変えながら一年間を振り返っていました。この事務所で働いて20年になしました。子供の養育費を考えての仕事でしたが、今では企画などやり甲斐のある責任のある役も頂いて、後輩の指導も任されています。コロナ禍で不景気ですが頑張っています。主人と老後を具体的に考え、これからは、教会活動に感謝して励みましょうと、話し合いながら2022年を迎えようとしています。健康な日々を過ごしたいです。

  昨年は、主人の入退院で忙しく、不安な日々でした。それまで、健康管理など考えていなかった主人でしたが、この経験を境に改めて生き方を考えています。仕事の次に教会生活でしたが、昨年から、結婚したら家庭礼拝を守ることを願っていたのを思い出して、夜の8時になったらテ    ーブルをはさんで行うようになりました。これからはそれまでの経験を生かした仕事も与えられ、それに見合ったものに生活も変えました。もちろん食事の献立も手作りになりました。二人で散歩にも毎日出かけています。 

  団地や近くにお住いの若いお母さんたちの熱望で、近くに新しい保育園・幼稚園が建てられています。4月からの受け入れとかで、大きな音をたてて、工事が進んでいます。仕事を持っているお母さんたちパワーは凄いですね。

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております=

 編集子

     

  『ありがとうございます』

新年を迎えるという言葉に、何ともえない新鮮さを感じました。年が改まるという感覚が時間や出来事にかき消されてしまいがちな昨今ですが、大切な時の区切り感覚を取り戻させてくれます。

「ジャーナル友」の皆様が、新年をお迎えになることを、心よりお祝い申し上げます。神様のお守りとお導きをお祈り申し上げます。しかし、困難な病いの中におられる方やそのご家族、いろいろの事情で苦しい生活の中におられる方も、大勢おられます。

「あなたの隣人を愛しなさい」というお言葉を、励ましのみ言葉として大切にし、日々、励んでまいります。

2021年、多くの方々に祈られ、励まされ、支えれてきました。感謝以外の言葉はありません。どうぞ、身勝手なお願いですが、2022年もよろしくご支援、お祈りをお願い申し上げます。

 2021年11月16日から2021年12月15日までにお送りくださいました方々です。     

山下洋子様 鶴原澄子様 宮川真澄様 長谷川真理子様 梶川実雪様 加納さおり様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名1名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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