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そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いた。
=ルカ24:45=
世界で一番読まれてきた読み物は、聖書であると言われ、これからも変わらないことでしょう。聖書のみ言葉は、他の全てのことば(文学)とはことなるからです。それが神のみ言葉であるからというばかりでなく、神ご自身がみ言葉によって、み言葉への扉を開いて下さったからです。そうして、それで、私たちの悟りに新しい光を下さるのでなければ、誰も、神のみ言葉の内容を見出すことが出来ないからでもあります。
聖書を信じず、この世的な目で読む人々は、ただばかばかしいと思い、失望し、腹を立てる人もいるでしょう。しかし、神の恵みによって聖霊が心を、目が開かれると、私たちがみ言葉の中に、生命のみ霊の法則を見出し、死んだ者に命を与えられることを知ります。罪のあった人が自由にされ、神につくものと変えられます。暗く虚しい思いは軽くなり、破れた心は癒され、すべてが謎であったところに、今や私たちは主の道を見ることで、希望を見出すのです。
では、もし神が聖書の中に命のみ霊に通じる扉をお閉じになれば、どれほど長く時間をかけて読んでも、光は射さず、解決も、恵みも、慰めも見いだすことは出来ません。福音書に記されている、あのエマオへ向かって行った弟子たちのように、私たちは心重く、全てはあの十字架の出来事は過去となり、もはや現在ではないことを思い悩んで歩くしかありません(是非、新約聖書ルカ24・13~35をお読みください)。しかし、ご自身のみ言葉への鍵をお持ちになる神が、私たちに開いてくださるとき、私たちは光を見出し、イエス・キリストのみ顔の栄光を見るのです。
私たちは、日々、み霊によって聖書の扉をお開きくださいと、祈らなければならないことをお互いに、たびたび注意し合っても、し過ぎることはありません。この励ました大切です。そうすることによって、初めて私たちは生と死とを貫く道を見出すことになるからです。クリスマスは「まことの光」の存在を告げ知らせる「しるし」げ知らせる。
主のみたま、われらの夜を破り、真理の光をもて、
雲を払い給うまで、われらの知識、知恵、視力すべて、
深み闇に包まれてよこたわるなり。
み霊のみぞ、われらの神に勝ち取る、
われらの内によき働きを為したまえ。
愛と善行とを励むように互いの務め、ある人がいつもしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。
=へブル10:24~25=
信仰が与えられ、希望と未来が与えられていても、日々の出来事に我慢できないようなキリスト者が沢山あるのは、肯定せざるを得ないことです。互いを知れば知るほど、救われた罪人と言う者は完全と同じではないことを、いよいよ認識するでしょう。
しかし、これが事実であるならば、神が私たちを助け、許して下さるように、私たちは互いに助け合い、許さなければなりません。もし、あなたや私が、ある人々よりもましであるということであっても、より弱い人々を助ける責任が私たちに負わされてことは確実であることを記憶し、自覚しなければなりません。
愛することは、また、仕え、許し、忍耐し、仲間のキリスト者を助けることです。私たちが、これらの任務をなしうる限り、それだけ私たちはその人を愛しているのです。もし私たちが互いに愛し、善行を勧める代わりに、裁き、批判するようになれば、私たちは神の民から離れる危険に陥ることは大いにあり得ます。私たちは一番安穏な方法は孤立し、自己中心になり、現実から隠れることだと考えてしまいます。
しかし、神を信じる人々から身を隠した多くの人々は、神からも離れ去ってしまいました。神はこの世にいる民にお与えになった、一つの大きな任務は、勝利を得るために互いに助け合うことで、それを証しすることであります。
これを忘れることの危険を認めましょう。常にこのことを注意していれば、私たちの内に、許し、仕える心を神様は育ててくれるのです。
誰よりも深く深く
誰よりも深く深く 悲しみを味わった主イエス様
悲しみの中にあるあの友を 御愛によってなぐさめたまえ
誰よりも深く深く 悲しみを味わった主イエス様
貧しさの中にあるあの友を 御恵みの愛によって満たしたまえ
誰よりも深く深く 悲しみを味わった主イエス様
苦しみの中にあるあの友を 御力によって助けたまえ
水野源三 第三詩集
猫草
綿の種を10粒ほどもらってプランターで育てている。春に小さな芽が出てすくすくと育ち、3本が30~50cmほどの高さになった。秋になってふとみると先端にいくつか実がついている。毎日ドアを開けるたびに目にしていたはずなのに花の記憶がないのはどうしたことか。晩秋のある日その実が割れてふわふわの綿が現れた。コットンボールは真っ白ではなく少し色がある。いわゆる生成りの色だ。
収穫した綿の活用方法としてはリースやツリーの飾りにすると良いとのこと。なるほど、子供が小さいならツリーに飾り付け、さぞ喜ぶだろう。綿をのぞかせた小さな実の姿が冬らしいので、そのまま玄関先に飾ることにする。3つに割れた実の中に白い綿がぎゅっと収納されている様子は愛らしい。
それにしても、この綿を集めて、糸に紡いで、織って、布にするとは。それを染め、切って縫って服を作るまでに何個の綿の実が必要なのだろう?綿100%の服は通気性が良く、肌触りもいいので大事にしているが、より一層のありがたみを感じる。布や服を捨てるなんてもったいない!と思ってしまう。着られなくなった服や使わない布は雑巾にして最後まで活用しなくては。
白い綿の真ん中には数粒の黒い種が入っている。来年また撒こう。そして次はちゃんと花を愛でよう。
<いきいき里山ものがたり>
《写真の説明と投稿です》
*もう顔馴染みで、お世話になっている園芸店で春を楽しみにアイリス、チューリップ、スカシユリの球根など数種類を買い求め、マイガーデンに植えました。暖かい愛媛県だからできることで、雪国の方には何だか申し訳ない気持ちになりますが、きっとお部屋の中でお花をお楽しみの方も多いことでしょう。
*私には山茶花と椿の違いがよくわからませんが、どちらもこの季節に咲いてくれますので、外に出るのが楽しみになります。健気に咲いてくれすの愛らしいです。
=沙耶香のつぶやき=
あああ~、大嫌いな冬が来ました。当り前のことですが、そのために今まで、何年も病院の先生に相談しながら考えてきたのになあ~。
お母さんはこれから冬から春に備えての狭い庭の花壇?の整理をしています。私はガラス越しの見ている手伝い係り?です。寒椿?の花が咲き始めましたよ。実は花の名前はよく分からないのです。
教会からクリスマス礼拝の案内のハガキが来ました。そういえば何時も体調を崩して行っていない感じがする。
NHKTVの朝の連ドラ、楽しみに見ています。刺激を受けて英語の勉強を再開、いやいや、再々の再々の再開・・・・、精神科の先生からは無理したらたらダメ!と言われているのに、このままではだめ人間になるとつい焦ってしまうのです。
公園で運動を・・・と思って散歩しました。枯葉が沢山あって、それを踏みしめながら、広い広場まで歩きました。もう芝生も枯れていましたが、根が分厚く、高級な絨毯のようでした。春の備えをして、冬眠?するのでしょうか、なんて思いながら汗ばんだ体で家に帰れました。散歩って本当に良いな!
********
娘は現在、病院で受けている学校の小学校4年です。難病専門の病院でそのようなお子さんは何人もいます。学校生活などまったく経験はないですが、来てくださる先生と楽しそうに過ごしています。親の会もありますよ。親たちの楽しみには時でもあります。 神奈川県 K・Jさん
*この掲載の原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(189)
10月18日
昨日は冷たい雨、今朝は3・5度まで下がりました。震えあがってストーブを付けての朝の準備です。急変する気候についていくのはとても困難になってきました。昨夜はこたつを引っ張り出して、休みました。
鹿の鳴く夕べ迎へぬ過疎の村。
山の井家ジュンサイひそかに伸びてをり。
若き日の右近の城址山装ふ。
この気象芭蕉大きく化けにけり。
木犀やなぞへを染めて彼岸花。 馬場路哉
10月20日
昨日、思い切り後頭部を打ち、背骨も痛み出したのですが。何とか24時間が過ぎ、今のところ、右手薬指、右足の裏、左手首が少し痛む程度です。もちろん頭はガーンとうったのですから、今日も重く感じます。慌てることは禁物ですね。
しっかり地面を見て、床の段差を見て一歩を踏み出すようにしなければ、大変な事故につながることを思い知らされた一瞬でした。
10月25日
こちらは朝から冷たい雨です。一枚多く着込んでいます。昨日は久し振りにいつもとは違う場所まで散歩に出かけました。そこは黄色の大きな花を付けた背高泡立ち草が群生していました。その勢いに驚きました。いつもと違う風景は気分転換になります。
夕づつのすぐ出るつるべ落としかな。
夕虹に主のみ恵みを覚ゆなり。
一群の野菊横目に原を刈る。
鹿の鳴く夕迎へぬ過疎の村。
紅葉す草を眺めて狩り進む。 馬場路哉
いつもの散歩道ではハナミズキの葉が見事に紅葉しています。柿の葉もきれいです。これからの散歩は落ち葉を踏みしめながらとなりそうです。
11月4日
外はもう真っ暗です。お変わりありませんか?こちらは朝と夕方になるととても冷え込んできます。ストーブなしではもう過ごせません。こちらの山々は今秋の色に美しく色づいています。つい見とれてしまってつまずきそうになります。
秋寒の急襲すればあわただし。
自転車と寝袋のあり山の秋。
小鳥来や一日の雨を疎ましと。 馬場路哉
11月8日
今朝は暖かい朝でした。昨日の夜に比べると3倍も上がっているのです。18度もあるのです。この気候には体調が追いつきません。午後からは急に雨が降りだし、激しい風が吹いてまるで台風のようでした。この激しい風で、大きな樫の木からどんぐりの実がパラパラと、とても激しくお隣の車庫の屋根に落ちて道に転がってきます。うっかり歩いているとそのどんぐりで足を取られて滑りそうになります。樫の実の転がっていないところを選んでしっかり足元を見て歩かないと大変なことになりそうです。
樫の実のあふるるばかり鳥騒ぐ。
歌ふかのピアノを聞きぬ文化の日。
高き寄り紅葉飛びぬ厳かに。
門前に野菊の咲きて床しけり。
晩秋の夕やけ眺めそこらまで。 馬場路哉
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
温かい南紀も木枯らしの寒さで年の暮れを感じます。ニュースですが、関東地方では、冬の装い、それに比べやはり暖かいです。冬ミカンの収穫で忙しいです。季節物ですから、致し方ありません。神様に感謝して家族やご近所の方の手を借りて頑張っています。昨日、11月号が届きました。家族で回し読みしています。 和歌山県 C・Aさん
秋晴れの一日、もったいないくらいのお日様の光を浴びて日なたぼっこをしていました。横には猫ものんびりと寝ています。まるでサンルームのような感じです。11月になりますと日の暮れるのが早くなりますね。今は台所の窓から西日が差していても、うす暗い台所です。インフルエンザの予防接種はおわりました。「つのぶえジャーナルやジャーナル友さん」は私の人とのつながりの場を作ってくださいます。裏山はすっかり紅葉です。 徳島県 H・Hさん
私は市内の整形外科で看護師として働いて12年目になるのですが、最近、骨折された高齢者の患者さんが多くなったような気がして、とても気になります。いろいろ原因はあるのでしょうが、お話を聞かせていただいて感じることは、コロナを心配して家の中での生活が多くなり、自然に時間と共に足腰の衰えが骨折という形で出ているのではないかと思えてなりません。「ジャーナル友」の皆さん、時間を見付けて小まめに散歩を心掛けていただけるとよいのではないかと思う昨今です。 静岡県 B・Hさん
母が一年前に家の庭で転倒して救急搬送されて入院しました。あごの骨の骨折だったため、気管切開をしての治療が一年近く続いきましたが、病院のお医者さんや看護師さんの献身的な医療とお世話により奇跡的に元気になることが出来ました。前から母のために部屋などは新築の時に備えていましたので私たちの所に来るように勧めたのですが、今まで通りの家が一番良いと言うので、支援センターの方々の助言を頂き、元の家で今はヘルパーさんや訪問看護師さんの訪問をして下さり、お手伝いをお願いしました。娘として、母の願いを叶える方を選ぶことにいたしました。何が良いのか今も迷い、悩んでいますが、神様のお守りと皆様の助けを素直に受け入れることにして、3カ月になりました。 大分県 B・Aさん
昨年、クリスマスプレゼントに娘が届けてくれたデンマークカクタスの鉢植えが咲き始めて、部屋の中がとても明るく華やかになりました。暫くは楽しみが増えました。お花は良いですね・・・。 東京都 H・Aさん
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=天にまします=
呼び掛け① わたしたちの父
マタイ6・9、ヨハネ15:1~8
マタイによる福音書に記されているように、主イエスは弟子たちに祈りとその内容を教えられました。特に「主の祈り」と呼ばれるものがそれで、弟子たちが祈るように教えられた祈りですから、「弟子たちの」祈りと呼ばれてもよいのかもしれませんが、そうではなく「主の」祈りと呼ばれてきました。
主が教えてくださった祈りの内容ですから、御父はこの祈りを必ず聞いてくださるはずだと言うことが出来ます。また、ヨハネによる福音書の15章5節に記されていますように、ぶどうの木に連なる枝のように御子に連なっている私たち信者が、今では神の右に座して執り成してくださるキリスト御自身にあって祈るのですから、私たちキリスト者の主の祈りが、聞かれないはずがありません。このように二重の意味で必ず聞いていただけます。
さて、この祈りの呼び掛けの言葉「天にましますわれらの父よ」は、原文では、日本語の順序とは逆で、「父よ、われらの、天にいます」という順序になっています。「われらの父」が「天にいます」の先に来ます。
この「われらの父よ」から、第一に教えられたことは、「わが父よ」ではないということです。「わたしの父よ」ではなく、「わたしたちの父よ」という呼び掛けです。
「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」(マタイ6:6)と個人の祈りを教えられた主は、そのすぐ後の9節では「われらの父よ」と複数で呼びかけるようにお命じになられたのは、大事な理由があるからです。
その理由は、私たちが、一人で信仰生活をするためにキリスト者になったのではないということです。信者たちの交わりに、教会の交わりに加えられるために信仰が与えられたということです。このことを主の祈りの呼び掛けの言葉は教えています。私たちに入ってきた罪の性質は、自分だけで満足する生活をしたいという傾向をもちます。共同の祈りを好みません。しかし、キリストを信じるということ、その人が救われることによって、「われらの父」に互いに連なることです。
もちろん個人の祈りが必要です。しかし、個人の祈りにしても、「われらの父よ」と祈る時、個人主義は間違いであることを教えています。教会の礼拝や祈祷会の交わりに加わらないことは、主の祈りに矛盾することになります。私たちはキリストを信じることで、初めて父なる神を信じるようになりました。主が「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父を知ることになる」(ヨハネ14:7)と言われている通りです。私たちはその父を「われらの父よ」と呼びます。そのため、この呼びかけの言葉は、キリストの体に結び合わされている平安を私たちに自覚させてくれます。
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
18 バラ博士の最期とマカルピン・・・2・・・
1917年(大正6)、マカルピン師に忙しい仕事が起こってきた。この1月10日、金城女学校の校長であったチャーロット・タムソン女史が帰米中結婚したとの知らせがあったので、マカルピン師は学校に移転して勤務をとるということになった。そのため11歳半のゼームス・マカルピン君は母親の手元から離れて、4月、神戸のカナデアンスクールに入学することになった。校務の運営のため、授業のためにマカルピン夫妻は天手古舞の忙しさに追われたが、マカルピン夫人は夫を勇気づけ励まして、この困難を切り抜けることが出来た。
そうして9月17日、L・C・M・スマイス宣教師が校長に就任してマカルピン師夫妻は、はじめて重荷を下ろすことが出来た。
この頃、第一次世界大戦は終わって、帝政ロシアに革命が起きた。翌大正7年(1918)には、ドイツも革命で皇帝は退位し共和制を宣言し、日本国内も不景気で米騒動が発生するという世相であった。伝道の働きは連日のように忙しく、9月16日には津島第三中学で毎週バイブルクラスを開いて有志の生徒に聖書、英語、讃美歌指導を開くことになった。偶像の町津島に福音を宣べ伝えるために、こうした方法も、また大切なことであった。
1919年(大正8)6月、前記のバラ先生の健康のために休暇帰国し、バラ先生の最後を看取り、1920年(大正9)10月15日、再び日本に帰り、翌大正10年夏、ミッションの都合で高知県の須崎町に移ることになった。高知県の西南部の須崎、久礼、窪川、中村、宿毛と交通不便な、また危険の多い道路を自転車や徒歩で通って伝道した。
問31 聖書には奇跡というしか言いようのない話が沢山出てきますが、クリスチャンはみなああいう話を信じているのですか。また、ああいう話を信じないなら、クリスチャンと言えないのでしょうか。
答・・6・・
クリスチャン作家の三浦綾子の作品「石狩峠」に出てくる主人公である鉄道車掌は、連結器が外れて列車が坂を下りかけた時、とっさに飛び降りて、自分の身体を車輪止めにしたことによって、事故を未然に防ぎ、乗客の命を救いました。事実に基づく小説です。
青森と函館が連絡船によって往き来されていた時、台風で「洞爺丸」という連絡船は沈没しました。その時、乗客の避難を助けた一人の宣教師は、救命着を持っていない人を助けるために、自分の身に着けていた救命着をその人に付けさせて助け、自分は水中に没した、という事実が伝えられています。
アウシュビッツで、ガスかまどに入れられることになっていたユダヤ人一家を救うために、一人の神父が身代わりになったことは、よく知られています。
生まれつき見えず、聞こえず、ものいうことも出来なかっいた子供ヘレン・ケラーが世界に希望を与える人となったのは、サリバン女史の献身的な教育によるものであったことも、知られています。
これらの人に、こういうことができたのは、生まれつき優れた資質を与えら
れていたからであったというより、これらの人は、愛されるという体験を持っていたからではないかと思います。
「人を愛しなさい」と言われ、それに同意しても、愛されることがどういうことか知っていない人が、人を愛することはできません。愛された経験以上に愛することは出来ないのです。
クリスチャンだけが以上のように生きられるとは限らないでしょうが、キリストの愛に触れた人が、それ以前にはできなかったことをするようになるのは、愛が生み出す奇跡であると言えます。
キリストは、「一粒の麦が地に落ちて死ななければただ一粒のままである。しかし、死ねば多くの実を結ぶ」と言われました。神の愛は、キリストをこの世に遣わし、キリストによって与えられた愛は、その後、多くの実を結びました。これからも結ぶに違いありません。
五つのパンで5千人以上が食べた奇跡は、キリストが死なれたことによって起こっているのです。
キリストに出会い、キリストの愛に生かされるなら、そのことが奇跡であり、また、そこから奇跡が起こることが信じられるからであります。こういう消息に触れていただきたいと願っています。
(完)
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
C パウロはローマのキリスト者たちの祈りを求めている。
・・・15:30~33・・・
「共に力をつくして、わたしたちのために神に祈ってほしい」
(15:30b)
「力を尽くして」と訳されているギリシャ語は、英語のagonize(苦悶させる)という語ができた語源であって、「必死に努力する」「悩み苦しむ」という意味であり、「深い関心もって」という意味でもある。私たちのせっかちで形式だけの祈りは、このような語では到底表現されることはできないからだる。深い霊的な熱心だけが、ここでパウロが述べているような祈りに私たちを導くのである。
「共に」という語に注目しなくてはならない。ローマのキリスト信者たちはパウロと共に力を尽くして祈らなければならないのである。パウロは艱難と危険の中を通り抜けるときには、ローマのキリスト信者たちも、祈りを通してパウロの苦難や危険に与らねばならないのである。
「すなわち、わたしがユダヤにおる不信の徒から救われ」(15:31A)。
これはパウロがローマのキリスト者たちに、彼のために祈るように求めている3つの事柄のうちの第一のものである。彼らはパウロがエルサレムに入る不信仰のユダヤ人たちの暴力と怒りから救われるように祈ることを求められている。パウロはこれからキリスト教が迫害されつつある地域に足を入れようとしている。
ステパノが石で打ち殺され、ヤコブが数年前に斬首されたのはエルサレムだったのだ。激しい迫害が鎮まっている間でも、厳しい反対は依然残っており、いつ何時再発するか分からなかった。パウロはユダヤ人たちを恐れなければならないことを知り尽くしていた。パウロの生涯を通じて、彼らは彼を迫害し殺害しようとしていたのである。
「そしてエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなるように」(16:31b)。
これがパウロがローマのキリスト者たちに、彼のために祈ってほしいともと求めている第二の事柄である。彼がエルサレムに行く目的の任務が無事に完了することである。このことのために彼は祈ってもらう必要があったのである。何故ならパウロに反対するのは非キリスト者のユダヤ人ばかりではなく、ユダヤ人キリスト者の間にも彼を疑いと冷たい目で見る人々がいたからである。
彼が異邦人たちに福音を宣べ伝えることに従事していたという事実は、狭量な心のユダヤ人たちに彼に対する偏見を持たせる結果を生み出している。「パウロはエルサレムへ行くことの目的である愛の業が、エルサレムのキリスト者たちによって快く受け入れられることを望んでいた。パウロはあまり快く思わない人々のために労してきたのである。彼はエルサレムのキリスト者たちを聖徒と呼んで、彼らのキリスト者としての性格を認めているのである。たとえ彼らが彼に不親切であっても、彼は彼らを聖徒と呼んで尊敬し、ローマのキリスト者たちに、エルサレムのキリスト者たちが彼の手にある親切(異邦人キリスト者からの援助金と親切)を快く受け入れてくれるよう祈ってほしいと求めているのである」(ホッジ)。
J・G・ヴォス著、
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
一人で生活している私を心配して牧師夫人は月に数回は電話を下さいます。10月31日は宗教改革記念日礼拝で役員さんの送り迎えで守ることが出来ました。皆さんは私は物静かなで無口な人というのですが、そうではないのです。会話の時、返事の言葉が頭に浮かばないのです。皆さんのお話が早口ではないのに、早口で何もかもわからないので、黙っているだけで、それは本当に辛く悲しいです。礼拝後、家に帰ってオコタにべたんと足を伸ばして横になるのが本当に心地よいのです。夜はベッドに横になり眠剤を午後9時にのみ休みます。眠れるのは本当に感謝です。お医者さんにはそのまま召されていいですと言ったら、笑って聞いてくださいました。枕元には「つのぶえジャーナル11月号」があります。本当に長い間届けていただきましたが、よろしくお願いいたします。 徳島県 L・Tさん
春の入園式の不安そうにしていた園児たちは夏の間に逞しく成長し、今は元気にマスクをしながら園の広場で走り回っている姿に、コロナに負けずに過ごした日々に感謝しています。私たち職員は、これからはインフルエンザにも注意しなければなりませんが、クリスマスの飾りつけの話し合いを始めています。職員皆で楽しいクリスマス会を初めて迎える園児のためにも、思い出に残る出来事を共に迎えたいと、少し遅くまで残っての準備の日々になりました。家族や子供たちには今年も不便をかけています。我が家のクリスマスのお祝いは教会で・・・になります。 岩手県 M・Hさん
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ジャーナルが届きました。 11月号をありがとうございます。1ページのヒガンバナがきれいですね。お彼岸の頃、今年は あちこちで見かけました。最近は、金木犀の香りに足を止めています。幸にも、17日、24日と今までご奉仕させていただいた懐かしい教会へ行きました。主人は、ここずっと、時間をかけて説教の準備をしていましたが、今はそういう時をもてることを本当に喜んでいました。半年ぶりの教会は、玄関を入った途端に、住み慣れた家のような感覚に戻ってしまいました。コロナも少し落ち着いてきまし たので、交わりの時が与えられ、良い時が与えられました。感謝です。
これまで見送る立場だったのですが、見送られて家路に着きました。
ジャーナルの読者の方の中には、山あいにお住まいの方が何人もおられるのですね。インターネットは福音をどこへでも運んでいきますね。お働きが支えられて、多くの方に届きますように。ご健康が守られますようにお祈りいたします。
孫の思い出を作るために七五三に行ってきました。食事をしたお庭を写してきました。天王寺に、写真を写しに行きましたが…コロナで「クリスマスのツリー」は、去年から無くなったようです。駅の飾りも花がきれいにありましたが「クリスマスらしさ」は感じられませんでした。
=この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子
木枯らしが枝に残る僅かな葉をきれいに何処かに運んでくれました。これも冬の風物詩。今年も1カ月になりました。短いようで長い一年であった気がいたします。コロナあり、オリンピックあり、衆議員の総選挙ありなどでしたが、新しい2022年を迎えようとしています。いろいろのことが起こるでしょうが、神様のお守りを頂いて、新しい年を迎えたいと思っています。
「ジャーナル友」の皆様の上に神様のお恵みが豊かに与えられますように、お祈りしつつ、12月号をお届けいたします。お支えのお祈りと献金・寄付金を感謝いたします。
先日、何時もとは違う郵便局で84円の記念切手を100枚下さいと言ったら、100枚ですか?と聞き直されました。個人でそのようにいろいろの種類をまとめて買う人は少ないのだそうでした。お便りなど差し上げている関係で、私にとって1カ月分として必要な枚数なのです。
2021年10月16日から2021年11月15日までにお送りくださいました方々です。感謝いたします。
村田和子様 牛島和美様 水谷若葉様 島袋実憂様 長津 榮様 加納さおり様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名1名様
*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。
*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。
http://tunobue.blog.shinobi.jp
(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」