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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

 みなわたしを捨てて行った。どうか、彼らが、そのために責められることがないように。

      =Ⅱテモテ4・16=

 パウロのように真理を愛し、人々の救いのために生きた人、気高いキリスト者が、彼の味方に捨てられるようなことは、あり得ないだろうと考えられがちですが、彼もまた、彼が一番必要とする時に、彼らが離れ去るのを見なければなりませんでした。重い暗い人間模様です。しかし、信じ合うことは大切です。年をとり、ひとり放っておかれ、すべての人に忘れられ孤独の中に座っている自分の姿を・・・。キリスト者として、また良き友として、長い間の夫婦でも、ある時、人生の夕べとなり、相い別れる時は来ます。

 

パウロは言いました。「みなわたしを捨てて行った」。みなな・・・。パウロの使徒として生きた年月の中には、言い知れない悲しみや苦難も数多くあったことでしょう(どうぞパウロ書簡の末章をご参読されることをお勧めいたします)。

しかし、パウロから学ばなければならない大きなことは、彼がこれらすべてのことを、信仰者として許しの心で真実に対峙していることであります。「どうか、彼らが、そのために責められることがないように」と言います。このように言える人は何と幸いな人でしょう。私たちがすべての人を赦すことは、神様のみ心であり、愛の証であることを学んできました。その主イエス・キリストから人は去って行きました。

「わたしはあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた主を、どんなに不幸に合い、悲しみに打ちのめされても、「主イエス・キリスト」を真の友として愛し、信頼する信仰の姿で、日々を真剣に生きたいものです。

 信仰の詩人は言います。

 わたしは、ゲッセマネを思い起こします。ユダがどの様に主を裏切ったかを、ペテロがどのように主を知らないと言ったかを。

 弟子たちはみな主を捨てて逃げ去ったかを。主がむち打たれたことを。いばらの冠を、かれらが主につばきをしたことを。また葦で主の首をたたいたことを。

 主の手と足を釘で刺したことを。主の十字架の苦しみを。主の渇きを。主が「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたことを。

 主イエス・キリストの愛こそ、パウロの祈りの言葉です。 

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 「小閑記」

 「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである」。

         =ルカ10:23=

 私たちはいろいろの物を見、感じ、考え、そして経験として心の支えとして生きています。そのために、怠惰になる人はいないのではないでしょうか。

 

 キリスト者にとって最高の発見は、人生の中にキリストを見たことです。キリストの中にはすべてがありました。

 主を別にして、私たちが見ようとし、所有しようとすることの全ては、イエス・キリストの愛と恵みに比べれば、塵、あくたであると思うでしょう。キリスト者は、その生涯をかけて聖書を読むことを生甲斐にすることを、多くの人は不思議に思われます。しかし、そこに何が書かれているか、一度でも読んだことがある人々でも、ああそういうことか・・・と、生涯の読み物と受け止められないままに、忘れ去られてしまいますが、そこに、何かがあると気づくとき、もっと知りたいと思い、そこに何か支えになるものがあると気づくとき、もう少し読んでみたいと思わせるのが聖書という書物なのです。

 

 「救い」という言葉を私たちは知っています。しかし、主イエス・キリストを見出さなければ、何の値打ちもありません。しかし、その「救い」がイエス・キリストという人物によって裏打ちされたものであるとき、事は変わるのです。多くの方が十字架のネックレスをされているのを見ますが、単なる装飾品ではありません。

イエス・キリストの十字架の死という裏打ちが、キリストの愛と救いの深さが、我が人生の唯一の宝としたいと思う時、キリスト者は聖書を単なる読み物としては読みません。人々はクリスチャンが毎週礼拝に行く姿を見て、どうしてと不思議に思うでしょうが、そこには神様との出会いと霊的交わりがあり、喜びがあることを知っているから、心を整え、教会に行き礼拝に行くのです。

教会は建物です。しかし、そこには神の言葉があり、信仰者の感謝の祈りがあります。心の叫びがあります。永遠の命の約束があり、慰めがあり、安らぎがあります。

 

 キリスト者が希望を失い、祈りと讃美が教会から消え去ることを喜ぶ者は,神に敵対する悪魔だけです。神に信頼する者の心をより弱める力で、いろいろの試みを仕掛けてきます。これから紅葉、行楽のシーズンです。貴重な日曜日、家族と楽しいひと時を過ごしたいと思うでしょう。しかしキリスト者は礼拝に行くのです。人はそれを窮屈な生き方と言うかもしれませんが、それでも行くのもまたキリスト者なのです。

 

私たちキリスト者は弱い存在です。内なる心も外なる体も弱りはて、聖書から心が離れ、心にみ言葉が響かず、弱りはてて祈ることすら出来なくなる者です。その弱さを知っているからこそ、聖書を手ばなさず、祈る心を下さいと願うのもまたキリスト者です。

 励まし合い、支え合い共に祈り合おうではありませんか。「つのぶえジャーナル」は「祈りの場であり、祈りの友が集う」所です。お便りを送ってください。お待ちしています。

教会に行きましょう。聖書を読みましょう。そうして語り合いましょう。

世田谷通信(218

猫草

 ほんの少しの違いが、大きな印象の差になることがあるのはどうしてだろう、とよく思う。自分ではできているつもりでも、予想通りに出来ていなかったり。そういうときに残念だなという気持ちと、上手な人はどこが違うのだろう、と不思議に思う。例えば、料理番組をみているといかにも簡単に手際よく、おいしいものができるように錯覚する。でも同じように再現できない。仕上がりが思っていたのと違う。それはそうだ、見ただけで誰もが同じようにできたらプロの料理人は失業してしまう。

 盛り付ける手元をよく見ていると、料理の先生はちょっと食材の角度を変え、ほんの一瞬皿を回す。コツ、というわずかな違いが一皿を生き生きと見せる。

 バスの中で若い女性がヘアゴムで髪を一つにまとめていた。単に一つにつめるのではなく、サイドの髪を少し指先で引き出し、結んだ位置をちょっと下にした。その微調整で急におしゃれになったので、なるほどと感心した。

 首元にさらりと巻いたストールひとつで、いかにもセンスがいいと思わせる人もいる。きっと頭の中に「これはこうあるべき」という理想形がきちんと、あるいは無意識にイメージできているのだろうと思う。それは黄金比だったり白銀比だったり、ある程度説明でき、数値化できるものかもしれない。

 思い返せば、小学校の書道の時間。先生が「横に一本、線を書いてください。」というのでみんな半紙に「一」と書いた。その「一」はみんな違っていて、整ってきれいな子も、やたら太い子も、弱々しい子も、真っ直ぐも、ぐんにゃりもいて。文字ですらない、横棒でみんなの実力が出てしまったのだ。

それも個性と言えばそうなのだし、今更悔やんでも一朝一夕には身につかない。今からでも少し気を付けて、せめて周囲に見苦しく思われないようにできればと思う。

 <いきいき里山ものがたり>

* わが家の「いきいき里山ものがたり」は都心の15階建てのマンションのベランダです。洗濯物は乾燥機にしていますので、ベランダは家内の楽しみにしている小さなガーデニング?の場所です。季節の鉢植えに朝晩水やりと剪定?を楽しんでいます。

今はどこかに行ってしまったトンボも来てくれました。孫が秋の虫を敬老の日にプレゼントしてくれましたので、虫の声を楽しみにしています。ベランダの小さな秋のお便りです。  神奈川県 ALさん

「美しい朝に」

=沙耶香のつぶやき=

  夏バテも軽く過ぎ、食欲の秋で、病院の先生から少し太りなさい?と言われ勇気が出て、よく食べています。お菓子類は控えています。体重計を気にするまでは行っていませんよ。美味しいのでうれしいです。

  朝晩お母さんと散歩しています。この花きれいねお話し合いながらの散歩ですから楽しいです。長続きしない性格を知っているお母さんは、最近太り気味なので散歩しようよと声をかけてくれます。優しいお母さんに乗せられて、今のところ続いています。コスモスがきれいですね。

  これからのことを考えてしまい、また気持ちが少し落ち込んでいます。今は体力を付けて、出来ることを楽しくしてということは分かっていても、その先を考えてしまいます。先の見えない自分って、生きていて良いのだろうか、何の意味があるんだろうかと考えると、めっちゃ怖いです。

  家の近くに昔の地域の農家の用水池が幾つかあり、今は沢山の鳥たちが飛び交っています。元気な時はその池の周りを散歩しています。夜は怖いので、まだまだ暑いですが明るい時に出掛けています。散歩が出来るようになれました。うれしいです。

       ********

  沙耶香さん、お元気ですか。裏山からイノシシやサルや鹿が出てきて、冬支度をしています。私たちも夏物から秋冬物に衣替えで、おお仕事で悪戦しています。冬に備え健康に注意してくださいね。  徳島県 K・Jさん 

 *この掲載は、全て了解を得ております。編集子

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (188)

9月20日

 今までは9月15日が敬老の日でした。ちょっとカレンダーを見てハッと驚きました。今日が敬老の日なんだと娘からハガキが届きました。“いつまでも元気で頑張ってください”とありました。うれしいですね。そういわれるだけで感謝です。

赤赤とますほのすすき日を受くる。(ススキがいっせいに穂を出してきました。

集中すパラリンピック蝉猛る。

新涼や祈りの言葉おのづから。

夕立ちやからす鳥居に宿りをり。  馬場路哉

9月29日

 お昼になると汗ばんできますから、朝はおっていたものは一枚減らします。主人はずいぶんよくなってきて最近、いつものように食欲が出てきました。やれやれというところです。

秋の雲羊の群れに似て進む。

先祖らの覇気を忍びぬ秋彼岸。

伊賀の霧太古の湖を思はしむ。(伊賀の霧がここ山添まで流れてきます。)

爽やかや一つの聖句繙きて。(毎晩聖書は二人で交互に読んでいます。)

緩やかに川会うところ蛍舞ふ。  馬場路哉

10月2日

 山添村の保育園の運動会が行われたようです。保育園児全部合わせて49人というのです。元気に育ってほしいです。教会も伝道していかなければなりませんね。早いもので10月がスタートしてこちらは秋の気配が濃くなってきています。

夕暮れが早いのが寂しく感じられます。それに気ぜわしいのです。明日はまた主人は草刈りの「出会い」です。明日は雨にあわずに終わることができそうです。

燕去る右近流離のあたりへと。

崖の葛花をこぼしぬ過疎の村。

蜘蛛の囲の虹色見する朝日かな。

燕去る右近流離のあたりへと。  馬場路哉

10月4日

 こちらは朝、夕と昼間の気温がとても差があります。草刈りの「出会い」は、とても大変でした。お昼ごろまでかかってしまいました。皆が年を取ってきているので前へ進むのが遅くなりました。草刈り機で刈り取ってくれた草を箒できれいに掃こうとするのですが、重くてなかなかうまく掃くことができません。「出会い」で腰、背中、足などが痛くて起き上がることすら大変でした。先日の検診の結果体幹の筋肉が落ちているのでしっかりリハビリで鍛えなければといわれました。その運動もきつくて筋肉が痛みます。

夏雲の共存すなり秋の雲。

一株の鶏頭残し施設へと。(お隣の88歳になられる方が植えた鶏頭は今年も秋を彩っています。)

秋雨を伴奏にしてつづれさせ。

交通を見張りをるかの案山子かな。

遠くには校舎の見えて野路の秋。  馬場路哉

   馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

眸(ひとみ)

  冬と雪を運んでくれる「雪虫」が飛び始めました。秋の味覚の鮭が産卵のために遡上しています。北国はもう冬です。これから始まる長い寒さと雪との戦いが始まります。オリンピックのマラソンコースの北海道大学の構内の木々もわずかに葉を残しています。紅葉のジュータンです。  北海道 CAさん

  庭の金木犀と山茶花が同時に咲きました。金木犀と言えば10月の半ば過ぎに咲きだすのですが、今朝空を見上げるともう金木犀の花がたくさん咲いています。そばを通るとよい香がするのですが、私の感覚が鈍ったのか、いつものような良い甘い香りは致しません。不思議です。その隣を見ると冬に咲く山茶花が咲き始めているのです。それでもコスモス畑に目をやると一斉に白、ピンク、レッドピンクなどのコスモスの花が秋の風に揺れています。空の色は今真っ黒になってきました。散歩の途中で同じ年齢の友に出会いました。“最近物忘れが激しいので本当に困るのよ”と話しかけると、“私もよ”“そろそろ物忘れ外来に行って少しでも物忘れを遅らせようと考えているのよ”と年寄りの会話で散歩を楽しんでいるこの頃です。

  大阪府 HHさん

  田んぼはすっかり稲が刈り取られています。散歩道にある畑を見渡すと白菜の苗が一面に植えられています。冬野菜の苗が植えられているのです。まだまだ10月なのにとゆったりしている私ですが、農家さんにとっては次々と季節の野菜を植えていかなければならないのですね。畑で仕事をされている方はひたすら鍬をも握って土を掘り起こしたり、肥料をやったりと一心です。大変なお仕事ですね。  静岡県 B・Hさん

  こちらはもうすべてが冬支度です。通勤用の車のタイヤも着る物もすべて冬支度です。コロナの予防接種の効果が出てきたので、施設の面会自粛も見直され、ご家族との面談も可能になりましたので、施設全体は明るくなりました。お花やお菓子をもって来られる方、庭の写真を見ながら短い時間ですが、そのような時を持っています。入居者さんもご家族も本当によく協力、我慢してくださいました。お寂しい時を過ごされていましたから・・・。このまま終息に向かってほしいです。私たち職員のできることは精一杯がんばること以外にありませんから・・・。  岩手県 BAさん

  コロナの感染の広がりも、少し落ち着いてきましたので、入居者さんも施設の周りの運動をされるてい方にも笑顔が戻ってきました。面会の制限も緩やかにして時間を長めにして、ご家族と過ごされる工夫をして対応しています。穏やかな笑顔に私たちもうれしさを貰っています。私の通っている教会にも笑顔が戻ってきて、マスクをしながらですが楽しい会話の時間が、神様から与えられています。  東京都 HAさん

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 

十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)

天にまします我らの父よ

願わくはみ名をあがめさせたまえ

み国を来たらせたまえ

み心の天に成る如く地にもなさせたまえ

我らの日用の糧を今日も与えたまえ

我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ

我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり

アーメン

 

=祈りについて=

祈りについて③・願う前からご存知

       マタイ6・8、32~34

 主は、主の祈りをお教えになる前に、弟子たちにこう言われました。「あなたがたの父は願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ」(マタイ6:8)と。

 この言葉の意味を心に留めておくことで、私たちは祈ることの喜びと熱心へと励まされます。しかし、「天の父が私たちの願いを、祈る以前からご存知であるなら、祈る必要があるのだろうか」というように思う人がいるかもしれません。そうであれば、祈りへの姿勢は消極的になります。

 さらに「どんなに祈っても、どのようになるかは祈る前から決まっているのであるなら、祈る必要がないのではないか」というようにさえなるもしれません。

 しかし、主は祈りの内容を教えてくださる前に、このようにおっしゃったということは、父は既に私たちの願いをご存知なのだから、熱心に祈る必要はないというような消極的な意味でおっしゃったはずでは決してありません。むしろ祈りの励ましのために言われたはずです。それでは、このように言われたことの意味は何なのでしょう。

 

 それは、ヘルムート・テイーリッケという牧師が、その著書「主の祈り」の中で語っていますように、父なる神は、私たちが願う以前から、私たちの願いを私たち自身が知っている以上によく知っていて下さるという事実です。私たちが自分のために願い、他の人のために祈る時、その願いよりも、それ以上に必要なことを父なる神は知っておられ、それに基づいて答えて下さることがあるということです。

 例えば、使徒パウロとシラスは、第二回伝道旅行のなかで、リストラからテモテも加えて、ビティニア州に入ろうと願ったが入れないでトロアスに下り、そこからマケドニアへ渡って行くことになりました(使徒16:10)。それがヨーロッパ伝道、つまり世界伝道への突破口となりました。

 パウロは小アジアの伝道を願っていましたが、天の父のご計画は違っていたのです。私たちはよく検診によって、自分の知らなかった病が明らかになります。医者はその検診の結果と、私たちへの問診によって、どういう問題や病があるかを明らかにしれくれます。それは、医者の方が私たちのことを、私たちよりもよく知っているために出来ることです。神もそうです。

 私たちは無意識のうちに自分が自分の事を一番よく知っていると思っています。そのため、祈ったとおりにならないと、祈りが聞かれなかったと思ってしまいます。しかし、御父の答えは私たちの願いのようにならないことがあっても奇異に感じる必要はありません。御父の方が私たちのことを良く知っていて下さるからです。その御父の御心をよりよく知るために聖書があり、聖書を理解するのに聖霊のとりなしの助けを受けていることは非常に幸いなことです(ローマ8:26)。

 


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

18 バラ博士の最期とマカルピン・・・1・・・

 興味深い明治時代が終り、大正時代となって、バラ先生の健康も次第に衰え1918年(大正7)1月、先生の伝道地長野、諏訪、伊那、飯田は日本基督教会に移譲された。先生は1919年(大正86月、娘婿のRE・マカルピン師に伴われて、帰米のため横浜港から数百人の友人、知己の見送りを受けて名残惜しく日本を去られた。日本伝道58年、誠に信仰の勇者の面影である。

 翌年の19201月29日、米国バージニア州リッチモンド市ゲナパークで、RE・マカルピン師の手厚い看護の下、遂に天に召されました。時に88歳、墓地はゼームス川を見下ろすハリウッドにある。

 

マカルピン師の活動は、1911年に休暇帰米を終えて1913年(大正2)2月米国より名古屋に帰られたが、同地方を中心に変わらぬ伝道奉仕を続けられた。同年9月17日には金城教会幼稚園を設置するために努力された。マカルピン師は幼児よりのキリスト教教育の必要性を痛感されて、中津川教会(現日本キリスト改革派中津川教会)にあっても渡辺 有歯科医師を中心にキリスト教幼稚園の建設をされ、岐阜県下に於けるキリスト教幼児教育の先鞭をつけられた。翌1914年(大正3)には、その日本に於ける宣教及びその他の業績によってテネシーのか-クスビルにあるサウスウエスタン・プレスビテリアン大学から神学博士の学位を受けられた

この年の7月28日、オーストリアは後退し暗殺事件からセルビアの開戦し、第一次世界大戦が起こった。このため米国も日本も軍需景気となり、日本のキリスト教会も順調は発展をした時期であった

翌年(1915年)の夏、マカルピン師は軽井沢のミッション会議で金城女学校の理事を継続され、1916年の朝鮮伝道団の代表に選ばれた。

 

当時、日本基督教会は朝鮮に伝道して、大正4年7月、京城で朝鮮中会建設式を行った。南長老教会ミッションも朝鮮伝道に関心をもち、この年の春、マカルピン師は3週間の予定で同地に旅行した。の旅行はマカルピン師にとっても興味深い、また有益なものであった。ミッションの支部や教会訪問、日本人の官吏やその他の人々との会合での談合、そして日本人やその他の集会での説教と、時は短く過ごされて行った。 

「キリスト教百話」

  

問31 聖書には奇跡というしか言いようのない話が沢山出てきますが、クリスチャンはみなああいう話を信じているのですか。また、ああいう話を信じないなら、クリスチャンと言えないのでしょうか。

答・・5・・

 しかし、キリストは前述のように言うだけの生き方をした人です。悪事を働いたり他人に危害を加えたりなど全くしないばかりか、病んでいる人を癒し、差別視されていた人たちの友となり、信仰の正しい在り方を説いたのに十字架につけられたのですが、その時、自分をそのように不当に扱った人たちのために、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないからです」と祈られました(ルカ23:1)。

 ここには報復の思いなど微塵もなく、あるのは赦しだけです。その時、弟子たちは、自分たちがキリストの仲間であることがばれたら処刑されることを恐れて、「あの人のことは知らない」と言い、逃げてしまいました。彼らは自分たちの不甲斐なさを恥じ、自分を責めたに違いありません。しかし、復活して弟子たちの前に現れたキリストの第一声は「安かれ」でした。赦しの宣言でした。

 聖書は「神は愛なり」と告げています。キリストにおいて示される事実がそうであるからです。この愛に触れる時、人は変わります。最初の殉教者とされているステファノは、石を投げつけられている間、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んで息を引き取ったと伝えられています(使徒7:6)。

 報復ではなく、赦しに生きる人になっていたのです。

 

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

第101課 パウロも宣教活動とその計画 15:14~33

 

C パウロはローマのキリスト者たちの祈りを求めている。

・・・15:30~33・・・

「兄弟たちよ、わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ、御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力をつくして、わたしたちのために神に祈ってほしい」(15:30)。

  「祈り(とりなしの祈りでさえも)というものは真実で重要な有効性を持っている。それはただ単に祈りを捧げる人の心に感化を及ぼすだけでなく、私たちが求めて祈るその祝福を獲得することにおいても極めて有効なものであるのだ。

 パウロはローマのキリスト者たちに命じて、神が摂理の力を働かせて彼を危険から守ってくださるように、また、聖霊がエルサレムにある兄弟たちの心に感化を与えて下さるようにと祈らせるようとしているのである。もし、このような祈りが有効でないと仮定すれば、パウロは祈りというものをしなかったことであろう」(C・ホッジ)。

  使徒パウロは同僚にキリスト者たちの祈りの必要性を強く認識していたのである。

 

  何故ローマのキリスト者たちがパウロのために祈るべきであることについて、彼は二つの理由を上げている。

  第一に、彼らは「主イエス・キリストより」(for the Lord Jesus Christ.s sake)、すなわち、主の故に彼のために祈るべきなのである。神に対する彼らの献身と敬虔の故である。もし彼らがキリストを愛しているのであれば、そして真実にキリストの王国が繁栄することを願っているのであれば、彼等キリストの僕であるパウロのために祈るべきなのである。

  第二に、「御霊の愛」のゆえに彼らはパウロのために祈らねばならないのである。すなわち、聖霊が創始者であり源であられるキリスト者の愛の故に祈るべきであるばかりでなく、同僚であるキリスト者としての彼自身に対する彼らの愛にも訴えているのである」(C・ホッジ)。

  もし私たちの同僚であるキリスト者たちを真に愛しているのであれば、彼らのために祈るべきなのである。

JG・ヴォス著、

    玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

  健康維持で始めた夫婦の散歩も10年以上になりました。整備された散歩コースではありませんが、何となく決まった散歩コース、今朝、散歩道でコスモスがとてもきれいに咲いていました。まあ~なんと美しいコスモスの花なのでしょう。しばらく見とれてしまいました。帰宅しても二人でコーヒーを飲みながら朝のひと時を過ごしました。神様がお与えくださった健康ですから、それを活用して、昔からの信仰の友にメールしました。地方の町ですからあちこちの空き地やお庭に秋らしい花々が次々と咲き始めています。シオンという紫色の大きな枝ぶりの花もとても野生的ですが元気をもらいます。隣の町にいる娘からも彼岸花が好きだといいます。まるで自然界のことに興味を持っていないような子供でしたのに、最近は野に咲いている花を見て楽しむことができるように成長しました。なんだか不思議な感じがしています。  大分県 LTさん

  祖父母に敬老の日のお祝いで、お菓子を両親が送りました。そのあと、おばあちゃんが私たち家族に自家製南瓜を送ってくれました。その贈り物が、なによりも、嬉しい贈り物だなと思いました。私はお礼の電話をしました。「美味しいから食べてみてね。」とおばあちゃん。人思いのある優しさを感じて、私は感謝の気持ちでいっぱいでした。  愛知県 MHさん  

  黄金色に実った稲を忙しそうにコンバインで刈り取っている音を通勤の車の中で聞きながら、稲刈りに忙しくしている父の姿を今年も思い浮かべています。元気でいてくれているのが感謝です。今年の年末もコロナで帰ることは出来ません。母は月に一度、野菜を送ってくれます。スーパーの野菜は高いので助かっています。私のふる里納税は、家族みんな元気だよメール!だけです。近くにいる妹夫婦が後々は父の畑を継いでくれるので、ありがたいです。  神奈川県 NHさん

      ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

   きれいに刈り取られた畑に畦道に、どぎつい位の曼殊沙華があちこちに咲いていて、ススキの中に咲いています。朝晩の風は冷たく感じる丹波の今です。夏の疲れが残っていますが冬支度を始めています。私は漬物、主人はお風呂用の焚き木を集めて、納屋に運んでいます。煮物は部屋の薪ストーブです。もう50年になる私たちの生活スタイルです。便利ですよ。今年の年末も娘たちの帰省はありませんが、健康でいてくれているので感謝です。山から残り柿をたべにサルが毎日やってきます。

  蒸し暑いような涼しいような変な気候です。散歩で目を見張るのは一斉に咲き出した彼岸花の朱色です。今年は去年よりも少し早いような気がいたします。その年の気温、雨量などによって自然界は察知しているかのようです。今朝は、急に腰が痛くて、朝、起きるときにシップを貼って何とか食事の下ごしらえを進めることができました。大きなものではないのですが、“うんとこしょどっこいしょ”と声をかけながらお鍋を持ち上げたり下ろしたりしている私です。

  車3台分くらいの小さく狭いところですが、秋の収穫を楽しみに世話をしてきたのですが、この天候不順で、きんときや白菜の育ちが悪く、次の準備のために抜き取って、今は何もありません。気持ちの整理をして、挑戦します。虫たちには憩いの場所でした。コスモスも横倒しになってしまいました。恨めしい台風でした。

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子

   『ありがとうございます』

一段と寒さが身に沁みる頃になりました。「つのぶえジャーナル」をご覧くださっている皆様には、お変わりございませんか。読者の中には病床の方もおられます。お一人で生活されておられている方もおられます。コロナ禍で不安定な働きの場におられる方もおります。一時期の騒然とした中で、医療や介護に関わっている方もおられます。電気やガスや水道などの維持管理に関わっておられる方もおられます。皆様が、神様のお守りとお導きを頂いて、お過ごしになられますように、心からお祈り申し上げます。

 2021年9月16日から2021年10月15日までにお送りくださいました方々です。感謝いたします。     

 

田上良子様 山下洋子様 宇佐神正武様 青木茂雄様 加納さおり様 木島紀子様 佐藤のり様 須川直子様 馬場暁美様 匿名1名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

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(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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