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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。  

           =Ⅱテモテ2:5=

「2020東京オリンピック・パラリンピック」の大会も2021年になりましたが、世界の各地から選手や関係者が集い、コロナ禍という異常な事態の中に開催され、終了しました。選手たちは今、何を思っているのでしょうか。多くのドラマが産まれ、感動や人との出会いを、思い浮かべていることでしょうか。この大会に参加するには、それぞれの国で参加を目指していた多くのアスリートがいます。同時にその試合のために準備された多くの関係者のあることを忘れることは出来ません。

国内の聖火リレーに参加された人々にもドラマがあり、数多くのボランティアの全面的な協力で成り立った「2020東京オリンピック・パラリンピック」でした。開会式の選手宣誓や役員の宣誓がありました。大会の理想と共に、私たちは一つの言葉に気づきました。それは「規則にのっとり」という言葉です。これは、オリンピックに限ることではなく、何事にも共通する「理念・理想」であることです。

競技とは、規定に従って行うことで、そこで賞を得るのですが、参加された選手や役員や審判の人々がそれに忠実である限り、全ての人には、「感謝の賞」を心にいただいたと思います。

試合には勝者と敗者に分かれますが、如何に素晴らしい記録を残しても、不正をしたり、誤りを犯す者は反則として除かれます。

キリスト者は、この点に於いては、キリストより厳しい事柄が求められています。信仰者としてこの信仰の戦いに参加する者、信仰者としての栄冠を得たいと望むなら、「信仰生活の戦い人」にならなければなりません。

主の大義のために、主のみ名のために、主の栄光のためであります。

ウエストミンスター大教理問答の問1 人のおもな最高の目的は、何ですか。 答 人のおもな最高の目的は、神の栄光をあらわし、神を永遠に十分に喜ぶことです、告白されています。

この目的・基準を心から愛し、喜び、従うために、自ら励むことなのであると、信じます。

心を見られる審判者は自己中心の競技者全ての名前を探りあてます。その戦いが外見上霊的に見えても、決して栄冠は得られません。

心して戦い祈れ、

戦いは決して止まない。

日ごとに雄々しく戦い、

主にのみ助けを求めよ。

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「小閑記」

まず、パリサイ人のパン種に気をつけなさい。

        ルカ12-1=

新約聖書の福音書の中に、この「まず、パリサイ人のパン種に気をつけなさい」というイエス様が弟子たちに言われているところがありますが、それは、パリサイ人の生き方、人生観にはキリスト者にとって、何か特に危険で有害なものがあったに違いないことが分かります。しかし、この危険が何であるかに無神経になったり、あまり恐れないなら、この警告に今一度真剣に耳を傾けなければならない理由があります。

このパン種に練り込まれるのは、病んでしまった惰性的キリスト教にだけあると思い込みたがりますが、実は、日々生活している私たちの生活の中にも、それは容易く入ってくるものであることを忘れがちであります。

では、そのパリサイ主義が私たちにとって危険であるというのは何でありましょう。

それは、パリサイ人なる者は、ありもしない自分を、自分として通用させます。口で誇るものを心には持っていません。これがパリサイ人の本質的な特徴です。「偽善者」として、イエス様は言われます。それは確かに私たちが最も陥りやすいところでもあります。

自分のキリスト教に対して全く誠実であること、そして口で言うことを心に持つこと、これは私たちが日々の生活や信仰生活を省みる時、考えるよりも本当に困難なことであることが分かります。

私たちは実際の自分をより良く見せるようにと様々の方法を考えてしまう誘惑を受けます。私たちは内的命の虚しさを、強い言葉を用いたり、長い祈りでたびたび覆い隠そうとします。多くの場合、内的命が弱った時に、外的命を飾り立てて、それの繕いをしようとするのが通例だと考えてしまいがちです。沢山の大袈裟なキリスト教的な言葉に、私たちが全く誠実であったならば、話さなくても良かったのではないでしょうか。

「恵みと慈しみを追い求める人は、命と恵みと名誉を得る。自分の口と舌を守る人は、苦難から自分の魂を守る」(箴言21:21,23)。

全くイエスの言われる通りです。「まず、パリサイ人のパン種に気をつけなさい」は、内的な不真実を、偽りの霊的な言葉を通して宗教的な話と自分とを同一に扱うことは、外の暗きに行く一番確実な方法であります。そこで私たちは注意いたしましょう。

10月号の「主の祈り」の記述を参考になさることをお勧めいたします。 

主なるみ言葉を用いよ。

すべてその他はあだなれば。

すべての思いと熱情を、この確かなる楯もてまもるべし。


世田谷通信(217

猫草

 「カシノナガキクイムシ」これはある害虫の名前なのだが、舌をかみそうなので、通称「カシナガ」と呼んでいる。ナラやクヌギの木を枯らし、全国に拡大している。そういうとさぞ恐ろしい昆虫かと思うが、5mmほどの地味なやつである。

たとえると、ほうじ茶の小さい茶柱のよう。最初に見たときは、「え、どれですか?」と聞いたほど特徴がない。でも大量発生する。木の内部を食い荒らし、菌を増殖させて樹液の流れを止める。夏なのに茶色く葉っぱが変色するので被害木は遠くからでもわかる。幹に穴がたくさん開いて樹液があふれ、葉が枯れると樹木は衰える。最悪の場合は倒木となる。

 原因もその生態もわかっているのだから、対策はできよう、様々な論文や報告書も出されているし。はじめはそんな風に軽く思っていた。しかし生き物はそう簡単にはいかない。予防薬剤注入も捕獲トラップも顕著な効果はみられない、そして被害は出てしまう。雑木林の斜面にはあちこちに茶色くなったコナラやクヌギがみられる。対策をとらなかったらもっと被害は大きかったかもしれない。結果論なのでなんとも言えない。

 近くに建物や遊歩道に危険が及ぶ可能性のある木は早めに伐る。混みあった林にぽっかりと空白ができて、地面まで陽が入る。そうなればまた新しい植物が芽を出すだろう。

被害木はカシナガが侵入した穴がいくつもあいて、その下におがくずのような粉が落ちている。穴から樹液が出る。樹液が出れば昆虫が集まる。昆虫が集まるとそれを捕食する動物も来る。私たちは木を枯らす害虫だから対策を、と思うが、生き物たちは美味しい樹液を喜んでいるようにも思える。

果樹園なら、収穫のために害虫は駆除しなくてはならない。だが雑木林はある程度のサイクルで循環させることが大事である。でも薪にも使われず、雑木林はどんどん高木化していたのだ。

ずいぶん何本も枯れたなと思うのと、森林の更新手段かも、と思うのが半々の気持ちである。害虫、益虫の区別は人間の判断だけだから。

<いきいき里山ものがたり>

*  季節、季節の変化によって、いろいろの草花が花をつけ実をつけ、生き物も秋を迎えています。色鮮やかなクサギの実、アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)のマメは服などにくっつきやすい形状をしています。子供たちのはしゃぎまわる姿がそこここに見られます。クズの花とヨウシュヤマゴボウの実。紫のグラデーションが秋らしいです。キンミズヒキから秋の訪れを感じます。木目調をベースに目玉模様がたくさん、森の生き物のデザイン戦略でしょうか。秋もまた色鮮やかです。

=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=

 


「美しい朝に」

=沙耶香のつぶやき=

  コロナの感染拡大は怖いですね。陰性になっていても心配で、何処にも出られません。精神科の定期診断の予定も先生の方から、日延べしてくださいませんかと連絡があり、11月になりました。でも、とても不安です。今のところ、薬はお母さんが貰いに行ってくれるように手続きをしてもらいましたので安心ですが・・・。でも不安・・・。

  わたしの従妹の趣味は、ピアノとバイオリンを弾くことです。わたしも前はレッスンを受けていたのですが、コロナが問題になってからはオンラインで先生の指導を受けています。つい怠けが出てくるので、この方法なら続けることが出来ているようです。わたしは飽きっぽい性格で、とにかく諦めないでねと先生に励まされています。小学生の時に音楽教室の発表会に出たことが思い出となっています。

  母子二人で生活している友だちのTさんが、1年ほど前に他県に引っ越したのですがメール交換は続いています。今は高校は休学のままです。お母さんは仕事に出掛けているのに、わたしは何もしないで・・と悩んでいます。もうお母さんは叱ってもくれなくなって不安だとも言っています。家族のいるわたしには分かってあげられません・・・・。

       ********

  暑い夏でしたね。沙耶香さんはお元気でしたか。毎月、読ませていただいていますよ。我が家の庭に咲いている花の一つに、ノウゼンカズラがあります。手入れは庭師さんにお願いしているのですが今年は忙しく2カ月近く遅れてしまいまして、今年はなかなか蕾を付けてくれませんでしたが、8月の初めから薄いピンクの花が咲き始め今は見事に玄関先を華やかに飾ってくれています。2カ月遅れの庭師さんに感謝して、秋を楽しみにしています。  滋賀県 K・Jさん 

  <この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております>編集子

 


 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (187)

8月19日

いつまで続くのでしょうか。この激しい雨。気持ちまでが憂鬱になってきますね。農家さんは水やりはしなくてよいものの、今度は水が多すぎて根が腐ってしまうと心配しています。一人暮らしの方に電話を掛けましたら、とても心細くなってくると言っています。その方のお家は土砂崩れの心配もなく大丈夫なのですが、気持ちが一人でいるとさみしくなり不安だらけになってくると言うのです。誰とも話す人のいない日々、じっとニュースを見ては夜を過ごす心の準備はしているものの。不安が出てきますとのこと。ほんの数分だけの電話でしたがお互いに励ましあってこの雨が止むまで待とうねと言って電話を切りました。

美しき夏鳥の声,名を知らす。

爽やかや聖霊我を動かさむ。

涼風に棕櫚のそよぎぬ庭の前。

父植えし杉、ヒノキの山茂りかな。

広々と段々の田や稲の花。  馬場路哉

8月26日

 この暑さの中でも、自然界は秋を知らせてくれています。昨日の夕方の散歩では目の前に“秋あかね”が小さな羽を羽ばたかせながら飛び交っているのです。秋のやってくるのを教えてくれているのですね。とても愛くるしく感じました。今朝の散歩では〝けとう“の花が濃い赤紫の花をつけて秋を迎える準備です。この暑さとはもうしばらくのお付き合いだと感じました。

刈り草の雨に濡れしを片付けぬ。

暁のにわかに遅し秋深む。

雀の巣らしきを手にす秋の山。

夕立に一羽のカラス動かざる。

子猫来てしまと名づくや秋初め。  馬場路哉

9月6日

 今朝、萩の花が道端に咲き始めていました。なんとさわやかな薄紫の小さな花なのでしょう。秋らしい気候になってきて早萩の花が咲くとは・・・。萩には二種類あるようです。木のように高いところに咲くのが本物の萩だそうです。私の見つけたのは道端に小さい背丈でしたから、ヌスビトハギというそうです。

朝顔の揃ふやラジオ体操す。

セミの声特進みゆく響きとも。

玄関で毎々したるツバメかな。

瞑想と祈りの時の朝の虫。

早々と畦に垂れをる稲穂かな。  馬場路哉

夜になると虫たちの声が響きます。特にクツワムシがとても賑やかに鳴いています。

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 


眸(ひとみ)

  団地の公園にも秋が来ました。子供たちがお母さんと楽しそうに遊ぶ姿を久し振りに見ました。ここ数年見かけなかったトンボがたくさん飛んでいます。蟻さんもなんだか忙し気に行った来たりしていて、ご苦労さん、大変ですねと心の中で呟いています。その姿を見るのもあと僅かになります。「小さな秋」を見付けました。  東京都 B・Hさん

  今年の夏は大雨と洪水による山崩れ、そうして猛暑でしたが、何とか秋の気配を感じられます。行楽の秋ですがコロナ感染のため県内のどこの観光地も人出はまばらです。早く落ち着いてほしいと願っています。「ジャーナル友」の皆様が、猛暑の疲れが出ませんように、日々ご自愛ください。お祈りいたします。  広島県 BAさん

  名古屋は曇り空、明日は雨になりそうです。日中はまだまだ暑いですが、夕方になりますと、涼しい風は部屋に流れてきます。初秋を肌で感じています。足の衰えの強化?のために家庭用にステップアップの踏み台をトレーナさんに紹介され、使い始めました。無理しないで活用します。ここ数カ月、気持ちに余裕がなく短歌など作る気が起きませんでしたが、今朝は、いろいろと浮かんできてメモしました。秋がそうさせるのでしょうか。しかし、残念ながら、秋の花の名前が浮かんできません。パソコンで花を見て名前を探すことは出来ても、風を感じ、葉音に耳を傾け、蚊に射されながらでも、自分の足で歩きたいですね。小さな望みです。  愛知県 OHさん

  ススキが風で揺れています。名産の栗と富有柿の時期になりました。出来栄えは良いとのことで、収穫に忙しいと嬉しい悲鳴を、栗と柿と一緒に送ってくれました。団地の皆さんにもお裾分けしました。  岐阜県 B・Hさん

  教会の玄関やお部屋には何時もきれいな花が迎えてくれます。会員の方がそのために育てて下さったもので、私の趣味で・・・と言いながら何と20年以上も続けて下さっています。それが当り前になってしまっていた自分が恥ずかしい気持ちで、お礼を申し上げたら、ニコッと笑顔が返って来ました。これも主にある交わりですよね!  岩手県 BAさん

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 


十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)

天にまします我らの父よ

願わくは

み名をあがめさせたまえ

み国を来たらせたまえ

み心の天に成る如く地にもなさせたまえ

我らの日用の糧を今日も与えたまえ

我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ

我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり

アーメン

 

=祈りについて=

祈りについて②・聞かれない祈り

       マタイ6・5~7、ルカ1q8:9~15

 施しをするとき、人からの報いではなく、神からの報いを信じることが大切であるように、祈りが神に聞かれることを信じるのにも、信仰が必要です。祈りを聞いている周囲の「人からの報い」を期待する祈りは、聞かれない祈りであると、主は5節でおっしゃっていました。

 そして主は、人に聞かれることを願う祈りとして、二つの実例を挙げられました。その一つは偽善者の祈りであり、もう一つは異邦人の祈りです。

 偽善者の祈りの特徴は、「人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる」という言葉に見られます様に人の評価を期待する祈りです。人に向かって語る祈りとも言えます。会堂で祈る祈りが、皆、人に向かう祈りというわけではもちろんなく、どのような時の祈りでも、人からの賞賛を期待する祈りや、人に聞いてもらって、立派な祈りだというように思われることを期待した祈りは、神に聞かれないと主は言われました。例えば、読んでいただきましたルカによる福音書18章10節以下で、主はファリサイ派の人と徴税人の祈りについて対比して話されました。

 ファリサイ派の祈りは、神殿の境内で周囲の人々に聞こえる祈りです。しかも、よく見ると、その語っている内容は自慢話であって、人に聞いてもらうための言葉であるか、自分に向かって語っているような祈りです。そこには神様がおられないかのようです。主は祈りが人に聞かれてはならないと言われているわけではありません。

主ご自身、あの大祭司の祈りをなさったとき、弟子たちが聞いている中で長い祈りをされました。私たちも祈祷会で祈るとき、お互いがその祈りを聞きます。その祈りを聞きながら、祈る人と一緒に祈ります。結果的に周囲の人々に聞こえますが、周囲の人々に向かって祈るわけではありません。天の父に向って祈ります。 

 他方、徴税人は遠くに立って顔を伏せて、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈りました。独り言ではなく、彼は自分の罪を悲しみ、憐れみを信じて願い求めました。罪の赦しさえも求めていませんが、神がその祈りを聞かれ、赦しの平安を与えて下さったので、神に「義とされて家に帰った」と主は言われました。

 主が聞かれない祈りのもう一つの例として挙げられたのが、異邦人の祈りです。その特徴は自分の功績に関心があり、「言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる」祈りです。数年前、韓国の高神派の総会議長のお宅に3日ほど泊めていただいた時、早天祈祷会に出席しました。4時半~7時くらいでしたが、20分くらいの奨励があり、その後は各自がそれぞれ自由に祈り、6時半ころまで祈って帰っていく人々が多く、その後も祈っている人もいました。そこには「言葉数が多い祈り」と言う誘惑があります。しかし、三々五々静かに家路につくことで、神と共にその日の歩みが始まったという思いを与えられました。矢張り神中心なのです。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 17 バラ先生来朝50年記念会・・・6・・・

 バラ先生は「福音時報社」からの祝辞の書簡に対して返書を認め、50年間の感想と将来への希望を述べられた。その文面は、

「前略、只、言いたいことは、日本に於いて、福音宣教の業に従事することを私に許して下さった天の父の御恩寵に対し、深い感謝をささげます。思うに宣教師として神に召されることは世界における最大の特権です。そして、私の特に感謝したいことは、私がこのような伝道の都合の良い国、このような有望な国民の中に来たことであります。

私は過ぐる歳月の間、主の成就し給いし全てのことを追跡することは出来ません。また、私と内外の同労者に対する主の限りない恩恵を記すことは出来ません。それは、神が私たちが渇望し、また、考えるすべてに勝って、はるかに大いなることをなし給う力であり、また、なそうと志し給うからであります。私の熱望する三つのことは、

1 全国民があらゆる種類の偶像礼拝から、只一人の活ける真の神の礼拝に悔い改めること。

2 階級の如何を問わず、すべての人の心にイエス・キリストが人類の至上の王者、また、救い主として崇められるようになること。

3 この国土に於ける、また、すべての国に於けるキリスト教徒全体の調和、一致、清潔。

これが、愛する日本の前途に対して私の熱望するところであります」。

 

バラ先生の信仰は、神第一主義の、神の御栄光のためのみに仕え、栄を聖名に帰しまつるという改革派信仰に徹して伝道され、力の限り神を愛し、思いの限り隣人を愛して変わるところがなかった。先生によって助けを得た多くの者があったが、一面、先生の愛の心を利用して自分のためにした者もあった。しかし、それは神の審判れるところとして、先生は意に介していなかったのである。

「機をうるも得ざるも、御言葉を宣べ伝えよ」(Ⅱテモテ4:2)の聖言を、そのまま実行した方であった。バラ先生の文書伝道について忘れてならないことは、明治7年のこと、米国宣教師の名で「廟祝問答」と言う漢文から日本語訳のほんがずいぶん広く読まれたものである。その内容は、廟宇の堂守とキリスト教の伝道師が、偶像崇拝と真の神信仰とを問答体で語り合いキリストの十字架の福音を示した書物であるが、実際は奥野昌綱によって訳させてバラ先生が出版されたものと思われる。

 

「キリスト教百話」

  

問31 聖書には奇跡というしか言いようのない話が沢山出てきますが、クリスチャンはみなああいう話を信じているのですか。また、ああいう話を信じないなら、クリスチャンと言えないのでしょうか。

答・・4・・

 「目には目、歯には歯」という言葉があります。「同刑復讐の原則」といったらよいのでしょうか、「やっつけられたらその分やり返す」ということで、一発ぶん殴られたら何度も殴り返したくなるのに対して、「一発だけならよろしい」と言うのは、ある意味では公正な原則と言えましょう。

 しかし、現代では私的な報復は禁じられていました。公的な裁判によって処罰が講じられています。とは言え、そういう判決では収まらない人間の心情というものがあるでしょう。もし核ミサイルが打ち込まれたら、こちらも直ちに応戦して相手をやっつけなくてならない、という心情に駆られるのは、容易に納得できることです。

 

ところが、キリストは「あなたがたも聞いている通り、『目には目を、歯には歯を』命じられている。しかし、わたしはあなたがたに言っておく、悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。」と言い、さらに「あなたがたも聞いている通り『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者に雨を降らせてくださるからである。」と言われました(マタイ5:38以下)。

 

 これを聞いて、「そうだ、そうしよう」と思う人がどれだけいるでしょうか。自分の事を考えたら、先ずは「そんなことが出来るか」と思うのではないでしょうか。また、「そんなことをしていたら、悪い奴をいい気にさせ、増長させるだけで、世の中にしめしがつかない。」と思われる方が圧倒的に多いのではないでしょうか。正直言って、私も出来そうにありません。やられたら、負けてなるものかという思いがこみ上げてきそうです。

 

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

第100課 パウロも宣教活動とその計画

B スペインへの途次、ローマを訪れたいとするパウロの希望

・・・15:22~33・・・

「そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実を手渡した後、あなたがたの所をとおって、イスパニヤに行こうと思う」(15:28)。

 

パウロは「この実をエルサレムにいるキリスト者たちに手渡した後」と言っている。「手渡す」と訳されている語は、シール、すなわち「封印する」と言う意味を持つ語である。ここでは確実に安全に手渡すという意味である。このお金を取り扱い、それを手渡すということは重大な責任なのである。パウロはその仕事を真剣に遂行しようとしているのである。

私たちはパウロがこのお金をエルサレム教会の正当な役員に確実に手渡したとき、初めて彼は安堵すると思うのである。

パウロは福音の宣教ということを重大なことと考えていたのみでなく、教会のお金を扱うということにも重大な関心を払っていたのである。霊的なことのみでなく、物質的なことでも、神に属することには、このように重大な関心が払わなければならないのだ。

 教会の経済的な問題について不注意、ずさんということは許されないのである。教会の経済や資産を預かっている役員たちが、もし不注意なずさんな仕方で事に当たっているならば、神が求めておられる義務を忠実に果たしているとは言えないのである。

神の忠実な僕は、パウロのように細心の注意を払い、責任をもって行動しなければならない。偉大な使徒であり、かつてはガマリエル門下の逸材であったパウロは、会計的な仕事を見縊ることは決してなかったのである。

この重大な仕事を終えた後、パウロはイスパニヤへの旅の途中にローマを訪れるつもりでいるのである。

 

「そしてあなたがたの所に行く時には、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと、信じている」(15:29)。

 

ロマ書の初めの個所(1:11~12)において、パウロはローマにいる信者たちに会って、霊的な賜物を分かち合いまた彼らの相互の信仰によって励まされたいという希望を表明している。そして今やここの末尾に於いては、彼が彼らを訪れる時、キリストより限りない祝福をもって行くという確信を披露している。

パウロは今まで伝道してきた多くの地に於いて、そのような豊かな祝福を経験しており、従って未来においても、そのような祝福を主が必ず与えて下さる ことを確信しているのである。キリストの福音は祝福の源泉である。ローマを訪れるパウロの目的の一つは福音伝道の促進であるから、彼は確信をもって、彼の訪問と共に溢れる恵みが伴うことを述べているのである。 

JG・ヴォス著、

    玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

 

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

◆  主人は糖尿病のほかにも疾患があり、このコロナの感染拡大で、とても臆病になっていて食欲もあまりなく心配です。家族感染という言葉を聞くたびに息子たちや孫たちも神経質になっています。外は土砂降りが3日も続いています。  栃木県 LTさん

  今年も秋の味覚のサンマが不漁です。原因はいろいろ言われていますが、私たち漁師にはどうにもなりません。若者は転職し、人手も不足です。漁協の役員として養殖など今まで試みてきましたが、簡単には行きません。秋の味覚のサンマという言葉もだんだん薄れていくようで、秋風と共に心に凍みる思いになる時があります。イエス様が憐れみをもって網を下ろしなさいと言われたお言葉は、希望になったことでしょう。ふとそのようなことを思いメールしました。  千葉県 OKさん  

◆  秋の気配が漂う季節になりました。昨日は秋あかねが飛び交う様子を目の当たりにしました。今日は小さな赤ちゃんバッタが私の方に飛んできました。コオロギもまだ鳴くことはできませんが庭を飛び跳ねだしています。10月になると夜はこの虫たちの大合唱です。この暑さをもうひと頑張りで乗り切りたいですね。体調が整えられますようにとのお祈りの時間にお祈りしているこの頃です。  石川県 NHさん

◆  主人が職場感染し、そのためわたしたち家族も自宅待機になって14日目まであと少しです。保育園と低学年の二人の世話で、もうくたくたです。主人の職場復帰が気になります。他人事に思っていましたが、そうではなく大勢の方に支えられていることを実感しました。教会にも連絡して、皆さんから励ましの声を頂いて、嬉しいです。  愛知県 NHさん

         ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

 ♬  ここ数年、私のところは大雨、洪水、山崩れに遭い道路も家も復旧のめどすら立たないのに、またこの大雨で本当に疲れてしまいました。それにコロナの感染拡大と、こうも続くと役場の人も、お仕事とはいえ、ご自分の事は後回しにして、本当にお気の毒です。しかし、自力ではもう限界と家を手放す人、売りに出す人が、この地域にも多くなりました。地域そのものが崩壊寸前です。教会の維持も難しくなってきました。

♬  何日ぶりでしょうか。太陽が照りだして洗濯物が乾燥機ではなく自然の風で乾ききるなんて嬉しいです。この一つだけを考えてもとても感謝です。ノアの箱舟のことを思い起こしますが、長い間の大雨で大変だったでしょうね。ノアの信仰は神様にすべてをゆだねることだったのでしょう。40日も降り続いた雨の後の晴れ間はどんなにか喜びに満ち溢れたことでしょう。舟の中には多くの動物もいます。想像を超えた生活環境であったことでしょう。

まだしばらくは残暑との戦いになりますが、一日一日生かされていることに感謝したいですね。コロナの変異株による患者さんがこの村でも出てきたと、役場の放送から流れました。外出するときには必ずマスクを着用してください、との呼び掛けでした。どうしても暑いのでマスクをせずに歩いてしまいますが、やはりそうしてはいけないのだそうです。一人で外へ出るときでえもマスク着用が義務付けられました。

♬  今日も暑い日になりそうね。人の気持ちや言葉が刃にならないといいなぁと思うばかりです。私はNHKBSの「空港ピアノ、駅ピアノ、街角ピアノ」とい番組を見ています。テレビをつけた時に四万十公園のアップライトのカラフルに彩られたピアノと開放感のある素敵な景色が目に飛び込んできました。皆さんが自由に演奏している姿に心うたれます。私は最近は春畑セロリさんの曲集を気分がいいときに気ままにひいています。妹は子ども達のことで手一杯ですが、妹と時々連弾をしています。

この文章は、投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子

 

   『ありがとうございます』

もう初秋のところもあるでしょう。東北や北海道では暖房の出番でしょうか。「ジャーナル友」の皆様のご健康をお祈りいたします。わたしは毎月送られてくる「ジャーナル」は、最初に、「眸」と「ほっとひと時『みんなのコーナ』、そうして、「ありがとうございます」を読みます。「ありがとうございます」の中に、もう何十年も前の青年会の方々のお名前があり、何とも言えない安らぎを感じているからです。後は時間をかけてゆっくり読んでいますと浦和市のKK姉からお便りをいただきました。

 2021年8月16日から2021年9月15日までにお送りくださいました方々です。ありがとうございます。本当に「つのぶえ」の時からご支援いただいております。

島田祥子様 酒井裕理子様 和田順一様 和田貴美子様 佐々木いくの様 宇佐神正武様 平岩郁子様 加納さおり様 宮向井 明様 佐藤のり様 河合ゆり子様 馬場暁美様 匿名1名様

振替口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

*お便り先は    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」へのお便りはこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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