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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

すると長老のひとりが、わたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。

          =黙示録5:5=

私たちはこれまでの世界をどのように見るかは、とても大切なことです。日々の生活も大切です。しかし、私たちの世界は多くの矛盾と困難に直面しています。一人の人として、またキリスト者として、避けることなく直視することは、次の光につながると信じます。

天候の異常、コロナの蔓延は世界的です。それがもたらす問題は深刻です。また国と国との争いもあります。隣り同士の国と国との諍いもあります。このように世界は争いや貧しさや苦悩と、絶望、涙と悲しみに満ちています。この惨めともいえる現実を負の遺産として、次の世代に先送りしていてはいけないのではないでしょうか。

 

しかしこの暗闇の中に、もう一つの世界から、もっと良い時代が備えられているとの叫びの声が、この「今月のことば」のみ言葉です。

 

貧しい子供として来られ、その貧しさで私たちを富ませ、天と地の全ての権威をもってお帰りになられた方が、私たちに、「泣くな」と言われます。必要な時になるまで、夜であるために、今は封印されているものが、やがて、昼と命へと解かれるのです。被造物の深いつぶやきと苦難の涙は、神の子供たちが信仰の目的地に達した時に、それは消え去ると、み言葉は教えています。

あのクリスマスの夜、あの星が照らしてから、天の霊たちが讃美の歌を、ベツレヘムの野で捧げて迎えられたお方によって、世界も、そうして私たちが救いの主として来られた方によって、死と死の国の鍵(審判・救い)は天の御国へと救い出すために来られたと聖書は語っています。

希望は主にのみあることが、感謝と勝利と言う恵みを、このみ言葉は示しています。

「私と共に歩まれる主よ」  水野源三

私と共に歩まれる主よ

あなたの愛と真実を

私のものとして

今日も明日も歩ませてください 

 

私と共に歩まれる主よ

あなたの怒りと憂いを

私のものとして

今日も明日も歩ませてください 

 

私と共に歩まれる主よ

あなたの叫びと祈りを

私のものとして

今日も明日も歩ませてください 

 

 

 

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「小閑記」

立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。

     =ルカ15:18=

一度信仰の恵みに与り、その喜びを知った者は、不思議にも、ひと時、神から離れ去った者の多くは、間違っていたことを悟って、もう一度家に帰りたいと切に願うと言われています。しかし、それを妨げるいろいろの誘惑が立ちはだかってくるのも事実です。ひと時の平安、富や地位、また肉の誘惑など、また信仰から引き離そうとするサタン(悪霊)、そうしたものが、この世は信仰・魂を身体から引き離し、罪の甘美に縛りつけます。心は知らず知らずの内に罪へと引きずり込まれるのです。

私たちがこの牢獄にいることに気付かずに座り続けているその時に、もし、この忠告を再び聞くなら、この忠告を私たちの信仰に、生活に取り戻したいと思えたら、何と幸いなことでしょう。

この聖句の個所は、有名な「放蕩息子のたとえ」のところのものですが、この息子は幸いにも、本当に幸いにも、自分の犯した罪を認め、告白しようと決心いたしました。そうすることで、かの息子は再び救われました。私たちが、日々の罪に気づかない信仰の怠惰、心の放蕩に陥っているとしたら、まずは正直になり、素直に自分の今を告白し、神の許しと救いの恵みを再びいただくために、信仰者として生きるために御もとに立ち返りましょう。

しかしこの道は狭く、そうして険しい道でもあります。むしろ、最初に教会の門をくぐった求道の時、み言葉に接した感謝、心からうたった讃美の時の信仰への道より厳しいものと覚悟しなければなりません。多くの捨て去るものを身に着け、み言葉の知識を持っていると思い込み、信仰者であるかのように振る舞っていたものを捨て去らなければならないでしょう。そのためには、今一度、自分は何者なのかを、自ら神様のみ前で問い直さなければないからです。神様から離れて行った原因、誘いの正体を見極め、信仰者としての人生の暗い闇に陥っている正体を見極めなければなりません。

神様はその時を待っておられます。「わたしは来るものを決して拒みはしない」と主は言われます。

 

主の群れの羊とわれはなりたし、

その群れは守られて草食む、

主をほめつつ天の牧場にあそぶ群れよ、

罪の汚れのおそれなく、

通い出ずることするなからん。

世田谷通信(216

猫草

 書類の整理をしていると昔、自分が書いたメモや付箋をみつけることがある。こまごまと丁寧に書いているなあと思う。これまで出来ていたことが年々いい加減になり抜けていく。作業して机を片付け、後ろを振り返るとだいたいハサミやゴミが残っている。これが見えていなかったのか?もしかしたら部分的に視野が欠如しているのかと疑いたくなる。

 薬局の壁に「高齢者に多い目の病気セルフチェックシート」が貼ってあった。A4サイズの白い紙に黒い細かい格子が印刷してある。等間隔に見えて正常。視野に異常があるとグリッドがゆがんだり、ぼやけたり、部分的に見えないようだ。ちょっと下から見ると、所々白くムラがあり線が歪んで見える。正面から見ると焦点が合う。斜めからでは物が正しく見えていないかもしれない。

 便利だからとスマホを使いすぎて目を悪くしているのかも。よし、できるだけ使うのをやめてみよう。というわけでスマホ使わない生活1日目。つい習慣でスマホを手に持ってしまう、「いや使わない」と戻すのだが、手持ち無沙汰。ちょっと検索、メール、ネットニュース、パズルゲーム、音楽・・と何気なく長時間使っていたのに驚く。我慢して制限されている気持ち。なんだかイライラする。あれ?これが世に言うスマホ依存症というものか。2日目、本を読んで過ごす。良く寝られるし、目も肩も疲れない。3日目そう言えばTwitterを更新していない。「元気ですか?更新がなく心配になりました。」と友人から連絡がある。「元気です、いまネタ切れなので、またそのうちやります、ありがとう!」と返す。そうか更新は生存確認の意味もあったのか。4日目、スマホを気にしなくなってきた。というか今まで何に使っていたのだろう。天気予報のチェックと仕事の連絡以外は不要だったのかも。電気代や通信費の節約にもなるし、目にも体にもよい。衰えたと嘆くより自分の手でできることを増やそう。

<いきいき里山ものがたり>

*  水栽培のさつま芋の蔓?茎?が伸びに伸び、葉も30枚くらい付けてくれています。言葉に出来ない薄緑の葉が机の横に3鉢おいて、疲れた目を癒してくれています。

*  短い夏、繊細な羽にキラキラの身体。警戒心のないセミの姿に愛しさと眩しさに命の強さを感じました。

*  水辺で鳥のストレッチ。

*  ハゼノキに若い緑の実が沢山ついています。蝋燭の原料になります。

=写真の説明も兼ねています。皆さんの投稿を歓迎いたします=

「美しい朝に」

お久しぶりです。・・・今までを振り返って・・・。

「ジャーナル友の皆様には如何お過ごしですか。毎日、うだるような暑さです。主人はクーラーが、嫌いで、クーラーのリモコンの温度をすごく、高くしてしまいます。

しかし、思い出しました。

ITPで、緊急入院した時は、9月でした。同室の人は、血液内科なので、抗がん剤をしている方が多く、体調が悪くてクーラーの風で咳き込まれ、4人部屋で、いつも設定温度を29度にしてしまいます。私は、初めて輸血を一晩中していたので、身体があつくなって、シーツが汗で濡れていました。夜は、窓も閉め切りますので、今晩が峠と言われていても、そんな事より、暑くてたまりませんでした。

家は、冷蔵庫で冷やした水をベランダに打ち水して、窓を開け扇風機をすると昔、蚊帳の中で寝ていた頃を思い出しました。

ベッドの横に、発砲スチロールの箱に交換用の保冷材と水筒に、冷凍庫で冷やしてシャーベットのようになったお茶の氷を冷やしてあります。寝たきりの時は、喉が渇いても、それを人に伝えられなかったので、そのことを考えると、今は、暑くても有り難く感じます。入院中は2ヶ月、シャワーもお風呂も入れなかったので、シャワーが好きな私でしたが、お風呂が好きになりました。それでも、今時の病院は、毎日身体を拭いてくださり、1週間に1度、ベッドで、シャンプーしてくださり、感謝でした。退院前には、シャワーで、身体を流していただきました。どん底を経験しない時は、不満ばかりの生活でしてが、ICUで、心電図を24時間つけ、人工透析も24時間、栄養チューブも点滴も尿管も24時間。1ヶ月、意識もなく生きていました。

でも、耳は聞こえていて、頭は考えたりしていたのです。床ずれが出来ないように、体位をかえてもらわなければいけないほど、危篤の状態で、考えていたのは、喉が乾いたから、あびるほど冷たいお茶が飲みたいということでした。このまま、命つきたら、のどが渇いて、未練でさまよいそうで。

1ヶ月後、奇跡的に意識がもどりました。しかし、栄養チューブで、1ヶ月で筋力は、15キロ落ち、水さえ飲み込むことが出来なくなっていたのです。

声も出なくて、管で生きているだけです。そこから、リハビリテーション。指を動かす練習。とろみのついたお茶を飲みこむ練習や声を出す練習。また管を取るためには、オムツにおしっこをする練習、足の筋力をつけるためのリハビリを、毎日。それも、4人部屋でーカーテンの中で。90歳の同室の方に、本当に助けていただきました。医療には、本当に多くの人が働いておられます。そんなお世話になった方に、感謝の気持ちを伝えるすべもなかったのです。ひどい、不眠で眠剤なしでは、24時間眠っていないことも、伝えるすべがなかったのです。だから、折り紙を折ろうとしても、半分にも折ることが出来なくなっていたのです。薬害も疑って、服用している薬は安全なものにかえてくださいました。

その2ヶ月の間、24時間、辛かった。だから、消灯で、暗くなっても、24時間、折っていたら、だんだん、指が動くようになってきたのです。そんな私の折った折紙を、すごく喜ばれました。声が出るまで、1年以上。奇跡と言われますが、心臓の値も、正常の10倍だったそうで、まわりに水がたまって、心音も聞こえなかったそうです。不思議なことに、利尿剤なしに、おしっこに出て、こんな状態で、食べれるはずはないのに、食べれて、考えられないと驚かれました。

転院して、造影剤で心臓のカテーテル治療をするために、調べていただいたときには、血管は、正常で、検査員の人がびっくりしておられました。そんな状態から、今は、家で、自分でご飯が食べられ、トイレに行け、お風呂に入れいれます。そして、今は、安定剤含め、身体から抜けたようで、何も服用なしで、1日、3時間は、熟睡出来るようになりました。

しゃべるようになりました。今は、自転車で移動できるようになりました。難病は、治らない病気で、いつ再発するかはわからないですが、お祈りだけでは治りません。筋力をつけるため、車椅子手押し車自転車と散歩をしました。今は、血糖値を下げるために、研究中です。透析も、やめることができ、今は、インシュリンをやめるために、研究しています。

その体験を発信することで、このコロナの時期を前を向いて歩ける人が、増えてくれたら、私が生き残った意味があるのかもしれないと思っています。自分のホームページで海外のファンも増えて、翻訳しても、読んでくださる人が、1日、2000人の時もあります。

たぶん、「つのぶえジャーナル」に書かせていただいた時からの人も読んでくださっているようです。

 

 「沙耶香のつぶやき」

 毎日の暑さで家族全員、ああしんどいの大合唱です。それでもお母さんはお料理、お洗濯、お掃除、そしてお買い物をこなしているのには、おかあさんありがとう!!しかありません。

 イチジクの美味しい季節よ!と言って冷やしたイチジクを2つくれました。その冷たさに歯にキュンときました。お母さんの愛情こもったイチジクアイスでした。

 夜の8時ごろ救急車のサイレンの音がしたのでお母さんが外に出たら、隊員の方が高齢の男性を搬送するところでした。ご近所のお元気な方で、毎日朝晩散歩されている方でした。躓いて倒れていたのを通りかかった人が連絡したようでした。驚きました。

       ********

  中学の個人懇談では娘の甘えん坊が廊下で会う先生達に指摘され笑わせて頂きました。おしまいにしたスクールカウンセラーさんから呼び出しされたので、仕方なく個人懇談後に行きました。「毎日送っていらっしゃること、たまにぬいぐるみと一緒に来ていることもみんな見ていて知っていますよ」と言われ、また笑いました。「いいのです。娘は気にせずにしていますし、私と一緒にいることが幸せと楽しみですから」と言ってきました。それに物事に対する自分の意見が持てる子なので、心配していません。
 担任の先生から「独特の感性をお持ちで、ひと言日記にあの教室はミントチョコみたいで美味しそうだと書いてありました」とおっしゃっていました。私は感受性が高い子なのですね、嬉しいですと言ってきました。少し親ばかしてみました。  三重県 K・Jさん 

 <この掲載の原稿の時にお送りし、全て了解を得ております>編集子

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (186)

7月16日

 今日は午前中は私一人で家に居ました。すると営業の人が来て1と月でよいから購入してほしいと迫ってきます。少し怖くなりましたが、きっぱりと今は必要ありませんのでと何度も断りましたが、それでも一向に帰ってくれません。こんな時には一人で田舎の家にいるのは身の危険を感じました。恐ろしくしていると、関西電力の方が検針に来てくれましたので、そのしつこい営業マンは怒った様子でそそくさと帰ってくれました。ほっと致しました。田舎の一人暮らしが狙われているとよく耳にします。ですから、こちらも冷静に対処していかなければと考えています。

7月22日

お変わりありませんか?この暑さでバテ気味な私です。でも朝、起きると朝顔が律儀に5つ、6つ花を咲かせて“おはよう”と話しかけてくれました。自然の生き物にも不思議な力があるのですね。神様の御手の中にあることを感謝するものです。

コロナの禍同窓会も夏の夢。

祇園会や雨に端垣刈り込みて。

梅雨明けの近きはずよと夕からず。

驚愕す夕立なれど短かり。

竹の皮道に散り̪しを掃きにけり。  馬場路哉

今日から4連休、静かな山添村です。

7月23日

 今頃になって解任、辞任と騒ぎになっていますが、もう少し以前からわかっていたことではないのかなと思わされるのです。選手にとっては4年間の集大成が出てくるのですから、重圧がのしかかっていることでしょう。テレビ観戦できる私たちは甲子園の高校野球の試合の時のように手に汗を握りながらの応援です。どの種目にも応援しますが、私は陸上競技が一番の応援したい種目です。二番目は競泳です。

クロイチェル聞けばたちまち梅雨あがる、

乙女の死遠く偲びぬ合歓の花。

茂りたる桐の葉高く大いなる。

ホトトギス、生垣刈ると早起きす。  馬場路哉

月29日

 今朝の散歩の帰り道、86歳の方が同じ時刻に畑に来ておられます。“おはようございます”と声をかけると、“あら、暁美さん、まあちょっとお話していきませんか”ということになりました。畑のベンチに座り昔話に花を咲かせました。

“あんた、よう頑張ったな。こんな田舎で。”とほめていただいて気恥ずかしくなりました。お店を経営している方でしたからやはりお言葉が上手ですねと思いながらこちらは聞き役に回っていました。86歳になられているのに草刈り機も自在に使われます。そして畑にこうして決まった時間に歩いてきて、次は何を植えようかと考えて計画を立てるのが楽しくて仕方がない、といっておられました。

何も畑仕事ができない私はうなづくだけでしたが、この太陽を浴びて、汗を流して一日が始まるなんて健康的やね、というと、“これでお金を儲けようと思ってしてへんから、どんな物ができてもうれしいし、楽しみやねんで。そしてもう冬野菜の白菜を植えたのを見せてくれました。元気の良い方から学ぶところがたくさんあった朝の散歩でした。

緑陰や美声を聞かす知らぬ鳥。

数羽のみ残るや帰燕となりにける。

棕櫚の葉のそよぎてをりぬ西日中

しなやかに吹かれてをりぬ青田風。

くちなしの一輪開き間を置きぬ。  馬場路哉

主人は今朝から家の周りの草刈りに精を出していました。

8月10日

 パラリンピックまでまだ少し日にちがありますが、無事に開催されることを願っています。それにしても暑さが厳しいですね。少し体が重いのですが、1週間分の食材を買い求めに上野市まで出かけなければならず大変でした。スーパーで購入したものをエコバッグに入れてかごに積み込んで、そのかごを引っ張っていこうとしていたら、若い店員さんが駆けつけてきてくださって、“その出口までですが押していきましょうか”と。なんとご親切なお言葉でしょう。感謝の気持ちがあふれてきましたが“ありがとうございます。何とか引っ張って行けそうです”と答えて、引っ張ることができました。他人様にはとても危なっかしく見えたのでしょうね。でもそのお気持ちがとてもうれしくなったひと時でした。

直線も三角もある青領かな。

涼新た夜明けとともに来るなり。

鹿の子やガードレールを飛び超ゆる。

布引や垂直に立つ夏の雲

炎天下雇はれ草を刈りをりぬ。  馬場路哉

8月13日 

 身の危険を感じるほどの激しい雨が降り続いています。梅雨末期の大雨のような状態がここしばらく続くようです。外出はできるだけ控えるようにしています。でも明日は奈良市立病院で検診の予約が決まっています。ゆっくり、山道を通って出かけていきます。

くちなしや虫に食はれて一つ咲く。

穴開けてスイカ獣に食われしと。

初秋や紹介したきリルケの詩。

ひたすらにテレビを見られ生身魂。  馬場路哉

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

眸(ひとみ)

  私たち夫婦は80歳を超えた二人で、新聞を読んでもテレビを見ても、会話のタネにはなりませんが、オリンピックに出ている各国の方々のユニホームの感想から始まって、初めて知る競技に出会えて、会話がはずみます。時には大声を出して応援したり、落胆したりと、忘れていた感情の高ぶりに驚いています。スポーツって不思議な力があるのですね。スポーツで食卓の会話が増えました。  山形県 T・Aさん

  コロナ禍の中、世界の各地から多くの選手たちが集い、それぞれの活躍を終えて今は帰国しました。今まで経験したことのないコロナの猛威の中での日々は選手たちにとっては過酷なものであったと思いました。それが、勝敗の結果とはまた別の所の笑顔をテレビから見ることが出来ました。聖火リレーに関わった方々、多くのボランティアの方々にも感謝で一杯です。完全などあり得ません。でも日本人としての誇りとおもてなしの心と自然の豊かさをお届けできたと思いました。パラリンピックがとても楽しみです。  愛媛県 B・Hさん

  予防接種の仕事でほとんど休みのない日が続きましたが、その効果は一向に数字の上では見られませんが、高齢者の方への接種で高齢者の方の危険度は減りました。個人病院で働くわたしですが、診察を受けに来られる方の不安も減り、落ち着いてきました。今しばらく頑張らせていただきます。疲れてしまい、礼拝には行けていません。  広島県 BAさん

  朝の散歩で82歳のご近所の方との会話です。“年寄りにはこの厳しい暑さはかなわんわ”といっておられました。そう言われながらも畑で鍬をもって耕しているのですから本当にびっくりです。朝の散歩は、そのようなお声を頂けるのもうれしいことで、楽しみになっています。  愛知県 KKさん  

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

 

=祈りについて=

祈りについて①・見ておられる父

       マタイ6・1~13

 大教理問答では十戒によって、人の罪が明らかになります。その罪に対する神の怒りから逃れるために、悔い改めと信仰は必要です。この悔い改めと信仰を与える恵みの外的手段として、御言葉と礼典と祈りの三つが挙げられます。このように祈りは信仰に関係し、178問から扱われ、その中心となる「主の祈り」は最後の186~196問にあります。

 十戒と祈りを、このように理解したうえで、主の祈りについて学んでいきます。これは新約聖書には、マタイによる福音書の山上の説教(6:9~13)と、ルカによる福音書では一人の弟子の求めに応えて、祈りの内容をお教えになった部分(11:1~4)にあります。

 主が祈りを教えられることになった動機を山上の説教から考えることで、まず祈りについて、主はこの6章に7つの実例を挙げて、信仰について教えておられます。信仰を求めておられる人にとって、信仰とは何かを知るのに役立ち、すでに主イエスを信じておられる信仰者にとっては、信仰を吟味するのに助けになります。

 

 主は、祈りについてお教えになる前に、6章の1~4節で「施し」について語られました。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい(6:1)。人に自分が評価されることを目的に善行をしないように、ということです。人の益のために善行をすること自体が問題なのではありません。前の5章16節でこう教えておられるからです。

 「あなたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」。

 自分が人に評価されることを願ってする施しは神に認められないために、主はさらにこう言われました。右手をすることを左の手に知らせてはならない」と。右手も左手も自分の同じ体ですから、知ることになりますが、主は人に知らせることを厳しく禁じられました。自分は人にこれだけのことをしたことを、自分にも知らせるなということは、言い換えると自分のした施しを「忘れなさい」ということになります。自分が親に、兄弟に、子供たちに、あるいは他の人にした施しや親切を忘れなさいという命令です。

 なぜなら、「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」(6:4)からであって、あなたたちはそれ信じなさい。なぜなら、それが信仰だからだ、と言われたことになります。祈りも人に聞かせるためのものではないので、人からの賞賛のための言葉使いや内容であってはならないのです。

バラ・マカルピン 日本伝道百年史

        水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

17 バラ先生来朝50年記念会・・・5・・・

 続いて稲垣 信、タムソン、グリーン、ソオバル、デイリング諸氏の話があり、最後にバラ先生は「私、今日、神様だけに祈ることを、祈ります。日本の兄弟、親切尽くすから、話すことが出来ぬ。一つの事を言えば、色々、私の事、皆さん言うたが本当でない。神様のこと言うべきだ。私、ただ、神様の手伝いになった。信者、私を熱心に励ました。宣教師の兄弟姉妹感化した。私、伝道する力がない。日本の伝道は日本のキリスト者がやった。奥野さんや小川さんやブラオンさんの学校にいた青年が自分で伝道に行った。・・・。

祈りのこと、稲垣兄言ったが、一緒に祈った。英国教師ペエソンは教会は説教場でない。祈り場だと言った。石造の会堂は日本で第一のリバイバルのあったところ。篠原敬之助、親切な愛のある青年、私のところに来て、一時、貸してくれと言う。何にするかと聞くと、祈り会を開くというので貸した。旧正月元旦、祈り会を開く。私も一緒に行った。イザヤ書第32章13,14,15を読んだ。小川さんが祈った。三カ月続いてもやめぬ。3月10日、9人受洗した」と回顧を語られ、それから英語で神の聖霊によって一致すべきこと、祈りの力あることなどを話された(福音時報・明治44年11月16日号)。

バラ先生が海岸教会教師を辞された時、会員は285人で、その内、伝道者になったのが23人あった。この祝会には日本最初のバラ先生よりの受洗者矢野元隆の娘と孫からも祝電が来ていた。

 

「キリスト教百話」

問31 聖書には奇跡というしか言いようのない話が沢山出てきますが、クリスチャンはみなああいう話を信じているのですか。また、ああいう話を信じないなら、クリスチャンと言えないのでしょうか。

答・・3・・

 ところで、ではこういう問題を踏まえて奇跡と言うものをどう理解するか、またこの奇跡というものが今日のわれわれにどう関りがあるかということが、問われます。

 一足飛びのような答えになりますが、聖書は、神がおられることを大前提としています。そして、その神は、人間を創造し、人間に対する全責任者として人間に関わり、人間を神の祝福の中に置くことを願っている超越的で活きた存在であります。その神から見れば、「人間は自立して生きているつもりでいるようではあるが、危うくってしょうがない。戦争はする。嘘はつく。人殺しはする。そうしてやたら死ぬことを怖がっている、自由だと言いながら結局自分で自分をコントロール出来ないでいる。これは何とかしなくてはならない、こういう状態に一度ストップをかけて、新しい状態に変えなくてはならない」というので、神の独り子を人間として、この世の人間の真っただ中に誕生させることとされた。これがクリスマスの出来事です。

超越的なものは超越的なままでは、地上の人間には通じませんから、人間世界の只中にそれとわかる仕方で実現させなくてはならない、と言うので、神の子を人間同様の仕方で人間の間に誕生させられたのが、乙女マリアによるキリストの誕生であったのです。

マリアが「聖霊によって受胎した」というのがこういう事情を記したのでありまして、こういう視点から見れば、奇跡とは、神が人間に関わる際になされる神ならではの必然の行為であって、それを、そのようなこととして信じて受け止めることが出来るかどうか、このあたりが、神の業を神の業として信じることが出来るかどうかという問題になります。

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

第100課 パウロも宣教活動とその計画

B スペインへの途次、ローマを訪れたいとするパウロの希望

・・・15:22~33・・・

「そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実を手渡した後、あなたがたの所をとおって、イスパニヤに行こうと思う」(15:28)。

 

ここでパウロは異邦人に捧げられた献金を「実」と呼んでいる。通常、私たちはお金を実とは呼ばない。しかし、この場合にはそれは真に実なのである。野性のオリーブの枝は良いオリーブの木に接ぎ木されたことによって、今やキリスト者の自己中心的でない、果実を結んだのである。

すなわち、キリスト者の愛の結実なのである。キリスト者は自己中心的でない良き果実であった。パウロがエルサレムに持って帰るこのお金は、異邦人たちの真のキリスト教信仰と生活の証拠であったのである。お金と言うものは一人の人のキリスト教信仰の試金石であると言われている。もし彼の財布がキリストに向かって回心していないとすれば、その人の心が真に救われていることを疑いうる理由であるかもしれない。

真の救いは、真の実を生み出すのである。パウロはエルサレムに携えていく寄付献金は、そこにいる貧しいキリスト信者たちへの単なる物質的な援助に過ぎないのではない。それらの献金はパウロがかつて先導した異邦人たちの間における神のみ霊の力強い働きを証しているのである。

 

  自己中心的でキリストの教会を経済的に支えていくことに真に消極的な現代の信仰者たちは、真剣に自分たちが本当に死と滅びから生命に移っているかどうかを考えてみなければならない。忠実に一貫して教会を支えていくことは、一人の人における真の信仰生活の証であると言わねばならない。

  見苦しいと思われないだけで、出来るだけ少なく、しかも不承不承捧げようとする人々は、その生活の中に神のみ霊の働きが盛んであることを証しするものではない。教会において1ドル貨幣が献金袋に入れるべき自由な捧げものであると考えている人々は、その幾倍かを不必要な贅沢や楽しみに使うことを躊躇しない人たちであると言えよう。しかし、神は欺かれるような方ではないことを銘記しよう。

JG・ヴォス著、

    玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

◆  やっと2020東京オリンピックも始まり、重苦しい日々に明るいニュースが話題を独占しています。コロナ禍は日本ばかりではないのですね。始まったばかりですが、パラリンピックにも興味と関心が湧いてきました。この両方の大会のために多くの人の陰の力があってのことでしょう。また、医療関係者の方々の支援もうれしいことです。私の住むところは感染者が多く辛いです。  千葉県 LTさん

  ともすると、オリンピックに対して否定的な話や批判の声は、国内のいろいろの人と言うより、心から楽しめない日々の生活の憤懣を、このような催しに反対しることで自己満足しているのではないのかなあと思えてなりません。近くにある高齢者施設におられる人は、ともすれば、社会や人との関わりからかけ離れていると言われていますが、一日の生活の中にオリンピックをテレビでみんなで見る時間を取り入れたところ、夢中で応援するようになり、オリンピック効果だねと友人の職員と話しています。沖縄の感染者数も深刻ですが、頑張ります。  沖縄県 OKさん  

◆  暑いですね。今日は二回目 のワクチンを打って来ました。ふううー。明日は授産施設内のミーティングですが。お休みをもらっています。私と同じ利用者の皆さんも 発熱しているので無理せずに休みを取ってください、ということで私も頂きました。暑い日々で、私もダウン寸前です。冷房の中でゆっくりしましょう。ジャーナル友の皆さんも無理しないでお過ごしください。  神奈川県 NHさん

◆  秋風が吹き始めました。稲刈りも終わりに近づきました。油断はできません。これからまた台風が来るでしょうから。一昨年の被害も回復していません。買い物や教会に行く県道も何時通行止めになるか分かりません。でも、秋の花は咲いています。  岡山県 NHさん

         ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

 ♬  暑いですね。野良猫のミイーがいなくなって、もう半年がたつでしょうか。寂しく過ごしていましたら、昨日から可愛いい黒と茶色のような虎の模様の子猫がやってきています。朝からニャー、ニャーと鳴くので朝の食事を上げると喜んで食べていました。この子もいつまで我が家にいてくれるかわかりませんが、家族が増えたようでうれしく慰められています。セミが梅雨明けとともに鳴き始めましたが、秋の初めに鳴くヒグラシが鳴き声き出しています。カナカナと悲しそうです。普通ならばミンミンと元気よく鳴きだすのですが、どうも異常気象がセミの鳴き声まで狂わせてしまっているのでしょうか。

・・全て投稿者から掲載許可をいただいております・・ 編集子

    

 

   『ありがとうございます』

小さな畑での野菜作りは今年は失敗ばかりです。トマトもミニの方ですが、根元からすべて腐ってしまいました。今度は秋のキュウリをと植えたのですが、これも暑さ続きで萎れてしまいました。野菜はスーパーに行けば何でも売られている時代ですが、家の小さな畑でちょっと作ってみようと考えたのですが、自分で作る楽しみとしてこれからも挑戦してみます、と滋賀県のBBさんからお便りをいただきました。

今年の残暑はどうなるのでしょうか。お互いに健康維持には十分気を付けて過ごしたいものですね。

 

 2021年7月16日から2021年8月15日までにお送りくださいました方々です。     

 

梶川実雪様 加納さおり様 佐藤のり様 馬場暁美様 

匿名4名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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