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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

 

神はわたしたちの罪のために、罪を知らなかったお方を罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためである。

         =第二コリント5:21=

 

梅の便りから桜の便りへと変わり、季節の変化を感じさせてくれます。各地で新型コロナワクチンの接種が始まりました。明るいニュースでもあります。同時に梅や桜のお花見気分になり、つい外出したくなりそうですが、今暫く我慢いたしましょう。東北や関東地方には大きな地震が起きました。被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。

 

何かを得るために、何かを犠牲にしなければなりません。しかし、私たちは、主イエス様が支払われた、罪の償いの代価がどれほどであるか計り知ることは不可能です。世の中は、物事の解決・決着をお金で決めてきました。しかし、その額が計り知れないものではありません。決着、双方が納得するから成り立つ事柄です。

では、私たちの罪の償いの額は、如何程でしょうか。支払い可能なものなのでしょうか。聖書は、人の富では「償いきれない、支払いは不可能である」と語っています。その罪の贖いの代価・値がこの「今月のことば」に示されています。それは、父なる神御自身が、私たちの罪の贖いの代価として、その独り子であられるイエス様を「贖い主・救い主」として償わなければならないほどのものなのです。

 

イエス様は、私たち一人ひとりの代わりに、神のみ前に生贄として、代価として御父の御前に出たというこの事実を、どのように受け入れ、認め、感謝するかを深く、深く思わされます。

イエス様が神の愛を、その苦難と死によって示されことは、神様の救いのご計画そのものであるとしたら、計り知れない救いの恵み、愛であるとしか表現できません。しかも、イエス様は私たちのために罪人とされ、それをもって、私たちがその贖いの死によって神の義を頂く者とされるとは、「神の愛・恩寵」としか言い表せません。しかし、この救いの恵みを、多くの人々は受け入れないのです。どうしてなのでしょうか・・・。到底信じられないことだからです。

この救いの恵みを、誰が語り、伝えるのでしょうか。それは救いの恵みに与っている私たち一人ひとり以外にいないのです。人は笑い、無視され、時に軽蔑の眼差しにさらされるでしょう。

しかし、私たちは「喜びを語り伝えることこそが最善の使命である」と信じる時、証しし、語り続けることを止めることができないのが信仰者の姿なのです。「人の生きる唯一の目的(喜び)は、神の栄光を現わすために、生きるにも死においても、真に喜ぶこと」と知っているからです。

全ての罪人が主を救い主と迎えた時、主は十字架の上からの血潮と死が私たちの罪を負い、私たちの罪のために支払ってくださったことによっていただいた義が私たち一人ひとりの信仰の基礎・生きる意義、目的になっていることを知るのです。

 

讃美歌515番

1 「十字架の血にて きよめぬれば、

来よとの御声(みこえ)をわれはきけり。

    (おりかえし)    

主よ、われは いまぞゆく、 十字架の血にて きよめたまえ。

 

2 よわきわれは みちからをえ、

  この身の汚れを みな拭われん。

 

3 まごころもて せつにいのる、

  心にみつるは 主のみめぐみ。

 

4 ほむべきかな わが主のあい

  ああほむべきかな わが主のあい。  アーメン

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 「小閑記」

 

 弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりに・・・。

      =マタイ21:6=

 

 私たちが、イエス様がするようにとお命じになったとおりに従うならば、教えのうえでも日々の実際の生活においても、多くのことがもっと簡単になっていたことと思います。小さいことと思われることであっても、救い主のためにそれがなされる時は、時として偉大なものになります。一人の善意が、一つの言葉が世界を動かすこともあります。救い主のためにそれがなされる時、か弱い言葉が、行動が大きな力、輪になるのです。

 

 聖書の中にこのような出来事は数多く記されています。厩のロバの綱を解いてイエス様のもとへ連れてくるだけで、主のみ栄として他の人々に、歓喜へと変わるということです。

 キリスト者の生活が、キリスト教的と非キリスト教的な部分と別れても良いなどと言う考え方は成り立ちません。同時に、キリスト者が陥る危険は、独善的な偏狭に陥ることです。キリスト者は、常に、見られている立場に立つ時のみ、「地の塩、世の光」として神様はお用いになります。

 

 正義の戦いの戦争ということのために、多くの人の命が失われ、悲惨と悲しみが生まれたことを思い出すとき、戦のために力を尽くす前に、「平和を作り出す」努力の大切さを「幸いである」と聖書は語ります。

 世界はコロナ禍で多くの人の命を失っています。辛く悲しい現実です。その克服のために多くの科学者は研究し、多くの医療に関わる方々の献身的な働きが、世界の至る所でなされているのも事実です。私たちは「菌」を「悪いもの」と思ってしまいますが、多くの「菌」は生活を豊かにもしています。言うなれば、「菌」の恩恵を受けていることも事実です。生けるものの中に、「菌」も生き続けているのもまた事実です。「菌との共生」という文字が目につきます。この悲惨な出来事は人間世界ばかりではありません。生けるものの中に生き続けるのですが、人はそれの被害から身を守るために術を考え、克服するために、科学者たちは探求してきました。

 しかし、不可能なことがありました。それが「罪の克服・償い」です。一人のキリスト者が、「愛と平和を願う祈りは、今もこれからも神様から命じられている、喜びのご命令として」、「何事をするにも・・・」と求められています。

 

  目には見えない

 

 心に迷いある時には 私たちの目には見えない

  私たちを導きたもう 恵み深き御手を覚えよ

 心が飢え渇く時には 私たちの目には見えない   

  私たちを養いたもう 恵み深き御手を覚えよ

 心まで疲れた時には 私たちの目には見えない

  恵み深き主の御手を覚えよ

 

          「水野源三第三詩集」

 

世田谷通信(210

猫草

 

 生活は色々制限されるが、小学生たちはその中でも日々笑ったり、はしゃいだりしている。我慢している部分もあるだろうが、精一杯、順応しているようにみえる。

 いま、本を読む楽しみがある子どもはとても良いと思う。頭の中でいくらでも冒険して、笑って泣いてどきどき、すっきりできる。子どもたちが本を読むことを制限する大人はいないだろう。しかし、長い文章を読むのが苦手な子も少なからずいるし、本を敬遠する子もいる。親や先生に「本を読め、読まないとダメだ」と言われて嫌いになる場合も多い。本を読む子は思考力、想像力が育つだろう。では読まないからそれがないのか?そんなわけはない。写真でも映画でも漫画でもゲームでもなんでもいい。動物でも自然でも電車でも石ころでも、「何か」と触れ合って、あ、面白い。と思えたらそれはきっかけになる。

 毎週1回、低学年のクラスに行って絵本の読み聞かせをしている。子どもたちはお話を聞くのが大好きで「今日は何を読んでくれるの?」と歓迎してくれる。熱心に聞いて、最後に感想を先生が聞くと「はい!」とたくさんの子が手を挙げて、自分が面白いと思ったところを言ってくれる。ただ笑えて楽しい本、ちょっとしんみりする本、不思議な気持ちになる本、ラストが意外な本、絵が美しい本、そしてお腹がすく本もある。

 先日は『ひみつのカレーライス』(作:井上 荒野、絵: 田中 清代、出版社:アリス館) という絵本を読んだ。家族でカレーを食べていると子どもの舌の上に一粒の「カレーの種」が残る。お父さんが本で調べて、庭に植えて家族で世話をすると、やがてカレーの実とライスの実がたわわに実る。町がいい香りに包まれ、それに誘われたたくさんの人たちと一緒に美味しいカレーを食べるのだ。そして最後にまた「カレーの種」が一粒・・。という物語。

挿絵の家族はお父さんもお母さんも着物姿、昭和の中頃の感じで、今の子どもたちの心に響くかな?と思ったが杞憂だった。とても集中して聞いてくれてほっとした。一人が、「あの!この“カレーの種”は本当にあるんですか?」と真剣なまなざしで私に聞いた。そんなことある訳ない、でもあったらいいな、いやひょっとしたらあるのかも?とさえ思わせる。ファンタジーの面目躍如といったところか。

 教室を出るとき、子どもたちが「あ~、なんかカレーライス食べたくなっちゃった!」と言っていた。それもまた一つのきっかけ。

 

<いきいき里山ものがたり>

*急勾配の竹林。杭と竹で土壌流出を防ぎます。

*落ち葉だめはシュロ縄で固定。釘を使わず環境に優しいです。

*落ち葉をいれたら土壌の微生物にお任せです。良い腐葉土になります。

*サザンカが朝の光を浴びて艶やかです。冬の貴重な彩りですね。

*日当たりの良い壁面に咲くツタバウンラン。ムラサキサギゴケやカキドオシにも似ています。

*近所の方が子供の頃は家から持ってきたパンとハムに野生のクレソンを添えておやつにしたそうです。ハイキング気分ですね!

*土壌断面を見ると、根が網の目のように土を支えています。微生物も活躍しています。

*散歩、通学、保育園や幼稚園、高齢者施設など多様な年齢の方々が利用する広場。 

*陽当りの良い場所に咲くホトケノザ。春の七草のホトケノザはコオニタビラコのことです。

*雨後は流れが速いのでカモたちが全員同じ方を向いています。自転車競技のようです。

*しゅんせつ前に池の水生生物レスキューも行います。長靴が必需品です。

=写真説明も兼ねています=

 

  「美しい朝に」

 

 沙耶香のつぶやき

 

  プランターのチューリップの花がこの寒いのに咲いていました。凄いなあ~と思いました。わたしは寒いのが苦手で沢山重ね着しています。春はまだ先ですよね。待ちどおしいよう!!

  定期診断の時、先生にカードありがとうって言ったら、先生も気に入ってくれた?と言って、にっこり笑ってくれました。めっちゃ!うれしかったよ。

  コロナのニュースで、不安になります。お兄ちゃんもお父さんも外に出ていますし、お母さんも買い物に毎日スーパーに行きます。大勢の人混みの中にいるのですからと、考えてしまうのです。病院の先生からは、少しの時間でもいいから外に出なさいと言われていますので、午前中と夕方には散歩に出かけるようにはしていますが、それが怖いのです。春は花粉症も待っていますから・・・。

  寒いのを理由にほとんど外に出ない日が多くなってしまったので、暖かくして散歩をするようにしているよ。不思議なんだけどあまり人が気にならなくっているのをお母さんに話したら、とても喜んでくれた。定期診察の時に先生に報告することにしよう・・・。

  毎日、何もすることが無いと、最近は思わなくなった。毎日、メールするのが楽しい。テレビで看護師さんの働いている姿を見てから、カッコ良いなあとあこがれてしまう。今までそんなこと考えたことが無いのに、変な感じ・・・。

  最近、家の庭に小鳥が来てくれるようになりました。お兄ちゃんと餌場を作って、お母さんが餌を買って来てくれたので、朝と午後にやっているのですがすぐなくなってしまいます。お腹すいているのかなあ~

 

       ********

 

  「沙耶香のつぶやき」を読んでいる人がいて、しかも同じような悩みを持っている人がいるのを知って、心強い?感じがする。私だけが・・・という思いを抱えていたので、とても苦しかった。まだまだ働くことまではいきませんが、親に迷惑はかけられないのでと考えています。そうすると焦ってしまう。もう30歳になるというのにと周りの人の目が気になる。お元気ですね。どのような仕事をされているのと聞かれて、適当にこたえてしまう自分が嫌いになります。素直に自分のことが言えたらと思う。ですから、沙耶香さんのつぶやきは、わたしのつぶやきでもありますよ。自分のことをこの様に書けたのは初めてです。うれしいですね。 大分県 K・Jさん 

  わたしは80歳の年よりですが、毎月「沙耶香のつぶやき」を読んでいます。妻は老人施設に入っていて、毎日、一人の生活ですが、娘と孫娘が代わるがわる買い物や身の回りのことをして、隣の家内の部屋で泊ってくれています。3年目になります。初めの頃は、部屋でゴロゴロしていたが、コロナで妻の所に行けなくなり、寂しいです。沙耶香さんのこと、お祈りしています。 岩手県 k・kさん

 

 <この掲載の原稿の時にお送りし、全て了解を得ております>編集子

 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (180)

 

1月20日

 曇っていた空にお日様が顔を出して、明るくなっています。明日からは気温が上がって3月並みになるというのですから、うれしい限りです。大寒というのにです。これからは三寒四温という形で暖かい日が増えていくのでしょう。そして立春を迎えるのですね。早く来い、暖かい春さんと春を待っているのです。

滅びゆく村の賑はふ二日かな。

聖餐に侍りもしたる老いの春。(久しぶりに聖餐の礼典にあずかることができて感謝しました。)

寒椿もう開くかと見上げけり。

一月の山の細流鳴りにけり。

北風の轟き渡る並木道。(毎日の散歩道です)  馬場路哉

何かと不便な毎日ですが、最後まで耐え忍ぶものは幸いである、とのみ言葉を覚えて平安が訪れるのを待っています。

1月28日

 3日ほど前までは春を感じさせるような日和でしたので、ついつい、浮かれ気分になってしまいました。朝の散歩では足元に気を付けながらです。雪が降っていなくても雨の後は滑りやすくなっていますから、ぼちぼち歩きです。毎朝、散歩の途中で出会う方も同じようにして歩いています。つい、長話になってしまいます。皆さん発散したいのでしょうね。いつまでも同じ調子で家の中にばかりでは退屈になってくるのでしょう。散歩で出会うと村のあちこちの近況を伝え合うようにしています。最近ではひと月足らずのうちに4軒も空き家になってしまいました。転倒して足の骨を骨折した人。顔の頬の骨を骨折した人。発見が遅れて救急搬送されたのですが亡くなられた方が二人。散歩道にある家ですからその家の前を歩くたびについ最近までは声を掛け合っていたのにと、とても寂しくなります。これも年を重ねてのことですから仕方がないことなのでしょうが。

131

 礼拝に行こうと思って準備をしていたら急な来客で遮られてしまいました。賛美歌を後で歌って礼拝をしました。今朝の散歩であちこちに梅の花が咲いているのが目に入りました。1月にこの山添村で梅の花を見るというのは初めてのような気がいたします。寒波がやってきたのに、その前に何度か暖かい日が続いたからでしょうか。春の花を見ることができるのはとても感謝です

旭川作家を思ふ寒波かな。(三浦綾子。のことです。)

山峡や鈴鹿の雪を望みもす。

初雪や桜の枝を鮮やかに。(散歩道の土手に大きな桜の木があります。)

山燃ゆるかの夕焼や日脚伸ぶ。

湛えたる緑も深し冬の湖。   馬場路哉

あまりにも良い日和です。家の中にいるのがもったいなく思い、しばらく外で日向ぼっこをしていました。太陽の光を浴びて居眠りが出てきそうです。

2月7日

 春を告げる蝋梅が土手に花を咲かせました。香りがよく、そばを通り過ぎるとほのかな酸っぱい香りが漂ってきます。お隣の方と久しぶりに日向で雑談をしました。若いころの話が多かったのはお互いに年を重ねているからでしょうか。外はとても暖かく、気持ちがよかったです

寒の月雲を出れば光りけり。

一人居の翁と話す四温かな。(90歳になられますが元気にしておられます。)

早梅の白固まりて屋敷跡。

腱鞘炎恐れて少し剪定す。

八朔の不作や苦み残しける。(今年の八朔はどうしたことかとても口にできるようなものになりませんでした。)  馬場路哉

こうして少しずつ暖かさが増してくると、散歩で出会う方からも笑顔がこぼれます。温かくなってくるのはとても感謝なことですね。

2月13日

 花粉が飛び出してきたのかくしゃみや鼻の調子がおかしいこの頃です。目の調子は順調に回復されていることとお察しいたします。でもまだまだ元のようにとは行きませんからしばらくはゆっくり静養なさってください。お祈りしています。また来週は寒の戻りで寒くなるとか。体調管理をしっかりして春を迎えたいものですね。庭には梅が八分咲きです。近づくとよい香りを放って春の訪れを告げてくれています。古木なのですが、よく咲かせてくれているなと感慨深いものがあります。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

眸(ひとみ)

 

  ここ南紀は春です。梅の花が咲いています。日中は暖房はいりません。春霞の陽気に恵まれるようになりました。雪国のみなさん。頑張ってください。もう春の足音が聞こえてきますよ。 和歌山県 B・Hさん

  お馴染みのラーメン屋さんが持病と高齢とコロナ禍で廃業になりました。幼馴染でしたから、私も落ち込んでしまいました。教会の特伝のポスターやチラシを快く引き受けてくれました。わたしの気持ちが落ち着いたら世間話にでもしに行こうと思っています。 栃木県 T・Aさん

  私の行っている教会(伝道所)は歴史は古いですが、十名ほどの高齢者ばかりで、寂しい思いをしていましたが、仕事を息子に譲り何か地域や教会のお役に立つ働きはないかと思っていたところ、家内が通っている病院でお年寄りが、誰も声をかけてくれる人もなく寂しい毎日を過ごしているというのを聞いて、教会の皆さんに相談して一昨年から、牧師先生のお許しを頂いて、家を解放して、祈祷会を「なごやか祈祷会」としてはじめました。狭い町で出来ることですが、お近くの方や友だちに声をかけて、「お茶と世間話とお祈りの会」として始めました。最初は本当にお年寄りの会で、日常の健康のこと、孫たちのことでしたが、今はコロナの話と先生の聖書のお話をビデオで見ながら聞いて、私がお祈りする形までになりましたが、その集まりから、今は子供たちが日曜学校に来るようになり、その親たちも礼拝に来るようになり、賑やかな教会になりました。本当に信じられません。工夫一つで何かが起きるのですね。Rさんの一言が小さな芽を出しました。 山口県 B・Hさん

  今日は気温が上がり、家の庭の雪も周りの坂道の雪もすっかり解けてほっとしています。雪のために多くの方たちが通行止めになって立ち往生したりと大変な目にあっていました。普段の通り、当たり前の生活ができることに心から感謝いたします。コロナの感染は怖いですね。非常事態宣言が出されましたが、どこまでこの状態が変化して終息にまで至ることができるのでしょうか。ただ、祈るばかりです。これから本格的な寒さの日々になりますが、「ジャーナル友さん」ばかりでなく、医療従事者、若い人たちのことを祈っています。私の住んでいるとことろは、雪よりも厳しい寒さの地域で、緊張感をもってこの冬を乗り切りたいと思っています。フロントガラスは凍り付いています。 兵庫県 BAさん

  在宅の仕事もこうも続くと家族みんなの生活のリズムが崩れはじめてきました。無口になり、イライラすることが多くなり始めました。息抜きに何かをしなければと思うのですが思い付きません。通勤、会社の人との会話、帰りのビールの味が恋しいです。8時帰宅は週3回くらいで、10時の時も多く、良い父親でも亭主でもありませんが、今まではその時間、家族はそれぞれ過ごしていたのでバランスがとれていたように思いますね。礼拝もコロナの感染予防で縮小。会話自粛で、暗い感じです。 兵庫県MMさん

  長い間、地域の高齢者が集っていた自治会の集会所がこのコロナで使用できなくなって4カ月になります。一人で生活していた人々の憩いの場でしたので、本当に不便というより淋しいです。皆さんマスクをして、運動を兼ねて散歩のおつもりで集まり、お茶を飲みながらのひと時は生甲斐にさえ思えました。それが閉鎖、何時再開できるか分かりません。少し元気な私たちも場所作りの準備も出来なくなりました。寂しいです。桜が咲くころには元気なお姿が見たいものです。 滋賀県 B・Mさん

  全国ニュースで気になることは、コロナの拡大地域の数値ばかりが報道されていることです。そこに住んでおられる方も不要不急の外出を控えておられるでしょう。その様子は分かりますが、私の住んでいる町でも皆さん感染拡大予防には注意しています。学校の先生の生徒への声掛けで子供たちも協力しています。それは一番地味ですが確実だと思います。出来ることをみんなで助け合っています。顔馴染みの商店の方のご苦労もわかりますので、気を付けて支え合っているので感染者が出ていないのです。皆さんの頑張りで確実に感染者は減ります。そのような町が好きですし、誇りです。大変だニュース、あげ足取りや批判ばかりのテレビや新聞のニュースは、社会も人の心も暗くします。「ジャーナル」だけでも、希望の持てる読み物であってください。 宮城県 C・Yさん

  今朝も寒い朝でした。今も西風が猛烈に吹いています。寒さの中、洗濯物を取り入れていると高いところ梅の枝になんだか白いものがちらほら見えます。雪だろうか、と思って近づくとなんと、梅が花を咲かせているのです。わあ~い。この寒さの中、梅の花が春の近さを伝えてくれました。何だかとてもうれしくなり、メールしました。今年は、とても雪の日が多く、憂鬱な気分の毎日でしたから、神様は季節という贈り物に添えて下さったのですね。 岐阜県 G・Sさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 

十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 

=偽証=

 

第九戒④・隠すこと

       箴言25:9~11、マタイ18:15~17

 

 「偽証してはならない」からと言って、事実であれば何でも語ってよいわけではありません。事実を明らかにしないで黙っていること、真実を隠すということも、この戒めと関係があると言えます。

 「守秘義務」という言葉を聞くことがあります。医師、牧師、弁護士、看護師、ソーシャルワーカーなどの職業に従事している人々は、その職業上で得た秘密があります。それを守ることが義務付けられています。こうした意味で事実を公にしないことは正しいことです。しかし、このような立場にある人々でも、秘密を一切明かしてはならないということではありません。

 例えば、患者さんが危険な伝染病におかされている場合、本人にも周囲にも知らせなければなりません。あるいはテロのように、国民にとって危険がせまっているような   

情報を得たとき、それを何等かに形で明らかにすることが必要になります。

 大事なことは、あることが事実であるにしても、人について知ったことを周囲にしゃべるのは間違っています。「他人の秘密を漏らしてはならない」(箴言25:9)。偏見や誤解が含まれているかもしれませんし、それが更に間違った内容が加わって更に周囲に伝えられるかもしれないからです。それでも、限られた人が知った秘密で、そのことがその人の誤りを正すために必要なとき、忠告しなければなりません。それでも聞き入れないときには、教会員であれば、責任ある立場の人に内密に告げることは許されています(マタイ18:5)。

 誤りを正し、悔い改めて兄弟を得ることは、教会の訓練(規律)として大事なことです。日本語に訳されている改革派教会「訓練」と「戒規」には牧会固有のことで、戒規においても重んじつつという大事な点が消されていることが、戒規を不成功に終わらせることになるかもしれません。

 

 私たちの会話が互いに相手を建ち上げることを目指しています。それは必ずしも真実を隠すということとは同じではありません。例えば、本当の友人であれば、誤りを指摘してくれます。しかし、そうでない場合、あるいは敵のような立場にある人は、自分の誤りを指摘してくれることはありません。

 ドウマ教授はこういう指摘をされます。「第九戒は私たちの隣人の幸い(well-being)のために労することを求めている。われわれは偽証してはならない。しかし、その人に反対しなければならないときでさえも、自分の言葉で、隣人を助けることができるならば、真実を証言することになる。真の友はビロードの手袋をつけない(うわべだけの優しさを現わさない)。われわれを傷つける言葉と第九戒とが常に対立するわけではないのである」。

 

バラ・マカルピン 日本伝道百年史  

 

     水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

16 日本宣教50年・・7・・

 

 憲法発布、良心の自由と信教の自由、帝国会議、自由出版、日曜日の休暇、風俗及び社会改良及びキリスト教的文明のほとんどすべての応用が速やかに続いてきた。全てこれらのことを考えて見れば、確かに我々は「神の為し給う所の何と大いなることよ」と叫ばざるを得ないのであります。

 そして使徒と共に「神に感謝して心勇み立たざるを得ない」のであります。しかし、日本に行われていた政治的、社会的変化ということに、かかる重大な意義を与えると共に、私はこの国に行われている道徳的・宗教的勢力に目を閉じたくありません。

 

 教育、医術、聖書翻訳、礼拝式、讃美歌、外国語の学習、辞書の出版、説教、印刷の書籍、講演、直接伝道によって「神の国の良き種」が蒔かれたのであります。今、直接伝道ということを最後に言いましたが、これは恐らく順序から言っても最も大切なもので、数世紀の間、日本人が学者、官吏及び普通の平民に至るまで、キリスト教に対して抱いていた偏見を取り去ったのであります。

 

一言で言えば、プロテスタント教会の宣教師はジェスイット派の宣教師ではないという証明をしたのであります。ギドー・エフ・フルベッキが20年間、その身倒れるまでその働き盛りの20年間を、特殊な伝道に費やしたのは、実にそのためであった。

神はこの謙遜な、信仰の厚い、彼の生涯を恵み給うて、日本国民ですら得ることの出来ない位、政府や人民から非常な信用と尊敬とを得たのであります。

 

「キリスト教百話」

  

問30 「キリスト教を信じたら、どんな良いことがあるのでしょうか」

答・・5・・

 しかし、クリスチャンの数は日本の人口の1%そこそこです。キリシタン時代の方が遥かに多かったようです。それは大名の入信が家来全員の入信を促した結果でもあろうと推測しますが、それに比べ、信教の自由が保証され、新興宗教と呼ばれている諸宗教の信徒の数や活動の勢いなどが盛んであるのに、キリスト教の不振はどうしてかと思う一面があります。

 キリシタンが禁制になった理由はいくつか挙げられると思いますが、その重要な一つは、権威の問題にあったのではないかと思います。つまり国の最高の支配者の権威以上の権威に従うことをキリシタンは重んじていたからです。目の上のたんこぶがあっては邪魔なのです。これを取り除く作業が、禁制弾圧でした。

 この構造は大日本帝国憲法や教育勅語を盾として、「天皇とキリストとどちらが偉いか」とか「キリスト再臨の時には天皇も裁かれるのか」とかの字の悪い質問をして、権威の所在を問うという精神的踏み絵をさせたものでした。多神教世界ではこういう問題は起こりません。

ある人は「キリスト教は苛烈な宗教である」と言いました。確かに、キリストは、父である神の御心に従うことによって、十字架上で血を流し、命を献げたのですから、これは苛烈を極めていることです。しかし、ここは大切な点でもありますが、他者のために、命を投げ出すくらい愛の極まりの表現はないのでありまして、キリストの死によって、わたしたちが、これほど神によって生かされていることを知らされる時に、この苛烈さは、愛の極みに他ならないことを共に知らされるのであります。

イエス・キリストを知るということは、以上のことを知らされることでありまして、自分という者が、このように愛されている存在であることを知る喜びを禁じ得ないのであります。このことが、活けるキリストに出会うことによって得られる「良いこと」の全体を包むものである、ということができます。

 

    篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

 

第98課 パウロも宣教活動とその計画

=15:14~33=

・・・15:14~21・・・1・・・

 

A 「異邦人宣教師としてのパウロの働き・・1・・

・・・15:14~21・・・1・・・

「その際、私の切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることあった」(15:20)。「切に望んだ」(strive)と訳されているギリシャ語は「名誉を愛する」という意味であり、従って、「名誉なことであると考えて~~をする」という意味になる。パウロは開拓的宣教師としての働きを名誉なことと考えていたのである。キリストがまだ知られていない所に福音を宣べ伝えることを自分のライフワークとしていたのである。他人の土台の上に立てる野心も願いも持っていなかった。他人がパウロの後についてきて、彼が築いた土台の上に建てるかもしれない。しかし、パウロは開拓宣教師として働くことを無上の名誉ある特権と考えていたのである。

 

 説教者が他人の土台の上に建てることをするのは常に必ずしも悪いことではない。ウエスレ―が言うように、「神はその働きを葬られる。しかし、神は彼の働きを成し遂げられる」のである。Ⅰコリント3:10でパウロは厳かに、自分が建てた土台の上に建てることをする人々に対して、彼らがその上にどのように立てるかを注意しなければならないと警告している。

 「神から賜った恵みによって、わたしたちは熟練した建築師のように、土台をすえた。そうして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい」。

 

     JG・ヴォス著、

   玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

 

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

 

◆  軒下にはまだまだ雪が積もっています。長く太いつららが何本も伸びていますが、細くとがった先から暖かくなるとぽたぽたと雫が流れ落ちきます。春を告げる時期になりました。道の両側にはまだうず高く汚れた雪の壁が、もう少しの我慢と言い聞かせながら窓越しから外を見ています。1、2月は殆ど礼拝は夫と二人の家での礼拝になってしまいましたが、風邪にも罹らず過ごせました。「ジャーナル友さん」は如何お過ごしでしたか。 石川県 LTさん

  子供二人の受験も無事に終わり、後は結果待ちです。クラスの中に風邪で大変だった子もいたとのことでしたので、何よりでしたが、入学時の親の金銭負担にはため息です。そのために働いてはいたのですが、・・・。私も親にはたくさん負担をかけていたのだと思い、感謝しかありません。今はその恩返し?に、近くにいる両親のお世話をしています。健康でいてくれるのが何よりもうれしいです。 愛媛県 OKさん  

◆  ここ渥美半島は暖かい所で、観光用の菜の花が咲き始めたとのニュースが流れてきました。青空のもと、大勢の人が春を求めているかのようです。これから各地からの梅の便りが多くなることでしょう。雪国の皆さんのところにも春は訪れます。お身体に注意し、お過ごしください。お祈りしています。 愛知県 WKさん

◆  寒い毎日ですがお元気にお過ごしでしょうか?また緊急事態宣言が出てしまいましたね。不自由な生活が続きますね。わたしも次週から在宅勤務が週に何日か入ることになりました。生活支援センターの職員として、出来るだけ多くの利用者さんとは、今まで以上に連絡は密に取るように心がけたいと思っています。皆さんご高齢ですから。 滋賀県 M・Mさん

 

      ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

 

 ♬  年齢の関係もあるのでしょうが、身体が疲れて何をやっても失敗の連続です。先日も、ぼ~と歩いていたらクラクションの音、はっと気づいたら赤信号。日にちを忘れたり、曜日は新聞で毎日確認しています。お祈りも集中できません。聖書を読んでも上の空。子供たちから、まだ若いんだからしっかりしてよ、と言われている毎日。それで考えたのが、この「ほっとひととき」「眸」を読み返し、祈ることにしました。そうしたらなんだか気持ちが楽になりました。素直に、お祈りください、お祈り感謝いたします、という言葉を頂いた感じがするのです。60歳にはまだまだですから、お役に立ちたいと思いました。  

 

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子

 

   『ありがとうございます』

梅の花がよい香りを放っています。気持ちがうきうきしてきます。春ってうれしいですね。部屋のヒヤシンスが咲いていますなど、お便りとともに春の香りをお手紙やメールでお届けくださいます。コロナ禍にあってお過ごしの方々からのお便りには、春の訪れを心待ちにされている希望と喜びがあふれています。そのお言葉やお祈りに支えられて、今月も「つのぶえジャーナル」をお届けできますことを感謝いたします。

お読みくださる皆様、「ジャーナル友」の皆様には、お変わりなくお過ごしでしょうか。私は2月3日に右目、10日に左目の白内障の手術を受けました。神様のお守りと多くの方々のお祈りに支えられて順調に回復し、このように3月号をお届けすることができました。高齢者専用のリハビリ・トレーニングに来られている約80%近くの方が白内障の手術を経験されている方々で、今は安全な手術ですから良くなってまた一緒に歩行トレーニングなどに励みましょうとのお言葉も頂き手術を受けました。経験者のお言葉はありがたいです。

 

大きな地震を、テレビを見ておりましたら、震度6弱に「信友・ジャーナル友」のおられる仙台や会津若松、二本松、多賀城の名前があり、驚きました。また、その後も余震があり、大変さが皆さんの声でわかりました。10年前の頃が思い出されて、悪夢に襲われましたとのお声に、コロナ禍、地震、寒い日、停電、断水など、次々と起こっているのですね。心から、お見舞い申し上げます。

 

蔵王におられる、信仰の先輩のご夫妻がおられますので、メールさせていただきましたが、棚から少し物が落ちた程度で、10年前とは比較にならないとのことで、安心してくださいと返信がありました。関東や東北におられる「ジャーナル友さん」たちも、大丈夫ですよとの声に、神様のお守りに感謝いたしましたが、余震が落ち着くまで、神様のお守りが与えられます様にお祈りさせていただきます。

信仰の友、交わりの仲間ですから、お祈りするのは当然ですが、改めて、コロナのために働いている方々のことを考えさせられました。尊いお働きですね。同時に、災害のために給水などされている自衛隊員の皆様のことも感謝してお祈りします。

 

 2021年1月16日から2021年2月15日までにお送りくださいました方々です。本当に感謝です。     

 

斎藤あゆみ様 加納さおり様 佐藤のり様 馬場暁美様 宇佐神正武様 匿名1名様

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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