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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 「今月のことば」

もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

      =へブル3:14=

2020年が終り、年が改まり1カ月が過ぎました。2021年に希望を託し、若い人たちは旅たちの備えの時です。日常の生活が始まり、日々を始めた方もおられるでしょう。厳しい状況下にあっても、困難と闘っている方もおられます。神様のお守りとお導きを心から祈らせていただきます。

 

全てのキリスト者は、その人生、その歩みが罪深く汚れている時のことを知っています。「反省」では取り返しのつかないことも知っています。なされたことは、なされたことで、それをどうすることもできません。しかし、私たちが、あらゆることをなし、もがいたとしても、解決しないという望みが絶れた時、目には見えない手が私たちの方へ向けられ、差し伸べられていたのです。

 

春の訪れを木々の枝が知り、小さな蕾となってその時を待っています。そのように私たち一人ひとりにも神様は備えて下さっているのです。それは「救い」という備えであり、「許し」という愛の恵みです。私たちは、しかし、この恵みに感動し、信仰の感謝の告白を神のみ前に捧げてきました。この最初に与えられた確信は、時と共に薄れ、弱まったと思う迷いの誘惑に捕らわれるなら、もう一度、この「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである」(へブル3:14)とのみ言葉を心に刻まれていることを、思い出しましょう。

 

信仰の日々は、言葉としては言いやすくても、その為すことは容易くないこともまた事実です。心の中にある実際の事実は、思いとは裏腹に、罪深く汚れています。だからこそ、神様の御霊の助けを乞い求め、人それぞれが「祈り人になりたい。愛の行為者に生きたい。奉仕がしたい。社会の一員でありたい」と励むのです。これが信仰者の姿です。

私たちの傍らには、キリストがおられます。その確信に生きる時、そこに喜びがあります。

 

 わが手のわざは 主のおきてにかなうまじ。

  わが熱心はためらわず、わが涙は、とこしえに流るるとも、

   罪を贖うことを得じ。

 主よ、主にのみ救いあり。    アーメン

 

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 「小閑記」

 

 兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いてくださった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、さらに神の家を治める大いなる祭司があるのだから。

       =へブル10:19~21=

 

 このみ言葉には、信仰者としての言い得ない希望をお与えくださいます。日々の生活で一番の不安は先の見えないことではないでしょうか。「思い煩い」はここにあり、人は悩みます。テレビのニュースや新聞の見出しは、「先の見えない…」という言葉に満ち溢れ、社会全体が不安と恐怖症と諦めに陥っている昨今、この神の御備え下さる約束は、それを拭い去り、一掃してくださいます。

 

 先の見えない日々以上に、その生涯の先を考えるとより一層不安に陥り、逃れるために、人は何かを求めて彷徨うのです。

 私たちの進むべき道、神と共に生きる道をこのみ言葉は示しています。それは、活ける神のみもとへ行くことできる歩みです。

 

 イエスへの道は開かれています。それを妨げる罪は、イエスの十字架の御血によって、その道を歩く権利は、イエス・キリストを救い主と信じる者に与えられているという事実です。私たちの足で歩くのではなく、神のみ手をもって導き給うみ霊によって歩き続けるという約束です。

 

 この約束を日々の生活の中に生かされることを願う日々に、何があるでしょうか!

 主をほめ讃え、主に感謝し、夜も昼も主を礼拝せずにいられないでしょう。天の御父は、喜びをもって、私たちを迎えて下さいます。この神への礼拝の時は、私たちは正直に、全ての必要なことを主に打ち明け、重荷について、心傷めるすべての事をお話しする唯一の時なのです。

 

 この神様を礼拝する時を大切にすることこそ、「新しい道」なのです。

 

 讃美歌405番

 1 かみともにいまして ゆく道をまもり、

   あめの御糧(みかて)もて ちからをあたえませ。

    (おりかえし)

   また会う日まで、また会う日まで、

   かみのまもり、汝(な)身を離れざれ。 アーメン  

 

 2 荒野(あれの)をゆくときも あらし吹くときも、

   ゆくてをしめして たえずみちびきませ。

 3 御門(みかど)入る日まで いつくしみひろき、

みつばさのかげに たえずはぐみませ。 

 

 

世田谷通信(209

猫草

 

 睡眠は不思議だといつも思う。眠い時は寝てはいけない時だし、寝なければと思うと寝られない。以前は仕事の前日はちゃんと「眠らなくてはいけない」がプレッシャーになって、寝られないと自分を責めたりした。それは「夜は寝るもの」という強い刷り込み。大事な試験やイベント前に寝られないと悪い結果をもたらす、睡眠不足は諸悪の根源との思いこみがあったからだと思う。

 もうそれは最近どうでもいい。ごく短時間目を閉じていてもいいし、寝られなければ別のことをすればいい。本を読む、動画を見る、文章を書く、明日やるべきことを書き出す。やらなければならないこと、やりたいこと、買うもの、行きたい場所、欲しいもの、気になっていることをリストアップする。そうすると、どこかで自分の中でコツンとぶつかる。あ、これか。このせいか。

 自分の中に眠りを妨げていた棘のような、時に石ころのような、そんな塊がある。解消はしなくても不安の存在がはっきりするだけで、ちょっと勝った気になる。

 気を紛らわす方法もいろいろある。最近のお気に入りは塗香(ずこう)である。それを耳かき一杯ぐらい、ほんのひとつまみを手で温めると掌に芳香が広がる。白檀などの香木のブレンドらしいが、数種類のサンプルの中でこれだ!と思った。昔、長男が小学生の時に、一緒にいった旅行先の奈良で嗅いだ香り。根拠はないがそう思った。その時の風景が瞬時によみがえったからだ。人間の記憶は脳のあちこちに格納されているのだろうが薫りで開くこともあるらしい。

 夜中に目が覚めることも何かのきっかけと思えばいい。24時間の使い方は自分で決める。睡眠は敵ではない、義務でもない。単に自分のリセット時間なのだ。起きているときに何をするかを考えたらいい、当たり前のことだが、あえて言葉にすると、自分がとらわれていることから少しだけ解放されるような気がする。小さなことから越えていけたらいい。ちょっとずつ。

 


「美しい朝に」

 

 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。 

 主は私を緑の牧場(まきば)に伏させ いこいのみぎわに伴われます。

 主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに、私を義の道に導かれます。

 たとえ、死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが、ともにおられますから。

 あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。

 私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。

 私の杯は あふれています。

 まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。

 私はいつまでも 主の家に住まいます。

                  詩編23:1~6

 

 沙耶香のつぶやき

 

  今年もよろしくお願いしまあ~す。お母さんが、12月末から風邪になり、お母さんはコロナを心配して検査をしてもらいました。コロナではなく風邪でした。一時はどうしょうと・・・不安になりましたが、皆で協力して、何とかなりました。

  今はもう元気になりましたよ。頼りない私も、少し役に立ったかなと自信が出てきました。一番頑張ったのはお父さんでした。

  病院の先生からクリスマスカードを頂きました。初めてでめっちゃううれしかった6よ。わたしのこと、本当に心配してくださっていると思うと頑張らなければ・・・と少し思ってしまいました。今度、診察を受ける時、お礼の手紙を渡そうと思いました。

  2021年、どうなるのかなあ~と漠然と考えてお正月を過ごしました。お母さんはお雑煮が好きで毎日食べていました。

 

       ********

 

  沙耶香さんはどんなお正月を過ごしましたか。わたしは祖母と両親の4人で紅白を見ていましたよ。それとおみかんを食べていました。 愛媛県 K・Hさん

  

 <この掲載の原稿の時にお送りし、全て了解を得ております>編集子

 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (179)

 

12月19日

 ゴダート先生からクリスマスカードをいただきました。91歳になられたそうです。それでも車を運転されて週に一度はドラッグストアーに出かけられるとか。後は犬と二人で暮らしておられるということです。私たち金城学院生はゴダート先生たち、南長老派の宣教師の先生たちのご奉仕があったからこそ、イエス様を救い主と信じる若者たちが輩出されたのですね。感謝の思いを決して忘れてはなりませんね。その当時、日曜日の午後は礼拝を終えてから病院へ宣教に出向かれ、熱心にみ言葉をお伝えになられましたことで多くの実を

結んでいました。

12月22日

 今朝は氷点下2度まで下がりました。辺り一面真っ白に霜が降っていました。散歩をしているとまつげが凍っていくように感じられました。この冷え込みは年末にもやってくるとか。

年の暮れ二百五十年の第九聴く。

殉教は奈良にもありぬクリスマス。

名曲を聴くや玉なす冬日和。

今年また煎茶歳暮送りけり。

寒風や奥伊賀の垣高き事。    馬場路哉

 

昨日の朝、お隣りの一人暮らしの方が家の中で転倒して大腿部を骨折されて、救急搬送されました。この二か月の間にお二人の一人暮らしの方が転倒されて、骨折という事態になっています。なんだか我が身もよろよろしてきたので転倒の恐ろしさを痛感しています。

11

 新年あけましておめでとうございます。こちらは大雪の降っている地方の方たちには申し訳ないのですが、雪が降らずに何とか一日持ちそうです。郵便の配達をされている雪国の方たちの映像がニュースで流れました。バイクに乗っているというのでなくバイクを押しているのです。そのような状態で一軒一軒の年賀状を配っているのを見ていると“大変でしょうが、最後まで頑張ってください”という思いでいっぱいになります。

息子たちはこの十日余り不眠不休です。今朝を無事に迎えることができて、ほっとした様子で暗闇に出勤いたしました。無事に配り終えて帰ってくるのを祈りながら待っています。

故郷塚過りもしたる桃青忌

津から伊賀峠で来る初時雨。

バス停や寒風ひしと抜けにける。

寒風は刃を持ちて唸りけり。

寒波急スコット隊をふと思ふ。   馬場路哉。

厳しい寒波ですね。なんだか今年も大変な年になりそうです。でも信仰を与えられていることの幸いを覚えて日々歩むことができるのですから感謝です。

1月3

 久しぶりに主の日の礼拝を捧げることができました。懐かしい皆さんとともに賛美し、祈ることができて、心から感謝いたしました。聖餐式にもあずかることもできて、イエス様の十字架上でのお苦しみを思い、涙が流れてまいりました。日々の生活がどんなにか罪深いものであるかを神様にお許しください、と祈っています。

中庭に数本ばかり水仙花

後を見て微笑みにけり落ち葉掃き。

この山に銀髪に似る枯れ木あり。

病棟の茜色して日脚伸ぶ。

差し掛かる伊賀の峠の初時雨。   馬場路哉。

1月8日

 この寒さにうっかりしていました。少しでも水道水を流していたら、このような凍結はしなかったでしょうに、朝、起きてびっくりです。ガスが凍ってしまったようで全くつきません。水道も全く出ません。洗濯機のところは別の場所なので出るかと思ったら、ここもだめです。さっそく、ガス・水道の業者さんに電話を入れましたら、すぐ来てくださいましたが、これは下手にいじると水道管、ガス管が破裂してしまうので自然に溶けていくのを待たなければ仕方がないとのことでした。さっそく、ガス、水道を凍らせないように電熱線を配線してもらう手配をいたしました。このようなことはここ十数年起きたことがなかったのでうっかりしていました。これから気を付けます。

寒波急年賀配達出発す。(主人もやはり息子のことを心配しているのですね。)  

慈しみ多く賜り年暮るる。

閑かにも滝響くなり去年今年。

余韻ある句を味はひぬ青畝の忌。

梅早し頼山陽の思ひ入れ。(月ヶ瀬湖畔にて。)   馬場路哉

このような時に簡単に食事ができるものを備えておくことがとても大切なんだと思い知らされました。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

眸(ひとみ)

 

  「ジャーナル」友さんには、お元気ですか。私は年末、年始は看護師の長としてもう20年近く勤務しています。子供たちもそれが当たり前に思ってくれていたとは思っていましたが、やはり嫌だったと言ったのを聞いて、寂しい思いをさせて申し訳なかったなあ~と思いつつ、2021年も病院で迎えました。特にコロナ禍の時で、入院されている方もご家族もお辛い時を過ごしています。先のことは分かりませんが、健康で注意して患者さんのそばにいたいと願いつつ、感染症の注意に心掛けたいと思っています。 兵庫県 B・Hさん

  コロナの患者さんを受け入れている病院で働いていますが、差別的な言葉で、心折れてしまいそうな若い看護師さんが、意欲を失いかけているのが気懸りです。一番辛いのは、家族への心ない言葉です。私たちは頑張ります。どうぞ、お疲れ様でしょうが健康に注意してね!ありがとうございます!の一言を掛けていただけませんか。 岡山県 T・Aさん

  この大雪でご高齢の方(私もその一人ですが)の不便を町の方から聞いて廻るように依頼があり、二人一組で訪問していますが、手持ちの薬の少なさに不安を感じておられる人が多いので驚きました。勿論、暖房用の石油やプロパンガスも心配されている方もおられました。それらをまとめて書き出して係の人に連絡しましたところ、直ぐに対応してくださいました。ありがたいことです。主人とお役に立てて良かったねと話し合っています。まだまだ大雪の日で不便ですがまた時間を作って訪問することにしました。頑張ります。 新潟県 B・Hさん

  ビニールハウスで4種類の野菜を作って、スーパーや道の駅に出荷していますが、売り上げは例年の70%位になりましたが、学校給食が中止になった時には、ほとんどが廃棄処分になってしまいました。あの時は本当に辛かったです。それでも次の植え付けのために準備の作業をしなければならない時の不安は言葉になりませんでした。今は少し灯りが見えてきました。神様に感謝して暖かいビニールハウスで汗を流しています。 愛知県 BAさん

  屋根の雪下ろしの時に、主人は足を滑らせて軽い捻挫になってしまいました。注意はしていたのにとボヤキながら入り口だけは通れるように痛みを抱えながら主人と毎日頑張っています。お役に立てればと、お一人の方の所にも二人で出かけています。お互い様の助け合いですかね。 福井県 M・Mさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 

十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 

=偽証=

 

第九戒③・必要なうそ

       ヨシュア記2:1~16

 

 うそには大きく分けて、三種のものがあると言われています。悪意のうそ、冗談のうそ、そして必要なうその三つです。第一の悪意のうそは明らかなもので、この偽りによって人に害を与えることになるので禁じられています。第二のうそは、真実ではないのですが、それを言うことで人を欺くのが目的でなく、事実ではないことを言って、笑わせる場合です。

 難しいのは、第三の必要なうそという問題です。そこで語られるうその内容は真実ではないのですが、その時、うそが必要であるという難しい場合です。例えば、よく例に出されることとして、第二次世界大戦下のドイツによるユダヤ人迫害に対して、彼らをかくまったクリスチャンたちが採った態度です。

この「必要な」ということは、自分のために必要なというよりも、隣人のために必要なうそということです。真実を語ることで隣人の命が危険になる場合、第六戒を犯す罪は第九戒を犯す罪より重いからということもできます。アウグスチヌスは、必要なうそであっても禁じるべきであると考えたのは、うそは罪であり、うそのために肉体は死ぬことがあっても、偽りを避けることで、魂は生きることになると考えたからです。

しかし、この必要なうそに関連して聖書の中に幾つかの実例があることを、思い浮かべることができます。モーセの誕生に関連して、エジプトの王ファラオが、ヘブライ人に生まれる男子をすべて殺すように、助産婦のシフラとプアに命じた時、神を畏れていた彼女たちは、それに従いませんでした。「ヘブライ人の女は元気なため、助産婦が行く前に産んでしまうのです」(出エジプト1・19)と答えました。それで、「神はこの助産婦たちに恵みを与えられた」(10)とあります。

また、エリコのラハブはヨシュアが遣わした二人の斥候を匿い、調べに来た者たちには真実を告げず、時期を見てヨルダン川を渡って戻って行く策を教えて助けました。新約聖書にはこのことを評価しています(ヘブライ11:31、ヤコブ2:25)。似ているもう一つの実例は、バフリムのところに来たダビデの家来二人を井戸の中に入れふたをして隠し、アブサロムの僕に偽りを語って彼らを助けました(サムエル下17:19~20)

 戦争において戦略的に敵の目をくらますことは、単なる偽りとはちがいます。ヨシュアがアイと戦った時、主なる神は荒れに街の裏手から攻めるのに夜の暗闇の中、町から兵士をおびきだす戦略を教えました(ヨシュア8:1~8)。また、主はダビデにペリシテ人を待ち伏せして、出てきたところを襲う戦略を授けられました(サムエル下5:22~25)。

アブラハムとイサクがエジプトへ行った時、彼らは自分たちの妻が妹だと言いました。確かに全くの偽りではなかったとしても、これは必要なうそでなく、禁じられている偽りです。妻に姦淫の罪を犯させることになりうるからです。

 

 

バラ・マカルピン 日本伝道百年史  

 

     水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

16 日本宣教50年・・6・・

 5 日本に安心して居住されなかった第三の理由は、政令が二途より出たことです。それから将軍政府の下にある港だけは特定されてあった外国貿易に対して、多くの有力な大名が不満を抱いていたことです。多くの人々を動かし、特に世に勤王家を動かした攘夷の精神は外国人に対して攻撃が行われるという警報や噂を生み出すようになりました。何日までに外国人を放逐せよという勅令が発布された。

 それは将軍政府によって遂行されはしなかったが、長州公によって、下関海戦を促し、数か国の船舶に発砲するようになったのであります。将軍の政府は、長州の挙をしいて止めることができないということを宣言したので、当該数か国によって下関にあった砲台が攻撃され、遂に長州は降伏してしまいました。同じようなひどい責罰は、薩摩の首都鹿児島の上にも見舞われました。

 と言うのは、一人の若いイギリス人が首を斬られた上に、それと一緒に行ったほかの三人も命を奪われようとしたので、それがたまたま日本の中でも、最も戦争好きな党派である鹿児島をして外国人に対する放埓な攻撃を止めさせる原因となったのであります。

 そして(中略)遂に最後の将軍にして最も気高い一橋家(慶喜公)の自譲忠君愛国の精神にこの血生臭い革命も終わりを告げました。これらのものの中に奇しき業をなし給う神の御手は最も明らかに現れています。・・・・仏教に対しては国教の権が奪われ、士族にも階級が排除され、二重政府の形も苦しい夜の如く、朝の近づくと共に消え去ってしまったのです。

 

「キリスト教百話」

  

問30 「キリスト教を信じたら、どんな良いことがあるのでしょうか」

答・・4・・

 考えてみますと、日本の文化は、異質的なものとの出会いによって、新しい局面を展開しました。仏教の伝来がそうです。その影響ははかり難いものがあります。次はキリシタン伝来の時代です。安土桃山時代の文化は、それまでの文化に新しいものを加えました。明治開国以来の西欧文化との折衝は、これも従来の文化に新しい変容をもたらしました。

 第二次世界戦争後は文化の国際的交流によって、様々な変容がなされています。こういう点において、われわれ日本人は実に柔軟に異質的なものをも同化させてしまって、新しいものを生み出して行くのに優れていることを思わざるを得ません。

 しかし、今日では、キリスト教がもたらした社会文化的なものは、それぞれ固有の分野や領域においてその分野独自の成長発展を遂げ(音楽、教育、社会福祉面など)、したがって、ある意味ではキリスト教の信仰そのものが持っているものは何か、が問われるようになって来ているように思います。

 キリスト教が生み出した文化も、もとはと言えば各地の教会がその置かれた土壌に古来からあったものを、いわば換骨奪胎という仕方で自分のものにした結果であるものが少なくありません。例えば12月25日をクリスマスに定めたのも、もとはと言えば、ローマで行われていた異教の農事の祭りの時を取り入れたからでありますし、クリスマスツリーもヨーロッパで行なわれていた冬至祭りの風習を採用したものです。サンタクロースにしても、伝説的な人物の子供への愛が象徴化したものです。

 日本で行われた最初のクリスマスには袴を着たサンタクロースがミカンを配ったと言いますが、それは定着しませんでした。いずれにしても、キリスト教が生み出した文化や社会活動は、それを受け入れられる精神的土壌があったからではないかと思います。

 

    篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

 

第97課 パウロも宣教活動とその計画

=15:14~33=異邦人宣教師としてのパウロの働き・・21・・

・・・15:14~21・・・5・・・

 

 「異邦人を従順にするために、キリストが私を用いて、言葉とわざ、・・・」(18節B)。

 

 奇跡はまた不思議とも言われる。それが、それを目撃する人々の心の上に生み出す効果のゆえに、そう呼ばれるのである。それらは人々を驚かし、考えさせて、その神の直接的な働きがあること認識させるのである。したがって奇跡は福音の信任状(credential)のようなものである。神だけが奇跡をお行われるから、その奇跡を伴うメッセージは神よりのものであることが分かるのである。パウロによって行われた奇跡については使徒行伝19:11~12を参照すること。

 

 奇跡の力の外に、パウロは聖霊の力を語っている。奇跡に加えて(奇跡自体が聖霊の働きであるが)、人間の心の中には聖霊の力強い働きがあるからである。この働きの結果、選ばれた人々に回心が起こるのである。Ⅰコリント2:4を参照。ここでパウロはわたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との召命によったのである」と言っている。パウロは自分の宣教者としての能力に依存しないで、ただ宣教の言葉と共に働く聖霊の働きに依存していたのである。

 パウロは付け加えて、「エルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで」と述べている。イルリコはいまのユーゴスラビアとアルバニヤの領域に入っている。パウロがこの手紙を書いた時には、まだローマに行ったことはなかったことを覚えておかなければならない。当時イルリコはパウロが福音を宣べ伝えた地域の限界であった。このようは広大な地域にパウロは伝道し、教会を建て、贖い主の国を進展させてきたのであった。このことを考えるとパウロが神によって召しを受けたキリストの福音の役者(えきしゃ)であったことが一点の疑いもなく解るのである。

 

        J・G・ヴォス著、

   玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

 

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

◆  2021年をお迎えの「ジャーナル友」は如何お過ごしですか。楽しみにしていました20日のクリスマスの礼拝は2メートル近い大雪のため外に出るのが危険なため礼拝そのものがお休みになりました。そのようなことは50年になる教会生活でも初めの経験で、寂しい気持ちで新年を迎えました。コロナ禍、大雪の日々を主人と過ごしましたが、私たちには「つのぶえジャーナル」という交わりの場がありますので、本当に感謝です。雪は溶け、コロナも落ち着く春が来ることを楽しみに、雪の中で首を長くは寒いので、すぼめて待っています。1月号は5日に届きました。ありがとうございました。 新潟県 LTさん

  年末は寒波に襲われた鹿児島でしたが、日に日に春の陽気になってきました。雪と寒さの中にある皆様のご苦労はテレビで拝見ですが、少しでも、お元気になっていただきたいと思いメールさせていただきました。梅の花は咲き、早咲きの八重山桜は沖縄から届いています。春と共に観光シーズンになりますのでコロナを追いやるかのように笑顔が増えてきた感じがします。 宮崎県 OKさん  

◆  今、5カ月前に絨毯に躓き転倒し、腰と足の骨を骨折し、コルセットと足には装具を付けてリハビリとトレーニングの出来る施設に週二回送迎の車で通って3か月目です。高校生の野球の指導をしてきましたので、運動神経や体力には自信を持っていたので家で転倒など考えられません。家内は、癌で抗がん剤治療で月二回通院生活5年目になります。市の係の人が来て、トイレや浴室、廊下に手すりを付けてもらいました。骨折入院の時、病院でコロナに感染した先生が出て、緊急に個室隔離になりました。私は検査の結果、陰性になりましたが担当医の先生のPCR検査で陽性になり、再隔離二週間の病院生活になりましたが、実際に隔離入院して目の当たりに見た医療現場は過酷そのものでした。医師も看護師のあの過酷医療者の働きには頭がさがります。あの働きはテレビで見るものの何倍もの過酷さがあります。せめて、国は今の給料の倍の支援をもって感謝として支払っても良いとさえ思いました。国民の一人として、メールした次第です。 愛知県 WKさん

    

      ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

 ♬  昨年は雪不足、今年は大雪とコロナ禍で昨年末からのゲレンデ利用は不可能になり中止を決断しました。自然とコロナ禍には無力で街の財政はひっ迫です、と聞いたので重たい雰囲気の臨時の町議会を傍聴してきました。人の願いをあざ笑うかのように、村の中を通る1本の細い道路が何とか生活の支えになっています。昨年末に漬けた漬物が頼りで、冷蔵庫は空っぽです。天気予報を恐々見ているって嫌なものですね。

♬  私がお世話になっている病院が院内感染のクラスターになり、新規外来患者さんの来院制限になりました。私は継続的に診察を受けていましたので予約日通り診察を受けることはできましたが、一時はどうなることかと心細い思いになりました。今は院内感染も収まりそうなので一安心しているところです。一日も早い終息を祈っています。

♬  屋根の雪下ろしの時、危ういところで雪と一緒に滑り落ちました、幸い軽い打撲で済みましたが、初めての経験で、油断があったように思いました。何とか自力で這い上がれましたが、怖い経験をしました。車は雪の中ですし、車道に出るまでは今のところ不可能です。食べ物は備えがありますので、不便はありません。礼拝はまだ無理ですね。

♬  先日、スーパーに売っていたのでと言って、娘から「春の七草粥」のセットが送られてきました。寒くて部屋の中に閉じ籠りがちの日々に、春が届いた気分に、娘の心配りがうれしくて、主人と食べました。春はまだまだ先ですが、ほのぼのとした気持ちがうれしくて、メールしました。

 ♬  病弱な娘が成人式に出席しました。主催の市役所では中止が検討されていると言われていましたが、開催することになり着物の着付けもすませて、主人の車で出かけて行きました。出掛けに自撮り棒で三人の写真を撮りました。娘の成長に神様に心から感謝して送り出しました。

 ♬  朝6時から雪が降り続いています。まだやみそうにありません。家の周りが急な坂道なのでとても外へは出られません。仕事に出かける息子は緊張した面持ちで行きました。家で家事をしながらこの雪の中、急な坂道をどうやって郵便物を配っているのだろうかと心配ばかりしている私です。もっともっと雪深い国の方たちのご労苦をお察しいたします。雪に慣れていない近畿地方の太平洋側の者たちはただおろおろするばかりです。俗にいう湾岸坊主がこのようにどさっとまとまった雪をもたらすのです。今年はこれから何度こうした雪にみまわれるのでしょう。思いもしないことが起きてもいつも冷静でいられるものでありたいです。すぐ慌てふためいてしまう私です。信仰の弱い慌て者です。このようなものをもお許しくださっている神様に感謝して祈っています。

 

 この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子

 

 

   『ありがとうございます』

 

 本格的な寒さの季節になりました。誰もが厚着で寒さに耐えていますが、近くの公園の池にある石の上にはたくさんの亀が陽に当たっています。かつては近くの子供たちの身近な釣り場になっていて、フナもいた池もすっかり泥が堆積していますが、その中にはヤゴやカワニナなどの水生生物が暮らしています。春と共に、枝には新芽の蕾がお出迎え、もう少しの辛抱だよ!と語りかけてくれることでしょう。

12月16日から2021年1月15日までに「つのぶえジャーナル」のためにお送りくださいました方々です。クリスマスの感謝、退院感謝、「つのぶえジャーナル」の発行のためや、フオロアップの活動のために、父の退院に感謝してなど、いろいろの形で、お送りいただきました。本当に感謝です。     

 

菊池すみ子様 井上義明様 宇佐神正武様 和田順一様 和田貴美子様 加納さおり様 村田和子様 稲田喜水様 佐藤のり様 匿名3名様

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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