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「今月のことば」
「こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣人に対して、真実を語りなさい。わしたちは、お互いに肢体なのであるから。」
=エペソ4:25=
台風9号、10号は今まで経験したことのないもの、という言葉におどろきました。そうして今それが去り、そのようなことが無かったかのような平常の生活に戻っています。「日常の平穏な生活」は、感謝なことですが、コロナ禍の影響で、あらゆる生活が見直され始めてもいます。
さて、キリスト者が真実・真理を語るのは、当然のことと考えますが、そうではないのです。キリスト者もまた、あらゆる種類の罪に誘惑され、偽りを言う誘惑は、確かに多くのキリスト者の心に潜んでいると言えます。もし私たちが語る、言葉を「真実という秤にかけるとすれば」、不真実と偽りとが、どんなに多く、また日々の信仰生活や日常生活に囚われているかが分かります。
しかし最も悪いことは、私たちの偽りを言うことが罪であると悟ることが、大変困難であるように見えることであります。私たちは約束しますが、これを守りません。信用という言葉を使いつつ裏切り、裏切られて生きています。「都合の良い断り方」を身に着け、世の中を渡る術を身に着けることを「処世術」と言うようです。「あまり几帳面に考えるより、そんなに気にかける必要はないよ」という言葉と思いに日々毒されてしまっています。世の中ってそういうもの・・・と自分を正当化さえしています。
それは、世の中だけではありません。「今月のことば」は、私たち一人一人に問いかけています。それは、教会も例外では決してありません。
「裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである」という言葉を思い出しました。
悪しき心の 罪に傾けば、偽りの罠、罪にひかるるなり。
悪しき思いの心あれば、サタンはわれらを縛るなり。
地獄のひとことは、その呪いの力を、
いざないもてアダムに投げしごとく、
ひとりの人によりて人類は 罪の下に打ち倒されぬ。
「小閑記」
アロンが聖所にはいる時は、さばきの胸当てにあるイスラエルの子たちの名をその胸に置き、主の前につねにおぼえなければならない。
=出エジプト28:29=
旧約聖書によりますと、イスラエルの大祭司がつけていた胸当てには12の宝石がちりばめてありました。イスラエルの12部族の名が、これらの石一つ一つに刻まれてありました。大祭司が神のみ前に出る時には、必ずこの胸当てをつけて、主が常にその民を覚えてくださるようにするためでした。
旧約時代において、神の民が大祭司の胸の石に刻まれていたように、新約の時代に於いては、神の民はイエス・キリストの胸に置かれてあります。主イエス・キリストは旧約の大祭司のように、手で造られた聖所にはお入りになりませんが、私たち一人一人のために父なる神にまみえるために、天にお入りくださいました。それにより神は、その民があたかも罪を犯したことがなかったかのように見て、その民(イエス・キリストを救い主と信じている者)を覚えてくださるのであります。神は、それを一つの民として(クリスチャン)、ご覧になっています。神はその民を教会の扉の中からご覧になるのではなく、イエス・キリストの胸からご覧になります。信仰者は主にあって一つなのです。
私たちキリストの民は、日々の出来事に一喜一憂したとしても、イエス・キリストのみ顔のご栄光と救いの御業の十字架の恵みを、深く、深く、その愛を深く思い、生活することを通して、神のご栄光を現わすなら、何と素晴らしいことでしょう。福音を信じるとは、救いの恵みを喜ぶことです。
「このように、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが神の右に座しておられるのである。あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心ひかれてはならない」(コロサイ3:1~2)。
このみ言葉を、信仰の思いとしたいものです。
一つの霊に合わされて、われは進む。
われらの旅の終わりみえども、希望と期待を掲げながら、
闇と悩みを通り、死を通り、われはキリストへの道を行く。
世田谷通信(205)
猫草
買い物中、聞覚えのある曲にふと立ち止まった。ジョン・デンバーの「Singing Skies and Dancing Waters」が店内に流れているではないか。代表作の「カントリーロード」は色々なカバーで耳にするけれど、何故、メジャーではないこの選曲なのか。
懐かしくて、帰宅してからスマホで検索した。音源はYouTubeにあり、歌詞も検索出来た。どういうからくりか、大抵の古い音楽は無料で聞ける。オリジナルだけでなく、素人の「歌ってみた」やら「演奏してみた」も含めたら膨大な量である。素人といってもレベルは様々。プロ並みの歌唱力、アレンジ力の人たちもたくさんいて、世の中才能のある人は多いんだなあと感心する。
最新の曲は有料の配信サービスを利用しているが、月額ワンコインで高音質、聞き放題というのもある。音楽だけではなく、ドラマや映画、スポーツ中継、教育、文化あらゆるものが配信されている。電子書籍もそう。紙より安価だし、何百万冊が読み放題というサービスもある。便利だなと思う一方、これでは紙の本が売れないなと思う。図書館に関わる立場としては微妙な気持ちである。
『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~』(著:香月美夜)という大人気の長編ライトノベルがある。無類の本好きの女子大学生が司書になる寸前に不慮の事故で亡くなり、5歳の女の子に転生する。そこは中世ヨーロッパのような異世界で本は貴重品、貴族しか読めない。そこで前世の記憶を頼りに「本がないなら自分で作る!」と奮闘が始まる・・というファンタジーだ。これを読むと改めて文字を記録すること、共有することの貴重さ、難しさに気が付く。
『Dr.STONE』というコミックもそう。一度失われた文明をもう一度よみがえらせるための途方もなく地道な軌跡。ここでもレコードという形で歌が保存されたものが、物語の大きなカギを握っている。
そう、1世紀前までは書籍は貴重品、情報統制もあり、簡単に入手できるものではなかった。つい最近まで音声や動画の保存も難しかった。それが当たり前のように、溢れているのは、奇跡のような瞬間だと思う。そしてその無数のアーカイブから40年以上前に聴いていた曲と再会できたのもまた、巡り合わせ、僥倖とも思う。
「美しい朝に」
「キリストのみ愛に触れたその時に」
キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました
憎しみも恨みも 霧のように消えさりました
キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました
悲しみも不安も 雲のように消えさりました
キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました
喜びと希望の 朝の光がさして来ました
水野源三第三詩集
沙耶香のつぶやき
♡ 報告です。定期検診に行ってきました。自分ではまた夏痩せか・・・と心配していましたが、先生から元気そうですねと言っていただきました。とっても嬉しかったのは、顔が丸くなったようじゃん!と言ってくださったことです。先生の一言で、ようし、食べるぞ!という気持ちになれました。
♡ わたしには食物アレルギーがあります。 乳製品はダメなのです。お肉と干したお魚は大好きです。食事にはお母さんが気を使ってくれますので、安心して食べるようにはしています。ピザとかは、食べたことはありません。果物は大好きですよ。でも、バナナは苦手な方です。
♡ お母さんは夏の疲れか、元気になれないと、悲しそうに言います。何かお手伝いをしなければと思い、洗濯係をすることにしました。最近は少し上手にたたんで片づけることが出来ていますよ。お母さんはこれを毎日していたのですね。お母さん!ありがとう!!
♡ 少し元気になったみたい・・・。うれしいです。お母さんは畑やお花に水をやったりすることが出来ました。ちょっぴり、嬉しい気分になれましたよ。
♡ ときどき、これからどうなるのだろう?普通の女性のようになれるのかなあ~とか・・・。まだまだ先のことなのに、両親が高齢になったら・・・なんて考えては不安になるのです。自分のことを考えると、明るいこれからのことは思い浮かびません。だから、考えないようにはしているのですが、そんなの無理だよ!!
♡ 今まで気づかなかったことがあります。お母さんは白髪染めをしていました。何時も若い、優しいお母さんとばかり思っていたのですが、もうすぐ50歳になります。よく疲れるのよね・・・というので、今年は暑いから私も眠れなくて、なんて言っていましたが、そうでないんですね。心の中で、お母さんごめんなさい!と思っていたら、また涙が出てしまいました。焦ってはダメですよと、お医者さんには言われていますが、迷惑と心配ばかりのわたしがくやしい!!少し白髪が多くなったお母さんでも、大好きです。数日前、茶髪にしたお母さん、素敵で可愛いお母さんになりました、ありがとう・・・。
「ジャーナル友」の皆さんお元気でいらっしゃいますか?台風が近づいたので、山からの風が熱風になって吹いてきて38℃までになってしまいました。9月号のジャーナルを送って頂きましてありがとうございました。「沙耶香さんのつぶやき」を読んで、なんだか気持ちがほっこりしました。沙耶香さんがご自分のお母さんを思って書いていらっしゃることに、思わず私もにっこりしています。 長崎県 S・Nさん
私も親の会に参加して、皆さんのお話を聞いていつも涙が出てきます。自分が情けなくなるのです。皆さんは確りしておられるのに・・・。親の会に参加して、自分の気持ちを最近やっと話せるようになりました。誰にもわかってもらえなかった経験から人を避けていました。最近まで、今の教会の人は子供のことは知りません。同情なんかされたくはありません。子供は同情の対象ではないからです。励ましてもほしくありません。返ってくる言葉は、神様に信頼しなさい。お祈りですよ。信仰者なんだから・・・という言葉に、不信に陥ってしまったからです。今は、沙耶香さんから、何かを貰っています。 愛知県 M・Kさん
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(175)
8月12日
一日に何度も励ましのメールを下さい、心から感謝いたします。やはり娘の近くの病院にしてよかったと考えています。自転車でも15分で行けるというのですから。15日に診療所の先生が予約を入れてくださったのはとてもうれしく思います。若いころから何かあるとなかなか寝付けなかった私です。生まれ持ったものなのです。亡き父の一番下の妹。私からすると叔母は38歳で乳がんになりました。当時はその治療法も進んでいない中、東京まで出てきて治療を受けていたようです。その叔母は元気になり、一昨年90歳で亡くなりました。そんなことも思い出されるのです。
8月14日
こんにちは。入院の準備を整えて家を出発いたしました。市民病院の前で娘と出会うことができました。いろんな手続きを娘がほとんどしてくれました。助かりました。娘が一緒に診察室へ入ってくれました。先日のマンモグラフィーの写真を手渡しました。
すると主治医の先生はこれではわからないわね、と言われ、胸のエコーを撮りましょう、ということで念入りに撮ってくださり、また触診もしっかりしてくださいました。その結果、先生曰く、“これはお水が溜まっている水疱というものです”“がんではありません。”“えー!”
私は山添村の検診結果を聞いてから、ほとんど毎晩眠れず、胃腸の調子も壊してしまっているのです。今日はきっと組織の検査入院があると思って入院の準備もしてきました、とまで言いましたが、はっきり水の溜まっている様子をエコー写真で見せていただくと納得しました。
このようなことがあるのだなと・・・。がんと言われて一週間の長かったこと。娘はまだ信用せずにこれががんになるかもわからないから安静にしているようにと言って別れました。
8月16日
やはり昨夜からは今までとは違う眠りができました。薬には頼っていますが、自分でも眠る力が出てきたように感じられます。私自身本当に信仰的にも、肉体的にもなんともろくて弱いものかということを思い知りました。このような者ではありますが、これからも「ジャーナル友の皆様」のお祈りでと支えてくださいますようにお願いいたします。
灯火親し人魚姫の一途さよ。
うつうつと草木茂り過疎進む。
秋立つや聞かむとすなる神の声。
西行の眺めし秋の夕日かな。
草の露好き通りもす朝日かな。 馬場路哉
8月17日
この暑さ。名古屋はさらに暑さ厳しいことでしょう。私も今週に入って少しずつ平常心を取り戻しつつあります。8月7日からは取り乱してしまいました。それを何度も受け止めてくださり、支えてくださり、申し訳なさでいっぱいです。でも心から感謝しています。昨夜は薬の力も借りましたが眠り方がさわやかでした。私のようなこんな鈍いものでもこれだけ大きなダメージが体のあちこちに影響するのですね。今朝、主人が精神科の先生が処方してくださったお薬を上野まで取りに行ってくれました。
忙しき日々なるツバメ帰りけり。
朝顔の紫浅くまた深く。
白雲の近くへ上る帰燕かな。
荒梅雨や一方ならず長引きぬ。 馬場路哉
9月3日
大型、超大型と二つも相次いで日本列島を襲いかかろうとしています。平和な、平穏な日々をお与えください、と祈る日々です。最近はシューベルトのピアノソナタを毎晩聞きながら休むことにしています。というのもシューベルトは曲を作り上げるときに“永遠の命”があることを確信していたと、添え書きれていました。確かに聞いているうちにどこか秋めいた雰囲気の中、平安な気持ちになり眠りへと誘ってくれるのです。
緑陰に新型特急眺めけり。
朝顔に庭の景色の定まりぬ。
灯火親し情熱的なリルケの詩。
秋暑この四隅は風通る。
マスカットイエスの言葉瑞みずし。 馬場路哉
9月8日
9月に入ったばかりなのに、実った稲穂が見られません。よく見るとどの家の田んぼもすっかり刈り取ってあります。稲の収穫は10月頃でしたのに。この頃はひと月以上も前倒しです。台風の被害にあわないようにするためと、獣たちに食べられないようにするために早めているそうです。でもどの稲穂もまだ青いのです。うっすら黄緑色になる景色を見てきた私には、信じられない光景です。
すべてが大きな機械で手際よくなされていきます。秋を感じることもなくあちこちの田んぼは刈り取られた後の株だけが残っています。山添ではお米作りの後継者がおらず、大阪から業者さんを雇っているとのことです。なんだか不自然ですが致し方ありません。
熟睡のでき有難き秋初め。
朝顔の盛りと揃ふ朝かな。
演奏するかに風鈴売られけり。
広ごれる棚田の脇や破れ芭蕉。
灯火親し一心に読むリルケの詩 馬場路哉
そろそろ秋風が吹き出してもよいのでは、と空を恨めしく眺めています。毎日、朝、起きるときにしこりの状態を触ってみます。大きくなっていないか調べるためです。どうしてこのようなものができたのか、またできるのか、詳しく知りたい気持ちになります。何を考えても仕方がありませんから、無心になって散歩に出かけます。朝の散歩では皆さんと声を掛け合って励ましあっています。ちょうど散歩コースには同じような年齢の方が3人います。
馬場暁美
眸(ひとみ)・・114・・・
✬ 暦の上では立秋ですが、日中は異様な暑さの真夏日で、通勤の時間だけで疲れてしまいます。バスの中は冷房が効き過ぎで、仕事場までの間の暑さは格別です。今まであまり気にも留めなかったことなのですが、数十本のヒマワリが咲いていました。帰りに近くの総菜屋さんにお聞きしたら、お若いご夫婦が、空き地を借りてお子さんとお野菜やお花を植え始めてから、とのことでした。秋のお花の曼殊沙華も咲くころには秋風になるのでしょう。空き地に植えてくださった方の優しさに感謝の気持ちがいっぱいです。 群馬県 B・Hさん
✬ 大学の仲間だった妻と畜産を始めて20年になりました。山を拓いて牛を放し飼いにする方法ですが、何度も経営の危機や衝突を繰り返しながらやってきました。今は一緒に働く卒業仲間も家族が増え小さな集落になりました。大学の先生の助言と地域の方々の理解を頂きながら、自分たちの、地域のブランド商品を生産するところまでになりました。大学の後輩や生徒が夏休みには実習を兼ねて参加するようになりました。天候と価格の変動に左右されるという不安定さはありますが、大きな夢があります。それは酪農で村おこし!です。健康で、美味しい製品をお届けすることです。中年の少し上の星?になれたらいいですがね。 栃木県 T・Aさん
✬ 収穫の季節になりました。今のところ台風10号の被害もなく美味しい梨が出来ました。例年、農業実習生の助けを借りで収穫していましたが、コロナの影響で来日できず、農協に相談しましたら、これもコロナで働きの場を探している人が登録していて、その方々にお願いして収穫作業は順調に進んでします。暑い中、本当に助かっています。これで出荷出来るようになりました。 三重県 B・Aさん
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=盗み=
第八戒④・気前よく
箴言6:6~11
大教理問答の問99の4で、「反対の義務が命じられている」と教えられているように、「盗んではならない」という戒めは、「気前よく与える」という義務でもあります。
盗むなは、多くは貧しいからですし、貧しくなるのは多くは自分に原因があります。箴言6章のこの個所は、通常、貧乏になるのは怠惰のためであることを教えています。福祉の制度が備わっている先進国では、特にそのように言うことができます。
この働くことですが、創世記の3章17~19節が示していますように、罪が人間に入ってからは、働くことが苦痛を伴うようになりました。しかし、堕落以前の人間は、働くことが使命であり(創世記2:15)、喜びでした(申命記16:15)から、働くことに充実感や喜びが全く失われたわけではありません。信仰のない人でも、働くことの満足感は保っています。
働くことの祝福について、次の点はキリスト者にとって重要です。天地創造の業を終えられた後の第7日目に、「神は御自分の仕事を完成された」(創世記2:2)として休まれました。わたしたちキリスト者も、6日間の働きの後休み、7日目に安息して礼拝を捧げます。この主の日に礼拝を捧げることで、神から6日間の働きを認めていただくことになります。信仰者の6日間の仕事の完成として、礼拝は欠かせません。
このように神が人に労働の機会を与えてくださることは、働く場所を積極的に求めなければならないことを意味します。旧約聖書のルツ記に記されていますように、ルツが落穂拾いをしたこと(ルツ2:4)、またボアズがルツの働きのためにいろいろと配慮したことは相応しいことでした。
そして、ルツはただ自分のためにだけ働いたのではなく、姑のナオミのためにもなされます。こうしたことは、旧約聖書において、神がイスラエルの民にレビ族の存在によって、彼らのために働いておられることを教えられました。
他の部族は十分の一を神に献げました。新約聖書の時代に、この十分の一が信仰者の献げ物の基準という明白な言葉は聖書にはありません。主イエスも十分の一ということに言及しておられますが(マタイ23:23)、当時は税と献金の区別はありませんでした。
教会が自分たちのためばかりでなく、他の教会のために、また教会の外の人々にも心を配る必要をパウロは教えています。
「ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう」(ガラテヤ6:10)。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
16 日本宣教50年・・2・・
1 日本以外に起こった近代の最大事件は米国の内乱の結果と思います。この内乱の起こった時、私は丁度日本に向かって出帆したのであります。私はよく記憶していますが、所謂キリスト教国と言うものに奴隷が存在していると言うことは、知力の進んだ非キリスト教国民に福音を宣伝するに際し、非常な障害物であると思いました。しかしながら幸いにも大統領のリンカーンの解放令と戦争の結果とは、アメリカ人の血統をひいた百万の人民に自由を与えたので、私はこの苦痛から救われたのであります。
これと同時に「全地の審判者」にしてまた凡て圧迫された者の擁護者である神の、曲げられぬ正義と公平は、南軍、北軍共に免れることの出来なかった激しい戦闘と生命、財産の損失の中に現れたのです。
2 米国の奴隷解放について、凡ての西欧国民の中に驚くべき変化が起こりました。数カ月前の帆船の航海、数カ月過ぎなければ届かぬような郵便の代わりに、電信、海底電信、無線電信による通信、海陸旅行の方法やその迅速なこと、その心地よいこと、凡て皆全く変わってきました。その変化は他の東洋諸国にも行われたように、幸いにもまた現在日本にも行われています。凡て是等のことは明らかにダニエルの予言が全うされたのであると言うべきであります(12:4)。
百年前、アイザック・ニュートンの発見は「多くのものは、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」と言うこととなったのであります。「宣べ伝えんとて限りなき福音を持てる空飛ぶ天使」(黙14:6)を描いている黙示録の幻の中に、私達は、地上の凡ての国民に向かって「神の国の福音」は迅速に伝えられ、確かにこの世界は非常な速度で基督教化される予言を見出すのであります。
「キリスト教百話」
問29 「自殺」のことはどう考えたらよいでしょうか。残された者にとっては何とも釈然としないものが感じられてなりませんが。
答・・3・・
「殺してはならない」という戒めを与えられている神の真意は「生きよ」ということにあります。そして、神は人間が生きるために必要なものを備えて下さいました。それは神がその独り子であるイエス・キリストを人間の間に遣わされることによって、人間を永遠の存在者であられる神様に繋がる者としてくださっているところに示されているのであります。
「殺すな」との神の戒めは自殺について言うなら「わたしはあなたが生きることを願っている。どんなことがあってもあなたを生かす。だからわたしを信じて、自分で自分の死を決めることはないのだよ」という勧めになります。ここに神の愛が示されているのでありまして、この神の愛が、死ぬべき者を永遠の命に生きる者とし、死んだ者に新しい命を与えられるのであります。
ペトロの手紙には「霊においてキリストは、囚われていた霊たちのところへ行って宣教されました」(Ⅰペトロ3:19)とあります。「捕らわれていた霊」というものが、自分の思いだけに囚われている人のこととすれば、見えない力に支配されて自分だけの世界に閉じ込められていた自殺者も、神の語り掛けを受けて新しく、神と共に生きる世界へと導かれるに違いありません。
神には、人間の絶望を超克する力があって、それが絶望をも希望に変えることを信じてよろしいのではないでしょうか。キリストによって示される神は「神は愛なり」と言える神であられるからです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
第96課 パウロの宣教活動とその計画
=15:14~33=
異邦人宣教師としてのパウロの働き・・1・・
・・・15:14~21・・・2・・・
「しかし、わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思い切って書いた。それは、神からわたしに賜った恵みによって、書いたからである」(15:15)。
パウロがローマ書の真理をローマにいる人々に書いたのは、彼らがこれらの真理に全く無知であったからではなく、その目的は既に知っていたそれらの真理を彼らに思いださせるためであった。これらの真理を強調し、解き明かし、適用させることが彼の目的であった。ローマの教会の人々がたといどんなによくキリスト教信仰の真理を理解していようとも、彼らの知識は、聖霊によって霊感され、神より直接に真理を受けているパウロの知識には遠く及ばないのである。
だからパウロがこれらの真理を書き送ったのは、彼の僭越の故でもなく、またローマの教会の人々の無知の故でもない。凡てのキリスト信者は、キリストの体である教会において、働くべき位置を持っているからである。
パウロの位置と働きは真理を語ることであった。ローマの教会の人たちがどんなに真理に通じていたとしても、なお彼らはパウロが書き送ったことから多くを学ばねばならないのである。すべてのキリスト者もこのように学ばねばならない。世界の動静が激動すればするほど、キリスト教は、世の動きと遊離しているように思われよう。しかし、それは早計な判断である。
神が聖書を通じて現代世界に向かって何を教えようとしておられるかを絶えず追及してゆかねばならない。この意味において、説教者は世界の動静を常に的確に把握して、聖書の真理を現代世界に向かって適切に宣教することが求められている。
聖書が神のみ言葉であり、信仰と生活の唯一の誤りない基準であるならば、現代に向かって語るべき真理を所有していることは当然であるのだ。
J・G・ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
『ほっとひととき「みんなのコーナー」』
◆ 高齢者が一人で生活されている方のお部屋の中で、熱中症になる方の多くは、エアコンを使わない方が多いとニュースで見まして驚きました。理由は、今までの生活にエアコン無しで過ごしてきたことと、お金がもったいないと言うのが理由だそうです。そのために救急車の人、病院の方々のお世話になるのは、何とも理解できません。皆さんに迷惑をかけないために、いろいろ考えることは必要ですが、独りよがりはいけないのではないかと主人と話しています。 神奈川県 L・Tさん
◆ 楽しみにしていたジャーナル9月号が届きました。拝読致しました。讃美歌286番はよく礼拝で歌いました。懐かしく思いました。「眸」や「ほっとひととき・・・」は、わたしには1通1通(こころ旅のように)拝読致しました。胸に突き刺さるお話もありました。それぞれの方の、それぞれの夏を思い浮かべました。沙耶香さんのお母さんへの思いは、最近になって(60うん歳)、ようやく分かるようになりました。母は体が弱く、その中でも祖母の面倒をみ、わたしたちを育てようと頑張ってくれました。寝込んでしまうことも度々で、父が代わってわたしたちを育ててくれました。だから、今までは母の思い出がなかったのですが、父からその話を聞いて、わたしは母の助けになりたいと思ったときには、母は入所施設でお世話になり、今はコロナ禍で顔を見ることさえ出来ません。母さんは偉い人なんだよ!って一言言いたいのです。ありがとう!って言いたいのです。そのような思いを「つのぶえジャーナル」から、教えられています。今もついつい自己中心に陥る弱い信仰ですが、「ジャーナル」のためにお祈りいたします。 福井県 O・Kさん
◆ 全国におられる「ジャーナル友さん」へ。今年の沖縄の新聞やテレビのニュースは、連日、新型コロナウイルスのことばかりで沖縄県がコロナ県の様に全国に伝わり、県民の一人としては複雑な思いになります。そうして、これから来るであろう台風のことばかりです。新聞は遅れても、テレビは遅れることはありませんが、沖縄の自然や人の生活を伝えなければと思いますが、さて何を・・・と考えてしまいます。ほとんど外側から見たことのない生活で、それが当たり前になると、感謝の思いが鈍感になるのでしょうか。ですが、青い海、ブーゲンビレアと沖縄の三大名花の一つの色鮮やかなオオゴチョウは庭や公園に群れ咲く様子は蝶が舞う華やかさがあります。そうですね。色はハイビスカスかブーゲンビレアの色を想像してみてください。青い海と花の多い色鮮やかな私のふるさと沖縄でパイナップルを作りながら家族6人で頑張っています。教会までは遠いのが悩みです。 沖縄県 W・Kさん
◆ この暑さは台風の影響のようです。フェーン現象とかで山に囲まれた盆地は気温が異常に上がっていて、息苦しい数日です。セミたちの鳴き声も心なしか、か細く感じられます。過疎の村でサルとイノシシと鹿の格好の住み家となっていて、私たちはひっそりと住まわせてもらってしまいました。狭い畑も彼らの餌場みたいです。「共生」なんて言う人は町に住んでいる人の生活感覚でしょう。キジや野兎の姿はここ10年近く見ていません。
この暑さは高齢者にとっては厳しいものがありますね。もうすぐ10月だというのですから、少しは涼しさがやってきてほしいです。昨夜、ジャーナル9月号をまた読み返しました。「今月のことば」に励まされました。「ジャーナル友の皆さん」、お疲れが出ませんようにお祈りしています。 島根県 S・Jさん
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
♪ 9月号の「その愛のゆえに」の馬場さんが乳癌検査を受けられると書かれていましたが、ご自分のことを、そのように告白される勇気に驚きました。私も乳癌で20年前に手術を受けました。その時の不安な心は思い出したくないほど苦しいものでした。今は幸いにも、転移や再発もなく、定期的検査を受けて、その都度、他の薬を飲んだりして過ごしてきました。こればかりは経験した者でなければ分からないものです。祈りしています。
♪ この暑さも9月に入り暑さの峠が見えてきました。稲刈りも終わり、曼殊沙華が畦道のあちこちに見え始めました。柿の実も色づいてきました。これからは急に秋になります。ここ山口の山間には紅葉のニュースが話題になります。私はブドウの木、あなた方はその枝であるとのみ言葉のように裏山には山ブドウが枝にしっかり寄り添いながら成長しています。私たちの信仰も教会を支え、支えられ、またお互いを支えあっていくことの大切さを痛感しているこの頃です。小さな秋の使者
はトンボです。オニヤンマ、アキアカネが気持ちよさそうに青い空を飛び交い始めました。
この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子
『ありがとうございます』
*私の住む徳島でも、暑い9月も終わり、10月を迎えようとしています。近くの河原にはどことなく秋らしさが感じられるようになりました。野生のススキが穂を出さずにぐんぐん勢いよく伸びています。そのすぐ裏側には小さな秋海棠(シュウカイドウ)が薄い小さなピンクの花を咲かせ始めました。この花が最近、とてもお気に入りの一つです。とても控えめで、可憐なのです。湿地帯に生息しているそうです。どこにでも見られる花ではないようです。
*故郷を離れて30年近くなりました。時々、ふる里が恋しくなると山形の新聞を見ていましたが、地方のニュースでは「東京」の感染者と接触してクラスター発生というのが目につきます、東京からは当分出られそうもないですね。東京から来たというだけでウィルスを持ってきたと思われるのも嫌なものです。電話やメールもあるので、不便には思わないですが、80%以上の地方出身者の東京人。お正月も帰ることに二の足を踏む人もいるでしょう。これも差別と風評被害なのでしょうか。
2020年8月16日から9月15日までの寄付金・協力金を送ってくださった方々です。ご支援を感謝申し上げます。
石田三郎様 渡辺里美様 酒井裕里子様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名1名
*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。
*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。
http://tunobue.blog.shinobi.jp
(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」