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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 「今月のことば」

 

 主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である。

  主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、

   これをめぐり囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。

             =申命記32:9~10=

 

真夏の太陽の恵みを受けて多くの命の糧が育ち、実を結ぼうとしています。同時に世界の各地では新型コロナウイルス禍の影響下にあって、先の見えない不安と焦り、諦めの刹那的な快楽に逃れようとしています。しかし、それは虚しいことです。

 

「今月のことば」は、主を信じ、神のみ手の業に信頼し、神の愛に生きるようにと私たちに、確かさを約束してくださっていることをお示しくださっているみ言葉です。

主なる神様は愛する民(信仰者)のために、特別な愛を持っておられます。聖書の神は、私たちを、その御血で贖われ、希望なくさまよい、神を知らずに歩んでいた欲望の荒れ野で私たちを見いだし、死から救われた幼子を母が抱くよりも優しく、恵みのみ国へと抱き、帰ってくださいました。「まぶたが目をおおって危険を防ぐように」、神はその愛する者をその心でお守りくださいます。

 

神を信じる人々は神の子供らです。神の誉れ、神の讃美です。キリストの日に、主はそのすべての聖徒たちによって栄光のご自身を現わし、すべての信じる人々によって、不思議なご自身をお現わしになります。その日は、神様によるその民にとっても大いなる日であります。神以外で最も偉大とされるものは、救われた人間であります。その他のあらゆるものは神によって造られたものでありますが、キリスト者は神より生まれた者であります。子供が両親の一部であるように、新しく生まれた人は神の一部なのであります。

 

主の民は主の嗣業であります。鷲がその雛を覆うように、主は羽根を広げて、私たちをその翼に乗せて、また覆って守り、御国へと運ばれるお方です。

この神を知り、信じ、お委ねする日々こそ、困難に生きる私たちの希望であり、光なのではないでしょうか!

 

<讃美歌 286>

 

 1 かみはわがちから、わがたかきやぐら、

    くるしめるときの ちかきたすけなり。

 3 かみのみやこには しずかにながるる

    きよき河ありて み民をうるおす。

 5 かみのみもとべは つねにやすらけく、 

    くるしみなやみも 消えてあとぞなき。 アーメン 

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  「小閑記」

  

 イエスはさらにいわれた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。

          =マルコ10:24=

 

 人間にとってキリスト教(信仰)と財産とを一つ(同時に持つ)にすることは、如何に難しいことでしょう。神様の基準とこの世(信仰なき罪の世界)の基準には、共通点は全くありません。

 物質(富・財産)には、魔力があり罪と同じほどの力を私たちに対して持っています。滅びか、永遠の命かを選び取る時、誰も滅びを選ぶ人はいないでしょう。信仰と財産(欲望)を・・・と問われる時、理性や常識では、信仰を選びます。しかし、現実の私たちの姿(生活)は、如何でしょうか。不安に感じている人、貧しさに苦しんでいる時、富や財産があるなら、と考えるのが私たちです。

心から永遠の命を熱望している多くの人々が、決してそれを得られないのは、地上の富(欲望)が人の心を、神の国に対して閉ざさせるほどに魅力あるものだからです。罪の奴隷に魅力・魔力のあるのは、私たちの心に、二つを同時に得たいと言う、心の貪欲に支配されているからなのでしょう。

 煌びやかなネオン輝く世界は、静まって神の恵みを待つ信仰の世界とは、全く異質です。両方を得ること、それは破滅の道です。

 

 しかし、富み栄えた者が称賛され、勝利者とする社会にあって、信仰に生きる姿は、弱者・敗者とする基準でみるとき、神に生きることは容易ではありません。サタンは支配する奴隷の主人の姿をしながら、その姿は黄金に輝く光に覆われていて、惑わされ尊敬され、称賛される世界こそ、滅びの世界であるとイエス様は警告しているのです。 

 人はほどほどの富で十分であるから神様に生きているなどと思うなら、大きな間違いです。それは、柔和で、心へりくだった姿ではありません。

 

 次のように祈ったのは賢い人でした。

 「貧しくもなくまた富みもせず、ただなくならぬ食物で、わたしを養ってください」と。

 

 この告白は、この世で、私たちにとって相応しいあるべき姿ではないでしょうか。すべての主にある者が、地上の持ち物、財産に囚われぬ自由な心を持ち、永遠の富を与えてくださる主に結ばれることを、生涯の道しるべにしたいものです。

 

世田谷通信(204

猫草

 

最近の極端な気候を前に、川と地面が気になって仕方がない。雨雲レーダーを何度確認しても急な雷雨や低い雨雲には対処できない。最近、地質と地盤工学、都市防災の本を立て続けに読んだせいもあるだろう。近所のコンクリート擁壁に斜めに入った亀裂をみつけては、これは断層でずれたのだろうか、次に豪雨が来たら大丈夫だろうか・・?など余計な心配をしてしまう。

でも土木工事ができるわけではない。当面は自分にできること、自分の身は自分で守る、自助しかできない。ちなみに先の擁壁の工事は公助。もう一つ共助という考え方は避難所運営や地域の防災対策などがこれにあたる。

自助と書いたが、熱中症になれば自分もつらく、周囲にも迷惑をかける。救急車のお世話になるような事態は避けたいので、外にでるときは近所の買い物でも、小さな水筒を持ち歩いている。容量130mlなのでとても軽い。昔は真っ黒に日焼けして、喉がカラカラでも平気だったが、今はそんな訳にいかない。コップ1杯分でも水分を持っていないと不安になるのだ。

里山作業はより一層の準備が必要。今年は口元を覆う幅広の帽子が大活躍した。布製で襟足から首、口元まで全部カバーできる。果樹園作業の女性がかぶっているタイプだ。明るい水色にレモンの柄にしたので、うす暗い里山でもよく目立つ。それを褒められた。誰がどこにいるかすぐ分かるのは広い里山での安全確保のうえで大事なことなのだ。女性陣に好評で果樹園スタイル勢力拡大中である。

やぶ蚊対策で腰から携帯蚊取り線香も下げている。大きいのは作業の邪魔なので、子ども用の手のひらサイズでカワウソ柄。煙が切れるとすぐに蚊が来るので効果はあるようだ。

果樹園帽子、首に手ぬぐい、アームカバー、ガーデニンググローブ。腰のウェストポーチから蚊取り線香を下げ、膝までのフットカバーにトレッキングシューズ。自分なりの里山装備完成!と思ったら隣のベテランボランティアさんは腰から鉈を下げ、上半身をすっぽり覆うメッシュジャンバーに足元は地下足袋だった。ヘルメットに作業服、安全靴の人も居る。恐れ入りました、そこまで本格的にはできない。自分の安全は自分で守るのは基本、作業も自分にできることをする。鉈はうまく扱えないけれど、まだまだ工夫の余地はありそうだ。

 

「美しい朝に」

  

   「十字架にかかられた主よ」

 

  私の罪を贖うために 十字架にかかられた主よ

   私の感謝の涙を お受けください

  私に愛を与えるために 十字架にかかられた主よ

   私の愛の口づけを お受けください

  私をみ国へ入れるために 十字架にかかられた主よ

   私のナルドの香油をば お受けください

             水野源三第四詩集

 

 沙耶香のつぶやき

 

♡  毎日暑くて、冷房の部屋から出られません。夕方、涼しくなったらお母さんと浴衣を着て近くの公園まで散歩に行きたいです。小学1、2年の頃かな、夏休みで兵庫の田舎のおばあちゃんの家で、線香花火をしたり、遠くから聞こてえてくる太鼓の音、口の周りや歯の間にトウモロコシの食べかすを沢山つけて食べた思い出があります。楽しかったなあ・・・。 

♡  最近、日記を書くのが楽しくて、出来事よりもおとぎ話みたいな物語を書いているように思います。素直に自分の気持ちを書くことが出ているのが自分でも不思議です。とても気持ちが楽になります。

♡  お母さんが夏の疲れが出ているのか、食欲がありません。余り丈夫ではないタイプなので、心配です。少しでもお手伝い?をしようと思ってきます。お母さんの横で、料理や片付けくらいですが・・・。本当は、近くのスーパーに行って買い物の負担を軽くしてあげたいのですが、ダメで、そんな時、泣けてしまいます。神様に元気を下さい、とお祈りしているのですが・・・。    

♡  大雨で避難されている人のことを考えると不安になります。人の目が怖くて外には出れないのに、あの大勢の人の中でいることを想像するだけで、身体が固くなってしまうのです。そんな自分が悲しく、惨めになります。お母さんは分かってくれていますので、嬉しいです。お母さんの手助けがしたいです。 

♡  プランターの朝顔が咲き始め、咲いたよとお母さんがうれしそうに教えてくれました。お母さんの笑顔は大好きで、嬉しくなり、お母さんに抱きつきました。少しよろよろしましたが、抱きとめてくれました。お母さんの香が大好きです。 

 

  沙耶香さんのお身持ち私には、よくわかります。私も経験したからです。私の支えは、私を信じてくれ母の存在でした。何時も優しく、何も言わないで、ただ傍にいてくれただけの母でした。その母も今は私の世話での日々です。私はそのために、悩み、苦しんだのだと思っています。母と穏やかに今は過ごしています。沙耶香さん、生きるって素晴らしいことよ! 栃木県 S・Nさん

  沙耶香さん、お元気ですか。この不安定な梅雨の毎日で、どのように過ごしているか気になっています。私は神経科の病院にお世話になってもう28年目になります。音楽大学を卒業して、4年ほど学校で教えていたのですが、小学校時代からの親友が病気で亡くなったのがきっかけで、生きて行くのが辛くなり、学校も辞め、好きなピアノも弾けなくなってしまいました。今は両親と弟と4人ですが、自分のこれからのことばかり考えてしまいます。障碍者手帳を貰ってもう17年になりました。暑いこの時期が一番嫌いな時です。沙耶香さんの「沙耶香のつぶやき」に出会ってから、読んでいます。素直な自分の気持ちが伝わって行きます。 愛知県 M・K

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記=

   (173)

 

714

 今朝から猛烈な雨が降り続きました。今、ようやく小雨になっています。予報では今週末まで雨だそうです。被害に遭われた方たちはどんな思いで後片付けに追われているのでしょうか。皆さん精いっぱいの力を振り絞っておられるのですね。

高気圧が日本列島に近づいて、この停滞前線を押し上げてほしいと願っているものです。温暖化の恐ろしさを毎年目の当たりにし、自然災害で人間は押しつぶされてしまいそうです。最近は、口の中は口内炎だらけの私です。この大雨がかなりのストレスになっています。

アジサイや坂道多き鄙に住む。

緑濃き川のうねりや合歓の花。

貸し農園帰りの道なるスイカズラ。

夕立ちや尾根の飛沫の白さ増す。   馬場路哉

 

7月29日

 梅雨明けを知らせるかのように雷が今鳴り響いています。久し振りの曇り空で雨が降らずに済みました。洗濯物を外へ出して雨が降ったらすぐに取り入れる準備をしていましたが、降らずにほっとしています。何日振りでしょうか。乾燥機を使わなくて済んだのは。これからは暑さとの戦いになりますが・・・。何とか乗り切って過ごしたいものです。

祖父の額和して不同夏座敷。(なくなる一日前に筆で書かれたものです)

梅雨の草ひけば美しシマミミズ。

草刈りし跡に小鳥の餌を探す。

一段と打つと茂りぬ過疎の村。

青田より白鷺発ちぬおもむろに。   馬場路哉

 

主人のおじいさんは書家であったようです。書がたくさん掲げられてあります。私にはどれも読むことができません。主に李白などの漢詩が書かれてあります。昔の方は筆で文を書くのが日常だったのでしょうね。信じられませんね。

 

88

 お祈りください。今回のこと、いろいろ考えましたが、「つのぶえジャーナル」に乗せてくださって結構です。山添村の総合検診の結果で、左の乳房に乳癌の疑いがあるしこりができているというのです。さっそく自分で触ってみたらわかるほどの大きさです2掛ける1、7の大きさです。奈良市立病院へ電話で相談しましたら、この14日に緊急の精密検査を受けることになりました。たとえ癌であっても生きられるだけ生きたいと祈っています。

 

810

 携帯を持つことにしました。入院の時など病室で本を読んだりしながらと考えていましたが、携帯で送受信したり、CDを聞いたりと時間を費やすことができるかもしれません。でも、こうして親身になってくださる長村さんの一言、一言が私の日々をどんなにか支えてくれているかと思うと、主人も携帯購入に理解してくれました。主にある方々の励ましの言葉は、購入時のお金の問題ではありませんね。支えてくださる方、長村さんに感謝です。

私には出産のときの大変さ。それ以来の入院となります。「ジャーナル友さん」にお祈り頂きたいのです。お願いします。それで、わたしも「ジャーナル友さん」の仲間入りさせてください。でも、今はとても不安ですし、多くの方のお祈りが必要なのです。支え、助けてください。今はそう思っていても、入院、手術、治療になったら、メール報告なんかできないと思います。どうぞ、お祈りください。

 

=追記=

814

病院でのエコー検査結果は、嚢胞でした。組織検査は不要だそうです。お祈りありがとうございます。先ずは、急ぎ結果お伝えいたしますとのご家族からの連絡です。(編集子)

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

   眸(ひとみ)・・114・・・

 

✬  私は小さい時に父が心臓病で亡くしあので、上の兄と二人は、田舎のおばあちゃんに育てられました。母はいろいろの仕事をしながら、私たちのために働いてくれました。その母も今は70歳を迎えました。兄も私も家庭を持ち、おばあちゃんや母の近くに住んでいます。もうおばあちゃんは99歳で、おじいちゃんは102歳でですが今も畑仕事をしています。最近、兄と祖父母や母のこれからのことを話し合って、兄夫婦は祖父母の農家の仕事を継ぐために、定年前に辞めて引っ越しました。子供の頃のままの古い家ですが、私たち家族も兄たちの仕事を手伝いに母を車に乗せて出掛けて行くのが楽しみです。「つのぶえジャーナルさん」のお一人、お一人のお便りは、本当に楽しみにしています。ありがとうございます。皆さん、お元気にお過ごしください。 山口県 B・Hさん

✬  まだ梅雨明けのニュースもないのに、虫たちの世界では真夏を迎え、秋のトンボが一匹、笹の先っぽに停まっています。木々や生き物たちにとっては秋の準備が進んでいるようです。秋に鳴くセミの鳴き声を響かせていますから、季節は確実に動いているのですね。GOTOトラベルとかとか、新型コロナウイルスの感染者の増加で、第二波ではないかというニュースに生活にゆとりを失い、自然の営みを忘れてしまいます。これからは台風に備えなければなりませんので、その対応に気が抜けません無事に秋の恵みに与りたいと願っています。洪水や山崩れの被害に遭われた方々のことを、お祈りしています。 和歌山県 T・Aさん

  今年の伊豆は梅雨の大雨が続き各地でいろいろの小さな被害が出ました。傾斜した山肌には沢山のお茶を栽培する方がおられるお茶所で心配でしたが、幸いにも無事でした。また石川さゆりさんの「天城越え」、小説の「伊豆の踊子」の地域はワサビを栽培しているところは険しい沢ですが、被害はなかったとニュースに報道されていました。ワサビの生産量は全国有数の生産地です。教会の方々にも被害はありませんでした。 静岡県 BAさん

✬  あの騒々しいほどのセミの声がやつと聞くことが出来ました。ひまわりも咲いています。梅雨明けと同時に真夏です。不思議にも、わたしの耳に聞こえるセミの声は、負けるな、負けるな!!コロナにも暑さにも!!・・・と聞こえて励まされているのです。家の朝顔も咲き始めました。マスクでの礼拝は息苦しいですね。 千葉県 GKさん

✬  お盆休みの子供や孫たちも今年は帰ってきませんでした。九州の各地には洪水や山崩れ、コロナの3密や自粛とかで・・・、仕方がないですね。野菜などは高値とかで、子供たちに段ボール箱に庭の野菜やトウモロコシを詰めて、軽トラに乗せて6箱(3人分)をお中元?として送ってやりました。カボチャやスイカや止めました。年寄りの楽しみです。 佐賀県 SKさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 

「十戒と主の祈り」

     鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

=盗み=

  

 第八戒③・良き管理人

      ルカ福音書19:11~27

 

 第八戒として、人を盗むことを第一に考えられ、次に不正な秤を用いることが盗みであることを知りました。今回は、自分に与えられているものをよく管理しないこと、用いないことも盗みであるということを学びます。

 聖書から明らかなように、神はイスラエルの人々がそれぞれ財産を所有することを前提としておられます。アハブ王がナボトに葡萄畑を手に入れようと代金を払うか、あるいは自分の畑と交換してくれるように頼みましたが、ナボトに断られた(列王上21章)ほどです。使徒言行録4章には、初代教会に信者たちが自分の財産を売って、教会のために献げましたが、強制されてそうしたのではありません。アナニヤとサッピラの事件(使徒5)からも、同じことが言えます。私有財産ということが前提とされ

ています。

 

 主イエスの譬え話の中のタラントンの譬え話(マタイ25)とムナの譬え話(ルカ19)とはよく似ていますが、違う点があります。前者は貸し与えられていた金額が人によって違いましたが、後者では、主人から貸し与えられた金額は10人がみな同じように1ムナでした。主人が旅から帰ってくると、彼らの仕事の成果を問いました。そして、10ムナ儲けた人にも、5ムナ儲けた人にも同じように、主人は「良くやった」と言いました。しかし、1ムナを全くた使わなかった僕には、「悪い僕」と言われ、その1ムナは取り上げられ、10ムナを儲けた人に与えられてしまいました。

 このことからも明らかなように、自分に与えられているものの多少に関係なく、浪費すればもちろんのこと、与えられたものを用いなかったということで、神のものを盗んだことになります。つまり神は私たち信仰者が消極的な生き方をすることを良しとされないということです。

 愛知県は貯蓄率が日本一と聞いたことがあります。それは良いことです。先回学びましたように、貯蓄それ自体は目的ではなく、何かのための手段です。貯蓄が目的になると貪欲に陥ります。しかし、キリスト者はもっと大事な基本を聖書から教えられています。

 それは、神だけが天地を所有しておられるように、神だけが私たちの持っている全てのものの所有者であるということです。神との関係で見る時、私たちは良き管理人という立場であり、所有者ではないのです。持っているものは預けられているものだからです。ただ、私たちが所有者であると言えるのは、人間同士の関係の中に於いてです。「わたしのもの」、「あなたのもの」という意味では合法的な所有者です。その上で、パウロは気前の良さを勧めます。「キリストが富んでおられたのに、私たちのために貧しくなられた」(Ⅱコリント8:9)ことを模範にすべきだからです。神に信頼された管理人であることを忘れないようにしましょう。

 

バラ・マカルピン 日本伝道百年史   

     水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

16 日本宣教50年・・1・・

 

この年、日本宣教50年に当たるので、日本のプロテスタント教会外人宣教師の共同で、神田美土代町の青年会館を会場に、10月5日より10日まで記念集会が催された。

5日午前、感謝会にバラ先生は、回顧談をされた。先生は民数記略23章24節と使徒行伝28章15節を引用して、「第一の聖句は神が、神御自身のために驚くべき事業をなし給うことを、私達に注意させ、第二の聖句は、神がその僕達の精神の上に同様に驚くべき事業の効果を与え給うことを私達に注意させなさると言うことを知ればそれで充分であります。(中略)この国の統治者の二、三がエホバに逆らってなした長い間の頑固な抵抗を考えて、今ここに善良な政治や宗教の確実な自由の行われている時代を思いますと、その政治や知識や宗教の準備時代は大変長かったのですが、それは決して無益ではなかったのであります。確かに私達は此の予言を現代にあてはめて、最も敬虔な心を以って『神のなし給う所は何と偉大なことであるか』という言うことが出来ます。日本の最初の公使タウンゼント・ハリス卿が、晩年、牧師SR・ブラウン博士に書簡を送り日本の封建制度より、立憲制度に至る過渡時代を評論して『神の為し給う所は何と偉大なるぞ』と呼ばれました」。と。

キリスト者の政治家であるハリス卿が、自ら目撃した日本の政治的革命に感動されたとすれば、まして幾十万の日本人の中に、また国民の心にあまねく起こっている知識的革命を目撃した私共は「これ実に真正の復活であり、死より甦った生命である」と思わざるを得ないのであります。

すべての国民や社会や各個人を準備するために、神の不思議なる力が働き給うことは、日本社会ほど顕著であるのは他にないのであります。国民の過渡時代に於て、神の用いて善きことをなさしめ給う一団、または一個人を起こし給ことは、日本のほかに見ないのであります。日本の多くの変遷を見、またよくこれを知っています私も、また熱心な感謝の思いを以って「只独り大いなる奇跡をなし給う者」(詩編34:4)に向かって同様に「神の為し給う所は何と偉大なることよ」と言わせてもらいたいのであります。

 

「キリスト教百話」

  

問29 「自殺」のことはどう考えたらよいでしょうか。残された者にとっては何とも釈然としないものが感じられてなりませんが。

答・・2・・

 ただし、生きている者として、自分自身が自殺へと向かう場合は、「帰るに家なく疲れはてて、望み無き身は死をぞ願う」という歌があるように(讃美歌244・3)自分の拠り所を失って疲れ果てて、生きているよりは死んだ方がましだと思うような事態に直面した時ではないかと思います。事実、生きていることの苦悩(その苦悩の内容や程度は別として)に耐え難い時には、それからの解放を願って死を選ぼうという思いに駆られるのであろうと思います。

 しかし、それを実行に移すのは、今一つの何かの力が働くのではないかと思います。

 

 その力というのは、人間には自殺したいと言い、思うようなことがあるにしても、それを阻んで実行に移せなくしているものがあるのですが、自殺を決行しようとする時には、もう戻らないというか、むしろもう戻れなくなってしまう力のことです。本人としては自殺することを自分で決心して決めたように思っているかもしれませんが、わたしにはそういう決心をさせてしまう何かの力が働いてのことではないかと思えてなりません。

 日本の伝統的な言い方で言うと「死に神に取り憑かれた」とか「死に魅入られた」とか、または「魔がさした」などいうことになるかと思いますが、要するに、自殺する本人は自分の考えで自分の責任で死ぬことを考えたのでしょうが、実はそのように考えるということ自体が、そう考えさせて疑わない何者かの力が働いてのことではないかということです。

 よく「自殺する勇気がない」と言われる方がおられますが、自殺は勇気があってすることではありませんし、勇気という言葉がそのように使われるのでは勇気が泣くというものでしょう。勇気と言うなら、むしろ自殺したくなるような苦渋の中で、それにもかかわらず生きていくことの方を勇気ありと言うべきでしょう。それは自分を自殺の方へと引き込む力に抗って勝つことでありまして、その勇気こそ讃えられて然るべきではないかと思います。

 

 篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

 

第96課 パウロも宣教活動とその計画

=15:14~33=

異邦人宣教師としてのパウロの働き・・1・・

・・・15:14~21・・・1・・・

 

 パウロはローマ人への手紙が終りに近づくにつれて、キリスト信者としての立場と性格についての確信を、読者に確認させようと努めている。そして更に異邦人への伝道者としての彼の働きについて語る。そして将来の活動についての計画と目標も語ろうとしている。

 

 「さて、わたしの兄弟たちよ、あなた方自身が、善意にあふれ、あらゆる知恵に満たされ、そして互い訓戒し合う力のあることをわたしは堅く信じている」(14)

 

 もちろん、この言葉はローマにいるキリスト信者たちが、キリストを通して与えられる神の恵みによって、善意にあふれ、あらゆる知恵に満たされ、そして互いに訓戒し合う力のあることを意味しているのである。パウロは彼らがキリストを離れても、彼ら自身の中に善意に満ちていることがありうると言おうとしているのではない。

 何故かと言えば、それはこの書簡の初めの部分の教え全体に矛盾するからである。パウロが彼らのことを「兄弟」、すなわちキリスト者として書いていることに注意したい。

彼らが善意にあふれていると言われることが出来るのは、彼らはキリスト者であるからだ。ここで言われている善意と言うのは、聖霊による聖化の恵みによって、彼らの生活の中に生み出される善意なのである。

 現代社会において、このような善意が何ゆえに乏しくなりつつあるかに注意したい。しかし、パウロは彼らが善意にあふれていることより、さらにあらゆる知恵に満たされて、「互いに訓戒し合う力のあることを、かたく信じている」と述べていることに特に注目したい。

 キリスト信者はその罪の咎を赦され義とされているが、罪に汚れた人間は依然として残存している。従って罪の行為を犯すことが不断にありうるのである。日々、神のみ許しを願いつつ生活しなくてはならない。キリスト信者たちは相互に善意に溢れつつ、戒め合い、勧めあって、ともに神に喜ばれる道を進むことができる力があると、パウロは堅く信じている。ここに教会の規律・戒規・訓練の根拠があるのである。

 

          J・G・ヴォス著

   玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

                                               

  『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

 

◆  長い長い梅雨、そして大雨で裏山が心配で役場の人や地域の消防団の人が様子を見て回っています。家には町から配られた防災ラジオ」があり、心強いです。 停電の被害を経験してから配られたもので、町の身近なニュースも聞くことが出来ます。母の時代は回覧板でした。隣に届けるのが子供たちの役割でした。今年は、新型コロナウイルスの影響で、村のお祭りや行事は中止になり、お盆休みの子供たちの帰省も少なく、寂しい感じがします。田舎の教会ですから集まる人も少なく、月に一度、牧師が来て聖餐式は守られています。その時が楽しみで、みんな笑顔で集まり、礼拝後、それぞれの手作りの品を持ち寄り楽しい時を過ごしています。私たちも、迎えに来てくださる方の車に乗せていただいて行くことが出来ます。この信仰の、礼拝の灯を大切に守っていきます。 京都府 LTさん

◆  東京でも都心から離れたところにはたくさんの田んぼがあります。仕事の関係で、ビルの中から解放されて見る風景は、ふる里秋田が思い出されます。新型コロナウイルス禍で今年も帰ることが出来ませんでした。青々と伸びた稲、手入れされた田んぼには一本の雑草もありません。周りの畦道や土手もきれいに刈られていて、農家の方の心根を感じて、仕事を忘れ、しばらく車を止めて物思いに耽っていました。 東京都 OKさん  

   先日、学生時代の友人と時間を作り、美術館に行ってきました。コロナウイル       ス禍を気遣ってか来館者もわずかで、時間をかけて楽しむことが出来ました。それぞれ自分の仕事をもっていますので、家事や家族のことを考えての生活から解放された時間を過ごせました。私には貴重な時間になりました。好きな本に挟む栞をあれこれ買い求めることもできました。 兵庫県 WKさん

   朝晩、元気に何キロも散歩を楽しんでいた友人が、家で躓いて転び大腿部の骨折で入院していたとメールが来ました。メールが来ないので気にかけていたのですが、そのようなことが起こるのですね。入院中に家の中には手摺を付けてもらい、支援センターのお世話で、要介護で通所の生活になりましたが、これで家内の負担も軽くなればと思っています。時間をかければ大の方にはトイレに行けますし、ゆっくりとなら着替えもお風呂にも入れています、とありましたので、ほっとしています。「ジャーナル友さん」の皆様、油断と過信は禁物ですよ。自戒を込めて・・・。山形県 S・Jさん 

        

      ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

 

♪  私は娘とはよく電話やメールをしています。孫には交通事故で軽度の障害があるのですが、自立支援制度の就労移行支援事業所へ行って5年になりました。何度か普通の会社などに見習い職員として働きに出ましたが、なかなか人の輪の中に入れず、仕事の流れにもついて行けずに辞めてしまいました。そうしてまた就労訓練の作業所のお世話になっています。職員さんの指導を受けて、お友だちのような仲間といるのが楽しいようで元気に行っています。子供たちには3密など守れません。それが心配です。

  私も氾濫で、家は全壊になり家族は妻の実家でお世話になっています。私は町の職員なので、同じ職員の家の部屋を借りて、日々の対応に追われています。瓦礫の撤去、臭気の酷い粉塵が舞い始めたので、健康、衛生面の対策も緊急課題です。人手の少ない所にいろいろの課題が山積して、本当に疲れています。新型コロナウイルス禍もあり、限界で、欠勤の職員も出ています。礼拝には殆ど行けていません。お祈りも出来ていません。不信仰者になってしまいました。弱音ではなく、本音です。

♪  8月号の「つのぶえジャーナル」が届きました。「ジャーナル友さん」からの感想がたくさんあって楽しみです。何よりも、わたしもいろいろな「ジャーナル友さん」の声に支えられて、祈り合うこと、励まし合うことで、励まされています。大雨で被災された方の中にはご高齢の方や車いすの方もおられることですから、心が痛みます。あの大勢の避難されている方々の様子をテレビで見ているのですが、車いすの方の姿はありません。女性の着替えはどうしているのでしょうか、トイレは・・・など、ほんとに気懸りです。わたしも車いすを使っていますから、心が苦しくなってしまいます。

♪  家内がお世話になっている介護施設もガラス越しで15分の面会時間が続いています。このような状態は何時まで続くのでしょうか。だんだん笑顔が消えて行くのが分かり、辛いです。そのような思いをされている方は大勢いると思います。コロナが憎いと思う時があります。同時にお世話くださっている方々には、本当に感謝しかありません。身支度も整えられ、入浴も出来ている感じです。私は、コンビニのお弁当と野菜炒めの食事です。娘が、宅配の「お惣菜」を注文してくれていますので、助かりますが、一人、テレビを見ながらは寂しいですね。こうして、「ジャーナル友」として繋がれるのは、嬉しいです。「つのぶえジャーナル」は何度も何度も読み返しています。

♪  暑くなりました。マスクをしながらの買い物はとても息苦しく、早々に買い物を終えて、車の中に駆け込んでいます。前は、人混みを避けてでしたが、今はみなさん考えておられるのか、スーパーでも町の商店街でも、人出は少ないです。それでも小学校からの顔馴染みのお店屋さんに立ち寄り、好物の大根の漬物を買いました。元気そうで安心しました。日曜学校からの友だちで、昔から、日曜日は午前中は教会に行くので休み、午後からお店を始める姿勢は変わりません。

♪  8月6日と9日、広島と長崎に原爆が投下されて75年、焼けつくような真夏、それに億する灼熱で、一瞬の廃墟と言う地獄が多くの人の命を奪った。戦時下、広島や長崎の人々も平和のためと、生きていた。戦争の勝利で平和をもたらすと信じていた。その頭上に投下された原子爆弾。戦争は憎い。とにかく憎い。世界では多くの国がお互いに破壊し合い、殺し合った戦争が憎い。南の島、北の島で幾万の人が死んでいった。戦後間もなく始まった戦死者の葬儀。玉砕した兵士の遺骨・遺品の入っているとされる白い布に包まれた箱が並んだ祭壇には、数多くの箱、箱、箱。異様な静けさ。涙を見せない無表情の遺族の顔を83歳の私は今も忘れない。戦争に正義はない。殺りくに道義はない。

 

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子

    

 

 

 『ありがとうございます』

 

梅雨が明け、暑い日が続きますね。36度とか、38度とか、異常な暑さです。打ち水をして、少しでも・・・と思います。そんな時、暑くて仕方がなかったのですが、夕方に出かけました。空が、夕焼けで・・・、自然っていいですね。そして、花も写してきましたので、お送りしますね。「ジャーナル」にお使いくださいとメールを頂きましたが、40℃前後の暑さになってしまいました。

皆様の信仰生活、教会生活、そして健康が神様に守り与えられますように、お祈りいたします。りんどうの花や山百合が咲いていました。季節は秋に急ぎ足に進んでいます。もう少しの辛抱です。頑張りましょう! 

 2020年7月16日から8月15日までの献金・寄付金を頂きました。感謝いたします。

 加納さおり様 宇佐神正武様 和田順一様 和田貴美子様 佐藤のり様 近藤ひろ子様 伊豆山伸子様 馬場暁美様 匿名3名様

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

  

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メール osamura@kind.ocn.ne.jp       

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

    つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

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緑を大切に!
お気持ち一つで!
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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