忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 

 「今月のことば」

 

キリストは御子として、神の家を治めるために忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇りとを最後までしっかり持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。

            =へブル3:6=

 

これからの天気予報で気になるのが、異常な暑さの数字です。真夏の太陽は容赦なく私たちの生活に、健康に、そして思いもしない新型コロナウイルス禍で疲れ果てた心に襲いかかるかのような暑い日々が続いています。

「つのぶえジャーナル」をご覧くださるお一人、お一人が、神様のお守りを頂きお過ごしになられますように、お祈りいたします。

 

「今月のことば」の中には、いろいろのことがありますが、その中でも記憶しておくべき二つのことがあります。

その一つは、神様の愛とご計画によって救いの恵みの中にある一人、一人は、「神の家」であるということです。不思議なことですが、真実です。それは、神はその一人、一人の信仰者の民の中にお住みになるというのです。神は天にいますように、み言葉のも中にいますように、神は救われた私たち罪人の中にも、住まれるというのです。

「あなたがたは神の宮であって、神のみ霊が自分のうちに宿っていることを知らないのですか」「父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、皆の者が一つになるためであります」という事実の中に示されています。キリスト者に、霊的孤独などあってはいけません。心から「主にある霊的交わり」に感謝したいものです。

神のご存在は、近づきがたい光の中に住みたもう主、すべての天を所有したもう主は、イエスのみ名を信じる人々と共に住みたもうお方なのです。 

 

同時に、覚えなければならないことは「望みの確信と誇りとを最後までしっかりと持ち続けるなら」であります。この信仰と熱心を祈り求めるならば、神様の方からは離れ去ることは、絶対にあり得ないということです。

わたしたちが信仰を捨て、神に頼ることをやめるならば、もはやわたしたちは神の宮ではありません。もし、わたしたちが主より離れるならば、主もまた、わたしたちから離れます。もし、キリスト者は決して神から離れ去ることはないという、誤った思いで自分を思う者は、このことをしっかりと心に留めなければなりません。わたしたちは 、主から離れ、自由に振る舞いたくなる信仰弱い存在であることを決して忘れてはいけないことを、このみ言葉は教えています。

PR
 

  「小閑記」

  

 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育ってゆくが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

             =マルコ:26=27=

 

 このみ言葉の中には、キリスト者としての、また神の国の働き人としての私たちに、大きな励ましがあります。私たちは、種をまいた日に実を見なければすぐに文句を言いたくなり、良いものは萎えて消えゆくのに、悪いものはどんどんと成長していると信じがちであります。しかし、イエス様は別の見方をなさいます。イエス様は、私たちの中に、私たちによって神の国は成長すると言われるのです。

 

 主の恵みの雨と光によって、神の種は双葉から、熟した実となります。そこで、神のみ霊が、私たちの内に、信仰によって植えてくださった神のみ言葉を感謝して、その育つのを楽しみに待ちましょう。もし、キリスト者が、神とともなる命の成長を自分の内に見ることがないというので、また命の実を味わうことができないというので、信じることを止めるならば、それは短気で未熟な農夫がまいた種をたびたび掘り返して、芽を出しているかを見る愚かな姿に似ています。そのようにしては、聖なる命はその力を失い、その成長を妨げます。

 なまけ者よ、蟻のところへ行き

  そのすることを見て、知恵を得よ。

 と箴言は言っています。キリスト者は社会と言う荒れ野に出て行くとき神のみ言葉に確信を得なければなりません。そこで、「神の国はある人が地に種をまくようなものなのである」と言われるのも、育て待たなければならないという責任と義務を果たすために、それぞれの賜物を用いて働かなければなりません。信仰と希望をもって、そっと見守り、世話をしつつ成長を待つことを、覚えるなら、確かな収穫を得るでしょう。

 

 彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。

  彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、

   主の正しさを示すでしょう。

    主はわが岩です。主には少しの不義もありません。   

            詩編92:13~15

 

   

 

世田谷通信(203

猫草

 

5月末、急に声が出なくなった。在宅勤務、自粛など人と話す機会が極端に減った、家庭内のストレスもあるだろう。全くでないわけではない、簡単な単語は言える。ただ長文や、何か判断を伴うと、ぐっと喉がつまって頭の中が白くなり、とたんに言葉が出なくなる。ぱくぱくして、声もかすれる。心療内科で「心因性失声症」とのこと。機能面に問題がないならそうでしょう。薬をもらって帰る。幸い土日なので特に不便はない。問題は仕事に支障がないかだ。

体は普通なので買い物に行く。スーパーは会話なしでできる、むしろ今はしゃべらない状況だ。店内の音がいつも以上に気になるのでワイヤレスのイヤホンをしていく。音楽を聴いているわけではなく、ノイズキャンセリング機能で、周囲の音は聞こえるが雑音は拾わないのだ。長男に教えてもらった。便利なものである。

帰り道ホームセンターに行こうしたが気持ちが乗らず、またにしようと引き返した。すると、さっき通ったばかりの交差点で人が倒れている。交通事故。自転車の男性が横にいる。周囲の人が高齢男性を歩道に移動させている。

男性の意識はあるが、右側頭部をさすっている、手足に擦過傷、ふらついている、脳震盪、救急車!と思ったが、悲しいかな声が出ない。私の隣にいた女性が「頭打ってるなら、動かしちゃだめですよ、救急車呼びましょうか?」と言っている。そう、その通り!いつもなら私も言えるのに。大きく頷いて賛同をしめす。

でも自転車の男性も倒れた男性も「大丈夫、大丈夫」と救急車も警察も呼ぶ気配がない。信号が変わる。当事者同士が大丈夫と言うので、気遣いつつみんなが立ち去りはじめる、どうしよう。いや、放っておけない、頭を強打しているなら脳内出血があるかもしれない。すぐ近くに交番があったのを思い出す。中に居た巡査が私の表情をみて「どうしました?」とすぐに出てくる。「・・事故・・」とだけ絞り出して、場所を指さす。あとは紙に状況を走り書きして対応を任せる。危機管理に慣れている人は的確に動いてくれるのが良い。ほどなく救急車のサイレンが聞こえた、きっと適切に対処してもらえたと思う。

声のほうは薄皮をはぐように改善し、幸い仕事には支障なかった、何より小学生の子供たちと話すのが良かった。むしろあちらの方が話すのに緊張している。(大丈夫だよ、大人だって緊張すると声でなくなるんだよ。)心の中でそっと思う。

 

 {美しい朝に} 

 

沙耶香のつぶやき-

 

♡  愛媛におられる方、わたしの「沙耶香のつぶやき」を読んでいて下さり、ありがとうございます。私よりもお姉さん・・・。めっちやくちゃうれしいです。これから、よろしくお願いします。

♡  また苦手な梅雨の時期になり、元気がありません。定期健診と面談の時は元気だったのに、くやしいです。犬ちゃんとの散歩もほとんど出来ていません。出来ると言えば、お母さんの家事の手伝いくらいです。でも少しですが出来るようになったのですよ。

♡  最近、朝起きるのが遅くなってしました。家で出来る本当に軽めの体操をするようにしています。短い時間を一日に何回も繰り返し、それをノートに書いています。一日34回が平均です。始めた時はあちこち痛みましたが、今はそれもありません。心地よい汗の時もありますよ。   

♡  また「くよくよ沙耶香」の始まりです。病院の先生は、くよくよ考えても良いのよ、と言ってくださってはいるのですが、お母さんは、心配そうな顔になるので、イケない子だと思ってしまいます。

 

  私も愛媛さんと同じように、読んでいます。それは、孫が、沙耶香さんと同じくらいの年齢ですが、孫の気持ちがなかなかわからなくて困っていましたので、沙耶香さんのこのコーナーは、孫の気持ちを理解するのに、とても参考になります。お元気になってくださいね。 福井県 KCさん

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記=

   (172)

 

6月17日

 梅雨時の晴れ間はとても貴重です。毎日何も考えずに洗濯物を干してしまいこんでいます。それがその日のうちに乾ききるというのはとても感謝なのです。どうしても乾燥機を頼ってしまうのですが、乾き方はやはりお日様の力で乾ききったのとは肌触りが違います。今年の梅雨は雨が降り出したらとても激しく降るとの予報です。山添では朝からその予報に備えてか、有線放送から避難指示の、備えて下さいの放送が大きな音で家中に鳴り響きました。

しもつけの夢見心地に咲き初むる。

笹ユリは幻となり山荒れる。

梅雨入り哉大きなカメが道に出ぬ。

朝ツバメ一心不乱にまず鳴きぬ。   馬塲路哉

 

7月号のご準備で御忙しくされていることでしょう。無事に皆さんのところへ発送できますように、お祈りしています。

 

6月21日

 梅雨の中休みというのに、吹く風はとてもすがすがしく感じられました。県を超えての移動が許されての初めての週末です。皆さん、はじけた笑顔で久しぶりの外出を喜んでおられるのがテレビの映像からよくわかります。庭の片隅に植えたミニバラがピンクの花を咲かせてくれています。小さな小さな花なのですがそれがまたとてもいとおしいのです。

なん百年立ち尽くしけむ棕櫚の花。

散歩する向かひの山の若葉風。

幾重にも連なる青領遥か。

ところ得て慎まし都忘れかな。

アジサイや一画家青を好みける。  馬塲路哉

 

先週は村の草刈りで大変でしたが、今週は我が家の家の周りの草狩りに追われています。

草刈りを終えると、今まで見えなかったピーマン、ミニトマトが実を付けているのがわかります。

はじめてピーマンとミニトマトを5個ずつ収穫し、夕食の野菜たちと仲間入りしました。自分の家でとれた野菜を口にするのはとてもうれしいのです。でもまだ酸っぱいのですが。

 

6月27日

 何か仕事をしようと体を動かすと汗がぽたぽた落ちてきます。外での仕事は特にきびしいようです。温暖化の影響で7月から9月まで暑さが続くようです。

荒梅雨や合羽で挑むトユ掃

微妙なるガクアジサイを見つめけり。

犬の墓十薬多く刈りにけり。(犬たちが死んでもう3年がたちました。)

孟宗の直線多く涼し刈り。(竹があっという間に大きくなっています。)

主に任せ祈り続けぬ梅雨湿り。   馬塲路哉

 

半年間続いた町内の納税などの仕事が終わりました。やれやれというところです。村の細かな集金や水道の代金などを集めて事務所まで届ける仕事です。ほっとしています。

 

72

 主人が懸命に練っている俳句ですが、同じようなものが並ぶことがありますね。こうして自然をよく観察しながら俳句を作るのはとても大切なことだと思います。

時惜しみツバメ鳴くなり明易し。

アンデルセン童話のをかし夏夕べ。

青空に湧き上がるかに桐茂る。

伊賀遥か望む鈴鹿の青峰かな。

テントウムシ日差しの強き道作り。   馬塲路哉

 

この頃の、この蒸し暑さですが、外の空気も吸いたいので、思い切り窓を開けて深呼吸をしています。朝の散歩でふと土手の向こうの荒れ地に目をやると、誰にも手入れをされていない場所にくちなしの花が一輪咲いているのです。近寄ってその甘い香りを思い切り吸い込みました。朝いちばんに出会ったくちなしの純白さにこちらまで清く美しい気持ちにさせられました。

我が家に植えたくちなしは、どうしたことか虫に食べられて、葉っぱを出すだけで精一杯のようです。誰も住む人もいない荒れ地からこのような気品ある花を見つけることができて、神様のなさることはすべて時にかなって美しい、というみ言葉が浮かびました。

 

7月8日

 名古屋の雨は非常に激しそうですね。ここ山添村では午前7時頃がピークでした。たたきつけるような雨とともに西寄りの風が吹き荒れてまるで大きな台風に見舞われたようにおびえてしまいました。村の有線放送からは避難場所が設定されたから直ちに避難してください、との連絡。外の雨風の様子を見る限り自宅待機がベストだと考えました。2階がない我が家は土砂崩れの恐れが少ない場所へ移動しました。裏山は大きな木が倒れ掛かり見るのも恐ろしい状態です。

 名を知らぬ鳥の良き声梅雨晴れ間。

棕櫚細くすっと伸びたる涼しさよ。

空青く朝日の明し梅雨晴れ間。

木を立てし塀や緑の蓑虫庵。

ペストとの闘ひ知りぬ梅雨湿り。   馬塲路哉

 

この激しい雨は日本列島を縦断していますね。岐阜、長野県ででも警報が発令されました。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

  

 

   眸(ひとみ)・・113・・・

 

✬  母の代から誕生記念に、誕生した季節の木を植えていました。私は四人兄弟で、主人は三男で、同じ中学の同級生と結婚して、農業も継いでくれました。家の周りには兄弟4人の記念の木は大きな幹になり、木ではなく樹になっています。私たちも3人の子供の記念樹を植えまして、これも大きく育ち、台風の時の風よけになっています。孫の分もという私に、主人はしぶしぶ賛成し2本植えました。田舎だからできることですね。 佐賀県 B・Hさん

✬  朝顔の苗を10個買ってきました。軒下のプランターに植えました。この方法で20年近くになりました。子供が小学生の時からです。鉢植えの一輪花もありますが、朝晩水やりが好きなのです。仕事に出かける前、帰って食事の準備をする前の水やりは気持ちの切り替えになります。主人は好きな紫陽花を見てから出勤です。梅雨明けを待ちながら出来るのは健康が守られているからできることですよね。梅雨明けと共に、今度は真夏対策ですね。素麺が美味しくなります。お肉と野菜炒めと梅干と黒酢にんにくのお世話になっています。 三重県 S・Aさん

  市の図書館も制限付きから、自由に利用できるようになり、来られている方のお顔も安心感と穏やかさに溢れていて、とてもうれしく思いました。図書館の庭のお世話をしてくださっている方、図書館内のあちらこちらに今までなかった(あったのでしょうが気が付かなかっただけならごめんなさい)、それとなく、一輪挿しがありました。よく遠くから新聞を読むお姿を見掛けしている方もおられて、お元気だったんだ・・・と亡き父の姿を思い出してほっといたしました。今度、お声をかけてみたいなあ~と思いました。 島根県 BAさん

✬  土地の人はよく東からの風が吹くと雨になる、と言いの言い伝えがあるといいます。それを予告するかのように今日は一日東からの風が吹いていました。明日からきっと雨になるのでしょうね。梅雨ですから雨が降って当たり前なのですが、やはり晴れ間がうれしいです。昨日はお隣の方がひまわりの苗を2本持ってきてくださいました。それはコロナに負けないように、ひまわりの花を咲かせて元気になりましょうという呼びかけでした。さっそくベッド生活の主人の見えるところに苗を植えました。7月の終わりか8月には大きな花を咲かせてくれることを願ってお水をたっぷり上げました。町の広報には熱中症とコロナ対策の注意事項がプリントされていました。お互いに間隔をあけて声かけあって励ましていきましょうとのことでした。大切なことなのですね。 宮城県 GKさん

✬  家の周りの水田に日の照り返しできらきら眩しいくらい光っています。私は野菜農家ですが、これからは台風、大雨など天候の変化が気になる季節です。機械化、電化されても自然との闘い、調和は昔も今も変わりません。今のところ順調に育ち、忙しく納品に追われています。教会堂に飾る花を家内は「マイ花壇」でうれしそうに育てています。自分にできる奉仕をもう30年近く続けさせていただいています。 愛媛県 SKさん

✬  医療の中核病院として大勢の方が来られます。私は入院されている方を担当しています。私たちの強い願いは患者さんが少しでも食べることです。どのような点滴よりも一口でも自分の口から食事がとれるようになったなら快方に向かうからです。特にご高齢の患者さんに言えることで、ミーティングの時、Aさん少し食べたよとか、Bさん、食べようと頑張るようになったとの報告を受け継ぐことはうれしいことです。このことは多くの在宅で過ごしておられる方のご家族の願いであり、お世話されているご家族の喜びでもありますね。そのような思いをもって今日も病院に向かっています。どうど、お祈りください。 埼玉県 SSさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 

 

十戒と主の祈り・・・・・・         鈴木英昭著

 

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

=盗み=

  

  第八戒②・不正な秤

      申命記25:13~16、マタイ6:19~24

 

 この申命記25章の禁止命令は、穀物などを仕入れるときには、大きな升やおもい重りを使い、その反対に売るときには小さな升や軽い重りを使って、その差から不正な利益を上がるということを禁止しているのです。これらは明らかな盗みです。

 申命記の23章20~21節に、利子に関してこういう戒めがあります。「同胞には利子をつけてはならない。銀の利子も、食物の利子も、その他利子が付くいかなるものの利子も付けてはならない。外国人には利子を付けて貸しても良いが、同胞には利子を付けて貸してはならない。それは、あなたが入って得る土地で、あなたの神、主があなたの手の働きすべてに祝福を与えるためである」。

 よく言われることですが、宗教改革時代までは、利子ということに対して、社会は否定的でした。それは、こうした聖書の言葉からきていました。しかし、カルヴァンの努力で、借金についての聖書解釈に光が与えられることになりました。借金によって仕事をして利益を得る場合、その借金に対して利子を払うのは当然だという考え方です。しかし、貧しい人々が生活のために借金することと区別されなければならないということです。更に、もう一つの一般的な原則を考慮する必要があります。それは旧約時代のイスラエルは、宗教と政治とが一つになった神権政治のもとにあり、神が自身への守りを保証してくださっていましたから、利子というものを考える必要がありませんでした。

 現代ではむしろ借りたものを返さないという問題、不良債権があります。また、公的な資金の融資を受けて、返済が不能になり、国民が税金として払うことを余儀なくされるという問題があります。これらもみな盗みです。

 そして、自分に与えられている神からの賜物を用いない怠惰ということも盗みになります。ウエストミンスター大教理問答問142問の答えは第八戒の禁止の内容が多くあり、その最後のところに、「・・・神が与えてくださった状態を・・・正当に用いず慰めとしないこと」が盗みとされています。自分の状態に不満を抱いて努力しないことが盗みです。

 さらに、主イエスの山上の説教は、神と富とに兼ね仕えることができないことを教えています。富が目的になると、富は神のようになってしまうからです。蓄えることは良いことです。それは目的でなく手段です。将来のため、子供たちのため、不慮の出来事、老後などのためです。しかし、目的となると守銭奴やケチという盗みになります。

 この反対に贅沢も盗みの一つです。浪費だからです。そして、信仰者はそのすべての所有の管理を、神から任されていますから、任されているものを良く管理しないということが、神のものを盗んでいることになります。逆に言えば、私たちは誰でも賜物の良き管理人となるように召されています。

 

 

バラ・マカルピン 日本伝道百年史      

     水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

15 明治末期の伝道・・2・・

 

 開けて明治42年(1909)3月10日、横浜海岸教会の創立記念祝会が午後4時半から同教会で開かれた。その日は、あいにくの大風雨であったが100名の来会者があった。牧師の笹倉弥吉教師の開会の辞があり、現在会員814名、創立以来の受洗者2200余名との報告について、この教会最初の牧師として奉仕したバラ先生が、拍手で迎えられて祝辞を述べられた。感無量の一瞬であった。

こうした喜びについで、バラ先生を襲った悲しい出来事は、奥さんのマーガレット・キンナーさんが3月16日午後5時30分、天に召されたことである。夫人は時に69歳、3月18日午後2時半、フェリス女学校で葬儀が行われ、横浜外人墓地41地区に葬られた。

来日以来48年、共に憂い、共に歓んだ夫人との歳月をかえりみて、バラ先生は日本伝道の働きの半分は、夫人の助力によることを思わされて、今、その良き伴侶を失った淋しさに耐えなければならない力を、神に祈り求められたにちがいない。

孤独となった先生は、さらに主を仰いでなお宣教への奉仕を続けられた。

3月27日、明治学院神学部第24回卒業式において祝祷と、種々の式典に忙しく出席され、夏の9月5日には御殿場教会で、男子2名、女子2名に洗礼を授けられた。その2名の女子は宣教師の避暑地二ノ岡会堂で最初に導かれた初穂であった。

 

「キリスト教百話」

  

問29 「自殺」のことはどう考えたらよいでしょうか。残された者にとっては何とも釈然としないものが感じられてなりませんが。

答・・1・・

 いささか教科書的な答えを言いますと、「モーセの十戒」の中には「殺してはならない」という戒めが神様からの断言的な命令として掲げられています。この「殺すな」ということは言うまでもなく、人殺しをしてはいけないということでありますが、それは他人についてだけでなく、自分のことについても命じられていることとして受け取るなら、自殺は神の命令に背く行為であり、「あなたは生きていてよろしいよ」とか「あなたは生きていてほしいよ、わたしはどんな時のもあなたをたすけるから・・・」と言われている神様の語りかけを無視することになります。

 こういうことを、神様の側としてどう受け止められるでしょうか。「わたしがあんなに厳しく命じておいたのにそれに背くなんて怪しからん。あいつは救いようがない」とおっしゃるでしょうか。だとすると、葬ることはしても、葬りに先立っての式をして、その中で死んだ人のために何かを願うことはなくなってしまうことになります。

 しかし、もし神様が「あれだけ厳しく言っておいたのに、わたしの許しも得ないで、自分で勝手に死んでしまったなんて、何とも残念、悔しい、が、そういうヤツだからと言って放ってはおけない、今からでも何とかしなくては・・・」と言われたとすると、葬りに際しても「この人のことを何とかよろしくお願いいたします」という執り成しの祈りが献げられることになります。

 

 「殺すな」と言われても、戦争では相手を殺さなくてはなりません。また殺す意志は全くなくても過失致死ということがあります。また、自殺しても、「人生不可解」といって死んだ人もいれば、「生まれてきて済みません」と言って死んだ人もいます。中には自分が犯した罪を悔いたり、取り返しのつかない過失の責任を負うたりしての自殺もあれば、殉死や病気の治癒不能と知っての自殺もあったりで、その動機は様々であり、また余人には窺い知ることが出来ない点もあって、個々の自殺者については、生者の側で、何か一般論で説明することは難しいし、してはならないと思います。                 

   

 篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

 

第95課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・52・・・

G キリストの非利己的な態度を見習うことが、すべてのキリスト者の義務である。

・・・15:1~13・・・3・・・

 

 旧約の4つの違った個所からの引用によって、パウロは、ユダヤ人たちと同様に異邦人たちも救いを受け入れることが、古からの神のご計画であったことを示すのである。キリストが両方の部類の人々を救い、受け入れたという事実は、キリストの体である教会の中における相互の愛と調和を進める力強い動因なのである。

 

 「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安を、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように」(13節)。

 パウロはここでローマのキリスト信者たちのために祈りを捧げている。すなわり、彼らが単なる喜びにならず、あらゆる可能な喜びーすなわち、最高の喜びと最高の平安に満たされるように祈るのである。彼らは信じることに於いて、あらゆる喜びと平安に満たされ、聖霊の力によってのぞみに満ちあふれるのである。

 信じることや望みに溢れることなどはローマのキリスト者たちの義務であった。しかし、なおもパウロは望みの神が、そのような恵みをもって彼らを満たしてくださるようにと祈るのである。

 「聖書の中ではこのように責任と信頼とは常に密接に結びついているのである。私たちは自分の救いに向かって努力しなければならない。何故ならば、私たちの中にあって、私たちに意思させ行動させて、神のよしとされるところを為さしめるのは神であるからである」(ホッジ)。

 「望みに溢れさせて下さるように」。

 キリスト者における喜びと平安の旺溢は、彼らに「望みに溢れさせる」のである。そしてこれらすべての望みと賜物とは聖霊の力によるのである。聖霊こそあらゆる善と祝福の作者であられる。このようにして、パウロは、私たちはすべて全く聖霊の恵みに依存していることを思い起こさせながら、この部分を結んでいる。 

 

       J・G・ヴォス著

    玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

                                               

 

  『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

 

◆  陽が沈むころ、遠くから、近くから蛙の合唱が今年も始まりました。季節の区切りは紫陽花や虫たちが教えてくれます。山間の集落の風物詩です。軒先の風鈴も涼を運んでくれます。先日は無数のカマキリの子供たちの巣立ちもありました。これからはヤモリが光を求めて遊びに来るでしょう。ここには3密はありません。一人で生活しているお宅からも灯りが見えています。穏やかな山間で、夫婦だけで信仰を守っています。 山梨県 LTさん

◆  主人は、長年の長距離トラックの運転手から信仰生活と健康と将来を考えて転職して観光バスの運転手になりました。観光ブームの時は本当に忙しい毎日でしたが、昨年の初めから海外からの観光客が急に減り始め、そうして今度は思いもしない新型コロナで、解雇になりました。先の見えない今の生活はとても不安です。 東京都 OKさん  

   学校の給食が再開されて、わたしたち給食用の野菜農家にも、希望が持てるようになりました。農業実習生の力を借りで経営してきましたが、今回の新型コロナで日本に来ることが出来ず、実習生もわたしたちも、今までの考え方を改めなければならないと地域の若い(?)者の集まりで話し合う機会が多くなりました。これはわたしたちと農家だけの問題ではなく、これからは政治・生活意識の変革を迎えているんだなあ~と実感しています。 千葉県 WKさん

 

        +=+=+=+

 

♪  今日、一週間分の食料を買い求めに伊賀市のスーパーまで出かけました。暑くなってきたのでずいぶん気を使いながらの買い物となります。レジで支払いを済ませようとしましたら、レジの係りの方が私の買い求めた卵が一つ割れているのを見つけてくださり、レジのお仕事を中断してご丁寧に卵の新しいものと取り換えに行ってくださいました。そのお心に感激いたしました。ここまで行き届いたお気持ちで接していてくださっているのかと思うととてもうれしくなりました。家に帰ってからもとても心が晴れやかになってきました。思い切ってお礼の電話を入れました。匿名でしかもその方の個人名は言わずに、お店全体の雰囲気がお客様に対してとても行き届いたものであることを伝えました。一人の小さな心掛けが年老いたものを喜ばせてくれるのですね、また一つ学びました。み言葉で山のような大きな信仰を持っていても“愛”がなければむなしい、ということを感じた一日でした。

♪  また激しい雨が降り出しています。熊本、鹿児島ばかりでなく、ここ数年、毎年この時期、豪雨災害に襲われています。特に、何度も言われている危険な山崩れ個所や一級河川の被害ですから、つい愚痴や不満も出てしまいます。これからも続く梅雨の時期の雨、どんな思いでこの雨の降り方を見ていればいいのでしょうか。不安です。毎年、大雨による被害が報じられています。大きな被害が出てからではなくその前に対策をとれないものなのかといつも考えさせられます。外はまた激しい雨です。

♪  昨年、千曲川の決壊で経験したあの恐怖が、また甦ってきました。あの何もかも飲み込んでしまう濁流に、ただ茫然とたたずんでいたあの恐怖の時間、町の人に助けられて避難所で過ごした時間が今も心にあり、消えません。テレビのニュースを見て、祈っています。

 

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子

    

 

 

   『ありがとうございます』

ハイビスカスの花が沢山咲き始めました。紫陽花からお役目替え、模様替えを始めた我が家の庭です。雨で放置(本当は怠けです)?していたために、庭石が隠れるくらい草が伸びてしまいました、と嵯峨野のジャーナル友さんのN・Dさんからメールを頂きました。蒸し暑い日々、苦闘の始まりですと、山梨のK・Hさんからもお便りをいただきました。皆様の猛暑対策のお便り、お待ちしています。

 

 2020年6月16日から7月15日までの献金・寄付金の報告です。ありがとうございます。     

 

大森みなみ様 小山田誠一郎様 田畑良子様 梶川実雪様 島田祥子様 西山幸子様  佐藤のり様 馬場暁美様 加納さおり様 長津 榮様   匿名3名様

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]