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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 「今月のことば」

 

御霊を消してはいけない。

     =第一テサロニケ5:19=

 

「つのぶえジャーナル」をご覧、ご笑読下さり、心より感謝いたします。世界と社会に混乱と不安をもたらした新型コロナウイルス禍から、多くの事柄を神様は私たち一人ひとりが問われたのではないでしょうか。

 

不安に陥るとき、心の中で、また生活の中で、み霊の火は容易く、また素早く消すことができますし、気づかないうちに、日々の生活の中で消し去ることが如何に多いことでしょう。これほど危険なことはありません。

もし私たちがよく備えをしていなければ、かつて霊的に私たちがどのように清く、熱心であったとしても、生きていながら霊的に死んでいる人々の仲間入りすることを知っていました。

 

神のみ霊は、私たちをすべての真理に、また私たちについての真実に導くことを約束なさいました。み霊がその光を、私たちの性質の内側を照らされる時、そして、私たちが自己中心で、自らを欺く悪い性質と邪悪な意志、どん欲な思いという罪深い思いを見る時、私たちのこの内なる害悪との戦いを取り上げなければ、私たちのみ霊を消すことになるのです。

 

内なる信仰の鍛錬と聖潔が止む時、そこでは神のみ霊はその存在は失い、働くことができないのです。すると私たちは自分の愚かさに対する目が暗くなり、心に迷いと不安、ざわめきに襲われるのです。すなわち、信仰者としての自分を見失うのです。

 

全てのキリスト者の生活のための基礎は、心の奥深いところに「御霊の働きとその恵み」を据えられなければなりません。それによって私たちは罪を罰し、救いの泉へと導いてくださるみ霊に信頼するのです。この信仰を日々据えられなければなりません。私たちは「地の塩、世の光」なりなさいと求められているのです。「キリストは世の光、希望です。命です」。その恵みや、心の灯はともし続けなければなりません。

 

私たちは勇気をもって声を出しましょう。励まし合い、謙虚な思いでみ霊を消さないように注意し合いましょう。この内なる弱さに打ち勝つために、どこに危険があり、罠があるかを知らせ合いましょう。

今回のコロナ禍は形を変えての長いお付き合いになるのでしょうから、一喜一憂は気持ちが疲れるだけです。神様は専門家、研究者をお用いになり、ウイルスと共存する方法をお示しになります。撲滅・死滅は出来なくても克服は出来ます。私は紫陽花の花で元気を貰います。手洗い、うがい、マスクの違和感がなくなる良い生活習慣は「最強のコロナ対策」なのではないでしょうか。

 

 ひそかなる悪しき思いの一つだに心に抱き、

神の恵みを隔てれば、わが魂は滅びゆくなり。

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  「小閑記」

  

 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛を抱くに至るのであるから、互いに心から愛し合いなさい。

       ­=第一ペテロ1:22=

 

 この力強い神様からのお勧めのみ言葉は、私たちを最も真剣なキリスト者へと導き入れて下さいます。またここでは、最も心の激しい葛藤へと導きます。多くの人は日々の生活の中でいかに魂が健康でなければならないかということではなく、肉体的・体の健康であることに心を砕きますが、魂をきよめ、神様から離れていることに、何らの必要性を感じていません。

 

 しかし、神様の愛と救いの恵みを知るものとされた者は、神と共に生きるようにと努力します。同時に、如何に容易く罪のきよめを忘れるかをも知っています。それは、私たちの内外のきよくないものすべてが、また、私たちが夜となく昼となく出会うものは魅惑的で、聖潔に対する感覚を鈍らせる傾向をもっているからです。そうなると、私たちは神様の清さを思わず、自分を他のキリスト者と比べたくなる誘惑を受けます。こうして、私たちは危険の中にはまり、しかも自分ではそれに気づかないのです。

 

 「神によってあなたがたはキリスト・イエスにむすばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです」(Ⅰコリント1:3031)。

 

 ヨハネの黙示録3章14節以下に「・・・アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。『わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くもなく冷たくもなく、なまぬるいので、わしはあなたを口から吐き出そうとしている。』あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることがわかっていない。・・・。」とあります。このみ言葉を大切にして日々を歩みたいものです。

 

  私と共に歩まれる主よ

 

 私と共に歩まれる主よ あなたの愛と真実を

   私のものとして 今日も明日も歩ませて下さい

 私と共に歩まれる主よ あなたの怒りと憂いを

   私のものとして 今日も明日も歩ませて下さい

 私と共に歩まれる主よ あなたの叫びと祈りを

   私のものとして 今日も明日も歩ませて下さい

         水野源三「詩集より」

 

世田谷通信(201

猫草

 

球根や種というのはつくづく不思議な存在だと思う。冷暗所なら休眠状態を長期間続けられ、発芽できる環境が整ったらプログラムが発動する仕組みである。

そこには休眠打破のきっかけになる条件や複雑な化学物質が連鎖的に反応している。あらかじめ「自分がちゃんと育つ安全な環境」と「過酷すぎて育たない環境」があることを知っている。いや、その対応力のある種が生き残ってきたというべきか。

チューリップが良い例だと思う。原種系チューリップは植えっぱなしでよい。環境に適応することを優先して、丈は低く、花も小ぶりで地味だ。何もしなくても毎年時期が来れば芽を出して成長しそっと花をつける。

園芸品種はそうはいかない。丈の高い華やかな花は、咲き終わったら、茎や葉を切り、追肥して球根に栄養を与え、一度掘り返して保管し、再度植え直すプロセスが必要となる。人の手が加わることを前提として作られている。

それを品種改良と呼ぶのは人間側の主観だ。人を楽しませるために観賞用の植物を成立させるのも、多様性の一つだと思う。植物は命をつなげるのが目的で、昆虫や動物や風、雨、さらに人間も含めて利用しているといえよう。

さて近所の里山農園で、年末にボランティアが植えたチューリップの球根、ちゃんと春に見ごろを迎えた。活動休止・自粛で訪れる人は少ないが、植物は気にしない。

ちなみに球根には膨らんだ方と平らな方がある。平らな方を手前に植えると茎がきれいにそろうのです、と指導役のガーデナーさんが教えてくれた。植え時を少し逃し、廃棄寸前をタダでもらってきた球根だとか。「まあ植える時期とか言いますけどね、植えたらなんとかなります、ならないこともあるけど。」とそのガーデナーさんは言った。コロンと固い球根が、土に埋められ水を得て、芽を出し、花をつける、その真っ直ぐな成長に迷いはない。六条大麦もさわ、さわと風に揺れていた。ちょうど良い背丈なので、数人の小学生がかくれんぼをして遊んでいた。

人の思惑はあれこれと動揺するが、麦は鮮やかな緑から、やがて頭を垂れて金色に熟すだろう。収穫して麦茶を頂く季節にはこの事態が落ち着いていますように。

 

美しい朝に・・65・・

 

  新聞やテレビの 暗きニュースにも

       あれは信じぬ 神は愛なりと  源三

 

沙耶香のつぶやき-

 

♡  毎日書いている日記は、母は、お母さん。父は、お父さん。兄は、お兄ちゃんでしたので、これからは日記のように書こうと思いました。少し片意地はっていたことに気付いたのです。体調はイマイチ。

♡  家の軒下においてあった汚れたプランターが3つありましたので、お母さんと野菜と花を植えることにしました。楽しみが増えました。とは言っても、お母さんとの共同作業?(本当は見ているだけ)ですよ。

♡   テレビを見るとコロナのニュースばかりで、外に出るのが怖いです。犬の散歩もできません。今の楽しみはプランターの花の成長を見ることかなあ・・・。コロナでお兄ちゃんは学校も休みでオンライン授業?とか。バイトのお店も休み、これからどうなるのかなあ~と考えてしまうこの頃です。

♡   お母さんは、冬物と夏物の入れ替えで朝から大忙しです。数日続いている好天だからです。でも手伝えないのです。沖縄の方では梅雨入りだそうです。一度元気になったら行ってみたいなあ~

♡   体温調節ができないのがわたしの病気の一つの特徴です。そのために不便さを感じています。梅雨は嫌いです。

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記=

   (170)

 

4月16日

 久しぶりに、お布団を干してみました。きっとお日様の恵みをいっぱいに吸収してふっくらとなることでしょう。この時期は紫色のモクレンが花を咲かせて楽しませてくれるのですが、今年はなぜか一つも咲かないうちに若葉が芽吹きだしています。今、お花が人々の心を癒してくれているそうですね。鉢植え一つ。小さな花束一つ。あるだけでほっとするのです。山並みを見渡すと、ミヤマつつじが薄紫色の花を咲かせ始めています。

庭梅や宮城まり子の愛でし色。

若きらの捨てたる村や桃の花。

降りていく原始林なる藤の花。(藤の花もさきはじめました。)

山中の白れん別荘跡地なる。

布引に並ぶ風車や春霞。   馬塲路哉

 

菜の花畑に入日薄れ見渡す山の端霞ふかし。この唱歌がぴったりの季節になってきました。どこかかすんで見える大空です。

 

4月25日

 朝からの寒さが打って変わってとても気持ちの良い暖かい一日となりました。洗濯物もよく乾き、うれしい一日となりました。これだけ医学が進歩してきているというのに、医療に従事されている方たちが次々と感染されていきます。医療崩壊が起こっているというのですからとても不安です。医者の主人の弟は、検査をしていないからわからないだけでひょっとしたら自分も感染しているかもしれない、という恐怖にさらされながら毎日多くの患者さんと向き合っているというのです。まさに命懸けの医療です。

その医療に従事されている方たちのご労苦をねぎらうために大阪や兵庫では夜になるとブルーの光を照らしてありがとうの気持ちを伝えているというのです。感謝の気持ちを忘れないで過ごしたいと切に思うこの頃です。

東門に庭梅匂ふ明かな。

奥伊賀の雑木山なる山桜。

過疎進み深緑なす春の川。

平家むら急峻にして春日影。

数多散り咲き続けをる山椿。   馬塲路哉

週末には例年ならば、タケノコ堀や山菜摘みに大阪の方からたくさんの方たちがやってくるのですが、今年はとても静かです。

 

4月29日

 今日は午後から23度にもなりました。一気に初夏の気配です。今までストーブが必要だった台所も、窓を開け放って自然の空気を入れ込んでいます。暑くなったらコロナも勢いをなくするのでは?と淡い思いでいます。

川浪の白く立ちもし夏めきぬ。

強き意思ふと思ひけるハナズオウ。(ピンク色をした小さな米粒のような花です。)

花屑と戯れてをる金魚たち。

青鷺の過ぐるや近く巣のあらむ。

水温むみどり児ちょっと手を入れぬ。    馬塲路哉

 

ツバメたちがこの暖かさに大喜びしています。空中を全速力で旋回しています。すぐそばを飛ぶのを見ていたら、風圧を感じるのです。

 

5月7

 今朝はとてもすがすがしく気持ちの良い一日となりそうです。まだ寒さが残るそうですが、冬にお世話になったたくさんの毛布たちを洗いました。毛布といってもすべて化繊ですから、洗っても縮みませんし、すぐに乾きます。洗濯機が絞るところまでしてくれます。とても便利になりました。

渕緑川浪白く夏めきぬ。

たけのこや猪の見落とし一つだけ。

旧道をすこし歩きぬしゃがの花。

初ツバメ古巣に入りて声高し。

柴モクレン一人の翁過りけり。    馬塲路哉

 

主人はリハビリに出かけています。燕に赤ちゃんがうまれて、黄色いくちばしを開けてピーピーと鳴き声を出しています。

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」

 

  眸(ひとみ)・・111・・・

 

✬  五月晴れではありませんが、お隣の庭にコロナの暗い気持ちを追い払うかのような願いを込めた鯉のぼりが風にはためいていました。おじいちゃんたちが孫の健康を願ってのことでしょうか。初めてのことで、それを見つめる私たちも元気を貰っています。悲しいことですが医療従事者への差別や嫌がらせの行為だけは絶対にやめてほしいですね。 高知県 B・Hさん

✬  スーパーの店頭に「マスクあります」との案内が出ていました。それを見ていた皆さんの顔には安堵や笑みのあるのを見て、長期戦になる覚悟を見た思いになりました。私は送迎で3時間コースの訓練施設に行っています。家内はペースメーカーを埋め込んでの身体ですから無理はできません。買い物は運動を兼ねて近くのスーパーに行くのが私の役目です。ですから買い置きはしません。下手な料理を見かねて食事は作ってくれます。部屋の掃除や洗濯は機械にお任せです。ケアマネさんやヘルパーさんのお世話になってはいますが、夫婦二人で穏やかに過ごしています。「ジャーナル友さん」の投稿が楽しみで、夫婦で読んで会話のタネにしています。 岩手県 S・Aさん

  “こんなにたくさん野菜ができたんだけど、いらんか?”“ほしい”でもせっかく作ったのを通りすがりの私がいただくなんてと躊躇していたのですが、持って帰って・・・。だれも食べへんのよ。もったいないので、袋いっぱいに取れたてのお野菜をもらって帰りました。また明日も話ができたらええなとお別れしました。私がこの頃物忘れがひどくなってしまってもうあかんわ、と言いますと、ぼけたらあかんで、と何度も注意してくれました。ボケないためにもこうして畑に出てお日様の光を浴びて、体をしっかり動かすことやで、と教えられ、なるほどと納得して帰ってきた私です。新鮮な野菜をさっそく夕ご飯に添えていただきました。甘みがありました。こうしてお互いに年を重ねても声を掛け合って励まし続けることの大切さをまた一つ学びました。86歳の方の言葉には重みと深みがありますね。 奈良県 BAさん

✬  「ジャーナル友さん」へ。コロナのニュースばかりですが、私の住む瀬戸内はオ リーブと藤の花が咲いていますよ。特に藤と言えば日本古来の花と言われ、万葉集にもよく歌われています。藤棚で揺れながら甘い香りを漂わせるうす紫の藤の花房は、古くから日本人に愛さられたお花の一つといわれていますね。最近では盆栽風になったものも出回っているようですが、それも人それぞれの好みですね。皆さんのところにもきっと春から初夏を届けてくれるでしょう。外出は控えつつも、お近くの公園やご近所のお花を見て、お過ごしください! 愛媛県 GKさん

✬  新聞もテレビもコロナ関係ばかりの報道で、心がなえてしまいそうなので、主人やお友だちと、嬉しかったこと交換を始めています。元気に家のことができたこと、孫は毎日、おじいちゃんやおばあちゃん元気ですかとメールで聞いてくれること、庭のあちこちに雑草が生えて、今はその戦いですよとか、スーパーには3日目にしたら、余計なものは買わなくなったよとかのメール交換をしていたら、コロナはどこかに行ってしまいました。毎日神様に感謝してから、一日を始めています。主人は趣味の川柳をパソコンに打ち込んでいます。持病はありますが今日も楽しさを探します。そうして「信友」にメールします。返信があるので楽しいですね。 東京都 B・Hさん 

✬  団地の中に広い公園があります。近くの保育園の園児の遊び場でした。夜明けが早くなりそこは高齢者のゲートボール広場になります。終わった後は、持ち寄りのお弁当を広げて暫しの休憩と談笑の場。夜は2、3のグループが集まり、サッカーのボール蹴り、バスケのシュートで走り回っている少年たち。私の日課の散歩もそのような様子を遠くから見ながら続けています。街灯の光の下に3色の椿とバラが咲いています。 愛知県 OHさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子

 

十戒と主の祈り・・・11・・・         鈴木英昭著

 

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

=姦淫=

  

 第七戒⑤・同性愛

      創世記2:21~24、レビ18:22~23、ローマ1:26~27

 

 1960年代という時期は世界的に人権問題がクローズアップされた時代で、家庭や社会の差別が問題にされました。人権を守ることは必要なことであり、正しいことですが、聖書に基づくキリスト教の家庭倫理や社会倫理に対する挑戦にもなりました。同性愛者の家庭や社会における権利も刺その一つです。アメリカのある教会のオルガニストが同性愛者であることを理由に解雇されたことが裁判で争われました。

 

 同性愛を擁護する人々は、大まかに二つの理由を挙げます。その第一は、聖書の教えは当時の歴史の中で生まれたことであって、歴史的に現代とは違うから、そこでの命令は今の私たちに通用しない、という考え方です。これは一理あるのです。例えば、旧約聖書では姦淫は死刑でした。しかし、主イエスは姦淫の女を赦されました。理由は、旧約時代には、肉によるイスラエルが神の民でしたから、律法違反には厳しいさばきが課せられました。主が来られてからは、信仰による霊のイスラエルが神の民ですから、そうでない人への裁きには悔い改めの機会が残されたため、緩やかでした。

 

 第二に主張される理由は、倫理の最高は愛であるから、愛があれば、同性愛でも赦される、という主張です。禁じられているのは、宗教儀式や姦淫としての同性愛であって、愛と誠実があれば、つまり相手を変えなければ、聖書は罪としていないと考えるのです。ですから、今ではオランダ改革派教会(大会派)は、同性愛の教会役員を認めています。

 アメリカ合衆国長老教会は、教会としてこれまで数度、同性愛者の教会役員を認めることを過半数の賛成で決定しました。しかし、3分の2以上の中会の採決では賛成を得られずに否決されています。賛成している中会は、教師の任職の面接で、賛成しない教師候補者を教師に推薦しないようです。 

2003年6月の総会は、議長に賛成派の女性を選びました。

 

これに対して、これまでのように、一人の男と一人の女との結婚は神の創造の秩序であり、同性愛は明らかに神の意志に逆らうことであると考える立場は、同性愛を認めることが人に罪を犯させることであると考えます。しかし 、同性愛の傾向を持つ人の存在を否定するわけではありません。

この問題の難しさは、聖書の権威は神の言葉である聖書自身にあり、解釈も聖書から来るということと、「歴史的、文献的に聖書を調べ解釈すべき」ということとの関係です。これは、現在の女性の教師・長老問題と共通する性質を持っていますから、問題に対する立場の違いが生ずれば、改革派教会の将来は様々な点で、現在とはかなり違ったものになることでしょう。 

 

バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・32・・   

     水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

14 愛児の死

 

1907年(明治41)はREマカルピン師にとって悲痛な出来事の年であった。

『1907年6月7日の聖日、早朝自転車で12哩の瀬戸まで行き、午前中は教会の説教、午後は路傍伝道説教、そして夕拝の説教を終えて月明かりの中を家路についた。山積みになった手紙の中に病気中の私たちの息子クリスビーについての1通の手紙があった。それは、彼は長く生きられないであろうという文面であった。クリスビーは結核のため一年間治療をして、一時は回復の徴候を見せたのだが、冬の間に恐ろしい病気が彼の内臓を犯し、最早すべての望みは消えようとしている、と言うことであった。私たちの思いはノースカロライナ州トリヨンの病院に横たわる彼のところに向けられ、唯、「主の御こころのままに」と祈るよりほかにありませんでした。

次の日から彼へ、また彼についての手紙を書くことで一杯でした。それは最早私たちが彼のところに赴いても間に合わないと思ったからです。そして6月21日の夜明け、昨夜の激しい暴風雨がすっかり晴れ上がった美しい聖日、私たちは朝の祈りを終えると、「電報」と言う呼び声を耳にしました。そして私たちは外電のメッセージ「クリスビー シス イーブリン」に、こうなることの心の準備はしていたものの、矢張り私たちの感情は悲しみの淵に打ちひしがれてしまいました。

朝の礼拝中、冷静を保っていましたが、日本の方々の悔やみの言葉を受けると共に、私の心は悲しみで一杯になり、すっかり取り乱してしまい、大変後悔いたしました。それは、こうした場合、涙を見せぬ東洋人に対して自分の弱さを現わしたと思ったからです』。(マカルピン回想録)

 

愛する息子クリスビーの最後にも、祈ってやれなかった父としてのマカルピン師の胸中は、遠く異郷の地日本に宣教師として奉仕する者の負わなければならない十字架であった。現在なら飛行機で飛んで駆けつけることができたでしょうに・・・。

6月27日、バラ先生は、アメリカから帰っての夏、神山に避暑しながら例のように伊豆の地に伝道旅行をした。御殿場神山から10月13日には東北仙台へと飛び、元気に活動された。続いて、同月南信州伊那谷の坂下教会へ稲垣 信教師と同行、4人に洗礼を授けた。まことに、すさまじい伝道精神である。

さらに11月15日 には、萬国日曜学校同盟会の教育部長・哲学博士ハミル氏が日本に来て講演会を持たれ、そのための歓迎会が同日夕方7時半から横浜メソジスト教会で開催された。バラ先生は、在日宣教師を代表して歓迎の辞を述べられた。日本宣教46年、時に75歳のバラ先生の美しい白鬚(しゆ)は、先生の伝道の生涯を物語って余りある輝きを放っていた。

 

 

 

 

「キリスト教百話」

  

問28 キリスト教は、大きく分ければカトリック教会とプロテスタント教会になると思いますが、どうちがうでしょうか。

答・・1・・

 わたくしは最初に行った教会がプロテスタント教会でしたからその信徒になったのでありまして、最初にカトリック教会い行っていたならその信徒になっていたかも知れません。その場合、そのどちらの信徒になっていたとしても、イエスを「神の子、キリスト(救い主)」と信じる点において変わりはありませんから、信仰の基本においての違いはないと思っています。ただプロテスタント教会が生まれてきた理由と、今日までの双方の歩みを考えてみると、違いがあることは否めません。それを一言で言えば「権威の所在」ということになろうかと思います。

 「権威の所在」などという言葉を聞きますと、何か難しい問題のようになるかもしれませんが、ことは極めて単純でありまして、「あなたのキリストに対する信仰はそれでよろしい」ということを、誰が、また何が決めるのか、ということであります。「教皇(法王)」が権威の担い手であります。勿論、そうは言っても、教皇個人が自分の意志によって教皇の座についているわけではなく、選挙によって選ばれるわけですから、公(おおやけ)に認められ、またそこに神の意志があると信じる信仰によってのことでありますが、いずれにしてしても、教皇によって代表され担わされている権威が信仰と教会に関することを決定する権威であるわけです。全世界にあるローマ・カトリック教会は、全てこの権威の下にあります。

 

 ところが、この権威のもとでなされていることに疑念を抱いた人たちがいました。それがマルチン・ルターなど宗教改革者と呼ばれるに至った人たちでした。例えばルターは、当時聖ペトロ教会建築の資金を集めるために「免罪符」を販売することが教皇の許可の下に行われていたのに対して、「免罪符を買うことによって罪が赦されることになるのか?」という疑問を抱いたのでした。それで聖書をよく調べたところ、そこで発見したことは「罪の赦しはイエス・キリストを信じる信仰によって与えられるものであって、免罪符を買うとか、そのほか人間が考え出した様々な修行などによるものでない」ということでした。

 それは、言い換えれば免罪符発行を許可した教皇を否定したことになりますから、彼は、この権威に従わないものとして破門されました。

 以上のことから分かりますように、ルターは、信仰とは何かを決定づける根拠となす権威は教皇ではなく、聖書にあると主張したわけです。信仰と教会の拠って立つところはどこにあるか、ということが問われた結果です。

 篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

 

第95課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・52・・・

G キリストの非利己的な態度を見習うことが、すべてのキリスト者の義務である。

・・・15:1~13・・・1・・・

 

 「わたしは言うキリストは神の真実を明らかにするために、割礼ある者のしもべとなられた。それは父祖たちの受けた約束を保証するとともに、」(8節)

 

 「ここでパウロはキリストがどのようにして読者たちを受け入れて下さったかを示そうと意図している。キリストが来られたのは、ユダヤ人に仕えるためであり(8節)、また異邦人たちをも神を崇めさせるためでもあったのである(9節)」。(ホッジ) 

 ローマにある教会はこれら二つの階層の人々によって成立していた。キリストはこれらの二つの階層の両方ともを受け入れられたことを示そうとするのである。

 

 「割礼ある者のしもべ」という表現は、「ユダヤ人のところへ遣わされたしもべ」という意味である。「神の真実を明らかにするために」というのは「約束を果たすことに於いて、神が真実であられることを主張するために」の意味である。

 

 「神の真実」というのは、神の「誠実」、神の「忠実」ということである。キリストは主、あるいは支配者としてではなく、「神の恵みの約束を成就するために、へりくだったユダヤ人のしもべとして来られたことによって、その最も大いなる謙虚とあわれみとを示されたのである。そのあわれみはユダヤ人にのみ限定されるのではなく、異邦人もまたその王国に受け入れられ、そして同じ条件でユダヤ人たちに結び付けられたのである。

 キリストがこのようになさったことは、ローマの教会の人々にとって、手本であり模範であって、彼らはこれにならってユダヤ人も異邦人も互いに友情と友愛を養わねばならないことを強く教えられているのである」(ホッジ)。 

 

 

   JG・ヴォス著

   玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

 

『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

 

   「ジャーナル友」の皆さんは如何お過ごしですか。テレビに映る人の数とは縁遠い私たちの町には「3密」はありませんが、ご近所の方のお話では県外ナンバーの車が目立ち始め、「コロナ疎開」を感じますね、とのこと。近くのスーパーの駐車場でそれを見かけます。礼拝も見慣れない人が多くなり、小さな教会堂ですから手狭になり4月19日から当分の間、教会員は在宅礼拝になりました。皆さんの教会ではどのようになさっていますか。 長野県 OKさん

   東北の地にも待ちに待っていた春の訪れ…。庭の沈丁花が遠慮しがちに花をつけ始めました。蕗の薹があっという間にあちこちで咲き始めました。東北の春は何もかもが一度に春風と共にやってきます。人の行き来、船の行き来も忙しく活気が、復興に向かう日常の活動に戻りつつあります。東北訛りが何とも言えない東北魂を感じるのが不思議です。心の復興はまだまだですが・・・。 宮城県 YYさん

   娘は看護師として働いて11年目になります。子供の時からの憧れに職業に就いて働いている娘から、仕事はコロナの患者さん対応できついが、ご本人の姿やご家族の不安なお気持ちを思って頑張っていますが、わざわざ病院の前で、大声で嫌がらせを浴びせられることが多くなり悲しくなります。勿論、頑張ってくださってありがとうとか、たくさんの感謝の言葉は頂いておりますが、疲れて帰るときの差別や、特別勤務手当がもらえる身分だからいいね~とか、謂れのない言葉で、少しこの職場から離れたいと、初めて弱音をメールしてきました。医療に関わっている人、みんな頑張っています。親として何もできません。この「つのぶえジャーナル」をお借りして、どうぞ、お願いします。お祈りください。 広島県 YYさん

   毎日のニュースを見聞きしたり、「つのぶえジャーナル」を読んでいてやっとわかったことですが、これは対応可能な、通常の季節性のインフルエンではないということです。ですから、3密、ステイホーム疲れで云々ではなく、ある程度の終息までは年単位で日々を考えなければならないことと言うことです。それならば、落ち着いた日々の成果を求めて、具体的に考えてみましょう。惰性的な生活からのステップアップのチャンスと私は今、自分の生活を見直している83歳です。 群馬県 SKさん

 

        +=+=+=+

 

♪  母は81歳ですが、昨年、長い間お世話になっている内科の先生に母のことを相

  談しましたら、市のケアーセンターを紹介され、孫のような若いマネージャーさんが来てくださいました。お若い方だったので最初は心配でしたが、親切に相談に乗ってくださり、今は頼もしいお嬢さんケアマネさんです。外に出るのが苦手、人と話しするのが苦手なタイプの母でしたが、今では身支度してお迎えの車を待っています。もう2年目になりました。私も安心してパートの仕事に出かけています。

  近くの広い公園では、「俄か」が多く、滑稽です。真新しい色鮮やかなジョギングスタイルで、少し走ってはのお休みさん、今にも筋肉を痛めそうに走っている人、ぎこちない父と子供のお遊び・・・。今までの生活スタイル改革のチャンスを・・・と捉えるなら、これからきっと落ち着くのではないでしょうか、と希望をもって、何時もの早朝の公園散歩を楽しんでいます。くれぐれもお怪我の無いようにと願っています。 

♪  コロナで、私たちみんなで生活スタイルを見直してみました。いくつか気付いたことがありました。子供たちは塾優先です。主人は帰宅時間は夜の10時、私は仕事でお休みの日は家事に追われ休む暇もない生活。冷蔵庫はレトルト食品ばかり。食事の時間はバラバラ。そこでみんなで一大決心。週に一回は皆でテーブルを囲んで食事すること。いただきます!ありがとう!を家族の誰かに言うことにしました。ゲームもしてもいい。夜10時になってもいい。レトルトでもいい。でも、皆でテーブルを囲んで食事をする、ありがとうを言う、で、不思議ですが、後片付けの手伝いに主人も子供たちも参加するようになりました。もう2カ月も続いているのですよ。

♪  田舎は良いですね。青空、新緑、道端の花、3密とは無縁です。日課にしている自転車でいつも誰もいない川岸で魚釣り。釣れなくても楽しいです。2時間ほど糸を垂れ、何も考えない時間は至福の時です。家内も子供たちも健康であることは一番幸せです。時々、鳥が餌を採りにきます。失敗はなく、良かったね!と飛び立つ姿を見ています。

♪  私は86歳です。貧しい家でしたが高校にも何とか行けました。布のグローブと手作りで中に石を入れて縫い合わせたボール、太い木の枝を削って作ったバットで、三角ベースを楽しんだ世代です。高校に進み憧れの野球部に入りました。草と石のグランドを夢中になってボールを追い、顔に当てて怪我をしながら、憧れの夢の甲子園を目指して走り回りました。夏の予選が始まりました。一回戦で大差で負けました。でも私の甲子園球場は、今もあの石ころだらけのグランドです。青春は今もこれからも続くのです。若者にはそれぞれの甲子園があるのです。

♪  1枚目は佐保川の花筏、2枚目は東大寺二月堂から眺めた市内と生駒山になります。ご覧ください。

♪  爽やかな5月になりました。私の地域では田植えの準備が何時もの様に始まりました。収穫を楽しみにお仕事に精を出しています。ビニールハウスには夏野菜が青々と伸びています。非常事態の宣言が延長との報道がありました。でも、コロナ対策は確実に前進し、有効な薬も先が見えてきました。答えが先に行ったのではなく、確実に解決策に日一日と近づいているように思えてなりません。ぼんやりとしてきた光が、明るい光が目の前に見えているのではないでしょうか。「信じて待つ」ところに希望ありですから・・・。

♪  今日は55日。こどもの日ですね。コロナで、年々減ってしまい、「鯉のぼり」を飾っている家は、ありません。ふとそんな思いになり折り紙で「こどもの日」のお祝いに「鯉のぼりの折り紙」を作りましたので写真を送りますね。昨日は、母の日でした。 折り紙で、カーネーションを折り、孫と、手作りのカードを作り、娘にプレゼントしました。お婿さんのバースデーカードも作りました。わたしは、「幸福の木」をいただきました。玄関に置いてあります。

♪  創世記1章26節から31節で、人は神にかたどって創造された。地を従わせ、すべてを支配すると言われました。神はお造りになったすべてのものを御覧になって、それは、極めて良かったと記されています。人は神にかたどって創造され、智恵も与えられ、神さまの創造されたすべてのものを治める義務を与えられたのです。極めて良かったものすべてをです。それを怠たると神からの警告として異物が与えられるのでは・・・。

人の細胞は防護機能を持っているので、病気のもととなる異物は細胞がなんとかやっつけてくれる場合が多いです。ただ、人が弱っていたり、病気のもと(ウイルス)が非常に強いと、人は病気になってしまう。人の細胞の機能が衰えてきているのか、ウイルスが非常に悪性に変化したのか。いままで当たり前にしていたことができなくなると、当たり前と思っていたことの中に感謝すべきことがたくさんあったことに気づけたのが、非常に感謝。さらに、外出を控えてみたら、家が片付く、食事がしっかり作れる、日曜日の礼拝が以前に増して待ち遠しい。いままでの外出、本当に必要であったかと疑問になる。

   疫病は、時々発生しては困るけれど、時々、当たり前を見直す必要があることを気づかせてもらった。とにかく、自分は今できることをする。困難に立ち向かっている方々に支えがあることを祈ります。

 

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子

 

  『ありがとうございます』

梅雨入のお便りが、多くなりました。季節ですね。路地に咲く花のお便りは、新型コロナの便りよりも多くなりました。自粛疲れは、マスコミが流す言葉で、多くの方は、落ち着いた普段通りの生活をされていることが感じられます。どうぞ、お庭や広場での「お花メール、お便り」をお送りください。「つのぶえジャーナル」で紹介させていただきます。

 2020年5月16日から6月15日までの けんきん、寄付金の報告を感謝してさせていただきます。

 

桒原廣子様 長津 栄様 植田よしみ様 佐藤のり様 大井川義則様 馬場暁美様 加納さおり様  匿名3名様

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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