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「今月のことば」
弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにした。
=マタイ21:6=
今年のイースターは、4月9日と教会カレンダーに記されていますので、その先がけではないですが、このみ言葉から、教会のこれから、信仰の明日を考えてみたいと思いました。
イエス・キリストの誕生をお祝いするクリスマスは、教会やキリスト教世界だけでなく、世界の各地で最大のお祝いの日として祝われています。日本でもクリスマスが近づくと、商戦のタイトルに用いられ、クリスマスケーキの予約の広告が大々的になされています。
しかし、イースターの取り扱いはそうではありません。これは日本の教会の特徴でしょうか、教会内でさえあまり話題になっていません。せいぜい、教会学校でのイースターエッグで、ああそうなんだという程度の関心事です。それでよいのでしょうか。もし、イエス・キリストのよみがえりがなければ、キリスト教信仰には、今も、救い主を待ち望む歩みになってしまいます。
この3月号のみ言葉は、私たちに勇気と希望を「お命じ」という言葉の中に込められています。
私たちキリスト者が、イエス様がするようにとお命じなった通りに従うなら教会の活動も、日々の生活においても、多くのことが神様からの恵み(ご褒美)として与えられることでしょう。私たちが、こんな小さいことと思われることでも、救い主イエス様のためにそれがなされるときは、偉大なものになります。馬屋のロバの綱を解いてイエス様のもとへ連れて行くだけで、主のみ栄と人々への奉仕となりました。キリスト者の生活が、キリスト教信仰のみの教えとこの世的な生活との部分に分けられると考えるなら、それは悲しむべき信仰ではないでしょうか。
神様を信じる人々は、神の教会の中におり、どこで生き、どこで働いていようとも、常にそれは神を礼拝している大切な礼拝行為です。もし、キリスト者が、自分の判断で教会の生活とこの世の生活とに分けてしまうなら、キリスト教を信用いたしません。クリスマスをお祝いし、お正月には神社に行き、節分には豆をまき、幸せを願って恵方巻を食べるキリスト者を見たなら、キリスト教は幅の広い宗教だと信頼されるでしょうか。反対に、世間の流れに背を向けて生きる姿に信仰者の輝きを見るのではないでしょうか。
私は、一人のご婦人の姿を忘れることは出来ません。時代は違いましょうが、小さなお店をされていた方でしたが、仕事着の姿のままで礼拝に来られ、終わるとすぐお帰りになり、子供たちが楽しみに待っている、お菓子屋さんのおばちゃんに戻っていました。多くの悲しみや喜びを知っているおばちゃんのところに子供たちが遊びに来ていました。おばちゃんは、毎年、イースターエッグは高いので、小さなおまけをつけて、イースターおめでとうさんね!と渡していました。神の国の交わりはこのようなものかと、今も心に残っています。
「小閑記」
見よ、世の罪を取り除く神の小羊
=ヨハネ1:29=
私たち人間にとって、否、全被造物にとって、罪は最大の不幸であります。ですが、この罪はいわゆる、刑事罰だけのことではありません。神様への背信行為、忘恩、人への偽善も含めてのことです。この罪が全被造物に、この世のすべての悲しみに、全ての不幸の原因であると、聖書は私たちに語ってきました。もし、罪がこの世から無くなったなら、と考えてみたのです。それは初めからわかっていたことで、「不可能」です。しかし、この不可能の中に生き続ける私たちの姿は、もっと悲惨です。惨めな希望のない姿を、神様はご覧になったのです。聖書の記述は、人類の悲惨と悲しみと絶望の世界の記録です。
神様はなはだ良かったと満足し、祝福された被造物に、罪のゆえに人間と被造物に神様は、再び救いのみ手を差し伸べて下さったのです。そのみ手と愛は、「神の小羊(イエス・キリスト)」をお与え下ったという事実が示しているのです。これ以上のものはありません。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。これ以上の慰めはありません。
この「小羊」は私たちが負うべき義務(罪の代価の支払い)を、キリストに背負わせ、「罪を取り除く小羊」に背負わせたのです。そればかりでなく、罪の負債を取り除かれたばかりでなく、信仰という恵みへと招き、信じる者へと導いてくださっています。
私たちのなすべきことは、神のみ前に日々の悔い改めの姿で立ち、感謝の思いをもって平伏すことです。「小羊・神の子」は、地上において、悔い改めるすべての者に、キリストの名において示されている唯一の権威、道、道しるべなのです。
いと遠き、夕べの鐘の音のごとく イエスのみの 海山にひびけば
重荷を負える幾千の魂は ひそやかに
よき羊飼いなる主よ 疲れし足をなんじに向く
イエスのみ使い 光のみ使いは 心よろこびもて 喜び迎えん
世田谷通信(234)
猫草
うっかりガスコンロの火を消し忘れることがあって、IHクッキングヒーターに換えて数年経ち、火事の危険は減った半面、全面的に電気に頼っていては停電時どうしよう?と不安にもなる。
昨今のアウトドアブームで、「山でコーヒーを飲む」にちょっと憧れる。まず庭でお湯を沸かしてみようと思った。カセットコンロ用ガスボンベの使用期限が迫っている。いざという時の防災訓練になるかも、と自分にさんざん言い訳して、買ってみたのが小型の折りたためるガスコンロ。畳んだ状態で手のひらサイズ。軽い。地面に設置する脚と鍋を固定する五徳部分を拡げても10㎝程度。キャンプ道具は機能的に作られている。
庭に出る。コンロにガスボンベを接続し、小さな鍋に水を入れて点火。青白い炎が出て、ちょっとびっくりする。当たり前だが、なにせ直火を見るのが久しぶり。そんなことにも緊張する。鍋の水が少なかったので、すぐボコボコとお湯が沸く、だが、屋外なのですぐ冷める。あわてて火を止めて、コーヒーを淹れる準備をする。庭のテーブルが小さくて、ちょっと斜めで危なっかしい。モノの置き場所が圧倒的に足りない。ドリッパーとカップを支え、お湯を入れるも不安定。傾いたカップの中にコーヒーの粉が流れ込む。たまたま風が強めの日だったのも良くなかった。これを山やキャンプ場でやる?とんでもない。ああもう部屋に戻りたい、キッチンでいつも通りにコーヒーを淹れたい。自分で「やりたい」と道具を買ったくせに心の中は後悔しきり。一番簡単に食べられるものをと思ってカップ麺も用意していたので残ったお湯を入れるが、すっかり温度が下がっている上に、量も足りない。とはいえもう一度鍋に水を入れてコンロをセットして沸かす場所も気力もない。しょーがない、と我慢する。コーヒーは粉でザラザラ、カップ麺は硬くて塩辛かった。なんじゃこりゃ。外でお湯を沸かしてコーヒーを飲み、ご飯を食べる(カップ麺だけど)という当初の目的は果たせた。しかし、満足度は低い。点数をつけるなら・・10点。やけどしなかっただけ本当によかった。室内は風が防げて安全で水平だ。きれいな水が出て、スイッチ一つで電気がついて、ゴミを捨てられ、モノが置ける。本当にすごい。しみじみインドア生活に感謝した次第。
庭先のコーヒーとカップ麺を甘く見てはいけない。次は大きめのテーブルとゴミ袋を用意しよう。風で飛ばないようにガムテープで貼るといいらしい。なるほど。
<いきいき里山・山里ものがたり>
佐賀に住む「ジャーナルファン」です。陽当たりのよい庭先に、何と、ツクシ(土筆)が芽を出していました。陽当たりが良いと言っても、まだ2月の下旬前なのに・・・。早春になると田んぼや土手などに、土から筆のように顔を出し、すくすくと伸びて、筆のような形の頭から胞子を散らした後は、枯れてほかの草の中に消えていきますが、きっと土筆は私が最初に春を告げるのよ!とでも言いたげで誇らしく、頼もしいですね。暖かい日は好いですね。
「美しい朝に」
大雪と寒さで外には出られません。怠けて台所の床拭き、トイレ掃除、居間の掃除機掛け、気になっていたところを掃除したら、クタクタになってしまいました。まだ60にもならないのに只今休憩中です。つくづく体力がないなぁと思っています。教会に行くのも、体力がもたないので諦めることが多くなってしまいました。そういって何もかも後回しになっていくのが困ったことだと思っています。体力のある若い頃を鬱病とアルコール依存症で潰してしまって何も出来なかったことが悔やまれますが、今こうしてなんとかなっていることに感謝しなければなりません。さてと、ぼちぼちお昼の支度でもしようかな。・・・。「美しい朝に」さんには、難病の中にあっても前向きなお気持ちの生き方に励まされています。情けない信仰者です。 宮城県 A・Bさんから
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♪ 長かった辛い闘病でした。アテントからリハビリ。まわりの人におだててもらいながら頑張れましたが、今も辛かった日々を思い出します。今年も、2月の誕生日が近づいてきました。去年は誕生日の日に難病が再発していました。入院中
はコロナ禍で家族にも会えず寂しい思いをしながらでした。今思うのですが家族にも会えないことが、返って自立心が芽生えたのかも?
♪ 主人から花束。息子夫婦からは梅干し。娘夫婦からは眼鏡ケース。孫からはバスディーカード。うれしいです。
♪ 三寒四温と言いますが、本当に寒くなったりあたたかくなったりして、身体にこたえます。明日は、血液の検査の日です。血小板をはかります。血小板は専門の病院でしかはかれません。数値が低すぎると・・・輸血とステロイドの点滴しか
ありません。ステロイドは血糖値をあげますし、副作用が多いのです。しかし、今の医学ではこのITPは、他に方法がないのです。1か月、血糖値を下げる努力をしてきましたが、現在、ステロイド0錠で過ごしているので、血小板の数値が
心配です。去年、検診で、数値が低くて「輸血が間に合わなければ死にます。」と入院して数値が安定し家で過ごせるようになったのに2か月入院しました。コロナ禍で、家族もお見舞いも禁止でした。また、入院の用意はしたいと思います。
売店に行く許可も出ないかも?
♪ 病院での検査、入院はしなくて良かったです。感謝です。小雪がまっています。今日も寒いです。
=沙耶香のつぶやき=
寒さが苦手で、部屋の中に閉じこもっています。学校は何とか行っていますが、怠け癖がむくむくと心にわいてきています。お母さんはインフルエンザやコロナに罹るよりはいいので・・・と言ってくれるので、その甘い言葉に誘われてしまうこの頃です。
お母さんがシクラメンの小さな鉢植えを3個買ってきて、お気に入りの鉢に植え替えて、一つくれました。部屋の中が華やかになりました。あとの二つは、食卓と母の机の上にあります。
最近また体調を崩してしまいました。季節の変わり目や寒暖の変化についていけないのです。お布団の中から少し気分が楽になったので、メールを送りますね。
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▲ 自信を無くして、仕事をしないでいた娘が友人のお花屋さんに手伝いを頼まれて、1年になります。最初は週に1~2回、それも気まぐれの手伝 いでしたが、どうしたのか、今は手伝いではなく、店員さん?のように笑顔でお客さんと会話をしているのです。最近、家に帰ると、フラワーアレンジメントの仕事がしたいとかで、本を買って読んだり、先輩の指導を受けているようです。子供の頃から、お花などには全く関心のない子でしたのに、驚きです。ただただ、友人のご好意と神様に感謝しています。 神奈川県 K・Nさんから
*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(204)
1月17日
洗濯物が久しぶりに乾燥機を使わなくても、乾ききりました。感謝ですね。一寸したことでもうれしくなるこの頃です。今朝の朝散歩の折には近くの同年齢のお友達二人が出迎えてくれました。“大丈夫か?”“もう少ししっかりしたところで診てもらったほうがいいよ“と私の体調を我が身に置き換えて心配してくれました。同じ年齢なので、その辛さがよくわかってくれるのですね。声に張りが出てきたと一人の方は励ましてくれました。声で元気かどうかがわかるなんてびっくりしました。こうして話し合える、励ましあえる友達が近くにいるのは感謝なことです。私は団塊の世代の一人なのですから。
初雪や鈴鹿は銀となりにけり。
美しき、ケヤキ枯木の穂杖かな。
マッサージ肩こり治す老いの春。
めらめらと山燃ゆるかに日脚伸ぶ
信楽へ超ゆる屏風の山に雪
雪嶺も鈴鹿厳しと望みけり。 馬場路哉
1月18日
おはようございます。こちらは曇り空です。いつもの朝よりも寒さを感じます。でも散歩の折にじっと木々を見つめるとなんだか春めいてきているのがわかります。庭のこぶしの木にはもうたくさんつぼみがついています。反対側にあるハナミズキの葉っぱには小さなはっぱが巻き付いています。春の準備をしているようです。今朝の散歩はそのような今までとは違った自然界を見ることができました。
病室の友に元旦夕焼けす。
初カラス揃ひ南へ飛び行きぬ。
フォスターの夢の曲聴き年惜しむ。 馬場路哉
主人は今歯科医院へ出かけています。80歳近くにもなると歯があちこち痛んでくるようです。その治療には時間がかかりますから粘り強く通院しなければなりませんね。
1月22日
今朝はあまりにも寒いので散歩は取りやめました。明日からは一層寒さが厳しくなるようです。足元だけでなく、首元にも配慮が必要です。水道管が破裂しそうですから今夜からは一晩中お水を流し続けるようにします。
緩和ケア受くる友へと泣初す。
そこはかとなく喜びて新年会。
点々と目立って来たる冬芽かな。
退職後菊に微笑み逝かれけり。
冬ぬくし、神杉を伐る打ち合わせ。 馬場路哉
主人は一人で散歩に出かけました。私は明日からの雪に備えて大根をたくさんいただいたので大きなお鍋でぐつぐつと昆布でだしを取りながら気長に炊き続けています。大根があればお野菜には困りませんから大助かりです。この大根はお隣の一人暮らしの方が持ってきてくれたのです。田舎ではコンビニもなし、スーパーもなしで不便な生活をしていますが、こうした助け合いの輪がありますので感謝です。私にできることは少ないのですが。皆さん見るに見かねてお野菜は家の戸口に黙っておいて帰ってくださるのです。
2月1日
熱は下がりましたので、少し散歩に出かけました。すると久しぶりなので皆さんから声を掛けられて歩いているよりもお話しているほうが長くなってしまいました。立ち話ですから少し寒くなってしまいました。主人は家でとれた八朔を両隣の方におすそ分けしています。私は酸っぱいからやめといたほうがよいのではというのですが。いうことを聞きません。それでもみなさん喜んでくださったようです。
この湖の橋の上下にカモ群るる。
日輪を眩しみ八朔もぎにけり。
雪止みて模様の入りぬベージュの田。
信楽へ超ゆる屏風の山に雪。
伊賀広し田をゆっくりと冬耕す。 馬場路哉
2月に入りましたね。少しずつ暖かくなってくるのでしょうか。春が早く訪れてほしいですね。
2月6日
朝からは良いお天気でしたから久しぶりに乾燥機を使わずに洗濯物が春の太陽の温かさをいっぱい浴びて乾ききりました。主人の俳句のことを喜んでくださっている方がおられる旨を伝えると、“本当かなあ~”と言いながらも嬉しそうにしていました。主人は郵便局員になった頃から俳句を始めたとのこと。“葛城”という会に入っています。ひと月にたくさん応募しても多くて2句採用です。ですからジャーナルは本当に主人のまずい俳句をも用いて下って、また皆さんが読んでくださって、感謝で胸がはち切れそうなことでしょう。俳句がもうさっそく出てきました。
枯れ木山雪につかの間景変わる。
寒風の吹き荒びをり直売所。
ちぎり雲金色となり日脚伸ぶ
シューマンの曲柔らかく寒明ける。
眩しかる夕日の見えて睦月果つ。 馬場路哉
葛城という俳句会は自然をよく見詰めてあまり感情を入れない俳句会のようです。ですからかなり集中して自然と向き合わねばならず、苦心しています。今年の誕生日で80歳になります。大きな手術に耐えて、17年。ここまで生きられるとは執刀された先生方は誰も思わなかったことでしょう。3か月に一度の検査で肺に転移するといわれ続けていましたから。その宣告を受けるときに待合室で待っている間の苦しいこと。二人で祈りつつ約一時間あまり待ち続けました。そんなことが思い出されるこの頃です。今朝は4日ぶりに散歩に出かけることができました。朝の咳が少し収まったように感じたからです。坂道を下っていくとお隣の大きな梅の木が我が家の道のほうに向いて横たわっているのです。その先っちょを見てみるとなんともう梅の花が咲いているではありませんか。あまりにうれしくなって散歩の途中でしたが主人に知らせてあげました。主人は知っていたのか、あまり驚きもせずに“あそこは、この地域で一番温かい窪地なのだ”と教えてくれました。陽だまりが暖かく感じられるところは、自然の生き物もぐんぐん大きくなって、お花を咲かせたり、新芽を吹きだしたりと私たちを楽しませてくれますね。これからのひと雨ひと雨が春を呼んでくれるのですね。
2月9日
今までにない青い空が広がりました。朝は寒い風が吹いていましたが、今は穏やかな風に変わっています。明日は雨が降るようです。このひと雨が春に近づいてくるのですから。喜びたい雨でしょうか。洗濯物もすべてが気持ちよく乾ききりました。太陽の恵みに感謝です。
氷点下しかすがに身の痛みける。
おきつもの名張の山に雪積もる。
カニ歩き氷の道を降りにけり。(雪で滑ってまともに歩けません。)
アイスバーンゆっくり行くに如くはなし.(しくはなし)
曲がり̪しをじっと見つめて針供養。(主人は自分のシャツなどのほころびはすべて針を使って繕っています。) 馬場路哉
3月号のためにお祈りしています。
馬場暁美
上野緑ケ丘教会会員
眸(ひとみ)
お医者さんから、健康管理のために短い時間でも、少しの距離でも良いですから、一日一回は散歩をするように勧められて実行して7年目になりました。よく躓いて転びそうになりましたが、今はその心配はありません。町内会の仲間と近くの山に行くこともあります。教会に行くのも今は苦にならなくなりました。垣根の花と言えば山茶花だけですが美しく咲き誇っています。あとは南天が赤い実を光らせています。 兵庫県 K・Kさんから
「つのぶえジャーナル」がご縁で、しばらく途絶えていた信仰の友との交わりが与えられて4年目になりました。その友から新年早々のメールが来て、体調が悪く、今月半ばに入院しますとのこと、驚いてしまい、電話しました。声だけではお元気かどうかはわかりません。病気のことがあるから、気持ち的には何とか・・・との声でした。メールの文字だけではわからないことも声の響きでわかりました。不思議なのですが、お互いの共通点は、信仰ではありますが、「つのぶえジャーナル」の感想になっていました。投稿されている方々のことや、それをまとめて「ジャーナル」にしてくれている人のことなど、短い時間でしたが、励まされるよね!とのお話で受話器を置きました。楽しいひと時を過ごしましたが、入院という病気が癒されることを祈っている今です。 神奈川県 T・Mさんから
毎年のことですが、保育園からの帰宅時間は最近また遅くなりました。家族に迷惑をかける時期でもあります。卒園児を送り出す準備、新しく入る子供たちの準備、そうして、新人職員のことなどで、忙しいです。若いお母さんたちの不安を少しでも軽くしてあげることができるのは、園児の笑顔をお母さんたちにお届けすることを心掛けてきましたが、もう20年、ベテラン?の仲間に入る私は、持病になってしまった足腰痛のケアーに専念しています。 愛媛県 腰痛持ちですさんから
インフルエンザの流行が私たち母親に感染しますと、即、日常生活が乱れてしまいます。それは子供に限ったことではないので、母親の健康がいかに大事かを感じました。父親の対応も数日なら何とかなっていますが、幼い子供の入浴や通園、通学、お弁当のことなどになると、お父さんも限界で、気の毒なくらいです。勤め先の学校は今のところ学級閉鎖にはなっていませんが気がかりです。学校行事の一番多忙な時期、職員も家族も生徒も健康に注意してほしいと思っています。 静岡県 C・Mさんから
「ジャーナル」2月号に梅の花の写真と投稿がありましたが、お隣の家のお部屋にある小さな鉢植えに梅が咲きほこっていました。春なんだと思わず足を止めて梅の花に見入っていました。我が家の庭の梅の花はまだまだです。つぼみはありません。ただ春水仙がちらほら咲き始めているのが何よりの春の便りです。雪国の「ジャーナル友さん」の所にも春は訪れます。無責任ですが、今しばらく頑張ってください。 愛媛県 A・Sさんから
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=御心=
第三の祈り⑤・御名と御國と御心
詩篇103・20~21
第三の祈りの最後として、第一から第三の祈りまでの関係を整理しておきましょう。主の祈りは「天にましますわれらの父よ」という呼びかけの言葉で始まりました。それには神の子らとして、御父の思いを知って、それを少しでも行いたいという思いがすでに表明されています。そして、主イエスが御父の御子であって、われわれの長兄として、父の御心を行う模範を示してくださいましたから、この「父よ」という呼びかけによって、私たちは神の子らとして、御父の御心を知ろうという強い願いが現わされます。
そうして、「御名を崇めさせたまえ」という第一の祈りをするとき、主の祈りの最も中心となる祈りをしていることになります。御父の子らとされている者として御父に何を願うべきかと言えば、父が崇められることです。言い換えれば、父の栄光が現わされることです。それは、ウエストミンスター大教理、小教理問答のそれぞれの第一問にある通りです。神の子らの歩みはいろいろ違うわけですが、神の「御名が崇められる」ことが神の子らの人生のおもな目的です。
神の御名が神の子らによって崇められるのは、何よりも子らが御父のご支配に服することで現わされます。子らがこの世の父にしたがわないのであれば、父の名が崇められず、恥を受けることになります。子らが父なる神の支配に服するために、第二の祈りで「御国を来たらせたまえ」と祈ります。
主イエスが、「神の国は実にあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:21)と言われたのは、弟子たちが御子を信じて神のご支配に服するようになったからです。その点でも、御子自身が模範を示され、御父のご支配に服し通されました。このように、第二の祈りの御国の支配に服することに比例して、第一の祈りの神の御名が崇められることが実現します。
次に、神の御国の支配に服することは、神の御心を知ることで可能になります。それで、「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」という第三の祈りがささげられます。天使たちは常に顔を神に向け、神の御心を行うよう待ち構えています。ヘブライ人への手紙の記者が1章14節で記しているように、神は天使に、信者や信者になろうとしている人々に仕える使命を与えておられます。そういう天使が存在することは、私たちもいっそう神の御心を行うために励ましとなります。
「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」(ヘブライ1:14)。
このように、第一の祈りのために、第二の祈りが支えとなり、そして、第二の祈りを次の第三の祈りが支えることになります。それで、「御名が崇められる」ことが祈りの中心であり、信仰生活の中心であることがわかります。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
24 再び焦土の日本へ・・・2・・・
1946年11月10日、マカルピン氏の母堂、ミセス・アンナ・バラ・マカルピンさんは、82歳で逝去された。そして北カロライナ州のウインストンセーラムに葬られた。
1947年(昭和22)1月4日、愛する母を亡って間もなく、J・A・マカルピン氏は廃墟の混乱と窮乏のドン底に喘ぐ東京に着いた。1月14日、神戸でW・A・マキルエン博士と提携してミッション事業を検討することになった。1月30日には、世界伝道局書記長のダービー・フルトン博士と同議長W・M・エリオット博士が、今後の日本伝道の協議のために派遣された。
マキルエン氏とマカルピン氏は、空襲で跡形もなくなった神戸市葺合区熊内町1丁目の中央神学校庭に焼け残った小住宅を仮住まいに、ここを根城に旧南長老教会ミッションの元伝道地を調査することになった。且つてミッションと協力した教職との連絡もできて、4月には熊内町の小旧宅で懇談の会合を持ち、ミッションの伝道再開についての協議がなされた。
そして8月、マカルピン氏は日本伝道再開のために家族を日本に移すため、またミッションの必要品を運ぶためアメリカに帰り、10月には敵製財産として日本政府に管理されていた土地建物も返還されて、神戸・熊内の小住宅に居住してミッション事業が始まった。
マカルピン夫妻は、この小住宅を開放して集会を開いて礼拝を守った。L・W・モーア宣教師も軍籍を離れて高松に赴任し伝道を開始することになった。そして、その年12月30日から1948年1月1日にかけて、日本における戦後初めてのミッション会議(第55回)が、12名の宣教師の出席によって開かれ、マカルピン氏が議長として議事に当たった。そして、
神戸地区(本 部) W・A・マキルエン宣教師夫妻
四国地区(丸 亀) L・W・モーア宣教師夫妻
金城学院(名古屋) ミセス・スマイス宣教師
愛岐地区(岐 阜) J・A・マカルピン宣教師夫妻
と担当が決まった。
(写真 岐阜県大井国立療養所聖書研究会 3人目マカルピン師、左隣り筆者・1950年)
「いのり」
健康で、仕事も出来て、家族も元気なのが当たり前になってしまい、それが神様からの恵みであることを、忘れてしまっている昨今の私です。子供たちも自分の進む方へと歩み出し、妻も独身時代からの仕事を続けています。教会ではそれぞれの役目をいただいて、楽しく奉仕をさせていただいていますが、ふと、それは経験と惰性のような気がしている今です。感謝の祈りが乏しいのに気付いている自分に、神様からの責、励ましと、この「祈り」や多くの方々の投稿のことばから気が付いています。「当たり前」とは、信仰にとって「罠」なのですね。 東京都 OMさんから
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「改革者の祈り」・・・・マンシュレック編・・・・
=祈願と準備の祈り=
神の臨在のために
神よ、常にわたしたちと共にいまし、わたしたちの心に住んで下さい。あなたの光と霊とによって、わたしたちの魂と思いと一切の行いとを導いて下さい。
願わくは、わたしたちがあなたのみことばを教えることができ、あなたの癒しの御力が、わたしたちの中ばかりでなく、全教会の中にありますように。 アーメン
メメランヒトン
神との霊的一致のために
永遠の神よ、わたしたちを憐れんで下さい。聖霊によってわたしたちをあなたに一致せしめ、真の光と義をもってわたしたちを燃やして下さい。御子のことばは、あわれみ、聖霊の賜物、わたしたちを助けようとのあなたのあつき御心とを教えてくれます。
「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。これによってわたしたちは、あなたが善い賜物を喜んでお与え下さることが分かります。かようにして、わたしたちは、あなたがわたしたちの祈りと願いを聞いて下さることを確信いたします。あなたと、御子と、聖霊とに、誉と栄光がとこしえにありますように。 アーメン
メランヒトン
聖霊とその働き
エドウィン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
第1章 聖霊と三位一体
Ⅳ 聖霊は父と子から出る***2***
しかし、御霊は父と子から出、彼らによって息を吹き込まれるけれども、完全な神である。彼が父と子から出るからといって、父と子に劣るわけではない。それは子の場合も、彼が父から生まれるからといって、父と同等ではないというのと同じことである。御霊は「永遠の昔に」息を吹き込まれたという事実に重要な点がある。
それは子が「永遠の昔に」父から生まれたというのと同じである。御霊が息を吹き込まれていない時は一度もなかった。彼は永遠から父と子とともに存在していた。かれが父と子から出たとか、父と子によって吹きだされたという言い方は、彼が神に劣るということではなく、三位一体の他の位格との間に、永遠から持っている関係を示唆しているに過ぎない。
御霊は父からだけ出ているのではなく、父と子の両者から出ている点も注意しなければならない。彼が父から出ていることは、ヨハネ福音書15章26節から明らかであるが、子からも出ている。それほど明瞭ではない。しかし、イエスが御霊を世につかわすと語っている個所や、弟子たちに向かって、息を吹き付ける個所から推論される(ヨハネ15:16,16:7,20:22)というのは、たまたま一度のことであっても、それが永遠の息吹を暗示するからである。三位一体の関係の中で、子が所有している権威を反映しているからである。さらに、御霊は「父の御霊」と呼ばれるだけでなく、「御子の御霊」(ガラテヤ4:6)、「キリストの御霊」(ローマ8:9)、「イエス・キリストの御霊」(ピリピ1:10)と呼ばれている。
御霊の持っている他の二つの位格に対するこの関係が、三位一体の第一あるいは、あるいは第二の位格でなく第三位格であるとされる理由を説明してくれる。父は子を生むので、第一であり、子は父から生まれれるので第二であり、聖霊は父と子から出るので第三の位格である。
三位一体の同じ順序が歴史においても現れている。はじめの二つの位格が順に歴史の前面に押し出されたのちに、初めて聖霊が著しい働きをする。創造からキリストの時まで、世界でより顕著な働きをしたのは父であり、創造において中心的な栄光を受け、旧約聖書のイスラエルがおもに関係があったのは父であった。キリストが来ると、父はそれほど目立った立場にはなく、聖霊もまた十分にその働きを現わしておらず、キリストがより大きな役割を果たした。
しかし受肉の後、キリストは天に昇り、三位一体の第三位格が他に比べて多く登場する。三つの位格にはこうした明確な秩序があったため、それは歴史にも現れる。このように三位一体がみられるのと同じ秩序で、各位格が歴史に登場する。
『ほっとひととき「みんなのコーナー」』
コロナのクラスターで私たちの職場も閉鎖していましたが、やっと落ち着き、利用者さんにも笑顔が戻ってきました。一時帰宅をお願いしていた方も、大きな病気に罹ることなく、戻ってこられました。改めて、今の仕事の責任の重さを痛感しました。神様のお守りに感謝しています。とは言え、まだまだ安心はできません。それぞれの部屋に居られる方々には、一層の手洗いと換気をお願いし、私たちはそれ以上の注意が求められています。入浴は回数を減らしました。ホールでの食事はやめて、時間はかかりますが、お部屋で食べていただいています。皆様のお祈りを願ってやみません。「ジャーナル友」の皆さんも、お元気にお過ごしください。 大阪府 T・Mさんから
4月から大阪の会社に就職する娘のことが心配です。親の手で育ってきた?ので、自立できるのだろうか?料理や洗濯や掃除は大丈夫だろうか?などなど思い悩んでいます。本当は、私が自立しなければならないのですよね。主人も、何も言いませんが、家を離れる日を確かめるかのように、毎日、一年カレンダーを見ています。 和歌山県 H・Hさんから
ほっとしています。共通一次試験は何とか終わり、結果を待って次に備えています。ひと息ついています。こんな暖かい日が続くとあちこちの梅の花のつぼみが膨らみ始めそうです。でもまだまだそう簡単には春は来ませんよね。これから大寒。三寒四温が続いてようやく立春。春の兆しが感じられるのは、進路が決まってからになることでしょう。春を感じるのは、結果が出てからです。初めての経験です。「ジャーナル友」の母は、何も言わずに見守ってくれています。不安なのでメールしてしました。 静岡県 L・Kさんから
年明けの仕事が忙しく、少し疲れ気味でしたので礼拝には行けませんでした。オンライン礼拝はありますが、皆さんと一緒に声を合わせて讃美歌を唄い、お祈りにアーメンと唱和できないので、一人礼拝で、聖書を読み、お祈りしながら皆さんのことを考えるようにしたいので、利用はしていません。職場はインフルエンザとコロナに罹っている人も多くなり、気懸りです。「ジャーナル友の皆さん」、また医療関係に従事されている方々、電気、ガス、水道の円滑な供給にためにお働きの皆様には、感謝以外にありません。スーパーの買い物で必要なものが買えることに感謝しています。神様のお守りが与えられますようにとお祈りもしています。 栃木県 Y・Tさんから
毎月「つのぶえジャーナル」を楽しみに読んでいる一人です。仕事の関係で富山県に来て驚いたのは、友達がほとんど富山について知らないことでした。私もその一人でした。富山に何か有名なものはあるの?と聞かれて、答えに困った経験がありましたが、教会の信者さんの中に、地域活動として郷土史家さんがおられて、散策ツアーを年に数回なさっているのに参加させていただく内に、豪雪地帯や黒部ダムばかりでなく、五箇山の集落や平家の落人伝説、一向宗への弾圧の苦難の歴史、そうして何よりも素晴らしい自然の恵みの豊かさと歴史を物語る田畑の美しさは、日本の風景そのものと思えるようになり、今では、自称「富山観光大使」?を自認しています。60歳代は私を含めて数名の小さな教会ですが、私の故郷(千葉)とは違った、温かみ豊かな教会で、伝道は難しい土地柄ですが心は燃えています。 富山県 T・Mさんから
先日の10年振りとかの大雪で雪には無縁の私たちの日々が大混乱に陥ってしまいました。車の事故、転倒事故、農業への影響などや、衣服や暖房など、どれもが俄かの寒さ対策などです。今は何とか落ち着きましたが、ある時期は救急車も対応できないほどでした。油断は禁物ですね。信仰も同じですね。 鹿児島県 H・Hさんから
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<匿名ご希望の方のコーナー>
「ジャーナル」の手料理の記事が載っているのが面白いなあ~と思って読んでいます。キリスト教の堅苦しい感じの読み物の中にあって、味の香りが漂う手料理に、私は信仰生活は日常の生活なんだ、と思わされて、文字通り「ほっとひととき・・・」のコーナーになっていてうれしいです。この地方(秋田)の名物?の「ざっぱ汁」で、身体をあったかくしています。まだまた大雪で寒いので、軒下には「つらら」は出来ていません。
5年ほど続いていた無気力・無感動・無感謝な日々、手を伸ばせば身近にある聖書は埃をかぶっていました。鬱病の薬に頼ってしまった日々。このまま終わってしまいそうな信仰生活に、何の後悔も未練もない毎日。送られてくる「つのぶえジャーナル」も部屋の片隅に放ったままでした。余りの片付けない部屋に愛想が尽き、半年近くかかって片付け始めていた時、「つのぶえジャーナル」がそばにありました。埃だらけの開封しないままの「ジャーナル」・・・。捨てる前に何だか申し訳ない気がしたので、少しは読んでおこうと思い、開封する。そこには、皆さんの投稿がありました。次々に開封して読み始め、読み漁りました。どうしてなのか今もわかりませんが、涙がいつも読むたびに出ていました。今もまだ聖書は読めません。神様が怖いのです。「ジャーナル」に投稿された文書のぬくもりに助けられて過ごしたいです。今日は本当に気分がいいので、メールしました。こんな気分は何年振りでしょうか・・・。(長いメール文でしたので、編集子の責任でまとめました)。
=この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいておりす。= 編集子
『ありがとうございます』
富士山はこの冬はなかなか雪が積もらなくて、青かったのですが、先日の雨で真っ白になり冬の富士山らしくなりましたと写真をいただきましたので、ここに載せました。早咲きのさくらやハナミズキが咲ましたなどの花便りが多くなりました。また、転勤や就職先への移動の準備は、多忙そのもののようです。また、定年の時を迎えてようとされている本人やご家族の心穏やかでない日々の方のここ数カ月の日々に神様のお導きとお守りをお祈りさせていただくときになりました。お一人おひとりの穏やかな春をお迎えください。
2023年1月16日から2023年2月15日までにお送りくださいました方々です。
村田和子様 加納さおり様 羽野 環様 宇佐神正武様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名1名様
*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。
*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。
http://tunobue.blog.shinobi.jp
(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
「つのぶえジャーナル」の文書伝道事業は、キリスト教の名の下に行う霊感商法など旧統一教会・歴史的キリスト教の聖書を軽視するエホバの証人の団体とは、一切関係はありません。どうぞ一人で抱え囲まずに公的機関か伝統的キリスト教会か、「つのぶえジャーナル」宛にご相談ください。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」