忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

   『ありがとうございます』

各地におられる「ジャーナル友さん」から、フキノトウをみつけました。木蓮の花が咲きましたという身近な様子のお便りやメールを頂きているうちに、今は桜が咲きましたと季節の移り変わりを「季節の花籠」のように頂き、本当に感謝です。

 4月号の投稿は、コロナウイルスのことに関係したものが多く、先のわからない日々にあっても、工夫し、支えい、励まし合いながらお過ごしになられている方からのお便りに、励まされております。「ジャーナル友さん」のこと、お祈りしていますという方々の多くは、メール交換、お便り紹介だけで、お会いすることはなくても、心に思う交わりが自然に生まれていることを、改めて知らされています。このような「交わりの場」がこれからも「つのぶえジャーナル」が果たせますようにと勇気付けられています。感謝いたします。

 「ほっとひととき『お便りコーナー』」や「眸」にその一部ですが紹介させていただいました。ご覧ください。

 

 2020年2月16日から3月15日までの思いを込めた感謝と、「つのぶえジャーナル」事業継続への協力として頂きました。感謝いたします。

佐々木一夫様 長津 栄様 佐藤のり様 岡田千歳様 酒井裕子様 馬場暁美様 加納さおり様 新藤雄一郎様  匿名1名様

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

 

PR
 

 「今月のことば」

 

たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。 

        =マタイ16:26=

 

 私たちが認めなければないことは数多くあります。克服しなければならない事柄もあります。その一つに差別と貧困があります。このどれもが人間の罪、負債として私たちの心に宿しています。

 イエスは人間を高く評価します。主は一人の人間と全世界とを比較します。そして、全世界を一人の人間の魂の価値よりも低いとします。人が全世界を得ても、魂を失うならば、全てを失うことであると。

それほど高く人の魂を評価なさるのです。この事実を再確認することは大切です。

 

 このように大切な宝を授けられている人間とは何でありましょう。人は命や魂をどう値踏みしているでしょうか。多くの人は自分たちが魂を持っていることをほとんど忘れているし、ある人々は、魂はないとさえ主張します。魂はあると信じる人々の中の極く小さい群れのみが、この永遠の魂を正しく評価しているのです。数知れぬ人々はその唯一の生命を、魂を粉々に引き裂き、砕き、殺す者の前に引き出されています。サタンと神を恐れぬ人々の世界は、魂を打ち壊す様々なつまらないものと意味のないもので世の中を満たします。欲望は魂を亡きものにします。

 人間らしく、自由に生きようではないか…。これがこの世の叫びの合唱です。魂なんか忘れよ。審判なんか恐れるな。今を楽しく自由に自分らしく生きることこそ神の御心だと叫ぶのです。

 

 しかし、永遠を知っておられる主、魂の値打ちを知っておられるのは主イエス・キリストです。「永遠に救われる幸い」「永遠に失われる滅び」を知っておられる主は、私たちの魂について、絶対的に異なるお考えを持っておられる方です。「失われた」というのは「おいでなさい」という言葉の決して聞かれぬところ、「時の刻まれぬところ」「日の沈まぬところ」「朝の明けないところ」で、そこに「失われる」があるのです。

 

 もし私たちが魂を失うならば、全てが失われるのです。私たちの進むべき道は、「悔い改めて、全き救いを与え、生命の永遠の光の中に連れていってくださる主イエス・キリストに、全てを捧げ、生きる決心をすることです。

 

   すべての快楽と共に虚しき世よ去れ、

    その喜びをわが目より取りされ。

     この都こそその誘惑の宝にて、

      もはやわが魂はたのしまじ。

   この世よ、そのたぐいまれなる恵みを探し求めよ。

 

 

   「小閑記」

  

 暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった。

          =マタイ4:16=

 

 その光とは主イエス・キリストです。主は、時と、永遠を通して光をお与えになります。イエスは全てをご存知であります。主の全知全能は、私たちの所におくだり(お生まれ)になり、どこへ行くかを語られます。主は、過去、現在、未来の太陽よりも明るい光をお与えになります。主は魂と心と思いとに、明るい光をお与えになります。主は私たちに罪と心の欠乏を示し、罪を取り除き永遠の生命を与える光へ道を指し示してくださるのです。

 たとえ道が私たち全ての者に「行き詰まり」を示し、絶望に陥るときも、主は扉を開き、闇を追い払われます。主は「光の主であり」、主のみが光であることをお示しになるお方です。

 

 私たちがふと立ち止まり、折々の出来事を思い起こすとき、神がキリストによって何を与えてくださったか、全てのことが何であったかを思うとき、私たちの無知、不信仰、頑なさにただ恥じ入るばかりです。自己中心の習慣、浅はかさ、傲慢は私たちに正気をなくさせたことを思うのです。もし、私たちが、この真理をあるがままに見つめ、自分のものにするとき、その大きな限りない幸福と祝福に、夜も昼も喜ぶでしょう。

 

 多くの人々が自分自身の姿を知らず、墓の中に何があるかも知らず、暗闇の中に生き、そして死ぬとき、私たちは善悪をわきまえ、罪と死から離れる道を知り、死の中にある最も素晴らしい永遠の生命を明らかに見せることができるのは神です

 イエス・キリストを知らない人にとっては、太陽が海に永久に沈むとき、その時、イエスの友には、その全き栄光をもって不滅の太陽が昇るのです。

 神の栄光が都を明るくし、子羊が都のあかりとなるからです。

 

    「私が生まれる前から」

  私が生まれる前から 私を知り 私を愛して

    御子イエスを世に遣わした 父なる御神を崇め讃えよ

  私が苦しむ前から 私を知り 私を愛して

    御子イエスを敵に渡した 父なる御神を崇め讃えよ

  私が信じる前から 私を知り 私を愛して

    御子イエスを死に打ち勝たせた 父なる御神を崇め讃えよ   

『み国をめざして』  水野源三 

 

 

世田谷通信(198

猫草

昨年の冬、右腕が腫れ、夜中に痛む。なんだかわからず病院に行くことにする。しかし、そこから5軒もはしごするとは想定外だった。ああでもないこうでもないと検査をされて、紹介状を持って大学病院へたどり着くまで一ヶ月。肩レントゲン3回とMRIって放射線や磁気を浴びすぎじゃないだろうか。毎回初診時はレントゲンをやらないと次の治療に進めない双六みたいなルールがあるそうなのだ。

それにしても大学病院の混雑は想像以上。自動予約受付に自動会計と最新設備はあるのだが、医者が足りていない。4時間待ってやっと予診。書類の入ったクリアファイルを持たされて院内を歩いて居ると「わらしべ長者」を思い出す。でも全然違う。あれは交換するたびに良い物になる話だ。長時間待たされすぎて気持ちがおかしな具合になったようだ。

何はともあれ肩の腱が切れていたことが判明。その影響で上腕に腫れが生じていたという。筋の切れた肩に、本が一杯入った重い袋を持って負荷をかけていたのだから良くなるはずもない。翌日から右肩に湿布とサポーター、ちょっと気をつけたらみるみる腫れが引いた。

その後、動物病院でウサギの健康診断の時に、ついでに獣医さんと雑談した。肩の腱が切れていたが肩自体はそんなに痛くなくて、腕が腫れた原因がわからなかったんです、というと即座に「重力には逆らえません。」と言う。この獣医さん、結論だけ先に言う癖があるのだ。どういう意味ですか?と聞くと、「例えば足首を捻挫して足の甲が腫れるのと一緒です。重力があるから傷より下に症状が出ます。動物の背中に輸液しても、吸収が悪いとお腹や手足に水分がたまります。重力には逆らえません。」と。ああ、そういうことか。ようやく納得。

5つも病院を回ったが、ウサギの爪切り中の獣医さんとの雑談に一番説得力があった。これから自分も不調の時は動物病院で相談しようかとさえ考えてしまう。

 

『美しい朝に』・・64・・

  

「目には見えない御神」

                                         

 雪がとけた道端に 咲いたルリ色の花に

  目には見えない御神の 憐れみに触れ 恵みを見る

 芽ぶき始めた梢に さえずる小鳥の声に

  目には見えない御神の 憐れみに触れ 恵みを聞く

 与えられた賜物を 分け合うその優しさに

  目には見えない御神の 憐れみに触れ 恵みを知る    水野源三

 

  沙耶香のつぶやき ・・5・・

♡ いつのも時間に、いつもの道を犬ちゃんとの散歩の時、ああ~サヤ!でしょう…。久し振りとの声、小学校からの友だちのAちゃんだった。自転車を止めてAちゃんは、サヤ、元気だった、何年振りなか、あの時より背が伸びたネ、わたしはやはりチビのまま、これから塾に行くの、サヤにあうなんて、うれしいなあ~、またね、と別れた。家に帰ったら、なんだかしんないけど、泣いていた。涙が止まらない。そして寝てしまった。母がいなかったのでよかった。

♡ あまり体調が良くない。微熱が出たり、体に力が入らないし、食欲もあまりない。なんか気持ちが不安定。またやせたみたい…。犬ちゃんの散歩もできない。日記を見ると毎年繰り返しているみたい。病院に行った。そのうちによくなりますよ!で気分的に楽になる。先生の言葉は、魔法の言葉だね!と母と帰ってくる。これもまた同じ…。 

♡ 最近、落ち込んでいる。何もしたくない。母はこの天候だし、体調も良くないのだから…と言ってくれる。うれしい。

♡ 外にも出ていない。風邪をひくよりはいいや、と思っている。

♡ とにかく頭が痛いので、気力もなくイライラする。元気も出ない。こんなことが今までも何度も起きる。もう嫌だ!どうして神様はこんな体にしたのか、聞きたい。誰か、助けて…

 『その愛のゆえに』

   =時々の記=

   (167)

 

115

 今は曇り空になり、みぞれが混じった冷たい雨が一日降っていました。この頃は日替わりで天候が変わります。でもこの寒さもいつもの年に比べると暖かいのですから感謝です。

椿ももう満開です。隣りの月ヶ瀬ではもう梅の開花が聞こえてきました。奈良からたくさんの方が梅を鑑賞しに来られるのです。これからひと月は続くことでしょう。

堅忍に望みを置きて去年今年。

頼もしき枯れ木の秀枝(ほづえ)すっと伸ぶ。

広瀬今朝日をはじく冬の川。

弁柄を塗りし古家に年新た。  馬場路哉

 

124

 雨の一日となりそうです。傘をさして散歩をしていると、なんと、黄色いタンポポが一輪咲いているのです。びっくりです。二か月以上早いのですから。その横に目をやるとオオイヌノフグリが咲いています。薄紫の小さな花です。どちらも春を知らせてくれている花です。3月に入るとこの花たちは咲き始めるのですが、なんと今年は大寒の真っ最中に咲き始めたのです。春をまじかに感じるこの頃です。春先の水仙が群れを成して咲き誇っています。なんとも言えないほのかな香りが心を癒してくれます。

街はずれ教会の立つ睦月かな。

川原には白鷺一羽冬の雨。

低気圧の残しくれたる落ち葉掃く。

列をなす風車の山や初景色。

冬晴れになるぞかぎろひ良き色に。

里山は竹林と化し年新た。

新年会多弁となりぬ翁かな。

リハビリに里路歩く冬ぬくし。

わびすけや伊賀俳人の樹木葬。

日向ぼこ雲の切れ目を待ちながら。  馬塲路哉

 

体重が増えてしまった主人は慌てています。今から散歩に出かけます。食事の量も少しずつ減らすように考えています。難しいですが…。

 

1月29日

 軒下で朝の仕事をしていると、曇り空の中で、とても甘い香りが漂ってきます。どこからかなと見渡すと、なんと私の真下で群れを成して咲いている水仙の香りのようです。今までお花ばかりに見とれていて、その香りには気が付かなかったのです。今朝は風が全くありません。だからきっとその香りがまっすぐ私のところへ漂ってきてくれたのでしょう。このようなささやかなことがとてもうれしく心弾ませてくれるのです。

止まらざる大川に満つ淑気かな。

山の上の日輪眩し日脚伸ぶ。

つややかな葉に囲まれて寒椿。

烏瓜キウイと共に冬ざるる。

冬晴れになるぞかぎろひ良き色に。 馬塲路哉

 

先日、横浜にいる姉から、父の書いたものが送られてきました。高知時代の若い牧師の「開拓伝道日記」のようなものでした。その後の長い牧会・伝道の土台になったようです。恵まれた多くの宣教師の方々との「捨て身の伝道」とでも言いましょうか、「柔よく剛を制す」という言葉があるそうですが、父は根気よく「剛よく剛を制す」で一歩も退かない気迫で、相手と語り、嫌われても訪問するスタイルで、それは「日本伝道百年史」ようで南長老派の「ミッションスピリット」となって父の牧師生涯を貫いていたものなのでしょう。アメリカでいうなら幌馬車のように、父はバスの運転免許を取り、「伝道・礼拝巡回バス」でこの伊賀上野の田舎の道をご理解、ご協力下さった信者さんと動き回っていたその熱意は、この高知時代に培ったものと思いました。

 

2月2日

蝋梅の早やこぼれをる窪地かな。

つつがより回復兆す寒の明け。

冬ぬくし雨の一夜をよく眠る。

鉄幹の冬芽に雨のしずくあり。

寒禽(冬の鳥のこと)の突つきし柿の散らばりぬ。  馬塲路哉

 

主人も毎日散歩に出かけるようになりました。散歩でのことが俳句に出てくるようになりました。体重は少しずつ減量には成功しているようです。血圧、痛風、血糖値の上昇にはまず体重が下がることが大切なようです。

 

2月3

 暦の上だけでなく、もう春の訪れを感じるこの頃です。でもまた寒さが戻ってくるとか。このように寒さ、温かさを繰り返しながら、確実に春がやってくるのでしょう。待ち遠しいですね。今朝も春を見つけながら散歩に出かけました。まだフキノトウは出ていませんが、先日咲いていたタンポポとは別のところにあと一輪タンポポが咲いているのです。少しでも暖かいところを探して花を咲かせているなんて、けなげですね。

冬ぬくし翁挨拶口の端に。

倒木にまた倒竹に冬ざるる。

強東風の土産なるべし杉落ち葉。

剪定をされてモモの木璃々しかり。

寒林に良き温泉の湧きにけり。     馬塲路哉

 

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

  眸(ひとみ)・・108 ・・

 

✬ 3月、4月は多くの人の移動の時期です。離島に住んでいた私は鹿児島市内の高校に進み、大学は大阪でした。大学生時代に洗礼を受け、50年が過ぎました。教員として広島で働き、定年で退職し3年目になりました。妻とは学生時代に教会の青年会で知り合い結婚、同じ教員として4人の子供に恵まれました。子供たちは皆教員です。私の育った島は、種子島や屋久島のような島ではなく、全国の天気予報も、台風の進路に入っても地図にも地名も出ないところです。昔から薩摩藩の過酷な年貢の取り立てに苦しむところで、誰もがその貧しさを知っています。その苦い思い出の島に妻と住むことにしたのです。農業を継いだ友人からは、最初は受け入れられませんでしたが、今は地縁、血縁でのよそ者扱いは薄れてきました。妻は広島弁で、島の習慣や言葉は分かりませんでしたが、教員経験を生かしていろいろの集まりに参加しながら、だいぶ馴染んできました。この島は自然豊かで、今ではいろいろの作物がJAの奨励で行われて、生計の安定ができつつあります。海がきれいでダイビングスポットとかで民宿もあり、飛行機で来るようになり、今では大手のドラッグストアーもありますが、教会はありません。ですから、この「つのぶえジャーナル」は、本当に私たちの信仰生活の支えになっています。教員仲間や広島の教会の人に、自称「島の観光大使」?になろうと妻と話しています。 鹿児島県 KYさん

 

✬ おばあちゃん子の娘の所に真新しいランドセルが届き毎日背負ってはしゃぎまわっています。病弱の娘も、神様のお守りと病院の小児病棟の先生や看護師さん方に支えられて新一年生になれそうです。入退院を繰り返しの今までで、夫と信じられない…の言葉が日常会話の中に何度も出てきます。その度にテーブルの上にあるテッシュの減り方がはんぱないです。主人と二人ですから…。教会の皆さんにも感謝しています。 福岡県 R・Iさん 

 

✬ 若い職員が2名も入ってくれそうです。私たちの平均年齢はだんだん上がってきているので、本当にうれしいです。面接の時から感じたことですが、介護施設で働こうという意欲やスキルを身に着けているのに驚きます。ですから、最初から頑張り過ぎて腰を痛めたりしないようにと、先輩?職員として見守って育てていきたいよね、と職員会で話し合っています。将来、結婚しても大丈夫なように、体制を整えています。後は国の政策次第です。地元に帰って、国会議員の皆さん、どうぞ地域の施設巡りを是非ともして下さい。国民は見て評価しますよ。 山形県 S・Aさん

 

✬ 大手スーパーで働いて14年目になしました。非正規から3年前に正社員になりました。子供の学費をと始めた初めての仕事、人に声をかけられない性格でしたが、今では大声を出していますし、商品管理もできるようになりました。これからも健康が許す限り、老後のために働きます。今のところは忙しく動き回り、一応、事務の仕事もできています。苦手はカラオケとお酒ですが、もう皆さん声をかけてきません。それでも人間関係は悪くはないですよ。皆さんの理解でね。パソコンは仕事を終えて、食事などの片付けを終えて、お風呂から出た後のお楽しみタイムで「ジャーナル」を何度も読み返し、「ひととき、眸の皆さんのことをお祈りして」寝床に入ったら、目覚ましが鳴るまで寝ています。喘息もちですから定期的に世話になっている先生の所に行く程度で済んでいます。先生から、今の生活リズムを守ってくださいと笑顔で言ってくださるのがうれしいです。主人も元気です。お腹はお互い様で出てしまいましたが…。 神奈川県 K・Uさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子

 

十戒と主の祈り・・・9・・・4         鈴木英昭著

 

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

=殺人=

  

 第六戒⑦・中絶

      出エジプト記22225

 

 第六戒の最後として中絶という問題を考えることにします。日本では古くから貧しさや子は親のものという思いから、子が犠牲にされてきました。15年程も前の北米の厚生省の統計ですが、合法的中絶の件数が訳130万、その妊娠8週までが約50%、10週までを加えると約77%となっています。日本の統計はどうでしょうか。

 人が誤って妊婦を流産させた場合の償いについて、エスカレートしないために、主なる神がモーセに与えられた掟がこの出エジプト記21章の言葉です。カルヴァンはこの個所を注解して、こう述べています。

 「・・・フエタス(9週間以後の胎児)は、母の胎内にあって、すでに人間であり、まだ享受し始めていないその命を奪うことは、恐るべき罪である。野外にいるときよりも、逃れの場所である家の中に侵入して命を奪うことのほうがいっそう凶悪であるから、その胎児が光を見る前に、胎内で破壊することは、いっそう残酷と見なされるべきである」。

 胎芽から胎児になるのが2か月前後のようですが、中絶として問題になるのは胎児の段階になってからことのようです。中絶がやむをえないとされるのは、妊娠が、そして出産が母体を肉体的に命の危険にさらすことになる場合です。いわゆる医学的理由から出産の道がないと判断される場合です。

 医学的な技術が発展している国々では、出産に当たって何らかの安全策が講じられることが出来るでしょうが、それでも危険な場合があります。どちらか一方の命を守るということになる場合は、当然母体を守りますから、中絶は正当化されます。

 さらに母体の精神的な問題もあります。その場合の判断は肉体的な場合に比べて難しいものと考えられます。家族や医師の支えが出産を可能にするかもしれませんが、これは難しい問題で、この可能性を排除することは出来ません。

 優生学上の理由から、障害のある子の誕生もある程度前もってわかる場合があるために、問題になることがあります。しかし、ドウマ教授は国の法律がどうであれ、実行するのは「神の法」の重い咎めを受けることになると言います。

 もう一つの議論は、法的、倫理的な理由からのものです。例えば、罪の行為から妊娠した場合の問題です。強姦、近親相姦、未成年との性交などによって妊娠した場合です。罪を犯した者を裁くことは出来ますが、妊娠した女性に自己防衛のために中絶を勧めるべきか、という問題です。母親が生まれた子を育てることが最も望ましいことですが、経済的・社会的に、あるいはその他の理由で困難な時、養子として受け入れてくれる家庭があることが合法的であり、道徳的に進んだ社会の解決であるとするのが、オランダの状況を考えてのドウマ教授の結論のようです。世俗化の進んだ社会では、医者は中絶を勧めるようですが、それはこの戒めから見て、明らかに医師が罪を犯したことになります。 
 

 バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・27・・   

     水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

13 20世紀に入る ・・1・・

 

この年、1901年(明治34)は20世紀に入った年として、日本基督教会は前年の第13回大会の決議よって、全国に特別巡回伝道を行って、大いに教勢の拡張をはかった。名古屋地方ではそのため6月13日~19日まで1週間、大挙特別伝道を行って、さらに豊橋、岡崎、瀬戸、岐阜、大垣、竹ヶ鼻、大藪、太田、岩村、大井、関、兼山、御嵩、黒川の各地を巡回伝道した。

以上は主に南長老教会ミッションの伝道地とあって、大会派遣の教師笹倉弥吉、大儀見元一郎とR・E・マカルピン宣教師と他に大石憲英、小山田、宇野、八幡、中田、奥平浩の諸伝道者たちである。当時の浪花中会は、日本基督教会中の最大中会で伝道地も多く、南長老教会ミッションの伝道もよく行われて、日本基督教会の統計によると、1900年(明治33)の受洗者統計675に対して、この年の特別伝道などにより、受洗者は1182名となっている。

宣教師の日本伝道は、ただ福音を宣べつたえるというだけでなく、力の弱い信徒たちの協力者となって集会場を設置したり、講義所の土地建物の購入、礼拝所、会堂の設立という問題が付いて廻った。それは各伝道地の要求するところであり、また希望でもあっただけに、その資金、財政上の労苦も大変なものであった。

名古屋の金城教会の前身相生町講義所時代十数名の信徒と会堂建築の資金を得るために、マカルピン師は援助と努力を払われて、その会計保管の仕事まで依託された。またバラ先生もこれに資金を寄付されて教会は相生町(名古屋)より飯田町へ、さらに堅代官町の金城教会へと発展した。

当時の日本は、まだ道徳、習慣、衛生などには未開で不衛生な面が多くあった。マカルピン師の子供たちが、日本の子供と遊んだり交際するとき、悪い言葉や不行儀なことを習ってきたり、皮膚病(タムシ)などに感染してなかなか治ることが難しく、マカルピン師夫妻を悩ませたことも異郷日本に生活する宣教師としての負い目であった。

2月15日、マカルピン夫人は最後(7人目)の女子を出産した。「北川医師は、またため息をついて『やはりまた女のお子さんです』と言った。しかし私たちは喜びました」とマカルピン師はその回想録に記している。全てが神の御心であると感謝されたのである。この年の夏、マカルピン師は帰米し、バージニア州の歴史的な町フレデリックスブルクで長男のクリスビーと共に過ごされ再び帰日した。

 

「キリスト教百話」

  

問26 前回の話では「最後の審判」があることが望ましいように言われましたが、その辺のことが今一つ釈然としませんので、もう少し説明してください。

 

答・・9・・

 わたしたちの中には勧善懲悪的な発想が潜んでおりまして、生前善いことをした人は死後天国に、生前悪いことをした人は地獄に…という風に、応報の理に適わないと落ち着けない性格があります。ですから、仏教説話のように、地獄極楽の仕分けがはっきりしており、しかもその中で地獄に関する説明が圧倒的に多いのは、それだけ人間の関心は地獄に寄せられているように思えます。そして地獄にいるものは永劫にその世界に留まっているだけで、そこからの脱出や救済はあり得ないように思われいます。

 イエスは「神の国」(天国)のことを語られましたが、同時に「地獄」のことも語られ、「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」(マルコ9:48)と言われ、また「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。誰を恐れるべきかを教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい」(ルカ12:4~5)と言われています。こういう言葉によれば、地獄とは正に永劫に続く世界であり、その地獄に投げ込むか、神の国に入れるかを決定する権威を持っている方は神である、ということになります。

 その最終的な仕分けが「最後の審判」となるわけですが、既述しましたように、イエス・キリストを信じている者は既に「楽園(天国)住民証明書」を受け取っているのですから心配することはないのですが、中には「あの証明書を頂いているものの、その後、天国住民に相応しくないことをいっぱいやってきたので、減点が重なって「証明書無効」となっているのではないか」という人がいます。こういう疑問に対する答えとして「煉獄」の存在を説く人がいます。つまり、減点が多くて証明書無効となった人にも救済策があるので、有効性回復のための講習を課せられるという道が用意してある、ということです。

 この講習を受けるのは、かなりの時間と苦労を伴いはするものの、そういう労苦を重ねさせられるのも、減点を抹消するための配慮として受け止めなくてはならない、という言い分です。一安心できるということでしょうか。しかし、そうは言っても、この労苦を一人で負うのは重すぎて潰れてしまうという人には、特別加算ということも可能である。それは点数を他人にあげられるくらい余分に沢山持っている人がいるので、その人から点数を分けてもらうことができる、という特別措置法があるというのです。それは「聖マリア」とか「聖ペトロ」とか「聖」が冠せられているから人は、点数が足らない人には点数補充を受けることができる、というのです。

 一旦、天国住民である証明書を発行したからには、それを無効になどさせることなく、至れり尽くせりの手立てが講じられている、ということになります。それを信じるものには…です。

 

   篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

 

第93課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・50・・・

G キリストの非利己的な態度を見習うことが、すべてのキリスト者の義務である。

・・・15:1~13・・・3・・・

 

 「キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。むしろ、『あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった』と書いてあるとおりであった」(1513)。

 

 第三に、ここの節は、私たちが熱心な聖書の学習者でなければならないことを教える。もし聖書がすべて私たちのための書かれたのであれば私たちはそれを学ぶのに常に熱心でなくてはならない。聖書は怠け者の書物ではない。私たちはそれを一日に数分間読んだり、あるいは1週間に数分間読んだりするだけのことでは、それから多くのものを得ようと期待することはできないのである。

もし私たちが聖書の勉強から多くのことを学ぼうと思うのであれば、その中へあるものを入れなくてはならない。すなわち、時間と努力と熱心と思索を注ぎ込まなければならないのである。私たちが直接霊感を受けたいなどという願望を退けて、聖書の中に記されている事柄を学ぶことによって、いくらかの大切な知識を獲得するように熱心につとめるべきである。私たちは知的真空の中では真の霊感を持つことは決してできないのである。

 

この節にある「のぞみ」は、もちろん、キリスト教的意味における「のぞみ」である。この世的な野心の対象、富や名誉を入手することを意味するものではない。キリストが私たちのために獲得してくださった全ての祝福を必ず受け取るという確かな確信を意味している。キリスト者の希望というのは、この世における生涯の間に、神の善い恵みを私たちに注がれ、永遠の神の家に住まうことができるという確かな確信である。そして、それは私たちが罪とその結果、すなわち、咎と腐敗、罪の力と悲惨から完全に贖われると言う確信である。積極面から言えば、永遠の栄光におけるキリストとの交わりを意味する。これこそが、私たちが忍耐深く聖書の中にある事柄を学ぶことによって、到達することができる「のぞみ」「希望」なのである。

 

   JG・ヴォス著

   玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

 

   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

 

   印刷文字の年賀状でしたが、一行、「何とか頑張っています…」と、か細いボールペンの添え書きに、過ぎた年月の歩みが伝わってきて、ついご無沙汰の反省と彼女の日々を思いで、涙が出てしまいました。今までもお便りは年に数回差し上げてはいましたが、返事がありませんでしたので、病気でも…と案じていましたが、今年は昨年の倍はお便りしようと思いました。信仰の先輩で、何かとご指導していただけたので、本当に感謝しかありません。もちろん、お礼のお手紙には近況報告を書き添えて送りました。 宮城県 YYさん

   毎月送られてくる「つのぶえジャーナル」2月号を受け取りました。ありがとうございます。私のマンションは12階建てで、主人が「終の家」として20余年前に購入しましたが、その当時の方はほとんど入れ替わり、存じ上げている方はおりません。子供たちの成長とともに同居されたり、老人ホームに行かれたりしています。私も子供たちから、来るようにと言われていますが、今のところ元気にしていますし、独りになっても、思い出の詰まったところですし、お世話になっている病院もお近くにありますから、今しばらくはこの生活です。でも、エレベーターでご一緒でもお互いに黙礼だけです。「ジャーナル友さん」は、私にとっては、お隣りさんです。 東京都 ODさん 

   例年なら大雪で悲鳴とため息ですが、今年は歩道には雪がありません。何だか変な感じがします。新聞にはハウス野菜が出来過ぎて値崩れ、農家さんの悲鳴が聞こえてきそうです。自然相手の除雪という季節限定の会社には、倒産が出ているとか…。春からの畑仕事にも影響が出なければという警報?も聞こえてきそうです.  新潟県 T・Tさん

   野菜農家にとって、この異常な天候で葉物野菜などの生育が早く、スーパーの値段表示が毎日変わります。消費者である私たちにはありがたいことですが、農家さんにはお辛いことと思います。近くのスキー場で働いているご近所のご主人は、本当に困っておられます。何だか日本の四季にも異変が出てくるのではないかと嫌な予感がしてしまいます。庭の梅の小枝には蕾がたくさんついていて、春を待っていますのでひと安心…。  栃木県 GKさん

   先日、献金の奉仕をしてくださったのは、2年程前に受洗した80才の姉妹でした。とつとつとしたお祈りでした。
  「…年を重ねてできなくなることが多くなりました。お世話になることも多くなりました。でも動けるところをもって、どうぞご用をさせてください。・・・」。 神様への感謝と喜びにあふれた姉妹のお祈りが胸に響いてきて、本当に嬉しくなりました。教会にとって、一番大事な信仰のお気持ち、とあらためて思いました。

 今も心に、励まされています。嬉しい気持ちをお伝えしたく、メールさせていただきました。 静岡県 HTさん

**********

♪ 両親は仮設に入れましたが、慣れない生活で体調を崩し、今は仮設を引き払い私たちの所で生活するようになりました。私たちも両親も安心できます。主人の提案で改築してありましたので、何の不便もありません。春になったら庭の手入れを任せようと主人は言ってくれています。ですから、今は、気力と体力の回復が最優先です。安心しているのがうれしいです。

♪ 陽の当たる斜面には、もう「つくし」が顔を出しています。卒業、卒園、入学、入園という言葉には何とも言えない、輝きと笑顔を心に浮かんでくるのが不思議ですね。きっと、そこには多くの方々の喜びと希望があるからでしょうか。木の枝も薄い桜色に変わった気がします。木々には新芽が出てきたのか遠くに見える箱根の山も緑に衣替えすることでしょう。虫たちも春の備えなので忙しいことでしょう。

♪ こんにちは。今日は節分ですね。泣いているお向かいの子供に「折り紙」を折ってあげました。「着物」も、何回も挑戦してやっと折れました。今日は誕生日です。主人から花束をもらいました。アップルパイを焼きました。さつまいもとベーコンで、炊飯器でご飯を炊きました。味つけは、お米3合にコンソメ顆粒大さじ1とバター20gです。

♪ 周囲が山に囲まれた京都の洛北は、これから本格的な寒さの到来が天気予報で報じられていました。観光地ですから今回の新型コロナウイルスの病気感染の影響は想像以上です。中国や韓国、東南アジアからの観光客でいろいろな問題も起きていましたが、今は観光バスも少なく、お店にも人はわずかです。静かな街並みに京の風情をあじわって欲しいと思いました。ブームにあやかった全国各地の観光地でも、きっと地に足を付けた観光地の在り方を考える良い機会になるなら、「災い転じて福となす」になるのではないかと私は期待していますが…、関係者の皆さん、ごめんなさい。でも故郷が壊されていく姿は見たくないのです。

♪ 今朝の冷え込みで、水道が出ませんでした。幸い、バケツに備えていたので、それを使い食事の準備ができましたが、やはり2月ですね。暖冬で少し気持ちが緩んでいました。ここ丹波の山奥は、そういうことは当たり前なのに、と反省しました。 

♪ 診察のために奈良公園を通りましたら、昔の公園のように観光客が少なく鹿が伸び伸びとしている感じがしました。観光バスにも会いません。いかに中国から来ていたかが分かりました。冬の鳥にも出会いました。梅の花には、メジロが…、じょうびたきも庭にいて、久しぶりに出会い嬉しかったです。では  またね…

*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子

ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]