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『ありがとうございます』
一年に一度の年賀はがきが楽しみになり、受け取って、笑顔になるのは不思議ですね。クリスマスカードと年賀状と贅沢な年の瀬と年明けをお迎えの方も多いのではないでしょうか。感謝ですが、そのようなお便りに接して、2020年を迎えようとしています。神様に守られ、導かれ、多くの方に支えられて、2020年の一月号も発行することができました。昨年も多くの方の投稿や励ましのお便り、日々の出来事など身近なお便りやメールも頂けましました。
本当に感謝以外何もありません。どうぞ今度とも、よろしくお願い申し上げます。被災に合われた方々、病床におられる方、一人で生活されている方、忙しく働いておられる方の2020年が神様のお恵みに感謝し、喜び多い年であることと、皆様お一人、お一人に神様のお守りがありますことを、祈らせていただきます。
2019年11月16日から2019年12月15日までのクリスマス献金、退院の感謝献金として、また「つのぶえジャーナル」事業への寄付金が届けられました。感謝いたします。
金田好美様 鶴原澄子様 宮川真澄様 宇佐神正武様 仁科幸子様 佐藤のり様 加納さおり様 梶川実雪様 馬場暁美様 菊池すみ子様 佐野伸江様 匿名3名様
*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「祈りの友」「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。
*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。
http://tunobue.blog.shinobi.jp
(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
「今月のことば」
=ヘブル13:2=
2020年は、「東京オリンピック、パラリンピック」が各地の会場で行われます。人々の交流、文化の交流は日本だけでなく、世界全体でその輪と人の平和への願いの流れが広がるなら、膨大な費用は掛かっても、その一つ一つの建物ばかりでなく、後世に人々の心に残す賜物の時となるなら、素晴らしいことでしょう。
出会いがあり、触れ合いが生まれるところに、理解と善意・平和と絆があると信じたいと思っています。
聖書は、キリスト者に「もてなし」の大切さを教えています。そのためには、相互の愛と尊敬がなければ成り立たないものだからです。人間同志が心とかかわりを開く人は、同時に神の祝福への扉を開くのです。
神は人生の掟を、与える者は、また受けるにように定められました。物惜しみをし、暖かくもてなさない人は神の祝福を失い、その日々は、絶えず心の咎めを持っています。
アブラハムが、三人の知らない旅人に扉を開いた日、マムレの樫の木の下でテーブルについたのは大いなる人々でありました。今日、私たちもアブラハムと同じ心を持っているならば、天使や、主ご自身を客人として迎えるかもしれません。けれども、悲しいですが欠けているのは、もてなしの精神であるかもしれません。
今、私たちは何でも「ビジネスチャンス」という言葉に囚われていないでしょうか。すべてのことが事業やお金に飲み込まれてしまい、無償で宿や食事を提供する人の数は、だんだんと少なくなってくるばかりのようです。「もてなしの心」が減退すれば、すべてが減退してしまうと思うのは、思い過ごしでしょうか。
天使と神の祝福は、私たちが宿することを断った人々と共に私たちの戸口を行き過ぎ、取り残されて、日々、不景気や少なすぎる収入のことへの不平を言います。しかし、聖書に書いてあります。「あなたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう」と。
この新しく迎える2020年を、このことを信じ生きるとしたら、どうでしょうか。
人々のために心の扉を開きましょう。暖かい心を祈り求めましょう。この12月はキリスト者にとっても、全人類にとっても、心から「おもてなし」の日にしようではありませんか。
主イエス様を、アブラハムがあの旅人を迎えた以上に、救い主をお迎えしようではありませんか。
とうとき奉仕に働く日々の
いかに楽しく、過ぐる早き、業やむる時の来るのはいかに早き。
すべての忠実なる者、家に帰り、楽しきにいます。
主のいますところ、常に、僕らは祝さるるなり。
「小閑記」
彼らは嘆きの谷を通っても、そこを泉のある所とします。
また前の雨は池をもってそこをおおいます。
彼らは力から力に進み、シオンにおいて神にまみえるでしょう。
=詩篇84:6~7=
2019年も今月で終わります。人にはそれぞれの歩みがあり、国にもいろいろの出来事を終えて2020年へと向かいます。しかし、振り返って見る時、そこにはあまり差異はありません。
ほとんどの人は、何かを求めて額に汗し、何かを得るために労苦してきました。そこには、貧困の苦しみ、重い労働環境、病気や悲しい出来事、いじめや差別をほとんどの人のぬぐえない忠実な道連れです。私たちの人生の道は、まことに悲しい道、嘆きの谷です。
人は、ふと生きる勇気をよくも持っているものだと、驚くことがあります。少なくとも、人生は死をもって終わると信じていると考えることが、奇妙にさえ思います。この世界に生を受けた時から、死をもって終わる日々の歩みと思う考えに、打ちのめされてしまうなら、あまりにも私たちは哀れではないでしょうか。
しかし、聖書が神について、救いについて、恵みについて、死の彼方の国の永遠の命について語るところを信じる人々、その信仰を持つ者には、たといこの世の生活は重荷と涙の伴うものであっても、神とともなる栄光の希望に満たされているのです。そのような未来に確信を持つならば、人生のそのものに意味と目的とが、心に生まれているのですから、今はどうであれ、未来には落胆と絶望の道は通り抜けているのです。
古の詩人は、「あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝いとこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ、あなたによって喜び誇ります」と歌い上げています(詩篇5:12)。
イザヤは、「主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである」(イザヤ25:8)と告げ知らせています。
世田谷通信 (195)
猫草
これが掲載される頃はもう師走、雑木林は落葉で一杯の季節だろう。10月末は紅葉もまだ、しかし地面をみるとドングリやギンナン、クリがたくさん落ちている。秋から冬への支度が始まっていると同時に、枝ごとざっくり折れている木々が目立つのは、各地に大きな被害をもたらした台風の影響だ。
ドングリといっても、雑木林をみると色々な種類がある。コナラは網目模様の帽子で可愛らしい、あの帽子は殻斗(かくと)と呼ぶらしい。マテバシイはもっと縦長。本来は九州以南の自生とのことだが、世田谷の雑木林にあるのは薪炭用に植林された名残りとか。生でも食べられるよ、まあまあ美味しいよ、と70代の方は教えてくださるが、食べたことはない。
クヌギは丸くて大きくよく目立つ。帽子がイソギンチャクの触手のような鱗片状。ナラでもカシでもまとめて「ドングリ!」と呼ぶ子ども達も、これは別格で「クヌギ」と言っている。樹液もよく出て昆虫も集まる、雑木林の中のクヌギはなんだか存在感がある。
艶々の小さい実がたくさん落ちている・・と思うとシラカシ。カシ類の殻斗は縞模様なので区別がつく。街路樹や庭木、学校の中にもよく見かける。常緑だからか、いや結構大きくなるし剪定も必要なのに。
このあたりのドングリの仲間はこれぐらいかなと思っていたらスダジイがあった。葉っぱを見上げると裏が光って金色にみえる。殻斗に覆われて熟すと中から出てくるタイプ。栗みたいな味らしい。封筒に入れて電子レンジにかけるのよ、と教わった。ドングリの仲間は重力散布、地面に落ちてころころ転がった先で芽を出すのだ。
秋には色々な実が熟す。赤い実をつけるムクノキにはどちらが先に由来するのかわからないムクドリが来ている。ハゼノキは川の近くに真っ黒なリースのような実をたくさんつけている。シャリンバイは鳥に食べて貰えるように赤から紫、そして深い黒へと変化をみせる。
雑木林と川添いを移動して帰宅すると、靴や服のあちこちに種子が付いている。ヤブジラミだ。5mmほどの小さなラグビーボール状、その表面全体に微細な突起がついている。このタイプの種子の鋭い先端はちゃんと返しがついていて、隙間に入り込んで、とれない。この形状で超小型発信器を作ったらスパイ用品で売れないかと思うほどに精巧。できるだけ遠くへ移動し、勢力拡大したい。種子の知恵と工夫は見習うべき戦略に満ちている。
『美しい朝に』・・61・・
「花婿なるキリスト」
水野源三著
誰よりも 誰よりも
うるわしきその愛をもって
私を愛しておられる
花婿なるキリストを
深く深く愛させたまえ
いずこでも いずこでも
たぐいなきその愛をもって
私を愛しておられる
花婿なるキリストを
熱く熱く愛させたまえ
いつまでもいつまでも
変わりなきその愛をもって
私を愛しておられる
花婿なるキリストを
強く強く愛させたまえ
**み国をめざして 第四詩集**
「沙耶香のつぶやき」-2
♡ 散歩の時、リードを長くして2匹の犬とわざわざ落ち葉の中を走り回っている。朝露で濡れるのが好き。家に帰って犬の身体を拭いたから、私の番。そうして朝のご飯。片付けと掃除は私の役目。時々、学校のことを考えると、あの時のことが思い出されるので嫌だ。
♡ 風邪気味なので病院に母と行ってきた。注射は嫌いなので薬を貰ってきた。夏の疲れでしょう。食欲はありますか・・・。好き嫌いは減りましたか・・・。親切な先生で身の回りのことをよく聞いてくれる。甘いお菓子は嫌いで、果物はよく食べている。牛乳も好き。背がまた少し伸びたねと言われた。うれしかった。
♡ 小学生の頃の日記を読み返すことがある。母によく口答えしていた。物を壊したりもしていた。幼い自分を見て笑っちゃいます。母もむきになっていて面白い。テーブルを汚した時、自分で拭きなさいと言われて、わざと汚したり、そのまま部屋に戻ったり。母もそのままにして電気を消して、部屋に戻る。ごめんなさいと言わずに、テーブル掃除。何と他愛のないことでの口げんか。その次の日の朝、何もなかったように、おはよう!で一日が始まる。
反抗期ではなく、母とのお遊びだったように思う。
♡ トンボが飛んでいる。自由で気まぐれさんのトンボ、秋を楽しんでねと思う。母の好みでネックレスを買ってくれた。うれしかった。少しはおしゃれしないとダメよ、と言われても、ピンとこない。おしゃれしているつもりなんだけどな~。
♡ 気持ちに波がある。怒りっぽい。夏の疲れと思うことにした。好きな日記もいい加減なことばばかりだ。
<これからの投稿文は、沙耶香さんがご自分で選んだものを掲載しています>
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(164)
10月17日
“真っ赤だな、真っ赤だな、つたの葉っぱもまっかだなあ。もみじの葉っぱも真っかだな”と口ずさみながら梅の枝にくっついている烏瓜の激しい赤さに目をやっています。
屋敷跡、シオンの株の太りけり。
カラスの子育ちをるらし良く鳴きぬ。
聖霊を聞かむとすなり秋の声。
秋の川二三人いて竿伸ばす。 馬場路哉
10月23日
秋晴れです。トンボが行きかい、トンビが空高く円を描いて飛んでいます。
久しぶりに気持ちの良いお天気です。
先ほど、診療所で定期健診をしていただきました。動脈硬化を起こしやすいので、お薬をいただいて帰ってきました。もう71歳になろうとしています。気持ちだけでも若く持って、神様とともに歩んでいることに感謝いたします。
月待つややがて光りぬ木立の間。
旧友とは電話のみなり秋の暮れ。
主イエスに帰依強まりぬ秋の果て。
診察を耐えて待つなり暮れの秋。
このブドウまこと良き木の実りなり。 馬場路哉
昨夜からお祭りの練習が始まったようです。笛の音や太鼓が寂しい山添村をにぎやかにしてくれているのです。村の人たちはそこいらをきれいに草を刈って整えて準備をしています。
10月31日
村で一番大きな銀杏の木が黄色く色づいて、秋の訪れの速さを知らせています。
これからが、美しい紅葉の季節です。楓の葉っぱ、烏瓜、南天の葉っぱ、ハナミズキなど、散歩の往復を色づいて葉っぱが後押ししてくれます。今の朝は6時30分を過ぎても、まだうす暗いのです。夕方はもう5時過ぎには暮れてきますから、一日がとても短く感じるのです。
山峡の朝を渡りてうろこ雲。
山の秋オリオンその他被ひけり。
日の陰や藪に固まる烏瓜。
ススキの穂良きあんばいに開きけり。
当麻寺より眺めもす古都の秋。 馬場路哉
昨日はゆっくりと私の運転で、當麻寺まで行ってきました。ボタンで名が知られているのですが、木々の紅葉の美しさに見とれました。家を出ておよそ一時間半あまりで行くことができました。ひさしぶりに山添村を出てリフレッシュした一日でした。
11月2日
山添村の文化行事が始まります。明日は文化祭です。芸術の秋にふさわしくそれぞれのサークルが芸術作品を提出します。それに加えて食べ物の模擬店があちこちで開かれます。お好み焼き屋さんを筆頭に、おもちやさん、ラーメン屋さん、魚屋さんなどなど20店舗が素人のお店を出します。郵便局はラーメン屋さん、私たちの中峰山はお好み焼き屋さんに一日様変わりです。奈良市内、上野市内から多くの方たちに来てもらおうと頑張っています。
画集なるバルザック像や暮れの秋。
柿くわえ、カラス急ぎていきにけり。
辻地蔵かかっておりぬ烏瓜。
山峡の樫のざわつく秋の風。
手の声を聞きしパウロや秋の声。 馬場路哉
11月6日
昨日の夕食の準備をしているとき、主人が包丁で指を切ってしまいました。軽いケガでしたが、診療所のお休み日と重なって、不安でした。
診療所に連絡すると先生がまだおられるからすぐに来るようにとの指示を受け、縫わずに、テーピングで済ますことができました。年を重ねると、ちょっとした油断から大きな事故につながります。これを教訓に決して慌てずに特に台所仕事は危険と隣り合わせですから、気を付けるように二人で心して祈りました。
俳句を一生懸命にガンバっている主人です。
棕櫚の葉の扇をなしぬ秋の風。
女坂脇に野菊の咲きにけり。
草刈りの長きに耐ふる出会ひかな。
夕霧や水源をなす南山
秋嶺の鈴鹿布引続きをり。 馬場路哉
11月12日
真っ黒な雲に覆われていましたが、午後からはお日様が照りだしてきてほっとうれしくなります。
祈りつつ聞かむとすなり秋の声。
主に祈る感謝と願ひつづれさせ。
シクラメン施設に花の帯を付け。
一瞬やつるべ落としの夕やけす。
秋祭り夜のけいこの笛澄みぬ。 馬場路哉
おかげさまでケガの方は少しずつ回復しているように思われます。主人もこの頃では近くを夕散歩するようになりました。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
眸(ひとみ)・・105 ・・
✬ 娘の介助で近くの公園まで車いすで散歩が出来ました。元気な時の散歩コースも車いす生活になってから、起伏が多い道やでこぼこ道は一人では不可能になって、もう3年目になってしまいましたので、木々の背丈も少し伸び、何もかもが新鮮で、風で枯葉が足に振りかかり、大げさではなく自然との一体感を感じました。風の冷たさも家の中では忘れてしまうのですね。短い散歩の時間でしたが、忘れていた喜びを思い出して、今、紅葉の外を見つめています。 京都府 A・Gさん
✬ 久し振りの秋晴れになり、洗濯物が一日で乾ききるのはとても感謝なことです。小さな我が家の畑に白菜が葉っぱを大きく広げてきましたので、二人で丸く結球するように葉っぱをまとめてひもで結びました。小さな庭の10個ほどの白菜ですのに、大きく育て上げるのを楽しみにしています。野菜農家さんのご苦労など想像できませんが、秋日和に感謝しつつ、今は筋肉痛の二人です。 神奈川県 B・Sさん
✬ 台風の被害は少しで済みましたが、後片付けは後回しにして、子供たちのために、渋柿の皮をむいて、「吊るし柿」を作っています。主人は「我が家の冬の玉すだれ」と呼んでいます。村でもそのように作る人はもう少なくなりました。子供のころは、どこの家の軒先にも沢山の「吊るし柿」が冬の風に揺れていました。色が濃いチョコレート色に変わり、白い粉が出てくるとお正月、新年です。 愛媛県 W・Aさん
✬ 街路樹には電飾が華やかさを演出してくれていますが、行きかう人は急ぎ足です。今年も僅かになりました。何だか災害の多い一年のように感じてしまいます。2020年はどのような年になるのでしょうか。個人的な願いは、入院のない年であってと祈り求めています。 山形県 R・Iさん
✬ 主人は手書きの年賀状を書いています。私はクリスマスカードです。高校時代の方とのカード交換は、今も続いています。普段はメールになりましたが、クリスマスカードだけは、手作りです。
9月ごろからあれこれと幾つかの下絵と聖句選びが私の30年来の12月初めまでの準備です。それぞれのお友だちの一年を思い描き、新しい年の幸いを願い、聖句を選ぶことはミッションスクールの時の女性の宣教師先生から教えていただいたことです。 福岡県 S・Aさん
✬ 日本の米どころに今回の台風、洪水、氾濫に大きな被害が襲い掛かり、人々の生活を一変させました。テレビや新聞の報道は、河川の氾濫、家屋の被害の報道が目立ちますが、これは、マスコミ人の「土」に生きない人々の「視点」のように思えるのです。
1冊の本を読み終えました。2015年9月5日 初版発行の「稲と日本人」(甲斐信枝作 佐藤洋一郎監修 福音館書店)という本です。その参考文献の豊富さと視点の広さ、深さは、学童向けというより、私たち大人の便利さに心奪われ、大切な「心・感謝・汗・涙」を見失ってしまった生活を「土の生命力との関わり」を再考させてくれる本と出合いました。何とも言えない後味の良い読後を味わいましたのでひと言・・・。時間を作って参考文献を丁寧に読もうと思いました。 愛知県 O・Hさん
✬ いても立っても・・・と言う気持ちで福島にボランティアとして2日間行って来ました。実際は何のお役にも立てませんでしたが、被災状況を見ることと皆さんとのお話の時間で、想像以上の深刻な状態が分かりましたので、そのことを町の自治会の集まりで、何とか報告したいと思いました。何が不足云々ではなく、何もかもで、そのことをお伝えしながら、次に何が出来るかを考えたいと思いました。渋谷に集まるあのハロウィンの若者のあの力の一部でも、一人でもボランティアとして活動してもらえたらと思いました。空しい願いなのは分かっているのですが。つい愚痴になってしまいました。
東京都 B・Kさん
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
十戒と主の祈り・・・9・・・1 鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=殺人=
第六戒①・殺してはならない
創世記1:26~30
第六戒は何よりも人を殺すことについての戒めですが、それでいて多岐にわたっているため、広い内容をもった戒めです。例えば、中絶、安楽死、自殺、不注意による殺人、正当防衛、死刑、戦争などが関係してきます。こうした具体的な事柄についても学ぶ予定ですが、その前にこの戒めのより基本的なことを聖書から教えられることにしましょう。
神は生き物をお造りになりました。したがって、植物も動物もその所有者は神です。人が自分勝手に収穫したり殺したりしてはならないのは、それらの被造物は神のものだからです。
また、神が全ての被造物を造られたのは、それらによって、御自身の栄光を現されるためですから、人は祝物も動物もその目的にそって管理し、また用いられるようにする責任があります。象や鰐のような動物が力を発揮するとき、その力は神の栄光を現しますが、危害を加えることがないように管理する必要があります。小さな生き物である蟻は清掃の働きをしますが、人はその勤勉さからも学ぶべき神の知恵があることを聖書は教えています(箴言6:6~8)。
また動物が人の罪のための犠牲の供え物として用いられることからも、人は動物を勝手に殺してはならないことを教えられています。一般的に言えば、人が勝手に捕獲するために、絶滅することがないようにすることも、このイメージと関係します。アマゾンやインドネシアの森林伐採、ヨーロッパ、北米、中国大陸の煤煙による酸性雨が森林に被害を与えています。化学工場による環境汚染、原子力発電所の放射能汚染も、神が人に委ねておられる管理責任に関係してきます。良い管理によって利用と保存の両面が保たれます。
生物の中で人間だけが、神のかたちに似せて造られましたが、独特な知性、宗教性、道徳性をもっています。神は人を地上での御自分の代理人とされ、その人の内に住み、その御力をこの世で現わすことをよしとされました。他の動物は神を理解し、神の御心に従う能力が与えられていませんから、そうする責任はありませんが、人間にはあります。
わたしたちが神のかたちをもっているので、人を戒め正すことは良いことですが、人を呪うことは神を呪うことに通じますから、注意しなければなりません。殺人は、神を軽んじることになり、たとえ王であっても神ではないため、自分のために人を殺すことは罪になります。ダビデがウリヤの命を奪ったことは、神と人への罪です。ダビデは悔い改めたために、裁きは直ちに下されることはありませんでしたが、ダビデの家から剣は離れることはなくなり、争いが絶えませんでした。
人が神ではなく、神のかたちであることは、消極的には自分の分を超えないこと、積極的には隣人を敬うべきことを意味します。
第六戒②・不法な殺人
民数記35:9~29
生命の尊厳という言葉があるように、命は尊ばれるべきものです。しかし、生命は神と人とに仕えるためにあります。高齢の方々は生きてこられていることをもって奉仕します。障害の方々は生きていることが人々に励ましを与えます。
神が動物を食用とすることを許されたため、禁猟でなければ、動物を殺すことは罪になりません。為政者は剣の権能を与えられているため、戦争や死刑は時には合法的です。
しかし、第六戒は殺人を禁じています。殺人には動機の異なる場合があるため、そこまで考える必要があります。
第一は、意図的で計画的な殺人の場合です。ダビデはウリヤを戦場で部下に殺させたこと(サムエル記下11章)はこの場合ですし、アハブがナボテのぶどう畑を手に入れるために、自分の妻の悪知恵にしたがって彼を殺した場合(列王記上21章)などは明らかにこの場合です。殺した者は殺害者(murder)と呼ばれます。
第二は、意図的であっても計画的ではない場合です。ヤコブの息子のシメオンとレビが妹ディナを辱められたとして、カッとなってシケムの男たちを殺した場合(創世記34章)です。この場合も故意の殺人(voluntary manslaughter)に違いありません。
第三は、無鉄砲な殺人と呼ばれるものです。例えば、赤信号になり始めているのに交差点に入って人をはねるというような場合です。殺すようなことは考えていなかったわけですが、殺してしまう結果になったというような場合です。これを意図的ではなかったとしても無謀な殺人(involuntary manslaughter)と呼ばれます。
第四は、偶発的な殺人というものです。建設現場などで、誤って落ちてきた工具が、たまたま下に通リかかった人の頭を打って死なせたというような場合です。これは悲惨な出来事ですが、関係する作業員が殺人という罪に問われることはありません。
第六戒の「殺してはならない」という戒めは短い言葉であり、これだけでは上記のような区分を記してはいませんが、これら4つの種類をすべて含めて、「殺してはならない」と命じていると考えられます。そして、この「逃れの町」の規定は、殺した場合の動機までがすべてに問題にされていること、更に、殺人行為がエスカレートしていくことを防いでいること、そして、故意の殺人でなかったとしても、それなりの報いを受けなければならないことなどを規定していることが分かります。
殺したことの性質によって、人が罰せられず、しかも、一時的に逃れることができるようにされていることは、殺した行為が大雑把に扱われてはならないことを教えています。
人には仕返しという考えが美徳と思われていることがありますが、大きな前提は殺すことが禁じられ、神は殺人の動機も問題にしておられることを知っている必要があります。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・24・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
12 バラの足跡・・1・・
1892年(明治25)頃、神山にカトリックの復生病院があって、プロテスタントの信徒も患者として入院したが、信仰の相違からいろいろ問題があった。そこで信徒たちは、バラ先生やヤングメン宣教師に事情を訴えて、プロテスタントの病院の設立を願った。バラ先生たちは同情されて、アメリカで募金をし、やがて東京に病院を開設することになった。これが目黒の慰療園となったのである。
神の御心にかなうことは、一生懸命になって骨身を惜しまず奉仕されたのがバラ先生であった。
1894年(明治27)3月20日、先に記した類焼の火災にあった御殿場講義所が再建されたが、その建物は三島教会の旧講義所を解体して移築したものであった。その建物についてはバラ先生につながる興味深い話がある。
この建物は三島の酒造業であった花島兵右衛門(明治19年=1886=11月21日奥野昌綱より受洗)が入信して、家業の酒屋を廃業し、その酒蔵を改造して、階下を礼拝堂にし、階上をキリスト教主義のバラ女学校として使用した間口5間半、奥行15間の大きな建物であった。
バラ女学校というのは、1888年(明治21)から1892年(明治25)のわずか4ケ年の短い経営に終わったキリスト教主義の女学校であったが、その創立についてのいきさつは、先の花島兵右衛門がキリスト教入信後、世を益し、神の御心にかなう事業を興そうというので欧化主義の影響から盛んになった女子教育を、バラ先生と信徒の小出市兵衛が協力、後援して、校長にバラ先生の従妹のリゼ・バラさんが就任して、その名をもって薔薇(バラ)女学校と命名したものである。
教科内容は、英語、地理、歴史、生理、数学、修身と家事、聖書などで、日曜日には教会に生徒が出席するように求められた。そして明治21年1月開校し、夜学校と昼間学校の二部教育を行ったが、生徒数は20数名にすぎず、遂に経済的に経営困難となり、明治25年7月2日閉校のやむなきに至った。女子教育と伝道に、あらゆる機会をとらえて、それを実践しようとしたバラ先生の心がうかがわれる。
写真=R・E・マカルピン師の記念会 於名古屋金城教会(1950)
「キリスト教百話」
問26 前回の話では「最後の審判」があることが望ましいように言われましたが、その辺のことが今一釈然としませんので、もう少し説明してください。
答・・6・・
キリスト教徒の中で、最初の殉教者はステファノと言われています。彼は自分の信仰を証したことによって石で撃ち殺されたのですが、それに先立って、彼は聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っているイエスとを見て「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言い、人々が石を投げ続けている間、主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」と言い、それから、ひざまずいて「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだあと、眠りについた、と伝えられています(使徒7:54~60参照)。
このステファノの最後は、キリストの最後によく似ています。キリストは十字架の上で「父よ、彼らをお許しください。自分は何をしているのか知らないのです」と言い(ルカ22:30)また「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」と大声で叫んだあと息を引き取たれた、と記されています(同22:45)。
この二人の死に際しての共通点は、「主イエスよ」と呼び、また「父よ」と呼んでいるように時間と空間を超えた世界の実存者(霊的存在)に呼び掛けていることにあります。言うなれば、見えない永遠者との関わりに生きている、ということです。従って、その方に向かって、自分の霊を委ねることが出来たわけです。そしてまた、自分を殺す者への赦しを求めている点において、共通しています。死に際して、自分の罪を懺悔して赦しを乞う人や、また自分をひどい目に会わせた人間に対する恨みを抱いたままで終わる人もいます。
しかし、これでは、死にきれないのではないでしょうか。事実、慰霊とか供養とかということをするのは、死んだ人間の地上におけるすべての決着がついていないと思っているからではないでしょうか。この点、キリストは死を死に切っています。キリストを信じていたステファノも同様です。事のすべてが地上を越えた天との関わりにおいて清算されています。
ステファノの殉教は、言うまでもなくイエス・キリストを信じていたからのことでありますが、以上述べてきたことから言うと、これは殉教というよりも、むしろ天国に生きている人間の証しではないかと思います。
つまり、彼の死は、地上の出来事でありながら、そこには既に天と関わっており、神の国の民として生きている者であるということの証明である、ということです(もっとも、このことをそのように受け止められるかどうかという問題はありますが)。
そうだとすれば、彼の死は、地上における肉体の消滅ではあっても、霊においては、肉体の拘束を受けることなく純粋に天に帰属するものとなることへの飛躍台であった、ということが出来ます。人によっては、このことを「天国への凱旋行」といいますが、死が、そう言ってもよい内容を持っているものであるということが出来ます。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・
元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者
第92課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・48・・・
G キリストの非利己的な態度を見習うことが、すべてのキリスト者の義務である。・・・15:1~13・・・2・・・
「わたしたちひとりびとりは、隣人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである」(15:2)。
自分を喜ばすことを主張する代わりに、他人を喜ばすことを目指すべきである。「それ自体、何が正しいか、あるいは何に同意しうるかを問うのではなく、何が兄弟たちに益となり、喜ばすことが出来るかを問うべきである」(ホッジ)。「隣り人の徳を高めるために、その益を図る」ということは、私たちの兄弟たちが得を高める、すなわち、キリスト者として成長して、真の益を受けるように、私たちが行動するということである。私たちは兄弟たちを喜ばそうと試みるだけでなく、彼らの真の福祉と信仰的霊的利益を目指し、それらを求めなくてはならない。
勿論、兄弟たちの真の徳を建てるためには、彼らの迷い・疑念に応じるよりも、彼らの間違った考えに反対することによってできる場合もあり得る。私たちはこのような場合の典型的な事例を、同労者ペテロに関してパウロがとった行為に見ることが出来る。このことはガラテヤ書2章11~16節に記されている。
さらにこの出来事がきよい食物ときよくない食物に関してのことであったことは興味深い。ペテロは最初に異邦人と共に自由に食事をしていた。しかし、後になると「割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行った」のである(ガラテヤ2:12)。このような状況の中で、パウロは決して、次のようには言わなかった。すなわち、「ペテロは異邦人と食事を共にするという問題に関しては、弱いキリスト者であった。だから彼をつまずかせないように、アンテオケにいる間は私も異邦人と共に食事をすることを控えよう。私はこのような厄介な問題については触れないようにしよう」。パウロはそのようなことは決して言わなかった。それどころか反対に、彼はペテロを衆人の面前で非難した。非難すべきことがペテロにあったからである(2:11)。
しかし、この場合のパウロとその追従者たちの霊的益になろうとするパウロの真心とに動機づけられたものがあったことを銘記しなければならない。この場合は、真理への関心のみでなく、ペテロ自身の霊的益のためには、公然たる反論と非難が必要だったのである。他の場合には、パウロは他人の霊的益のために進んで自己を否定したのであった。
私たちの行動も、常に自己中心的であってはならない。私たちの意思も行動も、常に愛に満ちていなくてはならない。しかし、特別な場合には、状況によって、他人の建徳のためとなるための方法を考えて行動することが大切なのである。
J・G・ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
『ほっとひととき「みんなのコーナー」』
☆ W杯のラグビー日本、とても元気を与えてくれましたね。激しいぶつかり合いであればこそ求められる相手への尊敬がなければ、感動も美しさも生まれてこないことを教えてくれました。ラグビーは紳士のスポーツだそうですが、それに比べサッカーは少し野蛮なスポーツだなあと思ってしまいました。激しさの中にお互いをいたわり合う、そんな場面がみられてうれしかったのです。スポーツはいいですね。勝ち負けを越えた何かを貰ったW杯ラクビ―の選手や関係者の皆さんに感謝です。ノーサイド、ワンチーム、素敵な言葉ですね。 栃木県 K・Nさん
☆ 大雨で被災された方々のことを覚えてお祈りしています。私や地域の方々の多くは今もあの地震の恐怖が、消え去りません。何代も続いて農業に、酪農に従事されていた方々も、今はその地から離れたところで生活されています。幸いにも私たち家族は、皆さんのご支援をいただき酪農を続けることが出来ています。何度も心折れ、諦めかかった時もありましたが、ボランティアとして来てくださった方々のことを思い出して、歩んできました。諦める気持ち、不安に負けそうになった心、辛かったです。でも、何とかなりました。これからもそう信じて毎日を過ごします。 熊本県 Y・Kさん
☆ 紅葉が美しく山肌や遠くの峰々を装っています。穏やかな気持ちにさせられています。主人は、もう来年のためにと言って農機具の手入れに忙しくしています。お米の収穫も思いのほか多かったようで、ご近所の皆さんも安堵と笑顔です。一年の苦労が報われた思いなのでしょう。そうして、何よりも健康であったことが感謝でした。主人の運転で「クリスマス礼拝」にも行けますようにとお祈りしています。礼拝後の皆さんとの楽しい「お茶の会」が楽しみです。 三重県 K・Sさん
☆ また一人、大学の先輩を失いました。とても寂しく悲しいです。緒方貞子さんです。遠くからお目にかかった程度ですが、そのお考え、行動力は常に私たちに、あなたらしく生きるのよ!と語りかけてくださった先輩でした。笑顔の素敵な方、その信念は、常に人の命の尊さを思う行動でした。その思いを大切にしながら、研究に励むことが今まで出来ました。本当にありがとうございました。 神奈川県 M・Sさん
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▲ 氾濫で壊れた土手、土砂と流木の河川敷にススキと曼殊沙華が咲いていました。もう冬の寒さです。我が家の庭先は汚泥のままです。このままお正月を迎えそうです。仕方がありません。
▲ あの小さな小川が越水して、我が家に流れ込んできました。逃げ場を失い、何とか二階に逃れて家族三人助かりました。今は静かな小川に戻りましたが、あの恐怖は消すことは出来ません。周りは一面、汚泥です。家の中は臭気で頭痛と喉が痛く、今も食欲もなしの家族です。
▲ 主人のお友だち6人がこわれた家具や泥水を含んだ畳を運び出してくださいました。携帯コンロを持参してくれて焼き肉を食べることが出来ました。涙が出て困りました。数日分の食材と生野菜を置いて、車で帰って行きました。車を失った私たちの今、本当に助かりました。お友だちの一人が車を貸してくれることになりました。ご近所の方にも役立てたいと思っています。
▲ 隣の町の人たちが、今はあまり使われていない山道を軽トラ2台でお魚やお肉やインスタント食品などを届けて回っていました。家の畑で採れた野菜と冬に使う燃料用の薪がありましたので、どなたかにお渡しくださいとお願いしました。寒さも不便さもみな同じ、お互い様ですから、と主人は軽トラまで運んでいました。雪になっても続けるよと言って、皴だらけ、髭だらけのお年寄りたちが、笑顔で次の村へ向かって行きました。人の情けっていいものですね。「ジャーナル友さん」のお仲間のつもりで、PCやスマホをこれからも活用していきます。
▲ 11月の連休を利用して二人の息子と家族が、瓦礫処理の片付けに来てくれました。息子たちとはメールや写真で連絡をしていましたが、息子たち同士で連絡し合って来てくれました。お隣りの家の片づけはほとんどできていなかったので、3日かかりで片づけをしてそれぞれ帰って行きましたが、息子たちにとっては当たり前なのでしょうか、お正月休みの前倒しとかで、お隣りの片づけをしてくれたのがうれしかったのでメールしました。
*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」