[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『ありがとうございます』
「つのぶえジャーナル」も、皆様のお祈りとご支援をいただき、12月号をお届けできましたことを、心から感謝いたします。多くの方からお便りやメールもいただきましました。そのお気持ちの一部分しかご紹介できませんでしたが、お読みくださった方からの感想の言葉の中に、伝わり、分かち合い、祈りの中にあることを知らされました。「交わりの輪」「祈りの輪」として、来年も頑張られていただきたいと、願っています。
個人的なことですが、転倒の恐れから、要支援でこの12月からリハビリトレーニング専門施設に、送迎バスで週一回、お世話になります。「転ばぬ先の車椅子」で、手動の車椅子の操作を今は40分程ですが、練習中です。桜の季節までには、一人で近くの公園でお花見ができたら…と願っています。実際に、車椅子を使用しての感想は、きれいに舗装された道路も水はけを考えての「かまぼこ型」で左右に傾斜になっており、一見、平坦な道に見えても、ほとんどは凸凹道で、小さな前輪には、バリアなのですね。「歩けること」は、素晴らしいことを、体感しています。
2019年10月16日から2019年11月15日までの初孫誕生感謝、退院感謝献金、結婚記念感謝として、また「つのぶえジャーナル」事業への寄付者の報告です。感謝いたします。
久保川英一様 長津 栄様 佐藤のり様 加納さおり様 馬場暁美様 乾信一郎様 乾順子様 匿名3名様
*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。
*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。
http://tunobue.blog.shinobi.jp
(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
「今月のことば」
「そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、『わたしに従ってきなさい』と言われた。」
=ルカ5:27=
今年も残り2か月になりました。新しいカレンダー、予定表入りのシステム手帳の準備をされている人もおられるでしょう。また、過ぎ去ったメモを見て感慨に時を過ごしている方もおられましょう。人それぞれ、新年の備えをされるのが11月と言えます。
どうでしょうか。今までの自分の生涯を、イエス様に従うことの許された年月であることを思い返すと、その頃は良い年月であったと心から言うことが出来とするとしたら、なんと素晴らしいことでしょう。
もしそうでなかったと言えば、今までの神様からのお恵みをないがしろにしてきたことになります。「救い主」「良き友」「支えつくしてくださった神」との関わりを見失っていた信仰の歩みであったなら、それは「心の闇」と言えないでしょうか。
信仰の喜びを失った信仰生活、主にある友との交わりのない日々にあることに気づかない日々があったとするなら、何よりの悲しみと言えないでしょうか。自分の弱さ、この世の喜びに心奪われてしまった歩みから、再び「わたしに従いなさい」とお招きくださる主イエスの愛は、遠きにあるのではなく、私のそばに、否、私の心に呼び掛けてくださっています。
移り行くこの世、不幸や不安、悲しみの中にある私たちに「わたしに従ってきなさい」と語りかける主の愛は、今も私たちの傍らにあるのです。私たちが誤った時、主はすべてを許し、信仰の戦いに敗れた時、癒し、励まし、支えてくださったのは、誰でしょうか。「主イエス・キリスト」ではなかったでしょうか。
主はすべてを理解し、弱り切った心に力を与え、暗闇の中に光となってくださったのは、「主イエス・キリスト」のみです。レビという名の収税人は、イエス様に従いました。
われはイエスと共に歩まん。
主の導きは、たしかなれば、
サタンの力、われを打つ時、
主のみあとにしたがいて
われ安らかに道をたどらん。イエスとともに常に歩まん。
「小閑記」
しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかのひとがあなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう。
=ヨハネ21:18=
大切なことがあります。主イエスを信仰によって救い主と受け入れた人は、同時にみ旨のままに私たちを支配する権利を神に差し出したのです。「みこころをなしたまえ」と言って、同時に、この世で自分の欲することを自分のために得るということは、これはキリストが王であられる国においては、出来ないことであります。
こういうことは自明のことながら、私たちは最も辛い戦いをするのは、このことであります。時々、私たちは、神は冷淡で、無慈悲であると考えさせる原因は、私たちの人生・歩みの見方が、神様のみ旨・目的と異なっている所にあります。
神様は、私たちのために二つに一つの、永遠の救いか、永遠に失われるものかの重要さをご覧になるのです。そして神が、もし地上の利益が私たちを永遠の命から奪うものであることをご覧になれば、私たちの好まない所へお導きになるのです。
神様は、私たちの行く道に「しるし」をつけ、行くべきところへと導かれるのです。それが私たちにとって嘆き、つぶやこうとも、神様はご計画をお変えにはなりません。私たちが神様の御許にいる間は、み心のままに扱われるのです。
常に心よりすることは出来なくても、信仰と忍耐をもって歩むならば、私たちが出会う全ては地上の罪の絆を解き、解く手立てとなり、神様を崇める助けになるのです。
主は汝の魂を解き放ち、汝の心を重荷より、
やがては解き放ちたまわん。
弱き心よ、喜び歌え。
世田谷通信(194)
猫草
高齢の学校ウサギを預かっていることを書いた。しかし夏の暑さに耐えられず、8月に息をひきとった。
その日は午前中から気温30℃を超す暑い日だった。獣医さんに連れて行くと「顔色が悪いですね」と言われた。ウサギの顔色って何?と思ったが、確かにいつも薄ピンクの鼻周辺は青ざめている。温かかった足先も冷えている。心肺機能が弱っているのだ。
それでも流動食をシリンジ1本分平らげ、頭を上げておかわりを要求した。「動物病院はおいしいものが貰える場所なの?」と獣医さんと笑った。診察が終わり、いつもは「まだ大丈夫、次の診察まで頑張ろう」と声をかけてくださる獣医さんが、「今日、職員室に挨拶に行ってきたらどうですか?」と言った。その時、ああ、もう長くない、と思った。
そのまま学校に行き、夏休み中に出勤している先生方と修学旅行前に登校していた6年生にウサギを会わせた。痩せて、かぼそく呼吸する状態に涙ぐむ子もいたが、みんなそっと体をなでて「ありがとう、よく頑張ったね、さよならだね」と声をかけてくれた。6年生は12歳、ウサギと同じ年なのだ。
一人の子に「お薬をあげてみますか?」と聞くと「はい、やってみたいです」と言うのでシリンジで少し薬を飲ませた。先生が2cmほどの小さな葉っぱを「食べるかな?」と差し出すと、ゆっくりゆっくり咀嚼して飲み込んだ。それが最後に食べた固形物だった。その日の夕方、眠るように静かに呼吸が止まった。
預かってから約半年、獣医さんとどう治療するか相談した。そして「最期の日までお腹いっぱい食べて、痛いところも苦しいことも無いようにして、できればみんなで看取りましょう」と言ったとおりになった。
獣医さんに電話で報告すると、「最後に学校ウサギとしての仕事をしてさすがですね。長い間お疲れさまと伝えてください」と言われた。
折しも東京で今年初の真夏日を観測した日だった。
看取るために引き取った。別れが前提なのに、空虚さがつのる。寂しさが、それまで存在していた場所を通り抜けていく。小さな命だが、多くの人に愛された。さようなら。安らかに。
元気なころの写真です。
「追記」
世田谷と言っても我が家は幸いにも、特に被害はなかったけど、各地の被害が甚大です。多摩川が浸水した辺りは元々河川敷です。バスで通るたびに、そこ、昔の堤防の下なんだけど・・って思ってた。多摩川が氾濫するなんて想定外と言っているけれど、それはごく最近の話だけで、もともと大変な暴れ川。関東平野は多摩川の扇状地だ。日本は山国、平野と言われるところは扇状地と埋め立て地。そのわずかな平地(空地)に農地と集落が出来ていた。それが今の日本の成り立ち。近年、下水、上水、雨水、河川、ダム、諸々のインフラの想定する数値がもう限界にきている。分かってる。それでもなんとかやっていかなくてはいけない。日本で人の住める平らな場所は扇状地か沿岸部の埋め立て地しかないんだもの。
二次災害、感染症の被害が拡大しませんように。気温が低いのは辛い部分もあるけど、暑かったらもっと悪化している・・。
これからは毎年の事になると思う。でも抜本的な対策はとれない。本当に治山治水は難しい。
「いつまでもいつまでも変わらない」 水野源三著
風吹けば花は散り草は枯れる
この世のはかないはかない様(さま)よ
いつまでもいつまでも変わらない
神様の言葉を求めよ
時と共に愛は冷え友は去る
この世の悲しい悲しい様(さま)よ
いつまでもいつまでも変わらない
神様の慈愛を求めよ
確かなものを求めても得られない
この世のむなしいむなしい様(さま)よ
いつまでもいつまでも変わらない
神様の救いを求めよ
「沙耶香のつぶやき」-1
♡ 家で生活するようになって数年。中2の時に言われた先生の言葉で登校できなくなった。いろいろの相談窓口に母と行った。もう母も疲れたしわたしも疲れたので、家で楽しく好きな本を読んだり、毎日日記を書いている。
♡ 家に犬が2匹いる。朝と夕方2回の散歩はわたしがする。苦手なことは遅くまで起きていること。だから朝の散歩は苦にならない。中1まではバスケ部にいたが、あの言葉で練習にも出れないので辞めたが、運動は元来好きだ。
♡ 人混みが嫌い。話しかけられるのが嫌い。特に先生タイプの人が大嫌い。母の手伝いで一緒にスーパーには行くが、一人では行かない。同じ年齢の子が気になる。勉強は好きだ。特に数学と国語。
<これからの投稿文は、沙耶香さんがご自分で選んだものを掲載しています>
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(163)
9月16日
息子は“今日は敬老の日やな”とひと言いって仕事に出かけました。娘からは孫の手作りの敬老の日のはがきが届きました。それぞれが年を取った両親が元気でいてくれることを祈ってくれているようです。主人は昨日から夕食作りを手伝ってくれるようになりました。今までのような活力はありませんが、これも年齢相応なのではと思っています。
群青(ぐんじょう)に光る池あり晩夏光。
石垣に萩を垂らして山家かな。
広々としもつけ咲きて伊吹山。
二三羽のツバメ遅れて帰りけり。
犬死にて猫現れぬ秋日影。 馬場路哉
ちょうど一年ほど前に最後まで生き続けた犬のクロが死んでしまってから、私たちを励ますかのように野良猫が現れ、今ではすっかり我が家の猫になっています。名前はレオです。とても鋭い目つきで私たちの言動を見つめています。
9月27日
こちらはもう雨です。明日は山添小学校の運動会だというのに、三日間も雨が降るといわれていますから、残念でしょうが、平日に延期ということになるのでしょうか。
毎日の生活に追われて信仰がとても弱くなってきている私たちですが、こうしてお励ましをいただいて、心からへりくだって「ジャーナル」に感謝です。ちょっぴり寂しい秋の夜長ですが・・・。
リハビリに歩くや藪に烏瓜。
朝顔の淡き紫ならびをり。(最後の朝顔です)
虫の音に包まれている夜明けかな。
山の秋オリオン確と澄みにけり。
庭隅に一株咲きて女郎花。 馬場路哉
年齢を重ねた私たちは虫の音とともに目が覚めます。朝は4時30分に起床して、短い礼拝(祈るだけ)をささげて朝ご飯の準備に取り掛かります。最近は5時になってもまだ暗いのです。庭の掃除をしていると、新聞配達の方が元気よく挨拶してくださるのです。
主人は三日前から血圧が下がり、一人でリハビリとかで散歩をするようになりました。
9月28日
朝から雨は降りませんでしたので、小学校の運動会も無事に予定通り終えられたようです。関係する方たちはほっと胸をなでおろしていることでしょう。
初更なる時をたがわずクツワムシ。
一晩でできし蜘蛛の囲朝日受く。
農励む老いの二人に男へし。
そのあたり上品に見ゆやいと花。
草刈りになぞへの藪の風来る。 馬場路哉
少しずつリハビリの時間が長くなってきました。まずは家の周りの道をゆっくり歩くことから始めています。
9月30日
最高気温が30度を超えて夏の服装です。でも自然界は確実に秋の装いです。我が家の庭の金木犀も、お隣の金木犀も一斉に金色の十字の花を咲かせて甘い良い香りを放ってくれています。なんて優しい、甘い香りなのでしょう。金木犀のすぐ近くよりも少し離れたところのほうが香りがよいのは不思議です。秋の最も怖いのはスズメバチです。コスモス畑の近くにある大きな橡からブーン、ブーンと勢いよく人間に向かって飛んできます。命に危険です。さっそく山添村の蜂を退治してくれる方にお願いして大きな巣を撤去していただきました。しばらくの間はまだ残りの蜂が非常に怒っていますから、その道を散歩せず、回り道をすることにしました。あと一つ怖いのはマムシです。9月から10月にかけて何かを求めてか散歩道によく出てくるからです。みな、雨が降っていなくても長靴を履いて長そでを着て傘をさしての散歩となっています。
主人も少しずつリハビリでの散歩の距離を伸ばしているようですが、昨夜、診療所の先生から主人に電話が入りました。先日行った心電図、血圧の結果がよくないので、必ずもう一度精密検査を受けるようにとのことでした。めまいの原因が副腎にあるようだと診療所の先生から電話が入って少々、気持ちが落ち込んでいます。なるようにしかならないと言い聞かせて、祈りつつ歩んでいます。
ノモンハン従軍兵に敬老日。
うぬぼれに勝る忍耐残暑かな。
謙遜にまた敬虔に署に耐ふる。
祈ること多き亭午や秋のセミ。
ミノムシは罪のごとくに発生す。 馬場路哉
しばらくこのまま様子を見て、その後検査を受けるかどうかを決めるというのです。患者にも考える時間が必要です。主人の好きなようにしたらよいと私は祈っています。
10月4日
主人の体調が思わしくない中、村の草刈りの「出会い」です。そこで何の足しにもならない私も一緒に草刈りに行くことにしました。二人で一人前にも行きませんが、皆さんに許してもらいながら草刈りの「出会い」に行ってきます。草刈り機を使いこなすことができない私は手で鎌を使って草刈りをしたり、溝のごみ掃除をしたりして何とか支えたいと考えています。
棕櫚茂り村人崇む右近の碑。
岩に腰釣りする男秋の水。
ミノムシは罪のごとくに発生す。
みんみんや今日一日を鳴かむとす。
秋川や杣道行けば巻向へ。 馬場路哉
10月6日
主人は少し起きては休み、そんな生活が続いています。でも血圧も少しずつ安定しているので、散歩をちょこっとしてみたり、そろりそろりと動いています。今朝はずいぶん冷え込みました。
最後まで生き抜いた犬のクロが死んだのが一年前の10月9日でした。主人と二人でクロのお墓を掃除しました。クロやモモたちからのたくさんの思い出をありがとうと言いながら・・・。
10月12日
台風の影響でしょうか。とても蒸し暑く、雨が降り出しています。明日から大雨になると聞いています。できるならば日本列島から遠ざかってほしいものと祈っています。その備えもする必要があります。昨日から1000ミリリットルのペットボトルに10本分の水を飲み水として準備しました。今日は缶詰、ラーメンなどすぐに口にできるものをそろえてきます。大雨になると一番怖いのが山が崩れることです。この頃は伐採が進んで山肌があちこちで見えるようになってきています。人間の考えで自然を壊すことは危険ですね。被害が最小限にとどまりますようにと祈るものです。
手は与え主は取り給ふ木の葉髪。
ブドウ園南向きなる丘にあり。
木立より鋭き光月昇る
蓑虫案過ぐるや内は薄紅葉。
爽やかや心の刃先研ぐべしと。 馬場路哉
体調が思わしくないのですが、俳句だけは朝、一番礼拝の前に練っています。
10月13日
超大型の台風19号は各地で甚大な被害をもたらしています。日本の大きな川があちこちで氾濫し、多くの家屋を水で押し流しています。特に私は千曲川の近くの上田市で5年間過ごしたものですから、千曲川の雄大さと怖さを母から何度も聞いていました。一度だけ散歩で母と一緒に千曲川の土手を歩いた記憶があります。そのような思い出深い千曲川が決壊し、電車の橋までなぎ倒しています。その映像を見るたびにどんなにか恐ろしい思いで救助を待っておられるのだろうかと胸が痛みます。
東京では多摩川が氾濫して世田谷へと流れ込んでいるとのことです。「世田谷通信さん」は大丈夫でしょうか。あまりにも甚大な被害が起きて言葉を失っています
息子が務める奈良中央からの指示で、あまり危険を感じたら配達を途中で引き返すようにとのこと。途中、木が道をふさいでいたり、崖崩れが起きていたりした場合は途中でも引き返してもよいとのこと。どうぞ一日無事に終えることができますようにと、ご家族の者は皆さん同じ思いなのでしょうね。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
眸(ひとみ)・・104 ・・
☆ 夏の暑さが恋しくなるこの頃です。朝霧でしっとりと濡れて、初冬を感じます。フロントガラスは濡れています。子供たちの弁当も出来た。一息ついたら職場に出かけます。道端には艶めかしい曼殊沙華が咲いていて、それも濡れています。神様、今日もお守りくださいとお祈りしてから、何時ものように、エンジンの音を聞いています。働けて感謝です。主人は、夜に作っておいた朝食を食べて、家から少し離れた会社に一足先に出かけています。夕食だけは家族そろって食べることにしています。 愛媛県 S・Gさん
☆ 最近まで、奥さんの介助で通院していた60代の旦那さんが、リハビリの甲斐があって、手足にはまだ麻痺はありますが、待合のロビーを歩いておりました。見ている私も元気を貰いました。リハビリに来られる人、一人ひとり、いろいろの思いで見て、無言の励ましや目礼が和みの空間になるのですよ。私も頑張らなくちゃ…と、右手に杖でリハビリ室へ行く主人を送りました。歩いて行けるところに整形の専門病院があるのは、感謝以外にありません。 宮城県 T・Tさん
☆ 「ジャーナル」がヤマト便で毎月届けられるたびに思うことがあります。それは孫のことです。人手不足は物流関係にもあるといわれています。息子が働いている郵便局も、昨年から一人は病で倒れ、もう一人は通院治療のために辞めました。それからというもの全く働く人の補充ができていません。ですから、今まで以上に広い地域を4人で配っていたのを一人減らして3人で配るというのです。朝は早くからお昼を食べもせず、夜までかかっての仕事です。暗くなると宛名が見えにくくヘルメットにつけた大きなヘッドライト頼りに配達しているようです。雨であっても郵便物を濡らすことも許されません。これは全国のたいていの物流関係は同じような働かされ方のようです。事故や健康のことが心配です。年賀状の販売、おせち料理の注文のノルマがあったりもしますし、年末年始は特に忙しくなります。孫がミスなしで無事故で帰ってきてくれることを祈りながらの毎日です。ブラック企業の多くは弱者を徹底的に厳しく働かせているのです。 島根県 W・Kさん
☆ 台風に振り回された毎日も、今は秋の対応、夏物の入れ替え、毎日洗濯に追われています。そうして落ち葉の片付けもあります。こうして一年が過ぎてゆくのかと思うと何だか感動します。家族が健康であったことがうれしいですね。「ジャーナル友さん」もそれぞれの初秋をお迎えでしょう。夏のお疲れが出ませんように、お祈りいたします。 愛知県 K・Jさん
☆ わたしの不注意で自転車事故で骨折と打撲で入院、やっと車椅子を使うことが出来るまでになりました。リハビリを受け、三度の食事が出てと、今までの生活とは様変わりはわたしばかりではありません。主人や子供たちも、協力して何とかやってくれています。他の入院患者さんのご家族も、年齢やご家族の有無で違いのあることを知りました。何よりも、元気であることが一番と不注意と過信はいけませんね。手術がなければ年末には退院できそうです。ベッドの上からメールです。 山形県 K・Kさん
☆ 今回の台風と強風で家が全壊してしまいました。瓦礫の片付けをしながら、主人と取り壊すことにしました。70代を越えた私たちには新しい家など必要ではないので、幼馴染のいる少し離れた所に農家の空き家があるので、そこに住むことにしました。子供たちも賛成してくれましたし、通院の病院にもあまり不便さは感じないところなので、一安心です。礼拝に行くのが不便になりました。 千葉県 M・Aさん
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
十戒と主の祈り・・・8・・・3 鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=父と母=
第五戒⑤・上に立つ者
民数記12:2~10、ローマ13:1~7
ウエストミンスター小教理問答64、65問にこの第五戒の説明があります。そこでは父や母だけではなく、上下と対等の人への敬意と義務を果たすことが教えられていると記されています。
上に立つ人は、親であり、上司であり、また為政者などであったりします。彼らが持っている権威は神から来ているものです。私たちがそれぞれに相応しい敬意を払うことが教えられています(ローマ13:1)。
彼らはその持っているそれぞれの権威を行使することを認可されていますが、それは正しい目標にそって行使しなければなりません。しかし、正しく行使されなかったとき、そのためにその権威を行使する認可を失うわけではありません。両親が両親でなくなることはありません。政府が良くない政治をしたとしても、その政府は存在している限り、政府として敬意を払うべきです。神によらない権威はないからです。
しかし、親があまりにも親として義務に反することをなし続けるとき、子が親から離されて保護されることがあり、為政者は法的手続きによって変えられることが起きることがあります。教会における指導者についても教会の訓練規定があります。
上に立つ者は、神から与えられている権威が大きければ、それだけ大きな責任を神と隣人に対して負っています。親は神と子供たちに対して、為政者は神と国民に対して、そして教会役員は教会の頭であるキリストと教会員に対して責任があります。主イエスは御自分が羊のための良き羊飼いであることを強調なさったことを忘れることができません(ヨハネ10:11)。
あるいは上に立つ者が、ミリアムとアロンのように、指導者であるモーセを妬んだように、上に立つ者としての権威がどこから来て、何のためにあるかと言うことを、見失ってしまう個人主義的な誤りに注意することも大切です。
上に立つ者が役に立っているかどうかを機能的に判断することも、注意しないと自分の視点からしか見ないという個人主義的な偏った判断に陥る危険があります。
第五戒⑥・為政者
申命記17:14~20、ローマ13:1~7
この二つの聖書個所を見ますと、王あるいは為政者は神によるものであることがよく分かります。イスラエルの民がまだ荒野の旅の途中、やがて立てられる王は、神御自身によることがはっきりと宣言されています。しかも神の制度として立てられる王が守らなければならない4つの注意事項も挙げられています。ローマの信徒への手紙13章からも、為政者は「神に由来して」いて、善を行なう者に報いを、悪を行う者に罰を加えるためにあります。
しかし、この為政者自身が常に神の御心を行っているわけではありません。サムエルが預言をもって警告したように、近隣諸国のように王を求めたイスラエルの民は、王によって軍隊のために出兵、納税、苦役と言う義務を負わされることになります(サムエル記上8:11~18)。
パウロもそうですが、為政者によって不当な苦しみや刑罰を受けたことが聖書に多く記されています。彼がダマスコの町の城壁からつり降ろされたのは、アレタ王の迫害を逃れるためでした(Ⅱコリント11:32~33)。一度ならず投獄されました。いつも抗議したわけではありませんが、当時の通常の裁判なしに公に辱めを受けた時、躊躇することなく、抗議しました(使徒16:37~39)。
福音を語らせまいとする為政者の命令に対して、パウロは聞き従うことはありませんでしたが、それでいて、このローマの信徒への手紙13章1~7の言葉のように、為政者を否定的にではなく肯定的に考えています。
為政者に従うという原則に立ちながら、為政者の権力は絶対的なものではなく、為政者も神が聖書で示される正義とその国の法に従わなければなりません。それができなくなり、独裁的になった時、非常時として、次の地位にある適任者がおれば、政権交代が必要になるでしょう。ドウマ教授は、それが革命というような形をとる場合もあり得るが、それには三つの条件があって、1、基本的人権が為政者によって徹底的に継続的に侵され、2、国民を代表すると考えられる人々がリードして3、革命を成功する確率が高く、流血ができるだけ限定されるとき、可能であると述べています。
今回のアメリカのイラクにおける戦争のような問題に対して、教会として、あるいはキリスト者として、どう対応するかについても、議論のあるところだと思います。ウエストミンスター信仰告白31章「地方議会と全国会議について」の5項は、これらの会議は「教会的な事柄以外のなにごとをも扱ったり、結論を出したりすることはできない。非常時の場合の謙虚な請願として、あるいは為政者から求められた場合には、良心の満足のため助言すること以外は、国家に関する世俗的な事柄に干渉すべきではない」とあります。教会的な事柄と世俗的な事柄の区別が求められます。いずれにせよ、神によらない権威はなく、為政者は悪に陥る危険があるため、彼らのために祈らねばなりません。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・23・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
11 名古屋地方とマカルピン・・4・・
新神学の流行、人間中心の自由主義的神学のために動揺させられた正統主義の教会は、さらに1891年(明治24)1月9日、第一高等中学校嘱託講師として歴史を担任していた内村鑑三氏が、学校に下賜された天皇署名入りの教育勅語に対して、他の教師のように最敬礼をしないで勅語礼拝を拒否したということから、非難攻撃を受け、キリスト教は日本の国体と相容れない国賊として世論の批難を受けるようになった。こうした問題もあって、当時の教会は内外からの圧迫、困難と戦わなければならない有様であった。
従って、この年1891年(明治24)から1900年(明治33)に至る10ケ年間の日本基督教会の信徒数は増加せず、教会数はむしろ減少した。ただし、伝道所数が増加しているのはミッションの伝道活動の進展を示したものと言えようが、大勢は沈滞ムードの10ケ年であったと言えよう。
それはキリスト教信仰を受容することの、どんなに困難な時代であったかを示すものあるとともに、それだけに外国宣教師たちの地方伝道は、ますます困難を加えていった。それは日本基督教会の統計表によって推測させます。
1891年(明治24)、南長老教会ミッションは、当時、新興国際都市として発展途上にあった神戸にステーションを設置した。港湾都市として海外貿易の中心であり、比較的日本の伝統に侵されていない都市として、格好の伝道地であった。従って、将来宣教師の日本伝道への基地として重要視された。
R・E・マカルピン師は名古屋にあって、県下と隣県岐阜地方に忙しく伝道し、瀬戸永泉教会では、同年11月24日、加藤梅三郎氏が長老に選ばれ、マカルピン師がその任職を執行した。
同年11月24日に中津川講義所が開設され、マカルピン師は教師の南小柿州吾氏、伝道師佐々木国之助、同加藤虎彦氏、同加藤万吉氏などの協力を得て、坂下、苗木、中津川から大井、岩村など各地をくまなく巡回して伝道された。今日、東濃地区に日本基督改革派中津川教会、同恵那教会、同多治見教会の三独立教会が存在するが、その起源には忍耐強いR・E・マカルピン師の伝道があったことを忘れてはならない。坂下、中津川地方には、初代の信徒として、安部倍次郎(洋服屋)、同人妻安部ケン、長男安部賛平、土屋勝蔵、小栗 長などR・E・マカルピン師から受洗している。
名古屋地方、尾張地方、岐阜県山間部の伝道は、マカルピン夫人にも相当の労苦と疲労を加えたのか、夫人は明治25年初夏頃、健康を害されたので、夫妻は1ケ年の休暇を得てアメリカに帰省された。
日本基督教会の統計表
明 治 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 計
教会数 73 72 72 72 71 70 71 69 71 71 -
伝道所 38 58 76 79 85 103 103 110 109 109 -
教 師 58 65 75 75 75 80 78 112 135 103 -
伝道者 88 103 113 113 115 125 113 111 108 91 -
受洗者 748 885 1296 701 494 845 683 780 758 675 7770
除名者 301 474 734 503 - 321 - 693 481 388 3795
会員数11253 10862 11118 10787 11064 11324 11131 10609 10849 11117
=写真=
中津川、王子製紙社宅伝道(前列中央マカルピン師、左は水垣清牧師(1949)
「キリスト教百話」
問26 前回の話では「最後の審判」があることが望ましいように言われましたが、その辺のことが今一釈然としませんので、もう少し説明してください。
答・・5・・
不条理に関するもう一つの例を上げますと、生まれつき目の見えない人について「この人がこういう運命を背負わされているのは、どういう理由があってのことか。本人のせいでこうなったのか、それとも親に何かの原因があってこうなったのか」という質問がイエスに対してなされたことがあります(ヨハネ9章参照)。
これは既に触れましたように因果論によっている発想であります。つまり、何の理由もなくて生まれつき目が見えないなんてことは考えられない。必ず原因がある、と言う考えです。ところがその解明が出来ないものですから、イエスに問うたのでした。
もちろん、こういう時に対する答えの確実性を保証することが出来るものはないのですから、この時の質問は「イエスを試してやろう」という魂胆があってのことであったと考えられます。
これに対するイエスの答えは「それは、本人の罪によるものではなく、また、親の罪によるものでもない。この人の上に、神の栄光が現れるためである」というものでした。問うた側は「えっ」と驚いたに違いありません。が、イエスは、この人の目を開かせて、見える人に変えられました。
どうしてそういうことが起こったのか、医療カルテがありませんから、そういう次元での説明は出来ませんが、この話は、因果論や不条理を超えて、神の栄光を現すに至る条件がイエスの内には備えられていたことを告げています。
こういう話をどう受け取るかということが、これを聞く側の問題であると思いますが、聖書は、先に述べたヨブのことを含めて、神は因果論や不条理を超えて、神による新しい局面を展開される方であることを告げています。
ヘレン・ケラーのように、見えなくても、見える人以上に見えた人がいることを思うにつけ、神の人間への関わりは、神の栄光を現すことが目指されているのであって、本項でここまで述べてきた「最後の審判」ということも、こういう信仰の視点によって、とらえられて良いことではないかと思います。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・
元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者
第92課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・48・・・
G キリストの非利己的な態度を見習うことが、すべてのキリスト者の義務である。・・・15:1~13・・・1・・・
15章の最初の部分において、パウロが前章において教えた教理を、適切な理論によって確証して行く。15章は少しの区切りもなく、14章の議論を継続している。
「わたしたち強い者は、強くない者の弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない」(15:1)。
この説は14章の議論の要約ともいうべきものである。ある種の食物を食べることが良いか悪いかということについての疑いや躊躇によって、煩わされない強いキリスト者たちは正しい。
これに対して、煩わされている弱いキリスト者たちに与える影響を無視して自分の思うままに行動しても良いということを意味することでは決してない。食物の合法性ということに関する限りにおいては、強いキリスト者は何でも好む物を食べる権利を持っている。しかし、弱いキリスト者に与える悪い結果を考慮しないで、その権利を行使することは利己的であって、キリスト者の愛の義務を無視することになるのである。
従って、強いキリスト者は「強くない者の弱さを担うべきであって」、自らから好むところを自己中心に主張して、行動すべきではない。すなわち、キリスト者の自己否定を要請される。そしてそれが要請されるならば、自ら進んで、また喜んでそれに応じるべきである。
ある人が、そのキリスト者の兄弟たちに対する態度において誤っているのであれば、彼が食物についての問題において、たとい正しくあろうとも、何の益になろうか。弱い兄弟たちの霊的な福祉に較べるならば、ある食物を食べるという自由などは、色褪せた無意味なものなのである。
しかし、このロマ書のこの部分を通じてわかるように、次のことをよく覚えておかねばなない。その考えには弱点があり欠点があるのである。すなわち、そのような考えは、彼らがキリスト教の原理を不完全にしか把握していないことから来ているのである。
悲劇的であるのは、彼ら弱い信者が、しばしば彼らの弱点を、反対に強い点だと見てしまうことである。彼らがそれを宗教的な原理の問題だと決め込んで、それを堅持するばかりか、彼らの考えを全教会に強制しようと試みるのである。道徳的には全く問題でない事柄について迷っていない強い信者の上にも、強制しようとするのである。
私たちはここで83課の文章を再度引用してみよう。14章でパウロは、儀式律法に従わなくてはならないと考えている人々は、教会の中においては例外と見ているのである。彼はそのような弱い兄弟たちには、愛と同情と忍耐とをもって、接しなくてはならないと説いているのである。しかし、同時に、これらの兄弟たちの考えは間違っているのであり、彼らが信仰において弱いことから来ているということを明らかにしている。弱い兄弟たちの考えが間違っているのであるから、それらの考えは教会全体の上に課せられる規則や信条とされてはならないのである。
J・G・ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
『ほっとひととき「みんなのコーナー」』
☆ 今年は北海道も異常な暑さが続きましたが、今はもう冬です。暖房なしでは過ごせません。裏山にあるジャンプ台の点検も終わり、雪を待つだけです。青少年のクラブでは、夏の間でも体力作りとかでよく走っている練習姿を見ました。高梨沙羅さんが活躍するようになってから、小さい女の子も大きなお兄ちゃんやおねえちゃんの後を必死について走っています。きっと、次々と沙羅さんのような選手が生まれるのでしょう。身近なお手本、目標があれば頑張れるのですね。私たちのお手本はイエス様、目標は、寒さに負けず礼拝に行くことです。 北海道 T・Sさん
☆ 今年も栗や柿がたわわに実り、収穫に忙しい日々を迎えています。一年間の頑張りが報われた気がしています。柿農家が多いこの地域の秋の風景には、初めて見る都会の皆さんに、秋の美味しい柿や栗ばかりでなく、この風景も堪能していただけたらと思いつつ、出荷しています。どうぞ景色も想像して食べてほしいと思っています。 岐阜県 T・Mさん
☆ 主人はラガーマンでしたので、有休を活用して普段は見ることのできないラクビ―のワールドカップの試合を楽しみしていた一年間、やっと念願かなって各地の試合会場に行くのを、まるで子供がイベントに行くのを楽しみにしているようです。今はお腹が気になる体型ですが、そんな主人に、また恋してしまいました。 神奈川県 Y・Yさん
☆ 「ジャーナル友」の皆様の健康をお祈りいたします。夏の疲れが出たのでし
うか、主人が胸が苦しいと言うので救急車で、お世話になっている総合病院に行きました。体重も減り、食事の量も少なくなっていたのが気になっていましたので、そのことをお伝えしましたところ、体力も低下しているようなので、検査を兼ねて二週間ほど入院となりました。家で不安な日々を過ごすより本人もわたしも子供たちも安心できますので、そうさせていただきました。安心したのか、不安そうな顔もなくなりました。毎日、病室には行けませんので便利な家族割の携帯でカバーしています。お祈りください。 静岡県 T・Fさん
☆ 秋のお祭りも終わり、静かな田舎に戻りました。今年は台風の被害もなくほ
っとしています。新聞には海外からの観光客の減少のニュースが話題のようですが、ブームに乗った一時的は減少と思っています。それよりも紀州人は果樹栽培など自然に育てられた長いサイクルで考える気質がありますので、マスコミの数字やブームの悪夢から正気になることだと思って、今日もミカン畑に出かけます。 和歌山県 D・Bさん
☆ 濁流で無残な姿になった小さな「お愉しみ花園」にコスモスが咲いてくれ
ました。どこから運ばれ、飛んで来たのでしょうか。うれしくなって、土を入れ替え、新たな「お愉しみ花園」作りに、やっと取り掛かれています。もう何十年も教会にお花を飾らせてもらう奉仕のことが教会生活、信仰生活の励みにさせてもらいました。これからもさせていただきたいと思っています。 山口県 P・Yさん
**********
▲ 長い停電でしたが、今は町の中の信号も、コンビニにも明かりが戻りました。昼間は、家、家、家の屋根にはブルーシート・・・。空地には瓦礫、このブルーシートは何時消えるのでしょうか。取り壊された家は更地のままになるのでしょうか。心の中には、癒しがたい傷が出来た感じがしてしまいました。
▲ ブルーシートのままでの年越しになりそうです。畳のない部屋、悪臭の消えない日々の生活ですが、子供たちは元気に学校に行きました。いろいろの支援を受けるための事務手続きが待っています。気分転換に美容院に行って来ました。少し余裕?が芽生えてきたのかなあ~。
▲ 子供たちは元気に登校しています。その姿に元気を貰っています。この子たちのために落ち込んではいられません。職場の片付けも終わり、みんなの顔にも笑顔が戻ってきました。働けるってこんなに素晴らしいことと、初めて経験しました。
▲ 被害の片付けの日々で、私たち夫婦は言葉数が少なくなってしまいました。話す話題もありません。口から出すのは溜息と愚痴とこれからの不安ばかりで、これでは駄目だと思っても、心身の疲れには勝てません。身の回りにある物は、片付けを待っている物ばかりです。「ジャーナル友さん」お祈りください。
▲ 19号でイチゴ栽培の建物はこわれ、イチゴは全滅です。またお金を借りての植え付けには気持ちの立て直しが第一と分かってはいるが時間がいる。しかし、これだけが収入源の私たちには待ったなし。動きださねば先に進まない。瓦礫の撤去、ハウスの建て替え、土の入れ替え、水や温度や肥料の管理の機械の設置など、不安と課題ばかり。子供たちのためにも、とにかく夫婦でやるしかない。
▲ 大好きな千曲川が憎らしい。あのゴーゴーという濁流と強風と雨。何とか2階に逃れたが、1階は汚泥と流木。片付けるにも、出口が塞がれていて外には出せない。栽培のリンゴは全滅。19号が悔しい。祈ってください。
▲ 稔の秋を楽しみに頑張って来たのに・・・。ここ福島は死者の数が一番とか。朝晩は寒い。幸い避難せずに済んだが、お隣りの老夫婦の家は、もうこれから住むことは出来ないほどの壊れよう。今は避難所におられるが、その様子を見たらどんなに悲しまれることでしょう。「ジャーナル友の皆さん」どうぞお祈りください。暖かいお味噌汁が食べたい。
*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」